読書:まだまだ続く、シャーロック・ホームズ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書:まだまだ続く、シャーロック・ホームズ。

図書館が臨時休館する前に駆け込みで借りてきたなかに、シャーロックホームズがいました。創元推理文庫「シャーロック・ホームズ全集」から『シャーロック・ホームズの冒険』と『シャーロック・ホームズの復活』。ともにアーサー・コナン・ドイル著、深町眞理子訳。

短編集なので、隙間時間に読めるのが嬉しいです。ひとつひとつの事件は一話完結。にもかかわらず、すぐに続き(=次の事件簿)を読みたくなり、読みだすと本を閉じるのが難しくなります。

今回、この二冊を読みながら、ストーリーを魅力的にしている大きな要素のひとつが、「筆者」のホームズへの深い敬意と愛情であることに気づきました。ここでややこしいのが、「筆者」は誰かということ。ホームズの事件簿は、友人であり相棒であるドクター・ワトスンが記している、という設定であり、そのワトスンのホームズへの敬意と愛情が、読み手たる自分に伝播しているのを感じました。

正確には筆者はもちろん、コナン・ドイル。なんとも魅力的なキャラクター・ホームズを生みの親ながら、自ら何度も終わらせようとし、そのたびに読者によってくつがえさざるを得ない状況に追い込まれ…(おかげでのちの世の我々が、いくつものホームズ物語を読むことができているのですが)ということが、昨年からのホームズ読書でわかっていました。

でも、ドクター・ワトスンの手を借りてホームズへの愛と尊敬を語っているのは、まぎれもない実在の筆者・ドイル自身であったわけで。「愛憎」という言葉は、こういう関係性に使うのかもしれないな、と思いつつ。愛情を注いで綴られたキャラクターとストーリーだからこそ、ついつい読みたくなるのだろうな、と思いました。

創元推理文庫「シャーロック・ホームズ全集」 には、まだ読んでいないものが何冊も。まだまだわたしの「シャーロック・ホームズ追っかけ」は続きそうです。

花祭窯の春の庭。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の春の庭。

このところ、いつもにも増して、毎朝の花チェックが楽しみです。一番の理由は、花桃が見頃を迎えたこと。一本の木なのに、色の異なる花がついて、目を楽しませてくれています。

↓3月から4月にかけて開く水仙。我が家の今シーズンラストの水仙です。

↓年々株が増えていく、生命力あふれるスノードロップ。白い可憐な花が嬉しいです。

↓白と桃色の八重。美味しそうに見えるのはわたしだけでしょうか。

↓白い花弁の先の緑色の点々が秀逸な自然のデザイン。

↓芍薬の新芽。赤い新芽が土から顔を出すと、ワクワクします。今年はいくつ咲いてくれるかな。

↓移植して翌春は二つ三つの花だけだったのが、九年目になるこの春はたくさん咲いてくれています。

花桃

↓グランドカバーの緑も、新しい葉っぱがどんどん出てきています。ドクダミ草も元気。

ご近所で社会科見学。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ご近所で社会科見学。

ここ津屋崎千軒に工房兼住居を移転してきて、もうすぐ丸八年です。江戸末期から昭和初期にかけて、塩田と港による交易で隆盛したといわれる津屋崎千軒には、往時の面影がしのばれるスポットが点在しています。

お天気の良い週末、そんなご近所をあらためてじっくり拝見する機会をいただきました。国登録有形文化財である藍の家と、そのお隣の豊村酒蔵。写真は豊村酒蔵さんの、今はもう使われていない煙突を見上げたところ。

ふだんからしょっちゅう前を通っていても、やはり見応えがありますし、説明を伺えば新しい発見もたくさんあります。古いものが残ってきた歴史には、その時々のエピソードが伴うものですね。「ちょっとそこまで」の感覚で、このような社会科見学ができる贅沢に感謝です。

そうそう、福岡界隈にお住まいの方にはご存知、地域情報誌の『シティ情報ふくおか』2020年4月号には、福津市内のスポットを紹介する「福津市観光ブックレット」がついています。よかったら、手に取ってみてくださいね♪

春のお彼岸だったので、

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

春のお彼岸だったので、

ぼた餅つくろう!と最初は思ったのですが、ヨモギ餅が食べたいな、とヨモギを準備。にもかかわらず投入しそびれて、結局ふつうのあんこ餅になりました。こうなると、まったく「春のお彼岸」っぽくは無いのですが(笑)

まずは朝から自転車で餡やさんへ。まだほんのり温かい、出来たての粒あんをゲット。最近マイブームの「ホームベーカリーでお餅」です。もち米4合分が1時間ほどでつきあがる手軽さが、気に入っています。

もち米4合で、丸餅が約20個出来上がります。大きさ・カタチがまちまちなのはご愛敬。何の理由も無くてもあんこ餅をつくってよいのはもちろんだけれど、理由がある方が「つくろう!」というモチベーションが上がります。和の暦は「つくる理由」の強い味方。

「ヨモギを入れそびれた!」と気づいたのは、お餅がつきあがる10分前。今から入れても、ちゃんと混ざらないよなぁ…と思い断念しました。ともあれ、出来たてのあんこ餅を頬張るしあわせ。まだヨモギの季節は続くので、次のお楽しみです^^

妄想力全開で。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

妄想力全開で。

写真は、図書館が臨時休館する前に借りてきたガイドブックいろいろ。海外渡航が各地で制限されてきましたね。今年は年初の時点で海外個展の詳細が固まっていませんでしたので、かえって慌てずに済んでいる状態で、今思えば運が良かったのだと思います。状況を見守りつつ、今後へ向けて無理のない計画を立てていきたいと思います。

こういうときは「次」へのウォーミングアップ!気になっている地域のガイドブックを眺めつつ、読みつつ、イメージを膨らませていくのは、とっても楽しい作業です。それが仕事の話であっても、情報をいろいろ集めて、どう動くかシミュレーションしていくのは、旅行の計画を立てているときの楽しさと一緒ではないかしら、と思います。

物理的に動けないときは、イメージのなかで動く。いかに具体的にイメージできるか、妄想力に磨きをかけたい今日この頃です。

ご飯を食べに行く。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ご飯を食べに行く。

我が家は外食頻度が低いです。出張でもなければ、朝昼晩と一日三食、職場兼自宅で食べるのがあたりまえ。ここ津屋崎から宗像にかけてのエリアは、魚はもちろん、野菜、お肉や卵も新鮮でおいしい地元のものを調達しやすく、「おうちご飯」に最適な恵まれた環境です。

そんな日々のなか、藤吉の器を使ってくださっている料理人さんのところに食事をしに行くのは、この仕事をしている自分たちへのたまのご褒美であり、大きな楽しみです。昨日おじゃましたのは、北九州小倉の木”山(ぎやまん)さん。上の写真は、お食事に大満足した帰り道に撮った小倉城。

お店を独立なさる前に、ご主人の南さんと奥さま、お二人で花祭窯までお越しくださったのでした。お店を持って四年になるということ。やっと訪問できました。

飲食店が密集する夜の繁華街、競争が激しいであろうエリア。一歩店内に入ると外の喧騒が嘘のようでした。カウンター5席に4名個室ひとつのコンパクトな空間。徹底的に無駄がそぎ落とされたなかに、掛けられた花やさりげなく置かれた干支の香合、カウンター越しに見える道具の数々も美しく、とても気持ちのよい空間でした。

お料理を口に運ぶたび、美味しくて嬉しくて、自然と笑みがこみ上げます。うつわ使いも素敵で楽しく、ダンナは食べ終わる傍から器を撫でまわし、背面や裏を確認。無粋とは思いつつ、気持ちは分かるので、放置(笑)。そんな景色に、嫌な顔をするどころか「見る用」に器を出してくださるご主人の気さくな心遣い。

お料理が出るたびに、旬の食材を地元で調達なさっていることがわかりました。昨日は特にタケノコがよかったです。うつわも、現代ものはできるだけ北九州から近い作家さんのものを、と考えておられるようでした。古いものとの組み合わせが絶妙でした。個人的には、ガラスの器使いに惚れ惚れ。

お店を出るころには3時間近くが経っていました。ゆっくり、時間をかけてお食事をする贅沢。堪能しました。ありがとうございました。

北九州小倉の木”山(ぎやまん)さん。完全予約制です。直前では予約を取りにくくなっているようですので、お早目のご予約をお勧めいたします。

読書『晴子情歌』上下巻(新潮社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『晴子情歌』上下巻(新潮社)高村薫

わたしにとっては久しぶりの高村薫さん。『晴子情歌』は2002年に発刊でしたが、ようやく手に取りました。途中『空海』は読みましたが、高村薫さんの小説から、ずいぶん遠ざかっていたことに気づきました。

高村薫さんの小説にハマったのは、大学を卒業して新社会人になってからの数年間。初めて『黄金を抱いて翔べ』(新潮社)を読んだとき、その緻密な描写とハードボイルドな文体に驚愕。「これ、ほんとうに女性が書いたの⁉」というのが、正直な感想でした。そこから『神の火』『わが手に拳銃を』『リヴィエラを撃て』『地を這う虫』『マークスの山』『照り柿』『レディ・ジョーカー』…。

当時わたしは大阪で法人営業職の仕事をしていました。大阪市内のビジネス街や近郊を毎日歩いており、『黄金を抱いて翔べ』はじめ、小説内に出てくる場所が、細かいところまで面白いように具体的にイメージ出来たのも、夢中で読むきっかけになっていたかも知れません。

さて『晴子情歌』。上下巻合わせて750ページ近くに及ぶ大作でした。 高村薫さんの書くものは、阪神大震災の前と後とで大きく変わったと書評やインタビューなどで目にしていましたが、なるほど、と思いました。でも、緻密な取材のあとをうかがわせる重厚なストーリー・描写は変わりなく、この作家さんはやっぱりすごいなぁ、と思うのです。

ハードカバー版の表紙には、上下巻とも青木繁の作品「海の幸」が使われています。上の写真は、集英社の「20世紀日本の美術 ART GALLERY JAPAN」より、青木繁の「海の幸」。明治時代以降、近代日本洋画の代表作です。これほど物語のイメージが重なる絵があったことも、すごいことだと思いました。表現手段は違えど、現されたタイミングも違えど、共通した訴えが垣間見えます。

十代のころ、久留米市の石橋美術館(現・久留米市美術館 石橋文化センター)で青木繁作品をたくさん見た記憶があます。おそらく「海の幸」もそのなかにあったのだと思いますが、当時のわたしには、青木繁の絵の数々が展示スペース全体を覆う暗さばかりが印象に残っていました。『晴子情歌』のなかでもたびたび登場する「昏い(くらい)」という表現が、ぴったり。

↑こちらは文庫版です。

さあ、『晴子情歌』を読み終えたからには、次は『新リア王』(上下巻)です。少し休憩をはさんでから、取り組むことにいたします。

声に出してお経を読む。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

声に出してお経を読む。

先行きが見通せない状況で、メンタルをいかに強くしなやかに保つかが問われているなぁ、と感じる今日この頃。発想を転換して新しい習慣をとりいれるタイミングなのかもしれません。仕事においても私生活においても。

わたくしごとではありますが、自分をニュートラルに保つ工夫の「自分一人でいつでもできること」として、「お経を唱える」がじわじわ効いているように思います。実のところ日ごろ仏教徒であるという自覚はほとんどありませんが、信仰に関わらず、読経も写経も座禅も、開かれているもの、良いものは、誰でもどんどん取り入れたらよいと思っています。そういえば、欧米のビジネスエリートの間で流行っているという瞑想などは、その最たるものかもしれませんね。

「声に出しての音読が脳に良い影響を与えるらしい」のは、以前に『脳と音読』という本もご紹介しました。では、声に出して何を読むか。たとえば論語でも、詩でも、絵本のお話でも、好きなものなら何でも良いのだと思います。その選択肢のひとつに、お経もあるよ、と。

わたしがお経の音読が気に入っているのは、読んでいて、さっぱりことばの意味がわからないから。もちろん、お経の言葉(文字)自体には、意味はありますが。そして、音の流れの調子が、心地よいから。もちろん、すらすらと読めるようにならないと、心地よい調子にはならないのですが(笑)。

意味を考えずにただ音として読む。ふだんの会話で使う言葉ではなく、読み慣れない音なので、そこに集中せざるを得ません。結果として、余計なことに頭を働かせることがなくなります。なるほど没頭とはこういうことかと思いつつ。

お経は実は生きている人たちのためのもの。「平らかな心」を保つことこそが「禍」を乗り越えるのに役立つということ。これらを会得するために、般若心経を唱えることが必ず力になるということ。…というのは、ダライ・ラマ14世の講話の受け売りですが。 なにかやってみようと思っている方、試しにお経を読んでみませんか。

木の椅子を見てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

木の椅子を見てきました。

お日さまが気持ちのよい休日、宗像の別格本山鎮国寺で開催中の「木と出会う」展を見てまいりました。仏像彫刻と、木の椅子のお二人での展示でした。今回のわたしたちの目的は、FDY家具デザイン研究所・山永耕平氏の、ウィンザーチェア

とても美しかったです。ウィンザーチェアはもちろんのこと、花祭窯はほぼ畳の和室なので、畳の部屋での和の椅子の展示にイメージが触発されまくり、思わず持って帰りたくなるものが多々。

FDY家具デザイン研究所・山永耕平氏の椅子

ゾウに見える美しいスツール。座面も脚も、線と面のなだらかな曲線がたまりません。座ると包み込まれるような納まりの良さを感じます。

FDY家具デザイン研究所・山永耕平氏の椅子

和の空間を意識して、デザインを研究したという座椅子。あちらこちらにさりげなく施された傾斜、丸み、凹凸がすべて意味を持っていました。これぞ機能美。

FDY家具デザイン研究所・山永耕平氏の椅子

写真はほんの一部です。このほかにも、ウィンザーチェアのミニチュアや、簡単に動かすことのできる大きなベンチ、消防の出初式から着想を得たという梯子椅子など、いろいろ。

美しくて座り心地の素晴らしい椅子の数々に実際に座って、触って。制作者の山永さんから直々にたくさんお話を伺うこともできました。贅沢な時間でした。現在は、工房で娘婿さんが技術を引き継いでおり、注文に応じて制作してくださるそうです。工房にもおじゃましたいところ。

「木と出会う」展は、宗像の別格本山鎮国寺にて、2020年2月22日(日)まで。10-17時オープン、入場無料です。

ご近所のお茶屋さん。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ご近所のお茶屋さん。

あちらこちらからいただく機会も多いお茶ですが、無くなったら「ちょっと買ってくる」と走れる距離にお茶屋さんがあります。

種類・ランクごとに分かれたお茶缶が並んでいる店内の景色が嬉しいお茶屋さん。「今日はいくらの茶葉をいただこうかな」と軽く悩みつつ、結局は「自家用だから」と、いつもの緑茶の葉っぱをオーダーするのが常ですが。ときどき、ほうじ茶の葉っぱも追加。

お茶屋のお母さんと、なんてことない会話を交わしつつ、「このお茶を100グラムお願いします」と言って、目の前で量っていただくお茶は、なんだかとっても嬉しいのです。

「10、20、30日は1割引きなんですよ!」と教えていただいてから、その日に買いに行こうと思いつつも、いつも「お茶っ葉きらしてた…」と気づくのは0の付く日ではなく(笑)。欲しいときに、欲しい量をいただけるという贅沢の方が勝るから良いのです。

写真は、いつものお茶。今朝は藤吉憲典の桜散し文蕎麦猪口で。食後のお茶の楽しみです。