読書『FACTFULNESS (ファクトフルネス)』(日経BP社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(日経BP社)

ハンス・ロスリング氏とその息子夫妻による本書。日本での出版後、すぐにあちらこちらの書評で取り上げられ、ぜひ読まねば!と思っていたのが、今になりました。

読むのがずいぶん遅くなってしまったなぁと、やや反省していたのですが、初版の発行日を確認したところ2019年1月15日。まだ2年は経っていないのですね。今年1月来のコロナ騒動を経た今読んだのは、わたしにとってベストタイミングだったかもしれません。

イントロダクションに書かれていた「(カー)ナビの情報が間違っていたら、目的地にたどり着けるはずがない」の一文に、この本で伝えたいことの本質を感じました。目指す目的地にたどり着きたいならば、正しい情報を基にしなければなりません。

では、「正しい情報」は、どうしたら手に入るのでしょうね。そして、何をもって「正しい」と言えるのでしょうね。

個人的には前々から、「統計データ」は「ある仮説を裏付けるために算出された数字」であるというイメージを持っています。数字もまた、それだけでは根拠となりえません。よく「『真実』はどこから見るかで変わるけれども、『事実』は変わらない」というような言葉を聞きますが、さて。そのわたし自身の疑問への答えのひとつが「訳者あとがき」にありました。

『FACTFULNESS』の訳者は、関美和氏と上杉周作氏。訳者あとがきで上杉氏が「事実に基づかない「真実」を鵜呑みにしないためには、情報だけでなく、自分自身を批判的に見る力が欠かせません。」と書いていらして、ドキリとしました。いわく「「この情報源を信頼していいのか?」と問う前に、「自分は自分を信頼していいのか?」と問うべきなのです。」と。

今日も報道されるいろいろな数字を前に、思い込みを排除し冷静に判断できる態度を養ってゆかねばと、あらためて考えさせられた一冊でした。

福津市歴史資料館企画展「新原・奴山古墳群調査研究の現在」。

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福津市歴史資料館企画展「新原・奴山古墳群調査研究の現在」。

9月16日(水)から展示されている、最新の発掘調査結果を拝見してきました。「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群調査研究成果5館連携展覧会のひとつです。他の4館は、宗像大社神宝館・九州国立博物館・海の道むなかた館・九州歴史資料館。

福津市カメリアステージにある歴史資料館では、数は多くはないものの、鉄器・土器・ガラス玉などの副葬品のほか、古墳の建材となった石材も見ることができます。ガラス玉はいつ見ても嬉しくなりますね。また今回個人的に最も興味深かったのは、非破壊検査によるレーダー探査の成果についての説明。「地中レーダー解析画像」見てもよくわからない(笑)ながら、ワクワクしてしまいます。

この「展示資料を見ただけではよくわからない」点については、立派な解説パンフレットがあります。また、なんと!5館の展示担当者による調査研究成果報告会が、2020年10月11日(日)に開催されます。場所は福津市歴史資料館横にあるカメリアホール。定員200名ということですので、興味のある方は、ぜひ早めにお申し込みを。

詳しくは、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群調査研究成果5館連携展覧会の特設サイト https://www.okinoshima-heritage.jp/ でご確認くださいね。

それにしても、地域の古墳を日常的に身近に感じ、発掘調査の結果をその都度歴史資料館で拝見できる環境のありがたさ。あとは現地の発掘調査のお手伝いに行けたら最高ですね。調査はまだまだ続きそうなので、そのうち機会を作れたらいいな、と思いつつ。

読書『点と線』(新潮文庫)

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読書『点と線』(新潮文庫)松本清張

ついに松本清張に手を伸ばしました。はい。松本清張、読んでいませんでした。ほんとうに「読んでいない本」ばかりですね(笑)

この前に『ゼロの焦点』を読んだので、2冊目の松本清張。これまでまったく読んでいなかったにもかかわらず、なんとなく「ゼロの焦点=崖」「点と線=時刻表」というイメージだけはありました。松本清張作品もまた繰り返し映像化されているので、その世界観はもはや読者・ファンだけのものではないのでしょうね。

『点と線』は、昭和32年2月から翌1月まで雑誌『旅』に連載されたものだそうで、わたしが生まれる10年以上前のものでした。舞台のひとつが福岡博多の香椎(かしい)であり、国鉄(現JR)の香椎駅と西鉄の香椎駅が出てきます。小説を読むときはいつもそうですが、自分の知っている土地(場所)が舞台として出てくると、読みたい気持ちが俄然上がるのですから、不思議なものです。

JR香椎駅は普段わたしが博多に行くときに使う路線上にあります。香椎宮がありますし、管轄の税務署もあるため、しばしば使う駅であり、とてもなじみ深い駅。一方、西鉄香椎駅は眺めるばかりで使ったことが無いものの、本文中最初の方に「この電車は、津屋崎という北海岸の港まで通じていて、西鉄香椎駅は、その途中なのだ。」の一文を発見し、津屋崎が登場したことに感激。

西鉄香椎駅の少し先にある新宮駅からここ津屋崎に至る線路は既に廃線となっていますが、名残を感じる風景は近所にも残っています。「つやざき」の地名が出て来たのは、本文中この一箇所だけですが、それでも嬉しく。

ストーリーは、もちろん面白かったのですが、後半がなんとなく駆け足に感じました。前半の描き方の細かさに比べ、最後の「手紙による種明かし」は、描写を端折られてしまったような感じを受けました。「何を中心に書いているのか」という点では、これで十分なのだと思いますが、ストーリーテラーたる刑事だけでなく、他の登場人物たちの心の機微ものぞきたかったと思ったのは、我が儘でしょうか。

と、ここまで書いてから、そういえば最近の小説は「すべてを書き過ぎている」のかもしれないと思い至りました。わかりやすさを求める風潮に、毒されている自分を発見。はっきりとは描かれず、わからない部分が多いということは、解釈の余白・余韻が読者に残されているということ。それこそが、本書の魅力でもあるかもしれません。

読書『舟を編む』(光文社文庫)

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読書『舟を編む』(光文社文庫)三浦しおん

「本屋大賞」を受賞した時に、読みたいなぁと思いながらそのままになり、松田龍平主演で映画化されたときに、これは観たいと思いながら見逃しておりました。忘れかけていたつい先日、偶然図書館で文庫版を発見。

最初から最後まで、なんともやさしい空気が流れていました。もちろん切迫したシーンがあったり、気持ちが昂るシーンもあったりするのですが、全体を安心感が貫いているとでも言いましょうか。結末に対する期待は裏切られないはず!と、著者に対する信頼をもって読むことができました。

それにしても、「辞書編纂の仕事を小説にする」ことを、思いつくのがすごいな、と思いました。そのために、膨大な取材をしたのだろうな、ということも。小説やテレビドラマや映画などで「仕事」をきちんと描くとヒットするという定石を聞いたことがありますが、それにしても辞書編纂とは。でも、かつて誰もが一度は手に取ったことはあるという点では、「辞書」を中心に置くのは、マニアックなようでありながら、実は普遍性の高さも担保しているのかもしれません。

ともあれ、読後がさわやかな一冊でした。見そびれた映画も、DVDで観なければ。三浦しおんさんの著作は、映像化されているものも多いですが、実は本を読んだのはこれが初めてでした。これをスタートに、読み広げていこうと思います。

カメリア図書館選書ツアー2020。

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カメリア図書館選書ツアー2020。

選書ツアー。ふだんお世話になっている図書館に並べたい本を書店で探し、図書館で購入する本の候補リストをつくるツアーです。例年は博多駅そばにある紀伊國屋書店に出向き、膨大な数の本のなかから1時間ほどかけて選んでいきますが、今年はコロナ対策で、カメリア図書館内での催行となりました。

2019年の選書ツアーのレポートはこちら

図書館カウンターで選書ツアーの受付をすませたら、バックヤードへ。館内開催とのご案内でしたので、ネットを使って探したりするのかしらと想像していましたが、そこにはなんと、ミニミニ紀伊國屋書店さんができていました!これはまったくイメージしていませんでしたので、驚くやら嬉しいやら。

細長いバックヤードスペースに、本屋さんのようにジャンル別に本が並んでいたのです。紀伊國屋さんからスタッフの方がお見えで、選書の方法も博多の書店で行うときとまったく同じ方法でした。当然ほかにお客さんはいないのに、首からかける「選書中」のカードまでも完備。思いがけない演出に、思わずにんまりしました。

カメリア図書館内に現れたミニミニ紀伊國屋書店。限られたスペースですから、本の数は博多の書店の何万分の一にも満たない数だったのではないかと思います。ですが、全体の冊数が限られていたからこそ、そのなかからカメリア図書館に置くべき本を選ぼうと、ふだんは立ち寄らないジャンルの本へも注意が向いて、かえって自分自身の視野は広がったように思いました。

実のところ、例年は「わたしが読みたい!」が先に立ち、「それに、皆にもおススメしたい」という「我」の強い選び方でした。でも今年は「この本は子どもたちに読んで欲しい」「これは息子世代におすすめしたい」と、他者への視点を優先的に取り入れることができたように思います。どんな環境で選ぶかによっても、こんなに選び方が変わってくるものなのですね。

それにしても、今年は開催は無理かなと思っていたところ、形を変えて継続してくださったカメリア図書館スタッフの方々の熱意と工夫に、頭が下がりました。今年に限らず、博多まで行くのは難しいけれど、図書館内で出来るのなら参加したい!という方もあると思います。館内の開催で、選者を小中学生に絞った選書ツアーがあってもいいかもしれませんね。

いつもと同じようにできなくても、新しい発想や可能性が広がるなぁと感じた選書ツアーでした。毎年2-3冊でも、自分の選んだ本が地元の図書館に並んでいくというのは、とても嬉しくありがたいことです。今回は、紀伊國屋さんからお土産に「紀伊國屋書店のブックカバー」(いつも紀伊國屋書店で本を買うとつけてくれる紙のやつ)が!「ブックカバーつけてもらう派」なので、とっても嬉しかったです^^

読書『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)

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読書『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)みうらじゅん

台風避難のお伴に、本。わたしが避難グッズとともに持ち込んだのは、台風の緊張を少しでも解きほぐそうと、避難所に隣接する図書館で「みうらじゅん」を借りてきました。読みはじめてすぐに「あ、これ読んだことあった!」と気が付きましたが、何度読んでも面白いものは面白いので、良いのです。

笑い声を押し殺しながら読みましたが、この本は本人による「みうらじゅんの仕事術」であり、ジャンルとしては「実用書」「ビジネス本」に入れてしかるべき内容です。誰にでもできることではないことをやり続けている凄さが、ひしひしと伝わってきます。

個人的に引っかかった、みうらじゅんのキーワードは、次の通り。


  • 一人電通
  • 自分を洗脳する
  • ブームとは「誤解」
  • 本質を突く
  • 母親に向けて仕事をする
  • 言い続けること
  • まだないことを描く
  • 自分なくしの旅
  • 「空」に気づく
  • 子供の趣味と大人の仕事

以上『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)より


でも、実は巻末のみうらじゅんと糸井重里との対談の中に出て来た、糸井さんがみうらじゅんに対して言った言葉というのが一番引っかかりました。いわく「かまぼこ板に『みうらじゅん』って書いて商売しろ」。自分の表札で仕事をするということを説いたこの一言に、さすが糸井さんは「ことば」を職業にする人なのだなぁ、と思いました。

読書『メンタルに効く西洋美術』(マール社)

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読書『メンタルに効く西洋美術』(マール社)宮本由紀 著

『英語でアート』以来、なにかとお世話になっているアート・アライアンスの宮本由紀先生の二冊目となる著書。常々、アート・英語・西洋美術史・リベラルアーツを説いておられる由紀先生の、美術とアーティストへの愛情とユーモアを感じる一冊です。

西洋美術史に名を遺す「アーティスト」なる生きものの、生き辛さ、人間臭さ、悲喜交交…。読みながら、決して他人ごとではなく(笑)、感情を揺さぶられました。由紀さんが本書で重視なさっているのが、プライマリーソース(一次資料)。その「元」がきちんと目に見えることが、作りものではない臨場感につながっているのかもしれません。

個人的には、老若男女問わず「悩めるアーティスト」たちに、ぜひ読んで欲しい本です。自分と重なる部分、まったく異なる部分を、西洋美術史の主役たちの生きざまに見ることができますし、そのどちらにしても「自分は自分として生きる(つくる・描く)しかないのだ!」というあたりまえの結論を、はっきりと目の前に突き付けてくれます。

本のつくりも、とっても好みでした。しっかりした紙質のページに、カラーの絵が載り、イラストによる図説も親しみやすくわかりやすく。アーティストのストーリーをメインにしていますが、実は解説を通じて、西洋美術史を見る際に役立つ知識もふんだんに載っています。

「手元においてことあるごとに開く本」がまた一冊増えました^^

読書『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』(講談社)

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読書『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』(講談社)スティーヴン・マーフィー重松

「マインドフルネス」についてちょっと知識を仕入れる必要に迫られ、まずは図書館でキーワード「マインドフルネス」検索であがってきた本を、手あたり次第借りて参りました。極端なスピリチュアル系からがっつりビジネス系まで、たくさんあるだろうなと思ってはおりましたが、その予想を上回る多さ(笑)。現段階で読んでいるのは数冊ですが、そのなかでは、わたくし的には最もしっくりきた一冊です。

マインドフルネスという単語は、なんとなく「瞑想」とか「禅」とか「ヨガ」とか「スティーブ・ジョブス」とか「グーグル」とかと結びついてイメージしていた程度で、ちゃんと本を読んだのは初めてでした。本を読む(頭で考える)よりも、実践したほうが、体感による理解は早いだろうなと思いつつ。

本書は良い意味で特に斬新さや驚きを感じるものではありませんでしたが、マインドフルネスってやっぱりそういうことだったのね、と納得でき、自分のなかで解釈を深めることができるものでした。茶道と重なるものがたくさんあったのは、利休の茶道精神に加え、わたしが入門している南方流が、禅寺の茶道であることも大きいかもしれません。またエデュケーションの視点で見ると、対話型美術鑑賞の方法論と効用に通じるものが、とてもたくさんありました。

数ある「マインドフルネス本」のなかにおいて、分野的には、How to本というよりは考え方や本質を理解するための本です。が、章末ごとにエクササイズが載っていて、これが秀逸です。ほんの数行のエクササイズですが、これを実践することが、そのままマインドフルネスな状態を導いてくれることでしょう。わたしもまずは、ここからスタートしてみようと思います。

ホームボディ経済。

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ホームボディ経済。

福岡アジアビジネスセンター主催のウェビナー「 変化をチャンスに変える! ネクストノーマル時代のヒントになるビジネス戦略と実践(米国編)」に参加しました。

講師は、北米でマーケティングコンサルタントとして活躍するYKA Ltd. Co (EZGlobal123)代表の村井 清美 氏。約1時間の短いセミナーでしたが、コンパクトでわかりやすく、集中できました。ブログタイトルの「ホームボディ経済」は、ウェビナー中登場した多数のカタカナ単語のなかで、個人的にもっともインパクトがあったもの。上の写真は関係ありませんが、「家にいる時間が長い」の私的イメージ。

以下、備忘。


  • ホームボディ経済=家で過ごす時間が長い。
  • デジタル化が3-4年分一気に進んだ。
  • オムニチャネル化の成否が生き残りを左右。
  • 多様化多数化した顧客との接点を、いかにシームレスにつなげていくか。
  • サスティナビリティの重要性への傾倒。
  • 米国内BtoBでもオンライン商談があたりまえ=距離に関わらずチャンス。
  • 既存のプラットフォームに乗るのではなく、独自に直接進出するチャンス。
  • 長期計画を推進する重要性(コロナへの短期・単発的な対応ではなく)。
  • 「信頼している人から購入」の傾向がより強く、明確に。
  • ベストプラクティスの活用=顧客の信頼を最優先。タイムリーに決断する。

「 変化をチャンスに変える! ネクストノーマル時代のヒントになるビジネス戦略と実践(米国編)」YKA Ltd. Co (EZGlobal123)代表の村井 清美 氏 より


今や「会わずに商談」があたりまえというときに、補完する方法として「電話」の役割が見直されてくるかもというニュアンスを感じました。またセミナー後の質疑応答で、コロナ以前への回帰はあり得ないことを説明するのに、「新車は一度でも乗ったら中古車であり、新車には戻れないのと同じこと」とおっしゃったのが、面白かったです。

読書『我らが少女A』(毎日新聞出版)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『我らが少女A』(毎日新聞出版)高村薫 著

2017年8月から毎日新聞に連載された小説の単行本化。初出が2017年ですが、2011年以前、初期の高村薫作品の雰囲気を感じました。お馴染みの「合田刑事」が登場したから、単純にそう感じたのかもしれませんが(笑)。少し前に読んだ高村作品の『晴子情歌』『新リア王』とはまったく異なるものでした。

犯罪小説であり刑事ものですが、そこに描かれているのは「家族」の問題でした。そういえば家族の問題を描いているという意味では、『晴子情歌』『新リア王』に通じます。読んで思ったのは、「ふつうの幸せな家族」なんてものは、イメージほどには存在しないのだということ。どこかに何か問題を抱えているのがふつうであり、ただ、その問題の大小多少の違いは確かにあるということ。

かつて10代だったことのあるすべての人に心あたるであろう、自意識過剰で恥ずかしい不安定な時代は、時を経てキラキラした思い出になるのか、記憶から抹消されてしまうものになるのか。高村薫さんの、登場人物に対するやさしさを、これまでになく感じました。

それにしても『マークスの山』映画化以降、合田刑事=中井貴一の顔で脳内展開されてしまいます。当時、高村薫の小説(の細かさ、描写)を映画でどこまで再現できるのだろうかと興味はありましたが、自分のなかにできあがっていた世界観を崩したくなかったので、映画は観に行きませんでした。なのに、中井貴一で刷り込まれています(笑)。メディアの影響はすごいですね。

まだ読み残している高村薫作品も、徐々に埋めていきたいと思っています。楽しみです。