読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

お盆休み。といっても、いつもの週末に、ほんの一日分長くお休みを取るだけで、そのうち一 日お墓参りをするのぐらい。いつもより少し読書時間が取れると嬉しいな、と思い、いつものカメリアステージ図書館新刊棚から小説系を多めに借りて参りました。

本書『吞み込まれた男』は、誰もが知っている「ピノキオ」の物語の、スピンオフ版とでも言いましょうか。ピノキオを彫ったピノキオのお父さん=ジュゼッペ爺さんを主人公にした物語です。クジラ(巨大な魚)に吞み込まれたジュゼッペ爺さんの、腹のなかでの格闘と葛藤が、本人の日記形式で語られていきます。その日記を通じて、爺さんの人生、人となり、ピノキオ誕生の背景が明らかになっていきます。

それにしても「書く」という行為の偉大さ。極限状態にあって、書くことによって自分を保とうとし、少しづつ蝕まれていく様子もまた文字として残る、というようなお話は、これまでにも何度も小説で読んだことがあります。本書でもあらためて「書く力」と、それを信じている筆者の想いを感じました。

昔話や童話を解釈し直して書かれた物語が一時期流行ったことを思い出しました。本書の書き方は、その手のアプローチとはまたまったく異なりますが、誰もが知っているお話であることは共通点。お馴染みのお話が、主人公を変えて書くとどうなるか!?とても興味深い結果をもたらすことを、体感した読書となりました。ほかの物語でも、やってみたら面白いだろうことは確実。ちょっとチャレンジしてみたくなりました。

『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

そういえば、「禅の十牛図」に会いました。

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そういえば、「禅の十牛図」に会いました。

上の写真は、藤吉憲典が数年前に作った干支の丑(牛)。

先日の東京出張の折に、ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会に出かけ、そこで「禅の十牛図」についての展示を発見。禅の導師・鈴木大拙にちなんだ展覧会ですから、不思議なことではありませんが、今年はじめのお茶会の際に、初めて「十牛図」についての解説を聞いたところでしたので、グッドタイミング!と思ったのでした。

尋牛(じんぎゅう)
見跡(けんせき)
見牛(けんぎゅう)
得牛(とくぎゅう)
牧牛(ぼくぎゅう)
騎牛帰家(きぎゅうきか)
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
返本還源(へんぽんげんげん)
入鄽垂手(にってんすいしゅ)

正直に言えば、お茶会の際に教えていただいた「十牛図」の解説が、言葉としては頭に入っても、今ひとつよく理解できていませんでしたので、少しでも手掛かりがあれば、という気持ちで展示を拝見しました。

ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会 十牛図
ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会 十牛図キャプション

いわく


禅の「十牛図」

臨済宗の伝統のなかで、悟りへと至る10のプロセスを10の図と詩文で表現したもの。

順に

  1. 「尋牛」牛を尋ねる。
  2. 「見跡」牛の痕跡を見つける。
  3. 「見牛」牛そのものを見る。
  4. 「得牛」牛を実際に手に入れる。
  5. 「牧牛」牛を飼いならす。
  6. 「騎牛帰家」牛を使いこなし、平安のうちに家に帰る。
  7. 「忘牛存人」到家忘牛。家に戻ってくると、牛を手に入れたことも、牛そのものも忘れてしまう」
  8. 「人牛倶忘」牛だけでなく、これまで人として生きてきたこともまた忘れ去られ、すべてが空へと乗り越えられていく。
  9. 「返本還源」あらためて、すべての事物がありのままの根源へと戻る。
  10. 「入廓垂手」人々が生活している市場「廓」に入り、手を下げてそのままいる。

となる。

鈴木大拙展 ワタリウム美術館より


うーん。やっぱり、よくわかりませんでした。これは文章を読んだぐらいでは一朝一夕には理解できなさそうです。これから先の宿題がまた一つ増えたような気がいたしました。

郷育カレッジで、プログラミングに挑戦。

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郷育カレッジで、プログラミングに挑戦。

福津市民・福津市に通学通勤する方々のための社会教育システム「郷育カレッジ」。先日は「プログラミング」に挑戦してまいりました。

講座タイトルは「子どもたちの『やってみたい』を応援しよう」。講師を務めてくださったのは、福津市を子どもたちの 好奇心や学習意欲に応えられる街にしていきたいという、「次世代教育推進協会」さんです。

そもそもの講座の目的は、市(行政)・学校・ならいごと教室・保護者が協力して、子どもたちの「やりたい」気持ちに応えられる環境づくりをしようという、次世代教育推進協会さんの活動趣旨を市民の皆さんに理解してもらうことでした。

その座学の後に、今どんなならいごとがあるのかを体験してみましょう、ということで、プログラミング教室と、スポーツへの取り組みの意見交換が行われました。そして、面白かったのが、プログラミング。

子ども向けに実際の教室で使っているという教材をご提供いただきました。レゴブロックを用いた自動車を走らせるプログラミング。プログラミング前の「レゴブロックで自動車を組み立てる」段階で、日ごろ怠けている脳みそを使い、ぐったり(笑)。

組み立てた自動車をパソコン画面で操作して走らせました。実際のコマンド(指令)は既に出来上がっており、わたしたちが行ったのは、画面上でさまざまなコマンドをどう選んで組み合わせるか、という作業。ですので、厳密にはプログラミングそのものの体験とは言えないのかもしれませんが。

「自動車を使ったチキンレースゲーム」を通して、自分たちで組み立てた自動車を走らせ、そのスピードと停車の精密さを競いました。そのなかで、自動車の構造と各コマンドの組み合わせにより結果が変わるという体験は、プログラミングがそのまま数学や物理とつながり、車を使う実生活ともつながっていることを実感できるものでありました。

実際のところ、今からプログラミングを学ぼうという気持ちになるかと問われたら、かなり優先順位が下がります。そんななか、ほんのさわりだけでも、このように気軽にやってみることが出来るのは、とてもありがたい機会。「ちょっと、ためしに」を体験する場としても、郷育カレッジはとっても役立つことを再確認いたしました。

福津市民、福津市内に通学通勤の方は、郷育カレッジを受講することが出来ます。ぜひ機会を見つけてくださいね。

令和4年度郷育カレッジ講座一覧 https://www.city.fukutsu.lg.jp/bunka/kyoiku/2/5086.html

読書『わたし超スキッ!!草間彌生』(美術出版社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『わたし超スキッ!!草間彌生』(美術出版社)

2013年に軽井沢ニューアートミュージアムで開催された展覧会「わたし超スキッ!!草間彌生-世界を感動させた自己愛-」の図録です。上の写真は、わたしのリュックに10年以上ついている、南瓜のキーホルダー。個人的には、草間彌生もその作品も、特別に好きというわけではありません。カボチャのキーホルダーはお友だちからいただいたもの。草間彌生だから、ということでは無く、単純に可愛いくて気に入って、ずっとつけています。ここにも草間作品のすごさが垣間見えます。

訳あってこのところ草間彌生の関連本をいろいろと読んでおりました。本展覧会は2013年、遡ること約10年前に開催されています。図録に載っているものは作品写真も文章も、決して最新の草間彌生に関するものではありませんが、彼女のキャリアをざっと理解するうえで、とても分かりやすい資料でした。

時代を追って紹介される作品は「1.松本~京都~東京」「2.ニューヨーク」「3.ヴェネツィア・ビエンナーレ以前」「4.ヴェネツィア・ビエンナーレ以後」と分類されています。時代ごとのキャプションが短い文章ながらわかりやすく、作品のヴィジュアルと相まってその変遷がとても理解しやすいです。

『わたし超スキッ!!草間彌生』(美術出版社)

この展覧会以降、さらにまたたくさんの作品が生まれ、コラボレーションが生まれ、と、留まることを知らない草間彌生。「今が一番乗っている」ともいわれる世界的な前衛芸術家から、まだまだ目が離せません。

読書『ルコネサンス』(集英社)有吉玉青著

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読書『ルコネサンス』(集英社)有吉玉青著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚にて発見。名前に聞き覚えがあるなぁと思ったら、作家・有吉佐和子氏がお母様ということで。エッセイなのか、小説なのか、あまり気にしないままに読みはじめました。「あれ?これはエッセイ???」と思ったり「いや、これはフィクションよね」と思ったり。そのうちストーリーの面白さに引き込まれ、ジャンルなどどうでもよくなりました。

読了後に集英社のサイトにあった本書『ルコネサンス』についての、阿川佐和子氏との対談を拝見し、なるほど「自伝的フィクション」なるジャンルであることが判明。道理で読みながら「???」となったはずです。ちょうど新聞の文化欄で「私小説とは何か」「私小説の復権」なる記事を拝見したところで、本書との出会いのタイミングの良さに驚きつつ。

有吉玉青×阿川佐和子 『ルコネサンス』刊行記念対談
https://www.bungei.shueisha.co.jp/interview/reconnaissance/

主人公(≒著者)の正直すぎる姿が切なく、恥ずかしく、苦しくなりながら読みました。わたし個人は境遇に重なる部分はまったく無いにも関わらず、主人公の抱いている感覚が「なんとなくわかる(覚えがある)」と思わせる場面の数々に、すっかり感情移入してしまいました。著者は1963年生まれといいますから、年齢的には6つ違いますが、それでも時代の空気感がなんとなくわかるのも、大きかったかもしれません。

上の写真は、この小説のラストシーンにちなんで、山桜。有吉玉青さんの著書は今回が初めてでした。文章のテンポがとても気持ち良かったので、また読んでみたいと思います。

『ルコネサンス』(集英社)有吉玉青著

ワタリウム美術館で、鈴木大拙展 Life=Zen=Art。

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ワタリウム美術館で、鈴木大拙展 Life=Zen=Art。

東京南青山(あるいは神宮前)にあるワタリウム美術館。その前を通ったことは何度もあり、ずっと気になりつつも、館内に足を踏み入れたことがありませんでした。今回の東京出張では、ちょうどアポイントの隙間のタイミングで訪問が実現。ラッキー♪

わたしのなかでは、ワタリウム美術館=現代アート。「鈴木大拙展」と聞いて、その組み合わせに意外性を感じました。でもワタリウム美術館のサイトを拝見すると「南方熊楠、岡倉天心といった日本の文化を支えた人物についても調査し、独自の視点で発表しています。」という表記がありました。もともと取り組んでいらした分野なのですね。

鈴木大拙といえば、「禅」の導師。わたしは禅寺で茶道に入門しておりますので、その方向から馴染んでいるお名前です。そのお名前がアート方面からのアプローチで登場したので驚きつつも、直感的に「面白そう!」と思い、観に行くことに。

面白かったです。作品を点数で見せる展覧会ではなく、「いかに編集するか」にぎゅーっと工夫が凝らされたことを感じる展示でした。パンフレットには、鈴木大拙はじめ、この展覧会に作品展示のある人物紹介がなされています。人によっては関連する作品が1点のみだったりもするのですが、鑑賞者がその文脈をいかに解釈するか、キュレーターさんからの投げかけを感じました。

それにしても、ワタリウム美術館の建物の内側が面白かったです。バリアフリーからは程遠いつくりではありますが、創設者の想いが感じられるような気がしました。この空間を展示会として組み立てるには、相当にクリエイティブな力が要求されるに違いありません。展示会によって、雰囲気がずいぶん変わるのだろうな、とイメージできました。

鈴木大拙展、チケット代は大人1500円で、本人確認さえできれば、会期中はなんどでも入ることが出来るようになっています。これは嬉しいですね。出張から家に帰ってきて、あらためてパンフレットを眺めて気がついたことがありました。それは、今回のサブタイトル「Life=Zen=Art」は、わたしなりの視点で追及していくことのできるテーマかも知れない!ということ。ほんの1時間の鑑賞でしたが、これからの動き方に大きな影響を与える1時間であったかもしれないという予感がしています。

2022年度郷育カレッジ開講式が開催されました。

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2022年度郷育カレッジ開講式が開催されました。

福津市民・福津市に通学通勤する方々のための社会教育システム「郷育カレッジ」。令和4年度の郷育カレッジ講座がいよいよスタートします。

ここ数年は、開講式自体を開催できるのか、開催できるとして、どのような規模にできるのか、試行錯誤が続きましたが、2022年度の開講式を無事開催することが出来ました。時節柄、あまり派手な宣伝はできませんでしたが、郷育カレッジ開校から20周年の節目の年でしたので、無事にスタートを切ることが出来て、運営委員の一人としてホッとしています。

今年は開講式イベントも復活、市内の書道家の方に、書道パフォーマンスをお願いすることが出来ました。下はその写真。力強い文字を書いていただきました。

郷育カレッジ開講式パフォーマンス

ここ数年恒例となった、放送大学とのコラボ講座は、九州大学大学院総合理工学研究員教授・谷本潤教授による「ヒートアイランドと大江戸の街並み」。学究的で少々難しい内容ながらも、ユーモアを交えた軽妙な語り口に引き込まれました。

開講式が無事終了すると、いよいよ講座がスタートします。今年度も、一人でもたくさんの市民の皆さんの学びの場となれるよう、運営委員一堂、頑張ります!

読書『図書館の外は嵐』(文藝春秋)穂村弘著

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読書『図書館の外は嵐』(文藝春秋)穂村弘著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。中身はまったく予想がつきませんでしたが、タイトルと表紙の装丁に惹かれて迷わず手に取った一冊です。小説のようなタイトルですが、書評集。いえ、書評集という言い方も正しくないような気がします。本書の表紙にあるように「穂村博の読書日記」というのが、そのまま正解です。

図書館で借りたときは気づかなかったのですが、表紙の画は、ヒグチユウコさんでした。道理でスーッと惹かれたはずです。有無を言わせない世界観。そしてこれがまた、本書にぴったりなのです。

さて、著者の穂村弘氏は、歌人・詩人。本書内での読書記録は「×月×日」というように、日記形式で進みます。そこで紹介される本は、タイトルだけでなく、引用文も紹介されているのですが、その引用に、「ことば」への鋭い感覚があふれています。感覚的に合う合わない(あるいは好き嫌い)がはっきり分かれるかもしれません。わたしは、とても興味をそそられました。

読書日記に登場するのは、小説はもちろん、詩集、歌集、漫画と多彩です。セレクトの視点も面白い。そして繰り返しになりますが、ご本人が歌人=言葉を生業にする人であるだけに、ことば・言葉の組み合わせへの鋭い反応がとても興味深いです。本書内で紹介されているものを、ひとつづつ、読んでいきたいと思います。

読書『この道の先に、いつもの赤毛』(早川書房)アン・タイラー著/小川高義訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『この道の先に、いつもの赤毛』(早川書房)アン・タイラー著/小川高義訳

我が家では、九州福岡のローカル紙・西日本新聞を購読しています。未だ「紙」版重視です。電子版も使ってはおりますが。西日本新聞では、毎週土曜日に書評面「読書館」が見開きであり、毎週末の楽しみです。

ひと月ほど前だったでしょうか。その書評面で読んだうちの1冊に、本書がありました。そのときは「面白そうな本」だと感じたのみで、探すには至らず。それがつい先週、図書館の新刊棚に並んでいるのを発見。わたしは本のタイトルを覚えるのは苦手なのですが、書評で読んだタイトルと、タイトルの裏話が面白かったので、珍しく覚えていました。

これは縁があるのだろうと、さっそく借りて参りました。やさしい文章で、サクサク読み進み、週末の一日で読了。なんてことのない、ある四十男の日常と、彼の現在の恋と、過去の恋のお話。読みはじめてすぐに、主人公のイメージがなぜか歌舞伎役者・尾上松也氏の姿に脳内変換されました。作者アン・タイラーさんはアメリカ人で、主人公もまたおそらくアメリカ人。年齢的には主人公よりも松也氏の方が若いのですが…。

ともあれ、なんだかとてもやさしい読後感の残る小説でした。こういうものを読んだのは久しぶりかもしれません。新聞で目にした書評にはストーリー概要も載っていたはずですが、覚えていたのはタイトルだけで、逆にもし概要を覚えていたら、手に取らなかった本だったかも、と思いつつ。こういう選び方がたまにあることで、読書傾向の固定化が防げそうです。

読書『エリザベス女王 史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書)君塚直隆著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『エリザベス女王 史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書)君塚直隆著

サブタイトルがすごいな、と思いつつ。またまたエリザベス2世。祝・女王在位70年プラチナ・ジュビリー!と意図したわけではありませんが、マイブームは継続中です。先日、見てきたドキュメンタリー映画も、とても興味深かったのでした。

本書は、エリザベス女王(2世)の人生をなぞることで、彼女と英国王室の歩みを振り返るだけでなく、現代史(世界史)をも紐解く手掛かりになる1冊です。映画でも感じたことでしたが、近現代史を知るためのひとつの視点として、とても興味深く、わかりやすいと思いました。

本書を読んで、これまで読んできた本、見た映画の内容が、どんどんつながっていくのを感じました。

例えば、チャーチル

サッチャー

もっと遡って、英国王家の歴史

連合王国としての英国と各国との関係

などなどなど。

映画『エリザベス女王陛下の微笑み』を見ていたので、その映像と、本書の文字情報とが、うまい具合に合致する部分が多々。我ながら良いタイミングで読んだなぁ、と思いました。それにしても、見たり読んだりするたびに、その人物の奥深い魅力にどんどん引き込まれます。すごい方です。

エリザベス女王-史上最長・最強のイギリス君主 (中公新書)