読書『緋の河』(新潮社)桜木紫乃著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『緋の河』(新潮社)桜木紫乃著

カルーセル麻紀さんをモデルとした小説。新刊棚にあった『孤蝶の城』を読み終わったのは、つい1週間ほど前のことでした。

読み終わってあとがきを読んで、それが『緋の河』の続編であり完結編であったのだと知り、さっそく「その前」である本書を借りて参りました。読みたいときに読みたい本が手に入る、ご近所図書館のありがたさです。

『緋の河』良かったです。『孤蝶の城』も面白かったですが、それを超えて面白かった。図らずも順番を逆にして読んでしまいましたが、これがまたわたしにとっては良かったです。『孤蝶の城』で出てくる回想風景の原風景を『緋の河』のあちらこちらに見つけることが出来たのは、宝探しに似た面白さがありました。それにしても、前編にあたる『緋の河』を読まずに後編である『孤蝶の城』を読んでも、まったく違和感がなかったことを、あらためて思いました。すごいですね。

主人公・秀雄(カーニバル真子)の少女時代(少年時代?)を紡ぐストーリーは、切ないながらも凄みを感じました。あとがきで著者が、カルーセル麻紀さんの物語は「ほかの誰にも書かせたくなかった」と書いていて、その執念が書かせた本だと思えば、凄みがにじみ出るのも当然かもしれないな、と思いました。

カルーセル麻紀さんがモデルではありますが、登場人物の構成や出来事は、ほとんどが虚構であるといいます。モデルその人の壮絶な人生の物語と、小説家ならではの想像力が爆発した小説です。前編部分を読み終えて、もう一度後編を読みたくなりました。

読書『教養としての着物』(自由国民社)上杉惠理子著

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読書『教養としての着物』(自由国民社)上杉惠理子著

上の写真は「着物の夫人」藤吉憲典作の陶人形。

本書タイトル正式には『世界のビジネスエリートを魅了する 教養としての着物』です。「世界のビジネスエリート」とか「教養としての」とかを頭に付ける流行りは、まだまだ続いているのね…と少し斜めに見ていたら、本書の「おわりに」で、タイトルに「教養」がついていることに関して『そもそも「教養」とは何でしょう?』と問題提起されていて、一本取られました。その問に対する回答もおみごとです。

着物の基本的な知識から着こなしのための知恵まで、盛りだくさんです。とくに日本の伝統文化としての着物の歴史的背景などは、知らなかったことも多々ありました。また着物の文様と、肥前磁器の文様とは共通するものが多く、その点では理解しやすいことが多かったので、あらためて親しみがわきました。「着物は絵画を身にまとう衣装」というのは、なるほど納得です。

著者プロフィールにある肩書は「和装イメージコンサルタント」。今年前半に読んだ『人生を変えるクローゼットの作り方』を思い出しました。ニューヨークの高級デパートで、富裕な顧客へのファッションアドバイスを40年以上続けている、ベティ・ホールブライシュの自叙伝『A LIFE IN STYLE, WITH A TWIST』です。日本でもパーソナルスタイリストという仕事が認知されてきた現代、和装(着物)のスペシャリストの存在は、心強く頼もしいものでしょう。

わたしはが着物を着るのは、お茶のお稽古やお茶会のタイミング、あるいは仕事で海外に行くときなど、限られています。本書を読んで、少しづつ着る機会を増やして行こうと思えました。わたしの場合、ご近所に着物のプロ「時代屋」さんがあるので心強いです。

読書『孤蝶の城』(新潮社)桜木紫乃著

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読書『孤蝶の城』(新潮社)桜木紫乃著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚でゲット。初・桜木紫乃さんです。気になりながらも、これまで桜木紫乃作品を読んだことがありませんでした。本書のことは、少し前に新聞の書評欄で目にし、カルーセル麻紀さんがモデルになった小説とあって、興味が湧いていました。

わたしが初めてテレビのなかの彼女を見たのは、小学校高学年頃だったと思います。その記憶が正しければ、約40年前。カルーセル麻紀さんは40歳前後だったはず。男性的な顔と女性的な顔を使い分けながら、周りを笑わせ場を捌く姿に、存在感とカッコよさを感じたのが、第一印象でした。本書のストーリーは、30代後半頃までの設定だと思いますので、わたしが彼女の存在を知ったのは、本書で描かれるあれこれがあった後、ということになります。

ぐいぐいとストーリーに引き込まれたのは、その設定の興味深さや起こる出来事の衝撃故というよりは、主人公・秀男(カーニバル真子)の人間的な魅力故であったと思います。展開から目が離せない=秀雄から目が離せない感覚がありました。ラスト、ぼろぼろの状態で泣いている主人公に投げかけられる「それが、今日の仕事なんです」のマネージャーの言葉と、「仕事」の一言で涙がぴたりと止まるシーンが、強く胸に刺さりました。

本書の前編となる著書『緋の河』があることを、「あとがき」で知りました。これを機会に、桜木紫乃作品、読んでまいりたいと思います。

読書『彼女の思い出/逆さまの森』(新潮社)J.D.サリンジャー著/金原瑞人訳

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読書『彼女の思い出/逆さまの森』(新潮社)J.D.サリンジャー著/金原瑞人訳

サリンジャーといえば『ライ麦畑でつかまえて』。野崎孝訳が我が家にもあります。が、これまでに何度も読もうとしたものの、毎回途中で(それも、かなり早いタイミングで)閉じてしまっておりました。

本書『彼女の思い出/逆さまの森』は、サリンジャーの短編集。2022年7月の発行ですので、新訳版ということかな、と思いつつ、短編なら読めるかも、と気軽に手に取りました。短編が9つ。タイトルにもなっている『逆さまの森』はこの中では一番長いものでしたが、それでも中編というほどもない量でした。

全編に漂う、独特のブラックユーモアというか、毒というか、興味深く嫌いではない世界観でした。短編は、ひとつづつ完結させながら1冊を読むことが出来る良さがありますね。電車のお伴に最適です。隙間時間読書で、気がついたら読了していました。

収録されているすべての物語が面白く、今まで『ライ麦畑でつかまえて』を読み進めることが出来なかったのは、たまたまだったのかもしれないという気がしてきました。読了後さっそく何度目かの『ライ麦畑…』を手に取ることに。短編の読後感が余韻として残っている勢いで読めるだろうと思っていたのですが、やはり十数ページで脱落。うーん。

『ライ麦畑でつかまえて』が名著であるというのは古今東西の皆さまがおっしゃっていることなので、揺らぎようの無いものだと思います。でも、どうやらわたしには合わないようです。あるいは、もしかしたら訳との相性もあるのでしょう。試しに別の方の訳書を探して見ようかな、と思いました。

また本書を読んで初めて知ったのですが、サリンジャーは実は短編の書き手なのですね。訳者あとがきに、サリンジャー本人が「僕は短距離走者で、長距離は得意じゃない。」と言っている言葉が紹介されているのを読んで、ちょっぴりホッとしたところでした。ともあれ初サリンジャーで、短編のすごさに触れましたので、まずは他の短編も読んでみようと思います。

「アートの仕事」の講座で、自分の仕事を考えた。

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「アートの仕事」の講座で、自分の仕事を考えた。

【フリーでアートの仕事をする】について、ガッツリと考えることのできる講座に参加してまいりました。主催してくださったのは『英語でアート』の著者であり、さまざまな「アートの仕事」をしておられる、Art Allianceの宮本由紀さん

この分野では、日本での第一人者でいらっしゃると思います。このような立ち位置でアート関連の仕事を本業にするということは、そもそも日本では概念がなかったので。わたしにとっては、水先案内人的な存在。そういえば3年ほど前にも、アートの仕事について考える機会を作っていただいたのでした。

今回も、ご自身の体験をもとに、実践的なアドバイスをたくさんいただくことが出来ました。わたしにとって、これまでやってきたこと、今取り組んでいること、アートエデュケーターとしてこれから進むべき方向性を整理整頓する、最適な機会となりました。

以下、備忘。


  • Why you are not an artist. →We are artists in our way of life.
  • 覚悟・信頼・運。
  • 日々淡々ときちんとやっていれば、それに見合った仕事が向こうからやってくる。
  • ビジョンを持ち、そこに合わせて必要なスキルを身に着けて行けばOK。
  • 遠くに視点を合わせれば、ブレない。
  • フロントエンド(コマーシャル商品)→バックエンド(ほんとうに売りたいもの)。
  • 教える:自分にしかできないことは何か?=すでに自分のなかにあるマニアックなもの。
  • 本の出版=名刺代わり:自分がオンリーワンになれる分野について書く。
  • アート×○○→オンリーワン。
  • B to B。
  • ワーク・フィロソフィー:Why / What / How
    • なぜその活動をしているのか。
    • 何をしている人なのか。
    • 具体的にどのような活動をしているのか。
  • 学びは手段ではなく、目的であり、人生そのもの。
  • 知識、才能、技術力より「人間力」。

3時間があっという間の講座でした。自分の仕事について根本的に考える機会は、よほど意識して時間を確保しないと、日々の業務に流されて後回しになりがちです。おかげさまでガッツリ考える時間となりました。

読書『ギャッツビーがグレートな理由(わけ)』(彩流社)小野俊太郎著

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読書『ギャッツビーがグレートな理由(わけ)』(彩流社)小野俊太郎著

いつものカメリアステージ図書館をぶらぶらしていて、目が合った本です。このタイトル!心のなかで爆笑しました。読まないわけにはいかず、借りて参りました。

「ギャッツビー」は、もちろんフィッツジェラルドの『The Great Gatsby』です。

著者の小野俊太郎氏は文芸評論家。正式タイトルは、「1冊で完全攻略!『ギャッツビー』がグレートな理由 映画と小説の完全ガイド」なので、冷静に読めば、なるほどガイド本か、となるのですが、目に飛び込んでくるのは

『ギャッツビー』がグレートな理由

の文字ですから、面白すぎます。

ギャッツビーを深読みするための情報がてんこ盛り。わたし個人的には、小説の日本語訳者による違いや、映画・ドラマ化された作品の比較の視点での解説が面白かったです。わたしが読んだのは「野崎孝版」でしたが、別の翻訳者でも読んでみようかな、という気持ちになりました。また映画はデカプリオ版しか見ていませんでしたが、ロバート・レッドフォード版も見てみたいな、と。上の写真、文庫の表紙裏に出ている写真が、それですね。

それにしても、『ギャッツビー』がグレートな理由、で一冊本ができるということは、同じ手法でいろいろな本が出来そうです。書棚に並ぶタイトルを眺めながら、どんな本を出せるかな、とニヤニヤしております。

読書、今どきの本2冊。

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読書、今どきの本2冊。

今どきの本、と書いて、我ながらちょっと変かな、とも思いましたが、読後の率直な感想でした。いつものカメリアステージ図書館新刊棚から、装丁の色使いに釣られて思わず手に取った本2冊。上の写真はその装丁です。

『レペゼン母』(講談社)宇野碧 著、『奇跡集』(集英社)小野寺史宜 著。

まずは『レペゼン母』。「レペゼンって、何?」でしたが、それはわからないままにとにかく読みはじめました。面白かったです。300ページ無いぐらいでしたが、テンポよく読み進みました。連休中だったというのもあり1日で読了。著者の宇野さんは1983年生まれで、本書で小説現代長編新人賞を受賞して、作家デビューなさったそうです。

ストーリーの要は、梅農家とヒップホップ(ラップバトル)という、意外性のある組み合わせ。そのなかで母と息子の葛藤が描かれています。母の葛藤に対して、息子の葛藤は最後に明らかになっていくわけなのですが、それがうまい具合にラップバトルでのアンサーに載せられていて、なるほど、この設定はこんな風に使われるのね、と感心しました。

続いては『奇跡集』。著者の小野寺さんは1968年生まれということで、ほぼ同世代です。が、とても今どきというか、現代的な雰囲気を感じました。場面設定や登場人物の背景などから、そのように感じたのだと思います。7つの短編が、同じ電車の同じ車両の同じ座席シートの並びのところに乗っていた、という共通点でつながっているオムニバス。こちらも250ページほどの分量で、サクサクと読み進み、やはり1日で読了。

わたしがこれら2冊を読んで「今どきの本」だと思ったのは、舞台が「現代の日本」であったことが一番大きかったのかもしれません。自分の現在とつながっている部分があると感じさせるストーリーがいくつもありました。登場人物たちと立場や背景は異なっていても、「この感じ、よくわかる」と思える場面がいくつもあったこと。これまでは、世界観を別世界に運んでくれる小説を読むことの方が多かったのだと気づかされました。

津屋崎千軒の秋の風物詩、音楽散歩。

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津屋崎千軒の秋の風物詩、音楽散歩。

三連休の最終日は、音楽散歩。津屋崎の秋の恒例イベントとなりましたが、ここ2年はコロナ禍で運営も試行錯誤のようです。それでも、できる方法で開催を模索してくださることがとてもありがたく、実行委員の方々に頭が下がります。昨年に引き続き、今年も規模縮小&すべて無料での開催。これはこれで、ほんとうに誰もが気軽に音楽を楽しむことが出来る形式なので、客観的に眺めると、結果として良い方向に向かっているような気も致します。

さてわたしは仕事の合間に、豊村酒蔵での「弦楽四重奏」を聴きに行って参りました。上の写真は会場の様子。年齢を重ねた木と、漆喰に囲まれた古民家土間でのクラシックは、音の響きも良く、最高の空間でした。演者は福岡市内を拠点に演奏活動をしている「フィルハーモニア福岡」から、第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロの4名。

プログラムは「アイネクライネナハトムジーク」から始まり、誰にでも親しみのある選曲でした。個人的には「カルメン」から前奏曲とハバネラが続いたのが、ツボ。そういえばオペラ・カルメンの舞台を観に行ったのは、ちょうど4年前の10月でした。コロナ禍で行動制限がはじまったころには、YouTubeでカルメンばかり流していた時期もありました。そんなわけで、個人的に感動。1ステージ30分と短い時間ではありましたが、アンコールには「鎌倉殿の13人」のテーマ曲を演奏してくださるなど、サービス精神満載で、大満足でした。

願わくば来年は、地元の中学校の吹奏楽部の演奏が再開するといいな、と思いつつ。ずっと中学生の吹奏楽部がオープニングを飾っていましたが、ここ数年は音が聞こえないのが、少し残念なのでした。地元民としては、朝から吹奏楽のリハーサルの音が聞こえてくると、「あ!今日は音楽散歩の日だ!」とテンションが上がるのです。

ともあれ、徒歩3分で古民家での弦楽四重奏。贅沢な時間と空間を満喫いたしました。

読書『横尾忠則自伝 「私」という物語1960-1984』(文藝春秋)

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読書『横尾忠則自伝 「私」という物語1960-1984』(文藝春秋)

タイトルの「1960-1984」は、ほんとうは漢数字で書いてありますが、横書きになると読みにくいので、数字書きにしています。

訳あって、横尾忠則に関する本をまとめて読んだところでした。そのなかに作品集も何冊もありましたので、読んだり見たりした、という方が正しいかもしれません。本書は『自伝』となっていますが、タイトルの通り1960年から1984年までの24年間の記録ですので、『半生記』としても、まだ足りないぐらいです。1984年以降も「画家」として大量の作品を生み出していますし、現役作家として展覧会もたくさん開催されています。草間彌生のレポートをした時も思ったことですが、留まることのないエネルギーに圧倒されます。

横尾忠則のサクセスストーリーの背後にある、個人としての姿が垣間見える本でした。本人が「あとがき」で「記録」だと書いている通り、日記的なものです。時代を象徴する多様な業界の才能の数々との交流は、「近現代文化史」とも言えそうです。ただ、個人的に本書を読んで一番すごいと思ったのは、横尾忠則が自分の仕事を語るときに、グラフィック・デザイナーとしての仕事と、画家としての仕事の違いを、自分の言葉で明確にできていることでした。

横尾忠則の物語をもっと幼少期から知りたい、という方には、『横尾少年』(角川書店)もおすすめです。グラフィック・デザイナーとしての横尾忠則の仕事については、たくさんの図録が出ていますが、今回目を通したなかでは『全装幀集』(パイ・インターナショナル)が圧巻でした。わたし自身は、画家としての作品よりは、グラフィック・デザイナーとしての作品に圧倒されました。

映画『ダウントン・アビー』を観て参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『ダウントン・アビー』を観て参りました。

2022年の目標「月に1本は(映画館で)映画を観る!」。5月・7月・9月と映画館に足を運び損ねてしまいました。10月1日映画の日は、封切りを楽しみにしていた『ダウントンアビー』劇場版の第二段。映画の前作は2020年1月でしたので、2年半以上ぶりです。

美しい景色と素晴らしい建物、設え、衣装。たっぷりと目の保養が出来ました。そして今回もユーモアたっぷりのストーリー。登場人物の一人一人がとっても魅力的なのも相変わらずです。わたしはこの世界観が好きなのだなぁとあらためて思いました。

今回個人的に特に面白かったのは、わがままな映画女優と、彼女をいさめる屋敷使用人とのやり取り。つい先日『英国メイド マーガレットの回想』を読んだばかりだったのがグッドタイミングでした。『英国メイド マーガレットの回想』の著者は1907年で、キッチンメイドとして働き始めたのは1920年代でしたので、今回のダウントン・アビーの舞台1928年と、ちょうど合致。時代背景や、当時の階級制度がよくわかったのは、本作を観るにあたってラッキーな収穫でした。おかげでそれぞれのセリフの背後にある想いがすんなりと腑に落ちました。

人気が出てちやほやされている映画女優も、そもそもは「ワーキング・クラス」からの成り上がり。そのわがまま女優がプライドを傷つけられて「こんな仕事できない」と言ったときに、若いキッチンメイドが慰めるどころか「何言ってるの、あんたはわたしたちの側の人間よ。さあ、仕事よ、仕事!行きなさい!」と、少々乱暴な言葉で励ますシーン。その女優が見事に映画撮影をやり遂げ、屋敷を去るまえに「下」に挨拶に行ってくるわね、とにっこりするシーン。最後にキッチンメイドが女優に「なにかあったときは、あなたの根っこを思い出して」と送り出すシーン。

本作のなかではサイドストーリー的位置づけのこんなシーンの数々が、とっても心に響いて温かい気持ちになりまた。ダウントン・アビー、観てきたばかりですが、また数年後にでも第3弾が製作されたら嬉しいな、と楽しみにしています。