福岡ABCにてお勉強-中華圏(香港・中国)における「アフターコロナの海外進出」とは?-

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

福岡ABCにてお勉強-中華圏(香港・中国)における「アフターコロナの海外進出」とは?-

長年たいへんお世話になっている、福岡アジアビジネスセンター(福岡ABC)さんで、久しぶりにリアル開催のセミナーに参加して参りました。コロナ禍下では、Zoomを用いたオンラインセミナーに移行しておられ、今回も会場とオンラインのハイブリットでした。

上の写真は、2019年の上海個展の時のもの。もうずいぶんと時間が経ってしまったような気がします。思い返せば、いろいろな方のおかげで、上海・台湾と中華圏とのかかわりはけっこう長いのです。上海での活動を再開し、さらにもう一歩、香港へと踏み込んでいくためにも、今回のセミナーを楽しみにしておりました。

講師は日本国弁護士でありNY州弁護士であり香港ソリシター(事務弁護士)の、絹川恭久氏。香港永住権を持ち、香港と沖縄の2か所の法律事務所に所属し、企業法務を中心に弁護士活動を行っておられます。

以下、備忘。


  • 香港、2014年からの流れ。2014年雨傘運動/2019年逃亡犯条例改正反対デモ/2020年香港国家安全維持法施行/2022年香港返還25周年・ゼロコロナ政策解除・高度人材ビザ発給開始。
  • 2020年以降、外国人(日米欧)駐在員減少・移民流出/中国本土系高度人材の流入。
  • GBA(Great Bay Area)地域(マカオ・香港・中国広東省)での活発な人流・インテリ層人材の入れ替え。
  • トランプ政権=経済紛争→バイデン政権=軍事紛争
  • 現在香港で起こっていることは、香港のみの問題ではない。
  • 現地支援の活用:香港貿易発展局(HKTDC)、Enabay(BtoBプラットフォーム)など

福岡アジアビジネスセンター セミナー:中華圏(香港・中国)における「アフターコロナの海外進出」とは? 絹川恭久氏より


まとめるとこのように簡潔になりますが、現地での体験・事例を含めた生の情報はとても濃い内容で、1時間があっという間でした。リアル参加の人数が少なく限定されていたため、セミナー後に個別に相談し、しっかりお話を伺うことが出来たのがラッキーでした。やはりセミナーはリアル参加がいいですね。セミナーをご案内くださった福岡アジアビジネスセンターさんに感謝です。

読書『女たちの沈黙』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

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読書『女たちの沈黙』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

いつものカメリア図書館新刊棚から。このタイトルを見てまず連想したのは『羊たちの沈黙』。そういう本なのか!?と裏表紙の紹介文を読んで、どうやら違うようだとわかり、安心して借りてきた一冊です。実のところ、戦争の残酷な描写は、決して安心できるものではありませんでしたが。読み終わって気づいたのが、早川書房からの刊行だったということ。そういえばカズオ・イシグロ作品はじめ、わたしがこれまでに読んでいる洋書の邦訳版は、早川書房にずいぶんお世話になっています。

舞台はトロイア戦争。本書は、3千年以上前に起きたと言われている、古代ギリシアとトロイア王国(現トルコ)との戦いを描いた叙事詩『イリアス』を、女たちの側から描いた物語です。「訳者あとがき」によると、中世から近世のあいだトロイア戦争は神話だと考えられていたものが、1870年代のトロイア遺跡発掘から史実の可能性を見直され、研究が続いているのだとか。そんな背景情報を全く持たず、『イリアス』も知らずに読みました。読み終わってからの訳者あとがきで、なるほどそういうことだったのか、と、腑に落ちること多々。

戦いの描写の残酷さ、女たちの暗澹たる行く末の描写は、読み飛ばしたくなるような部分が何度もありました。それなのになぜ読むのか。それは読書の衝動とでもいう、ことばでは説明し難い理由ゆえなのだと思うのです。あえてもっともらしい言い訳をするならば、小説を通してではありながら「ほんとうにこのようなことが起こっていた」と知ることは、今後そういう事態を招かないようにしなければという、危機意識につながるという思いがあるからかもしれません。

著者は英国で「戦争文学の旗手」と呼ばれ、戦争にまつわる著作を多数書いているそうです。本書では、黙殺されてきた「女たちの声」が、ストーリーを通して聞こえてきます。古今東西「すぐれた文学作品」と呼ばれるものの根っこには、大小を問わず「戦い」があるのかもしれないということを、考えさせられました。本書冒頭の「すべてのヨーロッパ文学は戦争から始まった」が、なんとも切ないです。

『女たちの沈黙』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

読書『kotoba(ことば)(2023年春号)』集英社クオータリー

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読書『kotoba(ことば)(2023年春号)』集英社クオータリー

カズオ・イシグロ特集号です。

まずこのような季刊誌があることを知りませんでした。先日観てきた映画『生きる LIVING』の報告ブログを読んで、お友だちが紹介してくださった季刊誌です。『単なる「情報」ではなく、残すべき「コトバ」を紙の本で残したい。』と、その公式サイトにありました。過去の特集で取り上げられたテーマを見てみると、まあ、なんとも興味深く。

一番上の写真は、今号の目次の見開き。そうそうたる文化人の方々が、カズオ・イシグロ作品への思いを語っています。まあその暑苦しいこと(笑)。どなたの文章からも、イシグロ作品への偏愛があふれていました。映画『生きる LIVING』をきっかけになされた特集ですが、それだけでなく、各著作についての掘り下げた論考や、著者その人に対する分析がこれでもかと続き、食傷気味になるほどの情熱を感じました。皆さんほんとうに、カズオ・イシグロ作品が好きなのですね。

わたしはイシグロ作品のなかでは『日の名残り』が一番好きです。邦訳された小説はほとんど読んだと思っていましたが、短編に読んだことのないものがあるのがわかりました。新刊を待ちわびる身には、まだ読んでいない本があったことはとても嬉しく。また、これまでは他の人がイシグロ作品に対して書いた論評には興味が無く、『日の名残り』はもちろん、その他の著作についての論評も、読んだことがほとんどありませんでしたが、今回このようにまとめて拝読してみると、これはこれで面白いことに気がつきました。

本書での特集の寄稿記事には、イシグロ作品を読んだ時に浮かんでくる、いろいろなキーワードが挙がっていました。なかでもわたしが一番考えさせられたのは、「日本的なもの」とはいったい何なのか。わたしたちが「日本的」だと思い込んでいる事象は、実は普遍的にどこにでもあるものかもしれない、ということ。どこにでもあるわけではなくとも、日本固有のものだとも言い切れない、ということ。国や文化や宗教を超えてたくさんの共通点があるからこそ、そこに共感が生まれるのだという事実。そんなことを考えさせられました。

それにしても、雑誌は冬の時代と言われながら、このような良質な情報誌があったのですね。2010年創刊ということでしたので、紙媒体が廃れていくなかでの、起死回生の一矢という感じでしょうか。とても嬉しい、本書との出会いでした。おススメしてくれたお友だちに心より感謝です。好み・関心の傾向を理解してくださっているからこその、ありがたいベストヒット。先日ご紹介した『TRANSIT』同様、内容の文章の質・量、使われている紙の良さも、気に入りました。

再読『コレクションと資本主義』(角川新書)水野和夫・山本豊津 著

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再読『コレクションと資本主義』(角川新書)水野和夫・山本豊津 著

『「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる』とサブタイトルにあります。経済学者の水野和夫さんと、東京画廊社長の山本豊津さんとの対談本。思うところがあり、本棚から引っ張り出してきました。本書が刊行されたのが2017年9月で、すぐに読んでいましたので、最初に読んでから5年半ほどが経っています。その間にコロナ禍下の3年間がありましたので、いろいろなことが大きく変わりました。

アート分野においても、コロナ禍は、将来振り返ったときにエポックメイキングな出来事であったと位置づけられるのではないかと言われるのを耳にします。それは、アーティストの表現方法や作品そのものに現れるものもあれば、アート市場の動きやアートの社会的な位置付けの変化もあると思います。そしてそのような兆しは既に現れつつあるのを、感じます。そのように考えたときに、もう一度読んでみよう、と思ったのが本書でした。

上の写真は、コロナ禍前2019年秋に開催されたアートフェアアジア福岡のイベントで、宮津大輔さんによる「現代アート経済学」の講演のときのもの。ここからでも既に3年半が経っていますね。

以下、『コレクションと資本主義』再読で目に留まったフレーズ備忘。


  • 美術品や文化遺産を自分たちのもとに集め、自分たちの価値基準によって分類し、評価する。それは自分たちの価値基準で一元化しようとする試みでもあるのでしょう。
  • コレクションを展示することで、自分たちの国家や文化の優位性を誇示する
  • 「蒐集」の本質が「自らの価値を広げていこうとする暴力性」
  • 経済・軍事力から文化力に価値をシフトさせる
  • 「長い二十一世紀」
  • 「長い十六世紀」
  • 自我意識が誕生することによって、美術が宗教的な装飾から、独立した「作品」としての価値を持つものになる
  • 知識と情報を共有することで、モノの価値が定まる
  • 客観性の根本には、「ものを見る」という行為があります。それは絵画や芸術の態度そのものでしょう。科学と芸術というのはその意味で、親和性がある
  • 利子率ゼロというのは、希少性を否定する世界
  • スターリンは個人の自由な芸術活動を抑制したけれど、作品を捨ててはいなかった。
  • 最後に頼るのは国家でもシステムでもない、自分自身と自分の身体一つ、確かなのは自分の感覚や肉体だけ
  • 「花」ではなく「種」を買う、言い換えればそれこそが「投資」
  • 西欧には、美術作品は半永久的に残していくものという意識がある
  • いまやアートに関しては世界の中心は再びヨーロッパに戻っています。
  • 絵画と三次元的表現の垣根がなくなったという意味で、絵画そのものも終焉を迎えた
  • 芸術は必ず、反芸術によって延命してきた
  • テーマを失った時代にあえて模倣すること自体から新しい価値を提示
  • アート作品が持っている価値転換、すなわち使用価値の低いものほど交換価値が上がるというパラドックス
  • 人類は虚構の物象化を時間をかけて積み上げ、それが今日の資本主義社会の土台となった
  • 芸術の資産化
  • (美術品は)希少性を持ちながらも無限性を有しています

『コレクションと資本主義』(角川新書)水野和夫・山本豊津 著 より


コロナ禍を経て、本書で述べられていることが、よりイメージでき、理解できたような気がします。投資先をなくしたお金が軍事・戦争に流れるのではなく、アート作品・芸術的活動がそのお金の受け皿になることを願います。

映画『生きる LIVING』を観て参りました。

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映画『生きる LIVING』を観て参りました。

「月に1本映画を観に行く」。2023年はスタートから「月1回」の波に乗れなかったので、「月1回ぐらいのペース」ということで、仕切り直し。2023年の2本目は、いつものご近所イオンTOHOシネマではなく、博多で。というのも、久々に「これは絶対観たい!」と思った最寄りの館が博多だったのです。

さて『生きる LIVING』。絶対観たいと思った理由は、脚本がカズオ・イシグロだったから、の一点です。黒澤明の映画『生きる』が元であり、イギリスを舞台に撮り直したもの、ということで話題になっていますが、わたしは黒澤版を観ておらず、ストーリーも何もまったく知らない状態で、映画館に参りました。

カズオ・イシグロ脚本の『生きる』。舞台は第二次世界大戦後のイギリスです。余命宣告を受けた市役所職員の主人公が、「死ぬ前に、生きたい」と願うところから動き出すストーリー。全編にただよう静かさが、登場人物の心の変化や揺らぎを際立たせていました。主人公の抑制された雰囲気が、物語をぐいぐいと引っ張っていく不思議な感覚。時代もストーリーもまったく異なりますが、カズオ・イシグロ原作で映画になった『日の名残り』をほうふつとさせるものを感じました。

周りの観客は、ほぼわたしより上の年齢層の皆さま。平日の午前中にもかかわらず、わりと席が埋まっていたのは、やはり「黒澤明」と「カズオ・イシグロ」効果かしら、と思いつつ。本家の黒澤版も観てみたいと思いました。

読書『ガウディの遺言』(PHP研究所)下村敦史著

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読書『ガウディの遺言』(PHP研究所)下村敦史著

ガウディといえばサグラダファミリア、サグラダファミリアといえば某インスタントコーヒーのテレビCM「違いがわかる男」外尾悦郎氏。と連想するのは、ある年齢層以上の方には思い当たるのではないでしょうか。ガウディについて、すごい!面白い!との認識はもちろんありましたが、その作風があまり好みではなく、深堀りしたことはありませんでした。個人的にはどちらかというと、パトロンであったグエル氏への興味の方が強かったかもしれません。

ですが本書を読んで、建築物サグラダファミリアに興味が湧いてきました。宗教観と、それを形にする方法としての建築、現場を動かす職人たちの誇り。本書はジャンルで言えばおそらくミステリーで、その謎解きを通してガウディ建築の謎と魅力が語られています。フィクションですので、物語に登場するエピソードを全て鵜呑みにするものではもちろんありませんが、それでもこれまでにない興味深さが読後に残りました。

上の写真は、2021年度の郷育カレッジ講座での「学ぼう!スペイン」の資料。このときに講座を担当してくださった方が、スペインバルセロナに残るガウディの仕事というか、グエル氏の仕事というか、を、とても誇らしく解説してくださったことを思い出しました。

この本を読んだ後にサグラダファミリアに行けば、建築物の見方が変わるだろうな、という一冊。わたしはまだ一度もスペインに行ったことがありませんので、今後バルセロナに行くことになったときには、本書を読み直して復習してからサグラダファミリアを観に行きたいと思いました。

ガウディの遺言』(PHP研究所)下村敦史著

読書『書籍修繕という仕事』(原書房)ジョエン 著/牧野美加 訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『書籍修繕という仕事』(原書房)ジョエン 著/牧野美加 訳

韓国ソウル市内で「ジョエン書籍修繕作業室」を営む書籍修繕家・ジョエンさんによるエッセー。エッセーというよりは、著者の書籍修繕の記録であり、書籍修繕という技術・仕事を紹介する本であり。なによりも、書籍修繕という仕事に対する著者の誇りと愛情と、魅力がバンバン伝わってくる本でした。

プロローグに「この本を読んで、皆さんの心の中に、修繕してこれからも大切にしたいと思う本が一冊くらいは思い浮かびますように。」と書いてありました。本書を読み終わってわたしが最初にしたことは、まさにその「修繕に出す候補の本」を本棚から引っ張り出すことでした。書籍修繕をしてくれる人があるのかどうかも分からないまま、ですが。

そしてまた著者は「「将来なりたいもの」を聞かれて書籍修繕家と答える子どもが出てきますように。」とも書いています。わたしはあいにくもう大人ですが、もし子どものときに、この職業の存在を知っていたら、なりたい仕事のひとつに上げていたかも、と思いました。本が好きで手先の器用な子がいたら、ぜひおすすめしたい仕事だと思いました。

ジョエンさんは韓国の美術大学で純粋美術とグラフィックを学んだあと、アメリカの大学院に進学してブックアートと製紙を専攻し、専攻内容をより早く深く理解するためにはじめた「書籍保存研究室」でのアルバイトで書籍修繕の技術を身に付けています。それが天職となっているのですから、面白いものですね。

書籍文化がどんどん廃れているとされる昨今の出版界の状況と反比例して、紙の本が遺してくれる価値の大きさがどんどん大きくなることを予感させる本でした。

『書籍修繕という仕事』(原書房)ジョエン 著/牧野美加 訳

久しぶりの久留米市美術館。

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久しぶりの久留米市美術館

お友だちからチケットを頂いたので、久留米市美術館で開催中の展覧会「リアル(写実)のゆくえ-現代の作家たち 生きること、写すこと」を見て参りました。

10年以上ぶりの久留米市美術館。いえ、前回行ったのは、まだ石橋美術館だったころでしたので、そう考えると初訪問です。石橋美術館であったころには存在した収蔵品の数々、特に久留米に縁のある日本の近現代画家の作品が、ほとんど東京のアルティゾン美術館(旧石橋美術館)に引っ越ししてしまったのは残念なことでしたが、2012年に建て替えられたという新しい館は、とても快適な展示空間=鑑賞空間となっていました。

さて展覧会「リアル(写実)のゆくえ-現代の作家たち 生きること、写すこと」。期待以上に面白かったです。まず佐藤洋二さんの「義手」「義足」シリーズに引きつけられました。必要から生まれ、発展した作品群は、これぞリアルでした。素材としてのシリコーンのすごさをまざまざと感じる作品でした。次にいいな、と思ったのは満田晴穂さんの「自在」シリーズ。昆虫を作る金工作家さんです。すべての関節が動くという緻密さは、以前から話には聞いていましたが、今回初めて実物を拝見。その造形のリアルさには昆虫への愛情がにじみ出ていて、眺めながらニヤニヤしてしまいました。

そんななか、わたくし的今回の一番の傑作は、漆器の若宮隆志さんの「曜変天目蒔絵椀」。ご存じやきものの世界では過剰な(笑)脚光を浴びている「曜変天目」ですが、それを漆で再現していました。そのユーモアといいましょうか、皮肉といいましょうか、美術工芸界への批判的な視点が伝わってきて、とても面白く拝見しました。もちろん、見た目の再現性も素晴らしかったです。わたしは、現代アートの求める「メッセージ性」が、言葉で説明しないと伝わらないものには、まったく魅力を感じないのですが、この「曜変天目蒔絵椀」は、言わんとすることが一目瞭然。こういう作品は大好きです。

上の写真の通り、小雨が降るあいにくのお天気ではありましたが、石橋文化センターの庭園では「春の花まつり」がちょうどスタートしたところで、満開の桜と咲きはじめのチューリップ、もうすぐお終いのツバキも楽しむことが出来ました。庭園をぐるりと一周すれば、すっかり華やかな気分に。市街地にこのようなオアシス的空間があるのは素晴らしいですね。

読書『TRANSIT』No.59(講談社MOOK)ユーフォリアファクトリー

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『TRANSIT』No.59(講談社MOOK)ユーフォリアファクトリー

毎年、雑誌を定期購読しています。定期的に、自分のそのときの興味とは関係なく届くもの(情報)があることは、凝り固まりがちな視野を広げるうえで有効である、というお話をどなたかの文章で知り、それからの習慣になっています。これまでに購読したものは、ナショナルジオグラフィック、婦人画報、イングリッシュジャーナル、プレジデント、フォーブスなどなど、ジャンルもいろいろ。購読期間も、1年ちょっきりでお終いにするものもあれば、面白くて2年以上続けるものとさまざま。情報源を散らばす意図があるので、今のところ最長でも3年です。

2023年の定期購読誌として選んだのが、年4回の発行の季刊誌『TRANSIT』。雑誌ですが「読書」と言ってよいのではないかというボリュームです。到着してまず驚いたのが、その紙質。表紙も中の紙も質感がとても良くて、めくるのが嬉しくなる手触りと、目にやさしい「ピカピカしていないカラー印刷」です。昨今、紙と印刷のコストを省く傾向が感じられる雑誌が多いなか、好感度高し!です。

ページを開けば、写真、文章、データ、並々ならぬ熱意が伝わってきます。「パラパラと読む」ことなどできません。実にさまざまな角度からの記事が並び、ガッツリ向き合って読むことを要求されます。これでもかと充実したコンテンツの数々は、この雑誌が保存版であることを示しています。最後の「編集後記」を読んで納得、海外情報記事によくある「現地ライター」による情報ではなく、制作スタッフの皆さんが実際に現地に足を運んでいるのですね。これは熱量が高くなるはずです。

3月15日発行の59号は東インド・バングラディシュ特集。これまでわたしの守備範囲にまったく無かったエリアでしたので、興味深さは倍増しました。本書を読んで「旅しに行きたいと思ったか」と問われれば、即答できないというのが正直なところです。リアルな東インド・バングラディシュが描かれていた(と感じた)からこそ、単純に「行ってみたい!」とはならなかったのだとも思います。でもその「混沌と神秘」の魅力は、バシバシと伝わってきました。

あともうひとつ、広告ページがもちろんありはしたのですが、それもまたスタイリッシュにまとめられていて、読んでいてまったく妨げを感じなかったのが素晴らしいと思いました。次回は6月で「メキシコ」。これまたとっても楽しみです。

読書『二都物語』(新潮文庫)チャールズ・ディケンズ著/加賀山卓朗訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『二都物語』(新潮文庫)チャールズ・ディケンズ著/加賀山卓朗訳

久しぶりのディケンズ、で『オリバー・ツイスト』を読んだのは今月初めのことでした。

つづいての「勝手に課題図書」指定であった『二都物語』を読了しました。

いやぁ、手強かったです。もともと上下2巻で出ていたものが1冊になった新潮文庫の新訳版。ディケンズの長編のなかでは短い方だと言われているそうですが、650ページを超えるボリュームで、しかも文学的表現の記述がてんこ盛り。独特の言い回しに、文字を追う目と頭がやっと慣れたのは、三分の一ほども読み進めた頃でした。本書が2014年刊行の新訳版であったことを考えると、その前に出ていたものは、もっと手強かったのだろうと思います。新訳版を出してくれた新潮文庫に感謝。

「ディケンズの代表作のひとつ」という以外には、まったく前情報を入れずに読書を開始しました。フランス革命(パリ市民革命)時代の話であること、「二都」がパリとロンドンを指し示すことをきちんと理解したのは、これもまた三分の一ほど読み進めた頃。そこから先は、これまでに読んできたフランス革命もの、藤本ひとみさんの『マリー・アントワネット』やら『アンジェリク』のイメージが背景に浮かんできて、読みやすくなってきました。「国王側」から描いたのが『マリー・アントワネット』、「国王ではないもの」の目線から描いたのが『アンジェリク』でしたが、『二都物語』では「市民革命」の「市民」が描かれています。

訳者あとがきによると、『二都物語』はディケンズの「ダーク」サイド全開の一篇ということですが、個人的には『クリスマス・キャロル』よりも『オリバー・ツイスト』よりも、読みごたえがありました。ラストは思いがけない展開となり、結末が見えない(想像するしかない)部分もありましたが、それもまた魅力的でした。今後また何度も読み返す本になりそうです。

『二都物語』(新潮文庫)チャールズ・ディケンズ著/加賀山卓朗訳