読書『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫)宮沢賢治著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫)宮沢賢治著

宮沢賢治の短編を編み直した、新潮文庫の2022年度版。電車のお伴を探していたところ、新潮文庫の棚に、美しいプレミアムカバーシリーズを発見。なかでも本書の青紫色に金文字の装丁に惹かれて、即買いしました。

実は宮沢賢治をあまり読んでいないという自覚があります。実は『銀河鉄道の夜』は、ちゃんと読んだことがありませんでした。読んだことのあるもので、パッとタイトルが出てくるのは『雨ニモマケズ』『注文の多い料理店』『セロ弾きのゴーシュ』くらい。いずれも絵本で読んでいます。そして、読んだ三冊についてはとても気に入っていましたので、

本書には14編が入っていますが、そのうち読んだ覚えがあったのは、『よだかの星』と『セロ弾きのゴーシュ』のみ。初めて読むものがほとんどで、新鮮な気持ちで宮沢賢治ワールドを堪能いたしました。読みはじめてすぐに気がついたのは、幼い頃に読んでいた時は自覚が無かったのですが、わたしは宮沢賢治の言葉の選び方、使い方が好きなようです。ツボにハマりました。

そういえば今年6月に「わたしの読書ベスト30」を挙げていて、挙げ終わった後に「『注文の多い料理店』が入ってなかった!『雨ニモマケズ』も失念してた!」と反省をしたところなのでした。

『雨ニモマケズ』は、とてもカッコイイ版画の絵本を持っているので、今度本屋さんに行った折には、『注文の多い料理店』の絵本を探したいと思います。

読書『英国メイド マーガレットの回想』(河出書房新社)マーガレット・パウエル著/村上リコ訳

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読書『英国メイド マーガレットの回想』(河出書房新社)マーガレット・パウエル著/村上リコ訳

著者名を聞いたことがあるなぁ、と思いましたが、それは音がそっくりの「マーガレット・ハウエル」で、こちらはファッションブランド…の、思い違いでした。

さて本書、タイトルの通り、回想記=自伝です。1907年生まれの著者が1968年に著した60年分の回想記。貧しい家庭に生まれて、富裕な家でのキッチンメイドとなったマーガレットの少女時代から、執筆活動を始めるに至るまで。そこには、現代に生きるわたしがイメージしきれないほどの大きな「階級の壁」があり、その実態を覗き見ることになりました。この間に二度の世界大戦があり、英国の社会も大きく変化しています。訳者による「はじめに」で、時代背景を解説してくださっているのが、その後の読書にとても役立ちました。

英国の階級社会については、これまでに何冊もの本を読んで、なんとなくわかったようなつもりになっていました。

が、それはあくまでも「つもり」でしかありません。実際に英国でメイドとして働くことがどういうことであったのか、「労働者階級」というものがどういうものなのか、赤裸々ともいえる本書を読んで、頭をガツンとやられたような気がいたしました。

例えば、チャーチルやチャップリンの自伝などにも、階級の話は出てくるのですが、チャーチルはアッパークラスですし、チャップリンは上り詰めていった人。

富裕層に使える労働者クラスという意味では、カズオ・イシグロの『日の名残り』の主人公である執事も、まさにその立ち位置ではあります。

映画では、ダウントン・アビーにも、そのような視点が出て参りますね。

ですが、美しくお話としてまとめられているこれらに対し、『英国メイド マーガレットの回想』の実話のインパクトは、とても大きかったです。そしてそのような理不尽な中を生きるマーガレットの強さ。さりげなく「本を読む」ことの価値が伝わってくるくだりがたびたび登場し、読書が彼女を支え続けたのだと知ることは、わたしにとっても嬉しいことでした。

読書『利休の闇』(文藝春秋)加藤廣著

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読書『利休の闇』(文藝春秋)加藤廣著

利休関連の小説といえば、山本兼一著『利休にたずねよ』を読んだのが、約5年前のことでした。

本書『利休の闇』は、2015年発刊。存じ上げなかったのですが、著者の加藤廣氏は、丹念な史資料精査と独自解釈が人気だそうですね。「丹念な資料精査」の片りんは、本書内で千の宗久、宗及らによる茶事記録などを多数引用しているところからも伺えました。

宗易(利休)の秀吉との出会いから切腹までのお話です。信長から秀吉の時代へと、秀吉が成りあがっていくなかで、お茶がどのように位置づけられていたのか、戦国時代の茶道と政治の関係があからさまに描かれています。「遊びに過ぎない」はずであったお茶が、政治の道具としてその姿を変えていくさまは、なんとも切なくもありました。

それにしても『利休にたずねよ』のときも思ったのですが、この手の小説を読むほどに、宗易(利休)の人間らしさが印象に残ります。人間らしさといえば聞こえは良いものの、言い方を変えれば「遊び好きで好色で権威欲がある」一人の姿。小説とはいえ、完ぺきな師とは言い難い姿に、「なんだ、そうだったのか」と、ちょっとホッとします。

本書内のエピソードでもっとも「へぇ~!」と思ったのは、宗易から利休へと改名を命じられた「利休」の名の由来でした。真実か否かはわかりません。でも、不本意ながらの改名でも、その後の歴史のなかでは多くの人に改名後の名前で愛されているのですから、それを知ったら本人はどんな気持ちになるかな、と思いました。

利休さんにまつわる本は、茶道の指南書関連のものを読むことが多いのですが、こういう小説をたまに読むと、また視野が広がるような気がいたします。

読書『世界はさわらないとわからない』(平凡社)広瀬浩二郎著

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読書『世界はさわらないとわからない ユニバーサル・ミュージアムとはなにか?』(平凡社)広瀬浩二郎著

博物館学芸員技術研修会でお世話になっている広瀬浩二郎先生の最新著書を、偶然見つけました。発行日は2022年7月15日。今年の学芸員研修会「触文化とユニバーサル・ミュージアム」を受講したのが、7月26日でしたので、直前に出ていた著書です。

読みながら、研修会での広瀬先生がおっしゃったこと、語り口がそのまま蘇ってきました。お話を聞き、実技指導を受けたうえでの読書でしたので、理解も深まったように思います。以下、備忘。


  • 失明得暗
  • 得暗によって「できる」ことで勝負していた歴史(がある)
  • 目の見えない者は、目に見えない物を知っている
  • 既存の枠組みそのものを変えるのがユニバーサル
  • 非接触社会から触発は生まれない
  • さわるとわかる=さわらないとわからない
  • 博物館とは見る場所だという固定観念
  • 視覚を使わない解放感
  • 創・使・伝は手を介してなされる
  • 外に伸ばした手は、内へと返ってくる。さわることによって外と内が融合する。
  • 触察
  • 物にさわるとは、創・使・伝を追体験する文化ともいえる
  • なぜさわるのか(作法)、どうさわるのか(技法)
  • 自分の(想像)力で「画」を動かす。
  • ユニバーサル・ミュージアム=誰もが楽しめる博物館
  • 行き方(情報入手法)と生き方(自己表現法)
  • (健常者・障害者ではなく)見常者・触常者
  • 身体感覚を伴わない情報共有は浅薄で危うい
  • 文化相対主義
  • 人々の生活の中で生きている文化
  • (美術品なども)もともとは人々の日常生活を支えるものとして、実用的機能と美しさを併せ持つものであった
  • 生活の中での文化の厚み
  • 陳列棚に入ると生活から離れてしまい、何かが抜け落ちていく
  • (茶道・華道・書道・食文化などの)生活文化
  • 我々の生活から離れた特別なものではなく、生活とともにあるもの
  • 作品の制作・鑑賞は、自己の内面との対話である
  • 視覚を使わない自由
  • (能)花=舞台上の魅力
  • 花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり(「風姿花伝」)
  • 触覚の「美」
  • 目に見えないものをごく自然に受け入れていた江戸時代以前の世界観

『世界はさわらないとわからない』(平凡社)広瀬浩二郎著より


本書前半は、先般の講義のなかで学んだことの復習でした。後半では、各分野の方々との対談やインタビューをもとにした内容が載っていて、これらは広瀬先生の講義のなかでは伺うことのできなかったことでもあり、とても良かったです。

『知識要らずの美術鑑賞』開催-備忘。

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『知識要らずの美術鑑賞』開催-備忘。

2022年度の郷育カレッジ講座で開催した『知識要らずの美術鑑賞』のご報告をしたのは、つい先日のことでした。

その後、受講者の皆さまからのご感想が届きましたので、それらを踏まえて、以下備忘。


  • 学芸員の仕事や、どうしたら学芸員になることが出来るのかなど、学芸員や美術館の仕事について知りたいと思っている方も多い。
  • 鑑賞前の作業(絵を描いたりコラージュしたりの作品づくり)は、思いがけなかったという反応とともに、楽しく良い経験だったと好評。
  • 作業→鑑賞で、意欲が高まり、話を聞くのに集中できた、というご反応。
  • 最後に、学芸員による絵の専門的な解説があったのが、さらに満足度を高めた。
  • 複製画とはいえ、実物大の名作に会えた喜び。→美術館での開催を希望。
  • 継続的に参加したいというご要望。

ご参加者約30名の反応は、大きくまとめると上の通り。絵を描いたりの創造的な作業があったことに対しては、思いがけず全員が好意的な反応。作業があったことによって、その後の座学への集中力が高まったという反応は、とても嬉しいこと。

次回以降の鑑賞講座に、たくさんのヒントをいただきました!

読書『あの図書館の彼女たち』(東京創元社)ジャネット・スケスリン・チャールズ著/高山祥子訳

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読書『あの図書館の彼女たち』(東京創元社)ジャネット・スケスリン・チャールズ著/高山祥子訳

巻末の「著者の覚書」と「訳者あとがき」を読んで、実話をもとにした小説であったことを知りました。登場人物も、実在した人物が実名で登場していて、そこにフィクションの登場人物が加わっています。事実がより伝わりやすくなるように、こういう本の書き方があるんだな、と感じました。上の写真は、わたしにとってのシェルターであるカメリア図書館入口にある宣言。

本と、図書館と、図書館を支える人々の物語。第二次世界大戦中、ナチス占領下のパリで開館し続け、常連の市民たちに本を届け続けたアメリカ図書館の物語です。本、図書館、当時の女性が仕事を持つ意味、人種、国、戦争、家族、友情…。考えさせられる要素がそれぞれに重いものでした。

主人公オディールの「でも真面目な話、なぜ本なんでしょう。それは、他者の立場から物事を見せるような不思議なことのできるものは、ほかにないからです。図書館は本によって、違った文化どうしをつなぎます」のセリフが響きました。このセリフだけではなく「本が他者の視点を疑似体験できるツールである」という主題がたびたび出てきます。絶望的な状況での大切な心の逃避先になること、本を通して得た知識が生きていくための糧・武器になること。そしてそれらの本を必要な人に届ける、図書館の存在と、司書をはじめそこで働く方々の仕事の計り知れない価値。人々のシェルターとして働く図書館の存在を強く感じました。

その一方で、「思ったことをすぐに言わないと約束して」「(言おうとしていることがなんであろうと)黙っていて」「誰がそのような(密告の)手紙を書くのか分かった。わたしのような人間だ」などなど、登場人物のセリフにちりばめられた「ことば」に関する忠告が心に刺さります。

もしこのような状況下に置かれたら、自分ならどうするか。どうすべきか、すべきことがわかっても、ほんとうにそのように勇気をもって行動できるか。自分のなかにあるマイナスな要素(保身や妬み)に支配されてしまうのではないか。ずっと問いかけられているような気がしました。

パリのアメリカ図書館を開館し続けた司書たちの勇気をたたえる本、と一筋縄ではくくれない本でした。世界に不穏な空気が広がりつつある今、一人でも多くの人に読んで欲しいし、わたし自身繰り返し読みたい本です。そして次回パリに行く機会があれば、今なお開館し続けているアメリカ図書館に足を運びたいと思います。

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その2

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その2

アートNPO法人AIT(Arts Initiative Tokyo)創設メンバーで、インディペンデント・キュレーターの著者による、美術鑑賞本。昨日(その1)の続きです。

以下、備忘。


  • 視覚経験がいかにもろく、不安定で信用ならないものであるか
  • (鑑賞者にとっての)「タイムマシン」としての作品
  • アートの歴史におけるひとつひとつの事象は孤立したものではなく、すべてが繋がっていて
  • 何世紀も前の表現だからといって「古い」わけではなく、また同時代に生まれた表現だからといって「最先端」ということもない
  • 肉眼で世界を見る体験の重要さ
  • 意味の理解が曖昧なまま、表現そのものを受け止める(中略)それによって、想像や解釈をもっと豊かに、無数の方向に拡げていくことが出来る
  • すぐに言葉にしない
  • 外側の世界にばかり向いていたアートを、もう一度、個人の内側の世界へと向かわせようとした
  • 「有用性」
  • 作品が鑑賞者に対していかに具体的に作用を及ぼしうるか
  • 現実の物質世界に奪われた自らの「注意」を取り戻し、時間的・空間的制約のない内面の世界へと、「意識」を集中させていく
  • アートを積極的に「使っていく」
  • 自分だけの「アート鑑賞コース」をつくる
  • 同じ作品を何度も見ること
  • 鑑賞体験が個人的であるかどうか
  • ケアとしてのアート
  • 「公共空間の回復」
  • 言語というものの限界

『DEEP LOOKING』第2章~より


従来の諸説からさらに深い考察が繰り広げられ、思いがけず嬉しい驚きのあった読書でした。その鑑賞(観察)方法を何と呼ぶかはさておき、より深い美術鑑賞へのアプローチが理解できました(著者は「対話型鑑賞法」とは異なるとおっしゃっています)。さっそくわたしも、本書で共感できた内容を反映させていきたいと思います。

↓本書についての詳細はこちら↓
https://www.deeplooking.net/

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その1

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読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その1

アートNPO法人AIT(Arts Initiative Tokyo)創設メンバーで、インディペンデント・キュレーターの著者による、美術鑑賞本。AITのアート教育プログラムMAD(Making Art Different)は、対象をアート関係者に限らず、現代社会において有用で興味深いものが多く、わたしもこちらのサイトをよく覗いています。

ここ7-8年でたくさん出てきた「美術鑑賞関連本」。本書もその延長線上で語られる本かな、と思いつつ手に入れました。読んでみると、従来の諸説からさらに深い考察が繰り広げられ、思いがけず嬉しい驚き。さっそく実践に取り入れたい内容であり、すぐにそれができるように、ナビゲートもしっかりしています。

以下備忘。


  • アートは「デザイン思考」などのようにメソッド化できるものでは決してなく
  • メソッドとは対極にある肉体回帰的なアプローチこそがなくてはならない
  • 鑑賞者を無条件に惹きつけるような作品はいつだって、そうしたマニュアルの存在しない身体的なプロセスから生み出されてきた。
  • 肉体を通じて意識を変化させる「道具」としてアートが秘める可能性
  • 「観察」のもつ力
  • 観察は(中略)「見る」行為と「待つ」行為からなる
  • 対象をただ漫然と眺めるのではなく、(中略)、全身的な「見る」
  • attend
  • (鑑賞時間が短いと)絵画のもつ表層的なイメージをただ消費するだけで終わってしまう。
  • 何かを深く観察(ディープ・ルッキング)するとき、(中略)いつもの意識状態を離れ、非日常的な意識状態へと「旅に出て」いる
  • 非日常的な意識状態において注目すべきは、平時の凝り固まった思考から解放され、自由にクリエイティブに思考できるということ
  • 近代以降の大量消費社会においては、(中略)観察が非常に実践しづらくなってしまっている
  • 近代の大都市が秩序を保つための大事な要素は、この「共通の時間」である
  • 何かを深く観察したり、何かに深く集中したりすると、むしろこの「共通の時間」から外れていく
  • 鑑賞者は作品をほとんど「見ていない」
  • その美術館が鑑賞の質についてどれくらい考えているのか
  • 鑑賞者が作品と一緒に「過ごす」
  • 「関係性の美学」(作品と鑑賞者の関係性)
  • 展示空間がもちうる本来の豊かさとはなにか
  • 対象となる事物を深く見つめ、言語化衝動にあらがってありのままを観察することで、思考に新たな広がりが生まれてくる
  • 頭ではなく体から入る
  • すぐれたアート作品を観察するときは別次元の変化が起こっている
  • (アーティストが作品を作るのは、本来)「意味」とは無関係
  • アートとは本来、「意味」を考えて作ったり観たりするものではなく
  • 私たちがある作品を観察するとき、(中略)私たちの脳内における電気信号に直接反映されている

『DEEP LOOKING』第1章より


気がついたらずいぶん長くなってしまいましたので、続きは「その2」以降で。

読書『さようなら、オレンジ』『サンクチュアリ』(筑摩書房)岩城けい著

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読書『さようなら、オレンジ』『サンクチュアリ』(筑摩書房)岩城けい著

岩城けいさん、二連荘。お盆に読んだ『サウンド・ポスト』が良かったので、デビュー作の『さようなら、オレンジ』(2013年)と、最新作『サウンド・ポスト』のひとつ前の『サンクチュアリ』(2020年)を連続で読みました。

『サウンド・ポスト』読後に書いた「見た目(外見)と、ことば(母語)と、音楽と、人種差別と、偏見と、経済格差。オーストラリア在住という著者の問題提起が芯を貫いているように感じました。」の感想は、「音楽」は除くものの、そのままこの2冊にも通底しました。

ともあれ2冊とも、週末の隙間時間で読了しました。どちらも160ページほど。中編とでも呼ぶべきボリュームでしょうか。短時間で読みましたが、しっかりと心に残ったのは、考えさせられるテーマ故。なかでもデビュー作の『さようなら、オレンジ』が、特に響きました。静かな文体から滲み出る迫力、登場人物の心の悲鳴のようなもの。それでもラストに見えた希望に、ある種の爽やかさのある読後感でした。

同じテーマを、姿を変えて書き続けるというのは、作家にとって難しいことでは無いのだろうか?と思ったり、逆にそのテーマがあるからこそ書き続けることが出来るのかも、と思ったり。立て続けに3冊読んだので、ちょっぴり休憩が必要です。未読の著書がまだありますので、少しおいてから復活予定。著者の、別テーマでの小説も読んでみたいな、と思いました。

『さようなら、オレンジ』岩城けい

『サンクチュアリ』岩城けい著

九州EC勉強会『早和果樹園みかんの6次産業「つくる、育てる、そして発信する」』に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州EC勉強会『早和果樹園みかんの6次産業「つくる、育てる、そして発信する」』に参加してまいりました。

九州EC=九州ECミーティングは、経営者・ECに取り組む方々が幹事となり、事業運営に役立つ情報交換・提供を行う会です。2005年1月に「九州でも東京並みの情報が得られる場」を目的に結成され、現在も完全ボランティアで続いている、稀有な勉強会組織です。

2022年度3回目の九州EC勉強会は、農業の6次産業化事例。とのタイトルでしたが、実際にお話を伺うと、6次産業化はその途上の通過点に過ぎず、事業が今後さらに多角的に広がっていくことをイメージさせるものでした。講師は、早和果樹園の代表取締役・秋竹俊伸氏と、同社EC事業課長の青山航大氏。

九州ECの勉強会に参加するといつも感じることですが、今勢いのある経営者の方の話を聞くと、その会社の業種や事業形態やスタンス(理念)を通して、現在の日本・世界の状況が見えてきます。「今日から使える具体的な改善策」を学ぶのももちろん嬉しいですが、より大きな視点で世の中の状況が見えてくるお話を伺うのも、勉強会の醍醐味。そういう意味でも、第一部では経営のお話を伺い、第二部ではEC事業の実践的なお話を伺うことが出来た今回の勉強会は、両方の視点から学べるありがたい機会でした。

以下、備忘。


  • 果樹農家は規模拡大が難しく、栽培不振の影響は避けられず、法人化率も低い→農産加工からスタート、6次産業化による規模拡大、強い組織づくりのための法人化。
  • 現在売り上げの80%が加工品。
  • 自前=高収益。
  • 国際認証の取得→ヨーロッパへフリーパスで出せる=品質の証。
  • 大切な「みかん」を無駄にしない=みかん農家だからこそできること、大手じゃないからこそできること。
  • BtoB、BtoCともに自社主導の販路開拓。
  • 継続的なファンづくり(年1回のイベント)=地域貢献にもつながっている。
  • 拡大するには「必ず」外部の協力を求める(必要)。
  • 拡大か?自己完結型の6次化か?
  • 小さくも模倣困難性の高いビジネスモデル。
  • 売上を伸ばすには、まず人を採用。
  • ホワイトな就職先としての農家。
  • 独立自営の農家ではなく、「農家に就職する」が一般的になることの意味。
  • 日本国内における農業法人の割合と、農産物生産の割合→食料自給率向上への光。
  • MQ会計。(参『中小企業は「原価計算」で損をしている』(日経BP)古田圡 満氏)。
  • (独立自営の農家としてではなく)「農家に就職する」が一般的になることの意味・効用。

九州EC勉強会『早和果樹園みかんの6次産業「つくる、育てる、そして発信する」』より


日本の農業と食糧自給について、深く考えさせられる内容でもありました。そして、そこに一縷の光があることを確信出来たお話でした。花祭窯の創業地・佐賀花祭も、みかん栽培農家さんが何件かいらっしゃいましたが、どこも後継ぎが無く、年々耕作放棄の農地(果樹園)が増えて行くのを目の当たりにしていました。今回のお話で、方法はあるし、そこに携わろうとしている若い人も居ることがわかり、大きな希望を感じました。受け皿となる早和果樹園さんのような会社が、全国にたくさん生まれることを切に願う勉強会でした。