読書『コラージュ入門』(一麦出版社)藤掛明著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『コラージュ入門』(一麦出版社)藤掛明著

わたしがコラージュをアートエデュケーションのひとつとして取り入れるきっかけとなった、学芸員技術研修会の「美術館でコラージュ療法」講座。そのとき指導をしてくださった、聖学院大学心理福祉学部心理福祉学科教授・藤掛明先生の新刊です。

思いがけず藤掛先生からメッセージをいただいたのは先週のこと。当ブログ「ふじゆりスタイル」を読んでくださったようで、わたしが美術的アプローチでコラージュを(細々とではありますが)継続していることを、喜んでくださいました。直々に応援をいただき、モチベーションアップ。

さて本書、芸術療法のスペシャリストとして仕事をしてこられた藤掛先生の著書でありながら「コラージュ療法入門」ではなく、あえて「療法」を外して『コラージュ入門』となっています。まずここに大きな意図、すなわち、治療や更生に導くことを目的とした臨床的コラージュの枠を出て、より自由なコラージュ活用の場が広がっていくことへの期待を感じました。

医療・福祉の分野では近年「予防医学」や「健康寿命」という言葉をよく聞きます。「コラージュ療法」に対する「美術的コラージュ」は、ちょうどそんな(予防的な)位置づけにもなりうるのではないかと思いました。ここ数年、学芸員技術研修会で学んできたことのひとつは、医療・福祉へのアプローチとしての、美術・美術館の可能性を探るものです。心身ともに健康を保つための方法として、美術・美術館はどのように役立つのか、という視点。わたしにとって「コラージュ」活用は「対話型美術鑑賞法」と並んで、最も使い勝手の良い「美術の使い方」です。

本書を読み終えての第一の感想は、まさに入門書であり、手元に置いて原点確認するのに最適な本であるということ。読みながら、3年前に学んだ講座内容がまざまざと思い出されました。基本的に必要なことは、この一冊に入っていると言えるのではないでしょうか。自分がファシリテーターとなってコラージュの講座をする際に、もしも迷いが出たらここに戻れば良い。そんな本です。

具体的には、まず実際の運営にあたっての実務的な方法と、その方法が選ばれる理由が、わかりやすく示してあります。また、そうした方法を推奨するに至った背景となるストーリーや事例、エビデンスがいくつも挙げられているので、納得して用いることができます。ここに挙げられている方法に沿って、その時々の状況に合わせて応用(先生の言葉では「変法」)してゆけば、いろいろなパターンでコラージュを活用できることが理解できます。

美術的アプローチでのコラージュに強い味方となる一冊を得ることができました。より活動領域を広げることが出来そうです。

齋正弘先生の『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)個人的要約、その1。

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齋正弘先生の『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)個人的要約、その1。

アートエデュケーターとしてのわたしの原点となる本です。ことあるごとに読み直しているのですが、前回読んだのがちょうど一年前でした。個人的に「ここ大切」な部分を、あらためて要約(基本的には本書より抜粋、部分的に言葉遣いをわかりやすいよう変更、ごく稀に括弧で内容補足)。


その光景を見るときに起こるだろう、一人一人まったく違っていて、しかし、人間という種としては、多くの部分で共通もする、広く多様で深い複雑な心の動きの総合が「美」と名付けられた。

美しいも汚いも、上手いも下手も、ビックリするところまで行きついたものに、私たちは驚き、感嘆して見つめる。

人間はみんな違うのだから、一人一人の美ももちろん違う。
しかし私たちは同時に皆人間で、あるものには共通して心を動かすことができる。

ほんの200年程前までは、世界中に本物の王様がいて、私たちの美をその人が決めてくれていた。でも私たちはそういうシステムはやめて、美はみんながそれぞれ決めていいことになっている。

表現は大きく拡大しても、心が動くことは、私たちに共通して未だに起こる。美術館はそのきっかけとなったビックリを描きとめたものをとって置き、後々いつでも誰でも確認できる場所として機能し、存在する。

美術を使おう

小さい人たちが描いている絵は(中略)彼らの世界の見え方を、見えた通りに描いているだけ。彼らの絵に描いてある世界の方が、彼らにとっては正しい。

物をつくる実際の作業は、その人の運動神経と密接に関係する。速い遅い、丁寧雑は、個人の資質なのである。走るのが速い遅いと同じように練習で何とかなる部分と、練習ではどうしようもないところがある。作る/造形する部分は、ごく個人的なのである。でも、納得するまで制作にあなたの時間をかけることは、推奨される。

私たちは、どこの目で、何を見ていた/見ている のだろう。見えている物を見えているように描く、目と手の運動の練習。
見えていると思っている物を、再度点検する。思い込みは、本人が思っているよりも遥かに強く、見ることに影響を与えている。
上手に描くことのまえに、丁寧に、見えるように見ることに気づく練習。

美術館に出かけ「人間はこれまでに何を見てきたのか」を見に行く。作品の意味を知るのではなく、そこに描いてあることを素直に見ることができる視点に支えられると、個人の中の美術の理解は劇的に変化する。

作家の思いなんか、端から無視していいのだ。でも丁寧に、注意深く、描いてあるものを見ていき、自分の思いをめぐらせれば、同じ人類が描いたものだから、自ずと描いた人の想いも見えてくる。それだけでなく自分の想いも、その(作家の)想いを感ずることで広がっていく。作家の想いを超えて、あなたの想いを広げてくれるのが、良い絵。本当の意味の鑑賞。

10才未満の、毎日がほとんど非日常である小さい人たちと、非日常の楽しみである美術。を楽しむには、どのような工夫をしなければならないか。美術の目を生活の中で使う練習。見える物だけでなく、見えない物にも、目を配って見る。見えない物だけで、見えることを実験してみる。小さい頃に美術を学ぶということは、上手に絵が描けるとか工作ができるとは別に、「トトロ(見えない物の存在)はいる」と思える想いを持つことができる子供になること。

何かをなすための作業ではなく、そのこと自体を楽しむ。

物を意識的にきちんと壊してみるという作業が、生活の中からなくなっている。

齋正弘先生の『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)より


その2、以降に続く。

読書『ネーミング全史』(日本経済新聞社)岩永嘉弘著

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読書『ネーミング全史』(日本経済新聞社)岩永嘉弘著

商品・サービスに「わかりやすい名前を付ける」必要に迫られて、たくさん借りてきた「ネーミング」に関する本のなかで、特に面白かった2冊の一冊。もう一冊は昨日のブログで紹介した『ネーミングの言語学』(開拓社/窪薗晴夫著)でした。

学術的な研究書を一般にも読みやすく編み直したのが『ネーミングの言語学』なら、こちらはマーケティング戦略としてのネーミングの歴史をそのまま生きてこられたような、コピーライターのパイオニアによるビジネス書です。タイトルにある「全史」の文字にうなずける内容でした。

サブタイトルに「商品名が主役に躍り出た」とあるように、(ヒット)商品名によって歴史を振り返ることができる内容となっています。商品名から時代の空気感が伝わってきます。わたしは経済学部出身で、学生時代特に好きだった経営学の科目に「商品学」というものがあるのですが、その「商品学」のテキストとして使えそうな本です。

ヒット商品の歴史を、商品名誕生の背景から振り返るという意味では、単純に楽しく、そして一定の世代以上では懐かしく読める本です。そのうえ巻末には、優れたネーミングを生むための発想チャートなど、ネーミング作成法・手順も載っていて、実務的にすぐに役立てられるように、という著者の意図も伝わってくる本です。

学術的アプローチの『ネーミングの言語学』とマーケティング的アプローチの『ネーミング全史』、どちらも実務のためになり面白い本でした。

読書『ネーミングの言語学』(開拓社)窪薗晴夫著

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読書『ネーミングの言語学』(開拓社)窪薗晴夫著

商品・サービスに「わかりやすい名前を付ける」必要に迫られて、「ネーミング」に関する本を図書館で物色。いつもお世話になっているカメリア図書館は臨時休館中ですので、正しくは図書館ウェブサイトの「蔵書検索」で探しました。ウェブから予約を入れて、福津市図書館の窓口に受け取りに行けば借りることができますので、このサービスをフル活用しています。

何冊も借りてきたなかで、特にこれは面白い!と思ったのが、『ネーミング全史』(日本経済新聞社/岩永嘉弘著)と、本書『ネーミングの言語学』の2冊でした。で、本日は後者をご紹介。本書は開拓社から出ている「言語・文化選書」の第8巻で、このシリーズでは、日本語・英語をはじめとした言語文化についての様々な研究を、平易で読みやすいものにするのが目的となっているようです。

用途的に必要だったのは、マーケティング視点で書かれた本であったはずなのに、「言語構造・規則」を考察した学術的アプローチの本書にハマってしまいました。「韻を踏む」と言う、その「韻」なかでも単語の先頭に来る「頭韻」について、これでもかというほど用例が示され解説されています。本書の前半はすべてこの「頭韻」の考察。続く後半では「語順とリズム」、最後に「日本語の命名と言語構造」と続きます。語順とリズムについても用例多数。

読み終わってみれば、韻や語順とリズムが与えるイメージへの理解が深まり、大きな収穫でした。ネーミングにあたり、マーケティング目線の強い本の方が、直接的に参考になるのではないかと思っていましたが、さにあらず。構造や規則(パターン)を知ることで、より本質的な理解に近づいていくことは、これから言語と付き合っていくうえで、底力になると思いました。このうえで、マーケティング視点でのネーミングを知ることが大切ですね。ということで、明日に続きます^^

読書『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』(光文社新書)中野京子

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読書『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』(光文社新書)中野京子

中野京子さんによる「ヨーロッパの歴史を名画とともに紐解いていく」シリーズ、『イギリス王家12の物語』に続いては、『ブルボン王朝12の物語』です。

今年に入って「藤本ひとみ祭り」で読んできた『皇妃エリザベート』『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』『アンジェリク』『ハプスブルグの宝剣』など、17-18世紀ハプスブルグ家周りのストーリーとして読んでいました。隣り合う両家。マリー・アントワネットはルイ16世妃ですから、どちらかといえば「ブルボン王朝」のお話ですね。すぐにピンとこなかったのは、ひとえに我が浅学故。

さて『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』。フランス文化が花開き絶頂期を迎えたのが、このブルボン家を代表する太陽王・ルイ14世の時代でした。王朝が芸術文化の大パトロンとなり、フランスこそが文化の中心であるという意識を確固とした文化振興策の数々が打ち出され、それらの最大の象徴としてのヴェルサイユ宮殿・宮殿文化ができあがり…という時代。「ブルボン王朝=ヴェルサイユ宮殿」。なるほど文化の中心としてのフランスの位置づけは、ブルボン王朝からはじまったのですね。読み終えてやっと結びつきました。

また、パリからヴェルサイユに王宮を移したために、残されたルーヴル宮は美術の中心拠点としての色合いをより強化することになり、その先にルーヴル美術館の誕生があるということも、あらためて整理することができました。ルイ15世時代の王家コレクションの公開展示、16世の時代に美術館実現へ向けてのプロジェクトがはじまり、革命勃発・王権停止を経て、革命政府による美術館化プロジェクト推進により、1793年ルーヴル美術館オープン。この、政権が大きく変わっても美術館プロジェクトが大切なものとして変わらなかった価値観の定着が、ブルボン王朝の大きな遺産だったのではないかと思えました。

ヴェルサイユ宮殿の門柱には、今もブルボン家の紋章が輝き続けているそうです。わたしはこれまでの人生で2回パリに旅行をして、2回ともヴェルサイユ宮殿に行く予定を組んでいながら実現しなかったという不思議があります。次回フランス渡航の際には、三度目の正直で足を運びたいと思います。

読書『名画で読み解く イギリス王家12の物語』(光文社新書)中野京子

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読書『名画で読み解く イギリス王家12の物語』(光文社新書)中野京子

「怖い絵」シリーズで有名な中野京子さんによる、「ヨーロッパの歴史を名画とともに紐解いていく」シリーズです。ちょうどひと月ほど前に本屋さんをぶらぶらしていて発見したのでした。『プロイセン王家12の物語』『ブルボン王朝 12の物語』『イギリス王家12の物語』『ハプスブルク家12の物語』『ロマノフ家 12の物語』を合わせた「この5冊を読めばわかる!」という魅力的なシリーズ。

本屋さんで発見したときは、衝動的に全巻手に取りそうになるところをぐっと抑えたのでしたが、まずは図書館に新刊で入っていたものを読んでみて、やっぱり「わたしに必要なシリーズ本」認定です。まだ2冊読み終わったばかりですが、少しづつ点がつながっていくのを感じています。

中野京子さんが「片方から見ていた風景が、逆の側からはどんな風に見えるかを知ることで、歴史の複雑でダイナミックな動きを感じていただけるのではないか」と『ブルボン王朝12の物語』の「あとがき」で書いておられるのですが、まずは見えていたものが少しづつつながっていく感じ。5冊全部読み終わったころには、それがダイナミックな動きとして感じられるようになっていることを期待しつつの読書です。

さて 『名画で読み解く イギリス王家12の物語』 。先日DVDで「エリザベス1世」を見るにあたり、手元に用意してパラパラと開き、該当する時代の絵画と解説と家系図を眺め、付焼刃的にではありますが、イメージを補足することができました。

おかげさまで、少しは流れがつかめたような気がしています。中野京子さんの解説が、学術的というよりは会話っぽくて、読んでいて親しみやすく、わかりやすいです。絵がすべてカラーで載っているのも嬉しく贅沢です。新書サイズですので、手軽に持ち運べるのもいいですね。しばらくお出かけのお伴になりそうです。

本書に登場する絵画は、見たことのあるものもあれば、初見のものも多数。見たことがあったかもしれなくても、覚えていないものも多々。ロンドンに行ったときは、いつもナショナルギャラリーには足を運ぶのですが、お隣にあるポートレートギャラリーに入る前にお腹いっぱいになったり、閉館時間になってしまうことが続いていました。それだけナショナルギャラリーの見ごたえがあるということなのですが、次回はまずポートレートギャラリーに足を運びたいと思います。

Meet Me at Art「コラージュ講座」の位置づけは「心の健康」へのアプローチ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

Meet Me at Art「コラージュ講座」の位置づけは「心の健康」へのアプローチ。

2021年郷育カレッジ講座の特集テーマは「郷育で心も体も健康に!」。昨年度に続き、今年度もコラージュ講座を準備しています。郷育カレッジのなかに美術系の講座が少ないなか、昨年初めて開催したのでした。

美術の教育普及ワークショップメニューのひとつですが、「心の健康」へのアプローチを意図しています。コラージュ制作を通じて、自分の内側を可視化し、客観的に受け入れていくことで、心のリフレッシュを図ります。わたしはこのワークショップを「Meet Me at コラージュ(=コラージュ制作を通じて自分に出会う)」と名付けています。

そもそもわたしが「博物館学芸員技術研修」で学んだコラージュは、芸術表現としてのものではなく、アートセラピーのひとつとしてのコラージュ療法でした。指導してくださった、聖学院大学心理福祉学部教授の藤掛明先生によると、アートセラピーには、心理系アプローチと美術系アプローチ、二つの経路があります。わたしはセラピーの専門家ではありませんが、医療や福祉の現場でも、美術系アプローチ活用への注目は年々高まっているように感じます。

今年度のプログラム進行を検討するにあたり、昨年の講座に参加してくださった方々のご感想を振り返ってみました。

  • 集中して一人静かな時間が持てた。
  • コラージュ制作を通じて、自分の好きなことに改めて気づくことができた。
  • 自分で考えを創作していく過程に、希少価値を感じた。
  • 今自分が表現したいことが明確に出て、面白かった。
  • やりだしたら、ついついはまり込んだ。
  • 空間で何かを表現したいという思いが出てきた。

などなど。これらのご感想を拝見すると、コラージュの目的と効果を再確認することができます。「じっくり自分に向き合う」機会を持てていない方は、少なくありません。約1時間半の講座で、参加者の皆さんが楽しく集中力を高め、夢中になる時間を味わい、終わったらリフレッシュを実感できるよう、進行を考えていくところです。

ところで本日のアイキャッチ画像(一番上の写真)は、『美術館っておもしろい!』(河出書房新社/モラヴィア美術館)より拝借。美術・美術館の役割を絵本にしている本書のなかにも、美術の教育普及の仕事の果たす役割・大切さが、わかりやすく描かれています。

本と映像で時間と空間をバーチャル移動。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

本と映像で時間と空間をバーチャル移動。

このお盆は、2020年のお正月以来顔を出せていなかった実家詣でを計画していましたが、折からの「まん延防止等重点措置」「福岡コロナ特別警報」を受けて、延期。ほぼ外出無しの夏休みとなりそうです。

家(=兼仕事場)に居るとついつい仕事をしてしまうので、強制的に物理的に離れた場所に移動することは、わたしにとってはメリハリをつけるのに大切です。が、それがしにくいこの夏休みは、時間と空間をバーチャル移動することに。「バーチャル」なんて言葉を使うと、最新IT技術をイメージする方もあるかもしれませんが、単に仮想とか疑似という意味です。本と想像力さえあればOK!今回はさらにDVDもあるのでばっちりです。

この機会に、長すぎて観るのを躊躇していた「エリザベス1世」を一気に見ることに。前編109分、後編112分。長いなぁ、と思っていましたがさもありなん、映画ではなくイギリスで放映されたテレビドラマでした。ほぼ王宮内で完結するストーリーで、歴史ものというよりは愛憎もの?でも王宮内の人間関係や駆け引きがそのまま政治に反映され、国際的な立場にも影響すること考えると、やはり歴史もの。それを「独身を貫いたエリザベス1世」の人間的側面からクローズアップした物語でした。

エリザベス1世といえば、ミュージカル「レディ・ベス」を博多座で観たのは、ちょうど七年前のこの季節でした。「レディ・ベス」は、エリザベスが少女から女王になるまでの物語。今回見た「エリザベス1世」は、「女王になったあと(けっこう時間が経ってから)亡くなるまで」の物語でしたので、レディ・ベスのエピソードは、「その前」を知る補足となりました。

それでも前提となる知識が足りませんので、前半と後半の間に、中野京子さんの『名画で読み解く イギリス王家12の物語』(光文社新書)をパラパラと開き、該当する時代の絵画と解説と家系図を眺め、付焼刃的にイメージを補足。エリザベス1世は、ロンドン塔の「反逆者の門」をくぐりながらも、そこから出てきて、しかも治政者として長年貢献するというレアな偉業を成し遂げた人物であること、自らもその政敵をロンドン塔に放り込んでいたことを、絵画的にインプット。

トータル約4時間のバーチャル移動、十分に楽しみました。せっかくなので、次はケイト・ブランシェットの映画版によるエリザベス1世『エリザベス ザ・ゴールデンエイジ』も観たいな、と思います。

読書『希望の一滴 中村哲、アフガン最後の言葉』(西日本新聞社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『希望の一滴 中村哲、アフガン最後の言葉』(西日本新聞社)

2019年12月4日に亡くなった、ペシャワール会中村哲先生の、生前の記事やインタビューをまとめた一冊。亡くなられて1年以上が過ぎ、関連するたくさんの本が出版されていますが、本書は中村先生自身による西日本新聞への連載記事と、ペシャワール会の会報への原稿が中心になっています。

ペシャワール会は1983年、中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGOです。以後、中村医師の活動がアフガニスタンへと広がって行く中、中村医師が率いた現地事業体PMS(Peace Japan Medical Services 平和医療団・日本)を支援し続けています。( 『希望の一滴 中村哲、アフガン最後の言葉』(西日本新聞社) より)。

福岡県は中村医師の故郷であり、ペシャワール会の事務局も福岡にあります。そのため、ほかのエリアよりは、中村哲さんのアフガニスタンでの活動について見聞きする機会が多い方であると思います。わたしの周りにも、直接間接的に中村医師と関わっている方々が少なからずあり、なかにはご親戚や、ともにアフガニスタンで活動した方もいらっしゃいます。

それでも、実際にどれほどの活動をなさっていたのかを、もっとしっかり知らなければとわたし自身が自覚したのは、中村医師の訃報に接してからでした。本書でもあとがきにありましたが、亡くなったことによる喪失感の大きさと、亡くなったことにより広くその事業と理念が知られるようになり、支援の輪がさらに広がっているという現実が、両方あるのだと思います。

特に福岡県内においては、2020年以降、各地で中村医師の活動の軌跡を知らしめる展示や講演などのさまざまな活動が、地道に展開されていました。コロナ禍において、それぞれの活動は制限を伴ってはいましたが、ほんとうにあちらこちらで、あらためて中村医師の活動・理念を知るための機会が設けられ、その流れは今も続いています。生前から実際に関わってきた方々が、使命感を引き継ぎ、声を上げ始めている感じがいたします。

我が家では、ここ津屋崎に移転して以来西日本新聞を購読していますので、中村医師の連載もリアルタイムで読んでいたはずですが、すっかり忘れていることも多々。あらためて書籍になったものを読み直すと、やはり感嘆せずにはいられません。なかでも「第4章水のよもやま話」は、困難ななかでの活動継続を支えた中村哲さんの源泉・人となり、自然界や人間へのまなざし、文化感・歴史観が伝わる文章となっています。アフガニスタンの問題は、アフガニスタンだけでの問題だけではないということが、切迫感をもって伝わってきます。ほんとうに憂うべきは何か、自分自身の問題として考えることが求められます。

活動内容の詳細については、本書をはじめとした関連書籍や、ペシャワール会事務局ホームページでの情報提供をご参照いただくと、より理解が深まるかと思います。

読書『グレゴワールと老書店主』(東京創元社)マルク・ロジェ著、藤田真利子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『グレゴワールと老書店主』(東京創元社)マルク・ロジェ著、藤田真利子訳

こちらもいつものカメリアステージ図書館新刊棚から。「老書店主」のタイトルに釣られて借りてきました。「老書店主」は智恵と教養の宝庫!のイメージ(思い込み)があります(笑)。まったく前情報無しに読みました。読み終わってから確認したら、著者は西アフリカ・マリ共和国生まれとのこと。著者の詳細は分かりませんでしたが、フランスで朗読活動をなさっているようです。初著となるこの物語の舞台もフランスの地方の町。

そういえば今年の初めに読んだ『忘却についての一般論』の舞台が、アフリカ・アンゴラであり、著者のジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ氏はアフリカ生まれでした。原著はポルトガル語で書かれていたと思います。いろいろな国で出版される本を(言語を)翻訳してくださる方々のおかげで、いろいろな国にルーツを持つ作者の紡ぎだすいろいろなお話を読むことができるありがたさ。

さて『グレゴワールと老書店主』の舞台は、高齢者福祉施設と思しきホーム。高校を卒業したばかりの施設職員「グレゴワール」青年と、人生のすべてであった書店を売り払い施設で残りの人生を送る老書店主との、「本の音読」を通じた交流の物語。青年が、老書店主との「音読の訓練」によってたくましく成長していくようすを、ときおり拳を握りつつ見守る読書となりました。

ときおり拳を握りつつ、というのは、この物語が単純に心温まる美しいストーリーではなく、生々しく、ときに蓋をしてしまいたくなるような現実を突き付けてくるからです。そんな部分も含めて、人間の弱さと生きざま(=死にざま)を考えさせられました。そして、それぞれの人生に、本がどれだけの糧を与えてくれるかということも。

上の写真は、4年ほど前に読んだ医学博士の川島隆太氏と独文学者の安藤忠夫氏による音読論『脳と音読』。実験や研究の結果を通して論じられる音読論でした。『グレゴワールと老書店主』での、ホームでの音読の試みは、まさに音読がもたらすものを知ることのできる実験場となっていました。実はわたしはこの秋に「図書音訳」の技術講習を受講予定で、思いがけずタイムリーな読書となりました。