「寒たまご」をいただきに、香椎宮・鶏石神社詣で。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「寒たまご」をいただきに、香椎宮・鶏石神社詣で。

香椎宮といえば、わたしにとっては「献茶式と野点」です。入門している茶道南方流では、香椎宮への献茶式が昭和22年から70年以上続いています。わたしにとっても秋の恒例行事となっていましたが、この2年はコロナ禍で中止となっていました。そんなわけで、とても久しぶりの香椎神宮。

JR香椎駅から香椎川沿いを上っていきます。香椎川は細い川ながら、カメがいて、コイがいて、カモがいて、目を楽しませてくれます。カモの愛らしさを愛でつつ歩けば、目の前に鎮守の緑が現れて、そのなかが香椎宮。

香椎宮

今回の香椎詣での一番の目的は、掲題内にある鶏石神社にちなんだ「大寒たまご」。尊敬する経営者・卵の庄(有限会社畠中育雛場)の畠中さんが自らいらっしゃるということで、畠中さんにのお顔を拝見しに、そして大寒たまごをゲットしに出かけたのでした。

大寒たまご

大寒に生まれた卵、というだけでも縁起が良いのに、そのうえ香椎宮でお祓いまでしてもらったという縁起たまご。初日はスタートから30分で予定分が売り切れてしまったという人気ぶり。皆さん縁起の良いものは大好きなんですね。

香椎宮には何度も足を運んでいたのに、鶏石神社にお参りしたことはありませんでした。わたしは酉年なので、ぜひお参りしておかねば!です。神社の前には黄金の目を持った鶏の像が二羽。お参りしてトサカを撫でて参りました。

香椎宮 鶏石神社

畠中さんのおかげで、久しぶりの香椎宮参りができました。昨日までの寒さが噓のように暖かく、青空が広がり、気持ちの良い参拝となりました。帰宅してお昼ご飯は、炊きたてご飯にたまごかけご飯。たいへん美味しくいただきました。

ご近所の○○やさん、がある津屋崎千軒の贅沢。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ご近所の○○やさん、がある津屋崎千軒の贅沢。

1並びの1月11日。鏡開きです。2022年の仕事始めから既に1週間経ってはいますが、鏡餅を下げると、いよいよスタートという感じがいたします。鏡餅を水に浸けて、あんこを用意して、今日の3時のおやつはぜんざいで決まり。

さてその「あんこ」。車で5分ほどのところに、和菓子屋さんも御用達の「餡やさん」があります。それだけでも近くて便利なのですが、最近は我が家から徒歩5分足らずの漁港にある「おさかなセンター」でも仕入れてくれていて、専門店のあんこを超近所で手に入れることが出来ます。贅沢。

「津屋崎千軒」の呼び名は、江戸後期から明治期にかけて海上交易と塩の製造で栄え、家が千軒もあるほどに繁栄していたという当時の隆盛ぶりから名前がついています。昭和初期までは、たくさんの商店や娯楽施設が連なり、人の行き交いが盛んだったとのこと。今はすっかりお店は少なくなってしまいましたが、それでもふだんの生活の中で「ちょっと○○屋さんに行ってくる」と立ち寄れる場所があります。

上の写真はそのひとつ、ご近所の豊村酒蔵さんで手に入れた酒粕。毎年この季節の楽しみです。12月頃になると、近所で若旦那や若奥さんを見かけるたびに「酒粕そろそろですか~?」とお伺い。あんまりしょっちゅう聞くもので、ついに「出来たらお届けしましょうか」とお気遣いさせてしまいました。寒い日は豊村さんの酒粕で作った甘酒を飲みつつ仕事をしております。

豊村酒蔵さんのついでに、お隣の藍の家を覗けば、軒先にお野菜やミカンが即売用に置いてあることがあります。藍の家はもともとお店ではないので、いつもあるわけではありませんが、あったらラッキー。「ちょっとなにか足りない」ときにお野菜ひとつ、おミカンひとつ加われば、食卓が潤うというものです。

それから、徒歩30秒!?のお茶屋さん。緑茶、干し椎茸、市指定ごみ袋などなど、こちらでいただいています。「あ、切らしてた!」と気づいたら、走って行って手に入れることができるというありがたさ。いつも買うものが決まっているので、わたしの顔を見ると察してくださいます。

お茶やさんからさらに徒歩1分ほど足を伸ばせば、着物リサイクル・レンタル・着付けの時代屋さん。先日はお茶会の数日前に着物の着付けに足りないものが発覚し、文字通り駆け込みました。困ったときの時代屋さん。世の中に着物やさんの数はどんどん減っているなかで、気軽に相談できる場所がこんなに近くにあるのは、ほんとうにありがたいこと。おかげさまで事なきを得ました。

気がつけばご近所ネタをたびたび書いています。「近所」でブログ内検索をしたら、けっこうな数が上がってきました(笑)。それだけご近所さんに助けられて日々を過ごしているということですね。ありがとうございます♪

福岡の地域情報誌『シティ情報ふくおか』のサイト【ふくつのふく】津屋崎千軒をめぐる~さくらのふくつ案内~で、津屋崎千軒の魅力を読むことができます^^

2022初釜に行って参りました。

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2022初釜に行って参りました。

まるまる2年ぶりのお茶会でした。一昨年、初釜の記事を書いたときには、予想だにしなかったことです。これまでも毎年の初釜は特別な機会でしたが、今年はまた特に特別な初釜となりました。

2年間のお休みの間、庵主の和尚様はじめ、先生方は休むことなくいろいろと考えてくださっていたのだと思います。南方流として受け継ぎ守るべき伝統と、時代に合わせてしなやかに変化させていくべきこと・新たに取り入れるもの、そして有事の時にも継続していくための在り方と。その結果としてなのでしょう、南方流としては初めての立礼での初釜となりました。

初釜は、師である和尚様のお点前をじっくり拝見することのできる貴重な機会でもあります。今回わたしの席は幸運なことにほぼ正面からお点前を拝見することができる位置でした。すっかり忘れてしまっているお点前を一緒になぞりつつ、和尚様の所作のすべての美しさに感嘆しつつ、至福の時間となりました。この席にご一緒出来るだけで幸せを感じます。そんな場所を持つことができたことが、ほんとうにありがたいことです。

初釜恒例の色紙には、竹虎図とともに「一呼百諾来一笑萬人賀(いっこすればひゃくだくしてきたりいっしょうすればばんにんがす)」とありました。「一戸百諾」と「 来一笑萬人賀 」。一声かければ多くの人が応えてくれる、笑顔と心からの言葉には万人を幸せにする力がある、といった意味だそうです。笑顔と、心からの言葉。この一年、心にとめて参ります。

初釜はお茶室のお掃除からスタート。

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初釜はお茶室のお掃除からスタート。

一昨年の初釜茶会のあとから、コロナ禍でずっとお休みになっていたお茶のお稽古。2022年の初釜から再スタートするとのご連絡をいただいたのは、昨晩秋福岡県内での一日の感染者数がゼロに近くなってからのことでした。

まるっと2年間のお休みは、南方流に入門以来初めてのことでした。2年の間に少しでも家でお稽古すればよいものの、気持ちがついてこず、結局まったく我が家のお茶室・徳利庵に座ることなく過ごしてしまいました。お点前作法をすっかり忘れてしまった…という心配はあるものの、それよりもなによりも、またお茶のお稽古に伺えることの喜び、先生や先輩同輩の方々にお会いできる嬉しさが勝ります。

さてお茶会の前日は恒例のお掃除。久しぶりに皆さんにお会いできる嬉しさにワクワクしながら行って参りました。ご挨拶を交わし、黙々とそれぞれ仕事にかかります。わたしはつくばいと、その周りの露地のお掃除を担当。庭掃除は、きれいになったと思うとだんだんと細かいところが気になってきてキリが無いのですが、「まずはこれで良し」と思えるところまですると、気持ちまで整って参ります。

お掃除から戻ったら、これまた久しぶりに袖を通す着物の着付けを復習しなければなりません。着物だって、お茶の時でなくても着ればよいものを、こちらもやはり気持ちがついてこず、前回の初釜以降袖を通しておりませんでした。ただ、この間に着物ダンスの整理整頓だけはしておいたのが、良かったです。1週間ほど前に、初釜で着る組み合わせを決めて、風を通しておりました。

さて、着付けの復習。いつもお世話になっているYouTubeの「きものん着付け動画 『袋帯の結び方(二重太鼓結び)』」をチェックです。着付け方法の動画は、いろんな方がたくさんYouTubeに上げていて、助かります。なかでもわたしはこの「きものん着付け動画」シリーズがとても分かりやすくて気に入っています。今回は、帯の結び方→着物の着方→長襦袢の着方と、遡って復習。これで、当日着付けでパニックになることは無いでしょう(笑)

掃除して、着物を用意して、と、準備をしながらお茶会への気持ちも整って参ります。

書き初め2022は「威風堂々」。

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書き初め2022は「威風堂々」。

意味は「威厳があって堂々としているさま」(Weblio辞書より)。毎年「書き初めに何を書くか」を考えるのも楽しい作業なのですが、今年は考えるより先に頭のなかに音が流れてきましたので、即決。初めに音ありきでしたので、わたし自身がこの言葉に込める意味は、特にありませんでした。

昨年一年間は、書道のお稽古をほとんどしていませんでした。「風」の字が苦手なんだよなぁと思いつつ、まあ書き初めですから勢いで良しということで。でも今年は書道部@花祭窯を復活しようと決意いたしました。

2022書き初め

イギリスの作曲家エドワード・エルガー作曲の行進曲のタイトルです。原題は「Pomp and Circumstance March No 1, ‘Land of Hope and Glory’」ですので、直訳すると前半部分は「華やかな、そして、儀式ばった」とでもいうところでしょうか。威風堂々とは、よく訳したものだなぁ、と思います。後半部分は「希望と栄光の地」で、英国の第二の国歌とも言われているそうですね。

さて今年の書き初めも、昨年に引き続き1時間ごとの予約定員制で、ふだんからよく顔を合わせているご近所さん中心に声をかけました。10時のスタートから最終は16時台まで、今年も20名以上の皆さんに、書き初めをしていただくことができました。一緒に書く人数が少ないと、ワイワイとした賑やかさは無いものの、集中しやすい環境にはなりそうです。これはこれで良いかもね♪とは、書道の先生を務めるダンナの弁。

皆さん書き初めで書いたものを、ご自宅や仕事場に飾って一年間を過ごしてくださっているようで、それがとっても嬉しいです。わたしも仕事デスク前にペタリ。顔を上げればいつでも「威風堂々」の文字が目に入ります。いつどこにあっても謙虚に淡々と、結果として威風堂々たる佇まいが身に付くといいな♪と思いつつ。

花祭窯の12月の庭。

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花祭窯の12月の庭。

2021年も残すところ1週間。福岡地方、明日の天気予報には雪マークが並び、年末らしい雰囲気が増してきました。露地の枯れた草や枝を掃除しなきゃと思いながら、まだ手が付けられずにいます。毎年末大掃除の目玉は、露地掃除とガラス窓拭き。今年もギリギリになりそうです。

↓すべての写真はクリックすると拡大を見ることができます↓

花祭窯の露地

まず目をひくのは、サザンカの花弁の絨毯。

花祭窯の露地

水仙がグーンと伸びてきました。つぼみがついているのが見えるでしょうか。

花祭窯の露地

上を見上げると、こんなふう。

花祭窯の露地

南天の赤い実がこんなにしっかりついたのは、数年ぶりのことです。

花祭窯の露地

お茶室も掃除しなければ。

花祭窯の露地

11月下旬に仕込んだ干し柿もいい感じに育ってきました。

梅もどき

玄関には、ご近所さんからおすそ分けいただいたウメモドキ。

小さな露地ではありますが、季節ごとの顔を持っています。毎日少しづつの変化を感じるのが、とても楽しいのです。

「肥前磁器作家の仕事」を取り巻く仕事。の、後日録。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「肥前磁器作家の仕事」を取り巻く仕事。の、後日録。

いつもお世話になっている陶土屋さん=渕野陶磁器原料さんから、毎月「ニュースレター」が郵便で届きます。毎回一番楽しみにしているのは「会長さんの昔話」で、渕野陶土さんの現会長が陶土屋さんの歴史を語るコーナー。これを読むと、佐賀肥前地域の磁器産業を支える陶土業界がどのように変遷してきたか、技術進化の推移や、そのときどきでのご苦労を知ることができます。もう25年も磁器の仕事をしているのに知らなかったことばかりで、これまでの勉強不足を反省する機会にもなっています。

さてその最新号=上の写真がつい先日手元に届き、びっくり。巻頭に大きく「磁器作家藤吉憲典の挑戦」展覧会を紹介してくださっていました。福岡アジア美術館での展覧会に、渕野社長が佐賀から駆けつけてくださったのは、11月14日のこと。本展覧会では 「肥前磁器作家の仕事」を取り巻く仕事を紹介しようと、ふだんからお世話になっているお取引先の皆さんに資料提供をお願いして、展示コーナーを作っておりました。

喜んでくださったご様子を拝見し、そのときも「展示をやってよかった!」とホッとしたのでした。今回あらためてこのように記事にしてくださったのを拝見し、その思いを再確認。よくよく花祭窯は、お取引先の皆さんに恵まれています。ほんとうにありがたいことです。

渕野陶磁器原料さんのニュースレター「ジキよまんば」バックナンバーは、サイトでもご覧いただくことができます。また渕野陶磁器原料さんの扱うものは、ネット通販でも購入できます。全国各地だけでなく海外にまでも原料を発送しておられます。プロはもちろん趣味の陶芸でのご利用にも対応なさっていますので、興味のある方はぜひ覗いてみてくださいね。

↓福岡アジア美術館での展覧会についての記事は、下記から辿ることができます↓

古伊万里の変遷と未来 古典からアートへ 磁器作家藤吉憲典の挑戦 @福岡アジア美術館

「暫(しばらく)」がやってきた♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「暫(しばらく)」がやってきた♪

来年度以降に向けて、花祭窯(=磁器作家・藤吉憲典)としての新たな挑戦をいろいろと考えています。この11~12月と、そのための情報集め・資料集めと、「お試し」を実践していく期間となっています。明確に意図したわけではなく機会が次々やってきているので、きっとそんなタイミングなのでしょう。

さて「暫」は歌舞伎の演目です。知識がありませんでしたので、ウェブサイト「歌舞伎演目案内」で解説を拝読しました。豪快痛快な勧善懲悪もので、見せ場に「元禄見得」を切るとのこと。このたび我が家にやってきたのは、その浮世絵版画です。古典の浮世絵を現代に復刻したコレクションのひとつ。絵師は、江戸の浮世絵ブーム後期を風靡したという歌川派の歌川国政。役者絵のなかでも「大首画」と呼ばれる「首から上の半身像(胸像)」を描くのを得意としたそうで、我が家にやってきた「暫」も、その大首画。幾何学的な構図と大胆な配色が華やかです。

さっそく床の間に飾ってみると、華やかでありながら落ち着きを感じました。版画ゆえの質感と発色が、全体をやさしく調和させています。技術・色彩感覚の確かさに加え、紙にはオリジナルと同様手漉き和紙を使い、絵具もオリジナルに近い顔料を使用するといった制作工程によるものでしょう。もっと大きなサイズでもよかったかも、と思いました。

実寸は測ればわかりますし、お店(ギャラリー)で実物を見ることもできますが、実際に飾る場所に掲げてみて初めて、そのサイズ感を体感します。実寸より大きく感じたり小さく感じたり、背景(空間)の色によって派手に見えたり地味に見えたり。飾る場所により印象が変わるのも、アートを自分の空間に取り入れる面白さのひとつだと思います。

復刻版画を手掛けたのは、新宿にあるアダチ版画研究所さん。その名も「アダチ版復刻浮世絵木版画」。日本の伝統美術である木版の技術保存、技術者育成をなさっている版画やさんです。上の写真は、アダチ版画研究所の木版解説資料。版画と一緒に届きました。木版についての解説と、題材である「暫」についての解説と、ともに英語表記が併記されており、国内はもとより世界に向けての文化発信の熱意を感じました。

伝統木版は江戸時代から約300年の歴史であるいうことを、今回初めて知りました。日本の磁器の歴史が江戸初めからの約400年ですから、100年ほどの違いはあれど、ともに江戸の文化を体現し、背負って来たものなのですね。特に浮世絵版画は、江戸の庶民文化・流行を色濃く反映したものなのだと思います。肥前磁器が大量生産されるようになったころと重なるのだな、などと思いつつ。蕎麦猪口の文様にも江戸文化の流行は多様に反映されています。俄然親しみがわいてきました。

花祭窯は小さい事業ながら、特にここ10年ほどは毎年「ガチャンガチャンと音を立てて変わっていく」ものがあります。内側からの変化と、外の変化への対応と。そんななかで、今回到着した浮世絵版画。これからの事業に向けて、たくさんのヒントが詰まっていそうです。座敷に行っては床の間を眺め、ニヤニヤしております。

読書『日本の美意識で世界初に挑む』(ダイヤモンド社)細尾真孝著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『日本の美意識で世界初に挑む』(ダイヤモンド社)細尾真孝著

2021年度選書ツアーで蔵書に追加していただけることになった6冊のうちの1冊です。12月に入ってから、今年のベスト候補に上がりそうな本を立て続けに読んでいます。

京都は西陣織の12代目であり、国内外で伝統工芸を広める活動をなさっている著者の、初めての著書。「国内外で伝統工芸を広める活動」をしている人は、これまでにもたくさんいらっしゃいましたが、細尾さんの視野の広さ深さは、これまでの様々なアプローチとまったく違うというのが、読後の感想です。読みながら頷くこと多数。とても励まされる一冊でした。上の写真は藤吉憲典の展覧会図録で、伝統工芸・アートの担い手としての見解を書いているページ。考え方の重なるところがたくさんあります。

以下、備忘。


  • 工芸とは、上手い下手には関係なく、自らの手や身体を使って、美しいものをつくり出したいという、人間が本能的に持っている原始的な欲求に忠実であることなのです。
  • 「手で物をつくる」ことこそ人間の創造性の原点である
  • 本来、日本のものづくりは独自の美意識によって発展してきました。
  • 日本では、自然に近い状態こそが、最も美しいのです。
  • 美意識は育つ
  • 手の中に脳がある
  • 五感を総動員して体験することが、美意識を磨くことにつながる
  • 常識はすぐに変わる
  • 言葉にすれば、波紋は必ず広がっていく
  • 風呂敷は大きく、広く
  • やらなくて良いことを、やりたいからやる
  • 美意識を妥協してはいけない。
  • 対等なコラボレーション
  • 美への投資
  • 美しい物を使う/本物の美に触れる
  • 使う物に責任を持つ
  • 触れる
  • 美の型を知る/先人の美意識を身体化させる
  • 作品に対する美の気配なくして、作品を判断することはできない
  • (日本におけるアートは)鑑賞者と物が空間において調和するなかで、初めて成立
  • 美しいものを創造している人は幸せになれる
  • 自分の中に深く落とし込むためには、自らお金を払う必要がある
  • つねに日常で、仕事で、美意識を感じながら生きる
  • 創造にとって大事なのは、常に背伸びをして、挑戦を続けることで、自分の美意識を打ち破っていくこと
  • 創造の根幹は工芸にある
  • ゴシック様式には「精神の力と表現」がある/ゴシック様式の建築には、職人たちが自ら考え、手を動かした結果がある
  • 新しいルネサンス/「美意識を持った創造的活動」という原点に立ち返ること

『日本の美意識で世界初に挑む』(ダイヤモンド社) より


伝統工芸に直接携わっている方はもちろん、伝統工芸を取り巻くお仕事についている方々にも、ぜひ読んでいただきたい本です。

また、上の「備忘メモ」には書きませんでしたが、本書中に現代アートの問題点を指摘する例のひとつとして、「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」についての著者の感想・解釈が出てきます。騒動の最中からその後まで、わたしがずっと疑問に思っていたことが代弁されているような内容で、「そう!そのとおり!」とすっきりしました。少しでもアートに携わる人は、あの騒動でいろいろと考えたと思います。気になる方は、ぜひ読んでみてください。

福津市歴史資料館企画展『埴輪から見た津屋崎古墳群』見て参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

福津市歴史資料館企画展『埴輪から見た津屋崎古墳群』見て参りました。

福津理歴史資料館、正式名称は「福津市複合文化センター歴史資料館」で、歴史資料館・図書館・ホールの複合施設のひとつです。カメリアステージ図書館の1階が歴史資料館で、2階が図書館なので、ふと歴史資料が見たいと思ったときに「ついでに見る」が可能な、素晴らしい立地。企画展は歴史資料館エリアの一角で展示されます。決して広いスペースではありませんが、だからこそ、ピンポイントで学ぶことができます。

令和3年度の企画展テーマが『埴輪から見た津屋崎古墳群』だと聞いて、まず思ったのは「あれ。新原奴山の古墳群からは、埴輪はあんまり出てなかったと思うんだけどな」でした。とはいえ、発掘調査がずっと続いているのも知っていましたので「もしや、新しい発見があったとか!?」と、ワクワク。

展示ケースに寄ってみると、並んでいるのは「円筒埴輪片」ばかり。うん、やっぱりそうよね、と思いつつ、キャプションパネルの解説を拝読。結論としてはやはり、古墳全体として埴輪の出土はとても少なく、出土しているものも小型の円筒片がほとんど。「いかにも埴輪!」という感じのものは見当たりません。これまでにすでに出土しているなかに「馬形」や「人物形」があり、これらは常設展示してありますが、あらたに大きな発見は無いようでした。

それでも、企画展示コーナーの埴輪のひとつに「形象埴輪」と呼ばれる、竹菅の組み合わせによる刺突文様のついたものがあり、思わず「おお!」とテンションが上がりました。文様、絵画的なものが残っている遺物を見ると、ワクワクします。解説に寄れば、熊本県南部にある大型前方後円墳からの出土例にある形象埴輪に、まったく同じ文様があることから、当時の地域間交流が伺えるということでした。

さて『埴輪から見た津屋崎古墳群』企画展資料の解説の結論としては、「宗像地域では埴輪祭祀が流行しなかった!」というものでした。やっぱりそうかぁ…と思いつつ、その結論がわかっていながら、あえてタイトルに『埴輪から見た』と入れるあたり、学芸員さんの「攻める姿勢」が見えて、思わずニンマリ。

15分ほどの短い鑑賞時間でしたが、なんとも充実した時間でした。身近にある世界遺産である古墳について、ゆっくりじっくり思いを馳せることができる、身近な歴史資料館。このコンパクトさが、とっても良いのです。