読書『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』(角川書店)藤本ひとみ

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』(角川書店)藤本ひとみ

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」継続中です。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』、ちょっと時代をさかのぼって『皇妃エリザベート』(1837-1898年)、さらに約100年さかのぼり『王妃マリー・アントワネット』(1755-1795年)にたどり着いたところです。西洋史をもとにした小説で知られる藤本ひとみさんの著書のなかでも、このあたりの時代は特にお得意なのではないかというイメージがあります。

エリザベート、マリー・アントワネットの物語を生み出している背後に控える「ハプスブルグ家」。2019年秋から2020年初にかけて国立西洋美術館で「ハプスブルグ展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」が開催されていました。ちょうど同じタイミングで東京に出張していたことを思い出し、足を伸ばして観に行けばよかったと、今頃悔やんでいるところです(笑)ハプスブルク家が蒐集したコレクションと、王家の人々の肖像画の数々。エリザベートマリー・アントワネットも、絵画でその姿を確かめることができます。そういえば2017年に福岡市博物館で開催された「神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展」ルドルフ2世も、ハプスブルグ家です。上の写真はその展覧会でのもの。

さて『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』、読んでいて辛くなってくるストーリーでした。国の意思を背負って14歳で嫁ぎ、政治の道具として政争に巻き込まれていく女の子の物語。マリー・アントワネットの恋の相手フェルセンのいうとおり、「マリー・アントワネットには、客観的な視点が欠けているのだ。自分の行動を冷静に分析することができない。これを正すためには、誰かがそばにいて助言してやらなければならなかった。」のに、誰もいなかったのであり、「このヴェルサイユは陰謀の巣で、王妃様のような方が住むには危険すぎるところ」で「今の王妃様には、誰か力になってくれる人間が必要」だったのです。フェルセンが助け舟を出したときには、もう遅すぎたのでした。

この物語は『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』に続いていきます。ここからギロチン台へと進んで行くことがわかっているだけに、まさに悲劇そのものの物語が展開されることがイメージできます。ちょっと一休み入れて、気を取り直してから続きを読もうと思います。

読書『世界は贈与でできている』(NEWS PICKS PUBLISHING)近内悠太

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読書『世界は贈与でできている』(NEWS PICKS PUBLISHING)近内悠太

本書も、ご近所のマイ図書館「福津市カメリアステージ図書館」の「新書棚」で発見。禅問答のような面白さで、一日で読了しました。ずいぶん哲学的な文章だなぁ、と思ったら、著者は気鋭の若手哲学者でおられました。さらにこのタイトル、どこかで見たことがある気がしていましたが、メールマガジン「ビジネスブックマラソン(BBM)」で以前に紹介されていたことを思い出しました。書評を拝見して気になったものは、やっぱり頭の片隅に残るものですね。

一日で読了と書きましたが、その実、非常に読みごたえがありました。前半(第1章「お金で買えないもの」の正体、第2章 ギブ&テイクの限界点、第3章 贈与が「呪い」になるとき、第4章 サンタクロースの正体)までは、自分の実体験に照らしてもよくわかり、納得しながらどんどん進みました。特に、お金で買えるものになったとたんに価値が下がってしまう現象の正体や、親子の愛情(関係性)を「贈与」の概念で解説するくだりは、すんなりと理解できるものでした。

後半(第5章 僕らは言語ゲームを生きている、第6章「常識を疑え」を疑え、第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」、第8章 アンサング・ヒーローが支える日常、第9章 贈与のメッセンジャー)は、前半で出ている結論を強化する論考が、あの手この手で並んでいる印象でした。そのために登場するのが『サピエンス全史』であり、マルクスであり、映画「ペイ・フォワード」、フロイトの理論をもとにした岸田秀の「親からの呪い」論、「鶴の恩返し」、サンタクロース、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム、シャーロック・ホームズ、カミュ、小松左京…などなど。

この後半については、正直なところ、一度読んだだけではよくわからないところもあり、わたしには再読が必要です。何度も読み返しながら、自分の考えをまとめていきたいと思える本でした。

ともあれ、久しぶりに「哲学的な問い」に向き合う本となりました。個人的にこういう問答は嫌いではないことを、再確認しました。時代の大きな転換期にあると思われる今のタイミングで、出会う(読む)ことができたことが嬉しい一冊です。

読書『皇妃エリザベート』(講談社)藤本ひとみ

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読書『皇妃エリザベート』(講談社)藤本ひとみ

引き続き、一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」開催中。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』に続いては、時代をさかのぼり『皇妃エリザベート』です。

「エリザベート」といえばミュージカル。宝塚版と東宝版がありますが、どちらも観たことがありません(涙)。福岡には博多座があり、東宝版が来るので恵まれています。が、2016年博多座チケットを撮り損ね、2020年リベンジ!と思っていたら全公演中止となり、現在に至っています。

結果として藤本ひとみさん著の小説を先に読むことになり、時代背景の予習をすることができました。本書中に描かれるエリザベートの劇的な人生は、時代や境遇(出自)に翻弄されたというばかりではなく、彼女の性格がそうさせた側面が強調されていました。登場人物の魅力と、激動の時代背景。映像化への要素が詰まっていますね。

それにしても、藤本ひとみさんが作中に描く女性は、ただ強い、ただ美しい、というのではありません。自分を抑圧するものに抗う姿は、人間的で生々しく切なく、ジタバタもがいています。歴史小説にありがちな「別の世界のお話」な感じがしないのは、登場人物が実在していたからだけではなく、その描き方によるものだと思います。だからこそ時代も立場も異なる読者を惹きつけるのだろうな、と。

ミュージカル「エリザベート」を、ますます観たくなってきました。2020年中止した分が、あらためて博多座に来てくれるといいな、と願いつつ。

読書『シャネル CHANEL』(講談社)藤本ひとみ

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読書『シャネル CHANEL』(講談社)藤本ひとみ

今回の「一人で勝手に藤本ひとみ祭り」は、ココ・シャネル。このところ思いがけず、映像や文字を通して女性の生き方をたどる旅をしています。ジュディ・ガーランド(1922-1969年)、マリリン・モンロー(1926-1962年)ときて、ココ・シャネル(1883-1971年)。シャネルの生きた時代に、ジュディもマリリンもいたのですね。

三人とも「自分の存在価値、居場所」を求めて苦しみもがいて生きています。なかでも藤本ひとみ氏の筆を通して見るシャネルは、「怒り」をエネルギーにしているところに、強さを感じました。「怒る」というのは心身ともに疲れてしまう行為ですが、大きなエネルギーを伴うからこそ疲れるのです。ある時期まで怒りをエネルギーにしていたわたしとしては、これをプラスのエネルギーに転換できたシャネルの凄さに感嘆せずにいられません。

以下、本書中から心に残ったもの。


「すべての逆境はチャンスだ」

自分の体と心、そこから生まれる誇りと愛情。それだけは最後まで残る。

「(前略)僕らは、仕事で成功することでしか地位を築けない。認められるために、この世に自分の居場所を創り出すために仕事を頑張るしかないんだ。」

私は貧困と無知の中で生まれ育った。だが、それが力となったのだ。

「コピーが広がれば広がるほど、オリジナルの価値が上がるのよ。(中略)その時のために、ここではコピーの及ばない完璧なオリジナルを作る必要があるの。オリジナルの良さを知れば、もうコピーを求めることはないわ」

『シャネル CHANEL』(講談社)藤本ひとみ著 より


ジュディやマリリンが時の流れとともに「昔の人」になりつつある今も、「CHANEL」はブランドとして現在を生き続けています。「もの」と、その「ブランド価値」を確立し残していくことの凄さが、そこにあります。ココ・シャネルその人を知らなくても、ブランドとしてのCHANELの名前は知っている。まさに「そこから生まれる誇りと愛情。それだけは最後まで残る」のだと思いました。

読書『マリリン・モンローという女』(角川書店)藤本ひとみ

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読書『マリリン・モンローという女』(角川書店)藤本ひとみ

先日カメリアステージ図書館『桜坂は罪をかかえる』(講談社)に出会い、久しぶりに「藤本ひとみ」著書を手にしたところから、一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」開催中です。わたしが著者に対して持っていたイメージ「大人向けのちょっとドロドロした感じの小説」の本領が発揮されているであろう本を、まとめて借りてまいりました。

まず一冊目『マリリン・モンローという女』。マリリン・モンローの生涯は、アイコン的なエピソードを断片的に読んだことはありましたが、まとまった物語として読んだのは今回が初めてでした。知っているようで知らなかった、マリリンモンロー。かといって、本書は小説であって伝記ではありませんので、これがほんとうの姿だったのかと問われたら、それもまたわかりません。

フィクションとノンフィクションとの間とでもいうのでしょうか。それは、書き手・読み手の双方に、想像力を働かせる余地が多分にあるということでもあります。以前、『西郷(せご)どん』を書いた林真理子さんがインタビューで、歴史ものを書く面白さを語っていたのを思い出しました。記録に残っている史実と史実の間にある「会話」は、書き手が自由にしゃべらせることができること、そこで登場人物に「何を言わせるか」こそが、書き手の腕の見せ所…というようなことをおっしゃっていました。

さて、『マリリン・モンローという女』、あまりにも切なく、やりきれない気持ちになる物語でした。マリリンの物語というよりは、本名ノーマ・ジーンの物語であり、「ハリウッドスター」の光の部分がまったく感じられませんでした。貧困、愛情への渇望、薬物、今なら「#MeToo」と声を上げるべき業界事情…。

時代背景も含めてなんとなく既視感を感じたのは、少し前に映画『ジュディ虹の彼方に』をDVDで観ていたからでした。もしやと思い二人の生きていた時代を調べてみたら、ジュディ・ガーランドが1922年-1969年、マリリン・モンローが1926年-1962年と、ほぼ重なっていたのですね。わたし自身が生まれるほんの少し前に実在したスターたちの物語は、華やかさよりもやりきれなさの残るものでした。

本を読み終わったときに息子から「マリリン・モンローって誰?」と問われ、説明できませんでした。あらためてマリリン・モンローの属性は「マリリン・モンロー」なのだと思いました。彼女はきっと「ハリウッドで活躍した演技派女優」と説明してほしかっただろうな、と思いつつ。

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」、次の読書は『シャネル』です。

読書『注文をまちがえる料理店のつくり方』(方丈社)小国士朗

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読書『注文をまちがえる料理店のつくり方』(方丈社)小国士朗

発刊当初にあちらこちらの書評で話題になり、読みたいと思いながら手に取る機会を逸していた本です。2017年末に出た本です。

認知症の方々がスタッフとして働くレストランのお話。わたしは常設営業のお店だと思い込んでいたのですが、単発的な試みでした。ただ単発とはいっても、そのノウハウをきちんと資産にして、日本各地・世界各地でこのような取り組みにチャレンジしようとする人たちが現れることを期待し(促し)サポートする仕組みを、本書をはじめとして形に残しているという意味で、より永続的なものにしていると感じました。

この本に出てくるのは認知症の方々でしたが、「認知症の方々に活躍の場をつくる」という直接的なことを超え、「一生懸命生きようとしている人、一生懸命生きている人たちがちゃんと応援される社会がとっても大事」(本書内p298、実行委員長和田さんのことばより)だということが、文章の端々からにじみ出ていました。

「間違えちゃった、ごめんね」「まぁ、いいか」をお互いにできる社会。厳格さよりも、寛容さ。これがどんどん広がっていけば、すべての人の「生きやすさ」につながると思えてきました。クラウドファウンディングチームの方の「このプロジェクトは、特定の人の共感ではなく、社会に共感されるテーマ」という言葉があり、このプロジェクトとこの本が注目されている理由を端的に表していると感じました。

そのうえで「料理店」ならば料理店としてのプロレベルのサービス提供を目指すことの大切さ。それを可能にするための「仕組み」をいかに構築していくかが問われ、それは働く人が認知症であるかどうか、ということとは関係なく重要であるという意識。「注文をまちがえる料理店」を継続的なものにしたり、汎用性を持たせたりするには、最も大切な部分だと感じました。このプロジェクトに関わるすべての人たちの、「プロ」としての気概が伝わってきました。2017年以降の「これから」について、継続させるために法人化する=ビジネス化するという決意を書いてあるのも、とても腑に落ちました。

本書内にふんだんに載っている写真がまた素晴らしいです。その場の空気が伝わってきて、自分もその場に一緒に居てみたいという気持ちになります。誰もが生きやすい世の中を目指すというと、絵空事のように聞こえるかもしれませんが、その可能性を垣間見せてくれる本です。これからも何度も読み返したい本です。

読書『桜坂は罪をかかえる』(講談社)藤本ひとみ

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読書『桜坂は罪をかかえる』(講談社)藤本ひとみ

いつものカメリアステージ図書館。このブログでも、何度も「カメリアステージ図書館の新刊紹介棚が秀逸!」という内容を書いていますが、もうひとつ、貸出カウンター横にある「今月の特集棚」も、わたしにとっては要チェックコーナーです。貸出の際に必ず目に入りますので、さしづめレジ横のお菓子といったところ^^

先日、テーマが「桜」に代わっていました。表紙の絵画(「髪を編む少女」アルベール・アンカー)に釣られて思わず手に取ったのが本書。藤本ひとみさんの本は、20代の頃に何冊か読んでいて、とても久しぶりでした。西洋史・西洋美術史の周辺を題材にした小説といえば「藤本ひとみ」さんが居たことを、この本を手に取るまで失念しておりました。

さて『桜坂は罪をかかえる』は、中学生が主人公のミステリー小説。わたしが20代の時に出会った本から抱き続けていた著者のイメージからは離れていて、ちょっとびっくりしたというのが正直な感想でした。調べてみたところ、講談社青い鳥文庫から小中学生向けのミステリー小説がシリーズ化されて大人気なのですね。

わたしのもっていた彼女の著作イメージは、どちらかというと「大人向けのドロドロしたもの」でしたので、拍子抜けしました(笑)が、ストーリーもテーマも人物描写も面白く、サクッと読める本でした。この小説を大人読者向けにもっと書き込んでくれたら、もっと面白くなるだろうな、と思いながら読みました。

登場人物の中学生たちのセリフや胸中の思いを読みながら、中学生の頃って、こんなにものごとを考えていたかなぁ、これは大人が書いている本だからこうなるのではないか?などと疑問も持ちつつ。自分が中学生の頃どうだったかをすっかり忘れていることに気づかされつつ。

これをきっかけに「藤本ひとみ」本をまた読んでみようと思っています。きっかけを作ってくれたカメリア図書館の特集棚に、今日も感謝です。

読書『眺める禅』(小学館)増野俊明 著

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読書『眺める禅』(小学館)枡野俊明 著

週末、タイトルに『禅』のついた本を物色しておりました。そのなかで、最もわかりやすく読んだ(あるいは、眺めた)のが本書です。

著者の枡野俊明さんは、曹洞宗徳雄山建功寺のご住職であり、庭園デザイナー。本書は、庭園デザイナーとして著者が設計した禅庭のミニ写真集とでもいったところでしょうか。ただそこはさすがご住職、それぞれの写真に添えられたタイトルや文章が、禅のことば・教えを伝えています。

著者は「寝る前に30分、本書を開きませんか?」と誘います。静かに座って禅の庭を無心に眺めることで、就寝前に不安や雑念を払い、静かな気持ちで眠りにつくことができますよ、と。これが習慣化することで心の安寧が得られると説いています。

園芸療法的視点で考えても、実際に庭(禅庭に限らず)の自然を眺めることが心身に良い影響を与えるのは間違いありません。現代社会において、ふだんの生活のなかで就寝前に30分庭(自然)を眺めることができる環境にある人は、多くは無いかもしれないことを考えると、本書で提唱する「写真で禅庭を眺める」ことは、その代わりとして誰でもが取り組みやすい方法といえるかもしれません。

28か所の禅庭の写真が載っています。「禅の庭」とひとことに言っても、そのデザインは多種多様。気に入った庭の写真を眺めていたら、30分はあっという間に過ぎそうです。「30分瞑想しなさい」と言われたら難しそうですが、禅の庭を眺めることならば容易にできそうだと気づいたとき、著者であるご住職の、「現代生活を送るふつうの人たち」への心遣いを感じました。

コンパクトな写真集本です。願わくば、写真がもっと大きかったらよかったなぁと思いましたが、「就寝前に開く」という用途を考えたときに、このサイズになったのだだろうと合点。この本の考え方から派生して、好きな禅庭や庭園の写真を寝室に飾るという方法もありそうです。

読書『リアルビジネス3.0 あらゆる企業は教育化する』(日経BP)日経トップリーダー編

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読書『リアルビジネス3.0 あらゆる企業は教育化する』(日経BP)日経トップリーダー編

ちょっと前に気になっていながら手に取りそびれていた本です。たまたまお友だちが本書の内容に触れている記事をブログに書いていて、「そういえば気になっていたんだった!」と思い出しました。初版が2019年11月となっていましたので、1年ちょっと前の本ですね。月刊経営誌『日経トップリーダー』(日経BP社)の特集記事などをもとにしたものだそうです。

「まえがき」に書いてある一文が、本書が出版された背景を簡潔に示していました。


『モノの時代が終わった日本では、製造業はサービス化し、サービス業はより進化したサービスを展開してきました。モノを売り買いしていた時代が「1.0」だとすれば、サービス化の時代は「2.0」、そして教育化が「3.0」と位置付けられます。』(『リアルビジネス3.0 あらゆる企業は教育化する』(日経BP)日経トップリーダー編より)


そういわれてみると、事業をしているお友だちのなかで、この方向にかじを切っている人がどんどん増えていることに心あたります。ただ、切り替えるというよりは、もうひとつの事業として、あるいは本業(もともとの事業)をサポートする事業として展開しているというイメージ。何かの代わりとして教育化があるのではなく、教育化によって全体が伸びていくイメージです。

「教育化の実例」が、BtoC(企業から一般客へ)、BtoB(企業から企業へ)の両方で合計16件載っています。よく名前を聞く会社もあれば、初めて知る会社もあり、業種業態も多種多様。どの事例も、読んでいて楽しくなってきます。この楽しさが「教育化」の本質だと感じました。誰かに何かを「教える」ことも、知らないことを「教えてもらう」ことも、お互いにとって「学び」や「成長」につながり、楽しい。

事例紹介の後にある「だから儲かる!」とタイトルのついたまとめコラムと、各事業の「三段活用」が図解されているのがわかりやすく、自分の事業に置き換えて考えるときに参考になります。「三段活用」とは、「売り買い → サービス化 → 教育化」というステップを整理する考え方。巻末には「三段活用シート」なるワークシートもついていますので、自社の事業の教育化を検討したいと思ったとき、すぐに取り掛かることができます。

わたし個人的には「事業の教育化」が一番最初に頭に浮かんだのは、花祭窯が創業してすぐの頃でした。それから20年以上が経って、やっと形にするタイミングがやってきたかな、と感じています。一つの事業分野でキャリアと年齢を重ねてきた今だからこそ、できるような気もしています。グッドタイミングでの読書でした。

読書『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)大西康之 著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)大西康之 著

リクルート創業者・江副さんやリクルート社について書かれた本は、江副さんの自伝を含めたくさん出ています。社内(グループ内)向けに書かれたものを含め、四半世紀以上前の在職中から何冊も読んできました。にもかかわらず、新たに出るとまた読みたくなり…久しぶりにじっくり振り返りとなりました。上の写真は、カモメ。

わたしは残念ながら江副さんご本人に直接お会いしたことはありませんでしたが、それでもリクルートへの執着、その生みの親である江副さんへの関心があることは否定できません。その理由が、江副さんという創業者に対する熱狂ではなく、リクルートの仕組み(社風・考え方)に対する共感であることが、本書読後にあらためてわかりました。

以下、個人的備忘。


  • ファクトとロジック
  • 仕組み
  • 江副浩正というカリスマではなく、江副さんが構築した思想体系を信奉していた
  • 日本株式会社の人事部
  • モチベーション経営のもととなる「心理学」の大沢
  • 自分より秀でた人間をまわりに置くことで、自分のやりたいことを実現していく
  • ヒア・アンド・ナウ
  • 創り出す
  • ピーター・ドラッカー『現代の経営』
  • 二本の草を育てる者
  • データ・イズ・マネー
  • 社会への貢献・個人の尊重・商業的合理性の追求
  • 自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
  • 窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し(易経)
  • 君はどうしたいの?
  • カリスマの「リーダーシップ」に置き代われるもの(中略)社員の「モチベーション」
  • じゃあそれ君がやってよ
  • ハーズバーグの動機付け要因
  • 大沢武志『心理学的経営 個をあるがままに生かす』
  • PC(プロフィットセンター)制度
  • 垂れ幕文化
  • RING(リクルート・イノベーション・グループ)
  • GIB(ゴール・イン・ボーナス)
  • 情報の共有
  • 分からないことはお客様に聞け
  • バッド・ニュースほど早く
  • 情報の民主化
  • 「地方、貧乏、野望」とSPI
  • 企業人より起業人
  • ゼロ・トゥ・ワン
  • 自分の仕事は自分で作れ
  • 目標が定まると、知恵と行動力が湧いてくる
  • リクルートマンシップ
  • 暁の駱駝プロジェクト
  • マッチング
  • 言い出しっぺ
  • 圧倒的な当事者意識
  • 革新的なビジネス・モデルと、心理学に根差した卓越したマネジメント理論

『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(東洋経済新報社)大西康之より


リクルート文化として一番わたしのなかに残っているのは、「君はどうしたいの?」と「最近どう?」です。「最近どう?」は、そのままの言葉では本書内に出てきませんでしたが、「情報の共有」に置き換えられるでしょうか。それも、単なる情報交換というようなものではなく、とても温かみのあるものであったことを言い添えておかねばなりません。しょっちゅう交わされる「最近どう?」の短い簡単な投げかけが、とても大切なものであったことは、リクルートに在籍した経験のある人なら心あたると思います。

「そうそう、そうだった!」ということももちろん少なくありませんでしたが、まったく知らなかったこと、気づかされたことがそれ以上に多く、読んでよかったと思いました。特に、創業期メンバーの一人であり、わたしにとって経営思想の師であるHRR創始者・大沢さんの、江副さんとの関係性を客観的な文章で垣間見ることができたのは、大きかったです。