久々に映画鑑賞―『スオミの話をしよう』を見て参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

久々に映画鑑賞―『スオミの話をしよう』を見て参りました。

前回の映画鑑賞ブログが8月でしたので、ずいぶん間が空いてしまいました。

間に洋画を一本、エマ・ストーン主演の『KIND OF KINDNESS』を観たのですが、「いまひとつよくわからない」というのが正直なところでした。エマ・ストーンが少しも魅力的ではなかったのが残念でもあり、こちらにアップするに至らず、です。

というわけで2024年の7本目、三谷幸喜監督・脚本の『スオミの話をしよう』です。一番上の画像は、公式サイトからお借りしてきました^^。公開前から観に行きたいと思いつつ足を運べずにいたのですが、近所の映画館でもロングランしてくれたおかげで、観ることが出来ました。そういえば『キングダム』も『ラストマイル』もまだ上映してますし、邦画、頑張ってますね♪

さて『スオミの話をしよう』。期待通りに、何も考えず笑って楽しめるコメディでした。主演の長澤まさみをはじめ、まぁ、役者揃いというのでしょうか、魅力的な顔ぶれでした。演じている皆さん自身が面白がっているのが、ストレートに伝わってきます。映画というよりは、舞台を観ているような感覚になる、オーバーアクション気味の世界観。個人的には宮澤エマさんが最高でした。

今年は邦画率が思いのほか高くなっています。単純に、洋画で「ぜひ観たい!」というものが少ないからなのですが、これも「近所の映画館で観る」からそういう結果になっているのだろうなとは思います。福岡市内まで出たら、キノシネマ天神やKBCシネマなど、単館系の魅力的な作品を上映しているところがたくさんあるので。でもまあ近所の映画館は「行こう!」と思ったときにすぐに行けるのが良いところ。なので、まずはここで、です。

出来れば年末までに、あと2本は観たいな、と思いつつ^^

『スオミの話をしよう』公式サイト

読書『若い男/もう一人の娘』(早川書房)アニー・エルノー著/堀茂樹訳

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読書『若い男/もう一人の娘』(早川書房)アニー・エルノー著/堀茂樹訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より、表紙の雰囲気に惹かれて借りてきた一冊です。上の写真はカメリアステージ図書館の見取り図なのですが、入り口となる階段を上がった正面に「新刊棚」があります。棚二つほどで、面積はそれほど大きくない=そこに並ぶ本の数は限られるのですが、場所的にまず目に飛び込んでくる良い配置なのですね。

さて『若い男/もう一人の娘』。本のタイトルも作家名も、まったく心当たりなく借りてきたのですが、アニー・エルノーさんは2022年にノーベル文学賞を受賞していて、日本語訳されたものとしては受賞後第一作目だということです。ノーベル文学賞受賞=キャリアのある作家さんということですね。デビューから50年を超えているそうです。とはいえ、こうした情報はすべて読了後に仕入れたもので、先入観の無い状態で読むことが出来ました。

本を開いて数ページ読み、なんというのか「あ、フランスっぽい」と感じて、著者プロフィールをチェック。やはりフランスの作家さんでした。この「フランスっぽい」とわたしが感じる理由というのが、あくまでも「なんとなく」なのですが、まあまあ当たるのが不思議です。その都度状況を書き留めて置いて分析したら、具体的に「フランスっぽさ」を感じる要素を上げることができるのかもしれませんが。それはさておき、とにかく「フランスっぽさ」を(ややくどいほどに)感じながら、短編(中編?)ふたつ、面白く読みました。

本書に限らず、個人的な記憶をもとにした自伝的な小説が彼女の持ち味のようです。執筆作業はきっと痛みを伴うのだろうな、血を流しながら、痛みを昇華していくのだろうな、と、勝手に推察しつつ読みました。わたしが知らなかっただけで、邦訳書がたくさん出ているようですので、さかのぼって読んでいきたいと思います。

『若い男/もう一人の娘』(早川書房)アニー・エルノー著/堀茂樹訳

本のイベント「BOOK MEETS FUKUOKA~本のもりのなかへ~」を見に行ってきました。

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本のイベント「BOOK MEETS FUKUOKA~本のもりのなかへ~」を見に行ってきました。

福岡市では「ブックオカ」という、本のイベントが秋の恒例行事となっています。「Book」と「福岡」をあわせて「ブックオカ」。これっていつからだったのだろうと思ったら、今年で19年になると、公式サイトに書いてありました。

ブックオカ〜福岡を本の街に

「BOOK MEETS FUKUOKA」は、「ブックオカ実行委員会」と、そのなかで中心的役割を果たしておられる書店「ブックスキューブリック」さんによる企画イベントです。

いやぁ、楽しかったです!「独立系書店」と呼ばれる、地域に根差した小さな書店さんによる本のセレクトは、棚を眺めているだけでワクワクしましたし、全国から集まったという出版社の多様性にも、驚きました。近年「一人出版社」をはじめ、小さくて尖っている出版社がじわじわと増えているという話を聞いたことがありましたが、ほんとうにいろんな出版社があるのだなぁと感心。

そこに並んでいる本にも、その本を並べた書店、出版社の存在にも、大いに刺激を受けました。本好きの方々にはおススメのイベントです。福岡パルコで11月10日(日)まで^^

BOOK MEETS FUKUOKA~本のもりのなかへ~

読書『稀代の本屋 蔦屋重三郎』(草思社)増田晶文著

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読書『稀代の本屋 蔦屋重三郎』(草思社)増田晶文著

来年度のNHK大河の主人公・蔦屋重三郎。わたしが「蔦屋重三郎」の存在を知ったのは、昨年たまたまいつものカメリアステージ図書館新刊棚で見つけた本によるものでした。そのときは2025年のNHK大河の主人公とは知らずにいたのですが、今考えると、時勢を読んだ司書さんが新刊棚に並べてくださっていたのだろうと思います。わたしの読書は、情報感度の高い図書館司書さんにも大いに支えられています^^

その後、あちらこちらで「蔦重」こと蔦屋重三郎の話題が取り上げられるようになり、その存在が世間に知られるようになってきたように思います。かくいうわたしもだんだんと興味が募り、今回の本書は図書館で「指名借り」。

さて『稀代の本屋 蔦屋重三郎』、いわば江戸時代の本屋・出版人の話ではありますが、単純に「本屋」と片付けられるものではなく、今風に言えば「アーティストのキュレーター、プロデューサー」とでも呼ぶべき存在であり、彼の仕事への取り組み姿勢、業界への態度、作家を取り巻く様々な職人仕事の描写などが、非常に興味深いものでした。登場人物のセリフのなかに、芸術表現の本質に迫るものがいくつもちりばめられていて、思わず書き写しました。

読了後つくづく思ったのは、現代の日本でこれほどの情熱を持ったキュレーターがいるのだろうか?ということ。まあ、現代に限らずそのような人はめったに見当たらないからこそ「稀代の」という冠がつき、その生きざまがドラマになるのだとは思いますが。でも現代の日本にもどこかにいたらいいな、そういう人との出会いがあると、表現者としては嬉しいしラッキーだよな(たぶん)、と、ついつい作家目線で見てしまいました。

登場人物の生き様だけでなく、当時の江戸の文化・風俗を垣間見るに絶好の読み物です。時代は江戸中期、重商主義を掲げた田沼意次のイケイケドンドンな時代から、バブル景気をはじけさせる質素倹約の松平定信の時代へ、なるほどそのような時代だったのね、と。

蔦屋重三郎を取り上げた本は他にもいくつかありそうですので、また読んでみようと思います。

『稀代の本屋 蔦屋重三郎』(草思社)増田晶文著

読書&ワーク『ウィリアム・モリスのぬり絵』株式会社エクスナレッジ

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読書&ワーク『ウィリアム・モリスのぬり絵』株式会社エクスナレッジ

読書記録という位置づけは少々微妙ではありますが、ぬり絵本。心身の健康を回復するのに、アートと美のツールキットが大いに頼りになることを再認識させてくれた本を読んだのは、この夏のことでした。

読後、この中で登場した「アート的活動」のなかでも、最も手軽に誰でもが取り組めるであろう「ぬり絵」に興味が湧いてきました。同様のツールとしてわたしがずっと使ってきているのは「コラージュ」手法ですが、ぬり絵もまたそれに匹敵する手法になり得ると確信。まずは自らその効果を体感してみないことには、皆さんにお伝えすることも出来ませんので、さっそくぬり絵にチャレンジしてみることにしたのでした。

日本で「大人のぬり絵」のブームに火がついたのは、おおよそ10年前。主には中高年層向けの「脳トレ」のひとつとして流行り、あっという間にたくさんの「大人向けぬり絵本」が出回りました。わたしも自分で試して見るにあたり、まずネットで調べてみたところ、大量にヒット。こんなにたくさんあるならば、実際に見て選んだほうが良いと思い、大型書店に出向いたところ、そこにも結構なスペースを割いて大人向けぬり絵本コーナーがありました。

本書は、そのなかから購入してきた数冊のうちの一つです。様々なタイプのぬり絵本があるなかで、毛色の異なるものを数冊手に入れましたが、自分がほんとうに気に入ったものでないと、積極的に「ぬり絵をしよう!」という気にならないものですね。そういうことも含めて、今後アートエデュケーションのプログラムに採用するための肝を探求しつつのぬり絵チャレンジでした。

ぬり絵、幼少期以来です。大人のぬりえブームは知っていましたが、これまで手に取ることがありませんでしたので、とても新鮮です。色鉛筆を握り、塗り始めると、楽しいとか面白いとかいう感情を自覚するよりも先にのめり込み、ぬり絵作業に没頭する自分を発見することが出来ました。この「没頭」がまた、とても良いようです。色の選択も、わたしは全体のバランスなどほとんど考えずに、直感的に色鉛筆を取ることを意識したため、「どんな風に出来上がるやら」と思いながらでしたが、出来上がってみたらそれほど変な色彩にはなっていませんでした。これはウィリアム・モリスのデザインならではの結果かもしれませんが、良い発見でした。

体験してみた結果を一言で言ってしまえば、ぬり絵、面白いです。近々、ぬり絵を核にしたアートエデュケーションのプログラムも完成できそうですが、そのような鯱張った言い方をせずとも、興味を持った皆さんには本屋さんで自分の気に入るものを探して、日常的に側に置き、気が向いたら塗ってみる、という風に楽しんでいただけるのが良いところ。わたしにとっては、ウィリアム・モリスの美しくパターン化された図案は、とってもフィットしました。

『ウィリアム・モリスのぬり絵』株式会社エクスナレッジ

読書:季刊誌『AXIS 2024.7 summer』株式会社アクシス

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読書:季刊誌『AXIS 2024.7 summer』株式会社アクシス

いつものカメリアステージ図書館の「雑誌スポンサー」になりました!と書いたのは、先月のことでした。

せっかく雑誌スポンサーになるなら、自分たちが読みたいと思うもの、一人でも多くの人がこの分野に興味を持ってくださるきっかけになったら嬉しいなと思うもの、を提供したいと考えて、選んだのが『AXIS』でした。AXISは、1981年にデザイン発信拠点「AXIS」を発足するととともに創刊されたデザイン誌。1981年創刊ですから、40年以上の歴史ある雑誌ということになります。1980年代は、デザイン、カルチャー系の情報発信が積極的になされた時代という印象がありますが、当時は紙媒体が主流。現在まで続いているというのは、すごいことだと思います。

デザイン誌『AXIS』

たまたま雑誌スポンサー制度に申し込むタイミングが、2024年7月号になったのですが、ちょうどこの7月号から、編集長が変わってのリニューアル第一号だったということで、期せずして絶妙なタイミングとなっていました。

図書館に提供した本誌を、図書館で読もうと思っていたのですが、なかなか腰を据えて図書館で読書する時間を作れず、気が付いたら次号が出ていたので、借りてきました。多くの図書館がそうしていると思いますが、雑誌類の最新刊は図書館内での利用に限定されるので、バックナンバーになってから貸し出し可能な棚に移動してきます。

で、読みはじめてすぐに思ったのが「これ、うちにも欲しい」でした。パラパラと読むだけならば、図書館に置いておいてよいのですが、その内容があまりにも濃いので「自分の」が欲しくなりました(笑)。ダンナに聞いてみたところ、ダンナも同じ意見。取り上げているテーマが興味深いのが第一番ですが、さらにそれぞれの記事が日本語だけでなく英語でも書かれているのが魅力的です(バイリンガル編集、と呼ぶようです)。これは英語の勉強にもなるではないか!しかもデザイン系の単語が頻出しますから、わたしにとってはまさにピンポイントです。

「デザイン誌」のワードに違わず、写真も美しいし、誌面レイアウトも美しい。広告ページまで美しい。紙質も贅沢です。と、褒めまくっておりますが。さっそく年間購読誌にすることが決定いたしました^^

デザイン誌『AXIS』

読書『ガチョウの本』(河出書房新社)イーユン・リー著/篠森ゆりこ訳

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読書『ガチョウの本』(河出書房新社)イーユン・リー著/篠森ゆりこ訳

上の写真の鳥が「ガチョウ」なのかは定かではありませんが(笑)。いつものカメリアステージ図書館新刊棚より、タイトルと表紙に惹かれて借りてきました。中国出身のアメリカ人作家による、フランス人の主人公の、フランスとイギリスを舞台とした小説です。と、このように書くとずいぶんと国際的な雰囲気があるのですが、華やかでも無ければ冒険的でもない、すぐそこにあると感じられるストーリーでした。

主人公はフランスの田舎に住む13歳の少女。あとがきで著者が、12歳から14歳の女の子の、特有な時期の話が書きたかった、というようなこと書いていました。そんな時期を過ごしたことのある大人は皆、本書を読めば著者の言わんとすることがわかるのではないかと思います。子どもでもなく大人でもない。現実と空想の境目がまだ少し入り混じっているけれども、そろそろそれがお終いになるような時代。わたしの実感としては、11歳から14歳という感じでしょうか。思い出せば、自分自身の取り扱いも、女の子同士の友情というか関係性も、なんとも面倒くさい年頃だったと思います。

そうした少女の特有の時期を扱ったお話ですから、国がどこであろうと関係ないのですね。日本人だけじゃないのだと、こんなところに普遍性があるのだと、気づかされました。著者をして「中国出身のアメリカ人である自分がフランス人のお話を書ける」と言わしめる本書に登場する少女たちの姿は、日本人読者たるわたしにも、じゅうぶんに理解できるものでした。だからこそ、翻訳されて各国で出版されるのですね。

文章から、著者のやさしさが滲み出ているような感じがする本でした。本著者の本を、もっと読んでみたいと思いました。

『ガチョウの本』(河出書房新社)イーユン・リー著/篠森ゆりこ訳

読書『関心領域』(早川書房)マーティン・エイミス著/北田絵里子訳

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読書『関心領域』(早川書房)マーティン・エイミス著/北田絵里子訳

このところすっかりわたしのなかで鉄板となりつつある、いつものカメリアステージ図書館新刊棚、そして翻訳本といえば早川書房、の組み合わせです。といっても、早川書房を狙って選んでいるわけではなく、読み終わってから確認するとそうだった、という感じです。本書もまったく予備知識無く手に取った一冊。ただ、なんとなくタイトルに既視感があるなぁと思っていたら、映画化されていて今年の5月に日本でも封切られていたということですので、どこかでポスターか何かを見かけたのかもしれません。

さて物語は、ヒトラー政権下のナチスドイツ。加害者側であるナチス・ドイツの軍人とその家族を中心とした登場人物を、アウシュヴィッツ強制収容所を舞台に描いています。景色、数字、色、においの淡々とした描写で、常軌を逸した残酷さが延々と語られていました。なぜそのようなことになってしまったのか、という疑問が物語の底辺に流れているのを感じつつも、このようなことがどこででも起こり得るということ、現に起こってきたということを、突き付けられる読書でした。

巻末のあとがきに、映画は(多くのものがそうであるように)原作とはまた異なるものに仕上がっているということが書かれていましたが、それでも、それぞれに読み・観るべきものとして紹介されていました。第76回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞、そして2024年のアカデミー賞で〈国際長編映画賞〉〈音響賞〉を受賞し、「今世紀最も重要な映画」と評されたそうです。わたしは、本書を読み終わったばかりの現時点では、これを映像で見るのは避けたいという心持ですが。

先日読んだ『女の子たち風船爆弾をつくる』を読んだ時も感じたのですが、今、こうした過去の戦争本が新刊でどんどん出てきているのは、やはり時代の空気への危機感があるように思います。本書を読みながら『女の子たち風船爆弾をつくる』と『戦争は女の顔をしていない』を思い出していました。

本書の著者の書くものに興味を惹かれましたが、残念ながら日本語訳が刊行されている本は、今のところ少ないようです。あとがきで武田将明氏が(東京大学教授)、本書を契機に、マーティン・エイミス著作がもっと日本語訳で出てくることを期待していると書いておられましたが、わたしも一読者として楽しみにしておきたいと思います。

『関心領域』(早川書房)マーティン・エイミス著/北田絵里子訳

読書『小さくも重要ないくつもの場面』(白水社)シルヴィー・ジェルマン著/岩坂悦子訳

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読書『小さくも重要ないくつもの場面』(白水社)シルヴィー・ジェルマン著/岩坂悦子訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から。10月に入ると図書整理日のために1週間ほど休館になると聞いたので、9月末に大量に借りてきていた中の一冊です。

なんとなく詩的な文章で、テンポの静かな美しさを感じながら読みました。これは訳者の方の力ですね。わたしはフランス語はさっぱりですが、原著のフランス語の文章が、さぞかし美しかったのだろうなとイメージしました。その美しさを損なうことなく日本語に置き換えるのに、訳者の方はものすごく神経を使ったのだろうな、と。

自分はいったいどこから来たのか、どこに向かっているのか、居場所に辿り着くことができるのか。母親・父親の存在の曖昧さが、自己の存在にかかわる根源的な疑問となり、その疑問と漠とした不安を抱えて生きていく主人公と、兄・姉妹たちと家族の物語です。主人公の成長していく姿は、危なっかしい場面の連続でしたが、その一方で、父親や母親が異なっても続いていく家族のつながりの強さは、不思議ながらも心強く、光を感じさせるものでした。

読み終わって、つくづくとこのタイトルが沁みました。どんな人生も「小さくも重要ないくつもの場面」の積み重ねというか、繰り返しというか、なのだな、と。

著者のシルヴィー・ジェルマンさんはフランスの方。著書『マグヌス』が有名だそうで、日本語訳されているのは、その『マグヌス』に続いて、本書が二冊目ということです。これは『マグヌス』に遡って読まねばなりません。図書館にあると良いのですが。

読書『図書館ウォーカー2 旅のついでに図書館へ』(日外アソシエーツ)オラシオ著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『図書館ウォーカー2 旅のついでに図書館へ』(日外アソシエーツ)オラシオ著

引き続き、いつものカメリアステージ図書館新刊棚からの発見本。わたしの友人に、仕事や旅行で海外に出かけるたびに、時間をつくってその土地の図書館に足を運ぶ人がいます。図書館関係のお仕事をしているから、という以上に、図書館という空間が大好きだから、趣味と実益を兼ねて足を運び、写真を撮るのだと言います。わたしが仕事で出張するときに、出来るだけ美術館博物館施設に足を延ばそうとするのと同じですね。

そんな人は、やはり全国にあるいはきっと世界各国にいるのでしょう。出版社によると本書は『青森県の地方紙「陸奥新報」に連載中の人気エッセイ』なのだそうです。タイトルに「2」とついていますので、そう、続編。最初の『図書館ウォーカー―旅のついでに図書館へ』の刊行が2023年1月で、続編が2024年5月ですから、そのスピード感から、よほど人気が高かったことが伺えます。

本書の特徴は、もちろん写真もありながら、あくまでも文章がメインであること。元が新聞連載ということですから、さもありなん。ジャンルとしては「旅エッセイ」です。著者のライター・オラシオさんは、元図書館員だったそうで、本シリーズは「図書館をもっと身近なものに」がコンセプトなのだとか。軽妙ながら丁寧な語り口が好印象です。登場するのは、ビジュアル的なインパクトのある館や先進的な取り組みのある館ではなく、あくまでも旅先にある地方の図書館。この視点もまた新鮮で、好感度高く。

このなかに、見たことのある景色を発見しました。上の写真にある、佐賀県の太良町立大橋記念図書館です。博多から長崎方面へ、長崎本線で有明海沿いをぐるりを回る線から見える景色です。そうか、あれは図書館だったのかと、教えられました。第一弾の『図書館ウォーカー』もチェックせねば!です。

ところで、このブログを書きながら、なんだか既視感があるぞと思ったら、『世界の図書館を巡る』の読書記録を付けていたのは、ほんの2週間ほど前のことでした(笑)我ながら興味の偏りが伺える選書です。

『図書館ウォーカー2 旅のついでに図書館へ』(日外アソシエーツ)オラシオ著