読書『マリリン・モンローという女』(角川書店)藤本ひとみ

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『マリリン・モンローという女』(角川書店)藤本ひとみ

先日カメリアステージ図書館『桜坂は罪をかかえる』(講談社)に出会い、久しぶりに「藤本ひとみ」著書を手にしたところから、一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」開催中です。わたしが著者に対して持っていたイメージ「大人向けのちょっとドロドロした感じの小説」の本領が発揮されているであろう本を、まとめて借りてまいりました。

まず一冊目『マリリン・モンローという女』。マリリン・モンローの生涯は、アイコン的なエピソードを断片的に読んだことはありましたが、まとまった物語として読んだのは今回が初めてでした。知っているようで知らなかった、マリリンモンロー。かといって、本書は小説であって伝記ではありませんので、これがほんとうの姿だったのかと問われたら、それもまたわかりません。

フィクションとノンフィクションとの間とでもいうのでしょうか。それは、書き手・読み手の双方に、想像力を働かせる余地が多分にあるということでもあります。以前、『西郷(せご)どん』を書いた林真理子さんがインタビューで、歴史ものを書く面白さを語っていたのを思い出しました。記録に残っている史実と史実の間にある「会話」は、書き手が自由にしゃべらせることができること、そこで登場人物に「何を言わせるか」こそが、書き手の腕の見せ所…というようなことをおっしゃっていました。

さて、『マリリン・モンローという女』、あまりにも切なく、やりきれない気持ちになる物語でした。マリリンの物語というよりは、本名ノーマ・ジーンの物語であり、「ハリウッドスター」の光の部分がまったく感じられませんでした。貧困、愛情への渇望、薬物、今なら「#MeToo」と声を上げるべき業界事情…。

時代背景も含めてなんとなく既視感を感じたのは、少し前に映画『ジュディ虹の彼方に』をDVDで観ていたからでした。もしやと思い二人の生きていた時代を調べてみたら、ジュディ・ガーランドが1922年-1969年、マリリン・モンローが1926年-1962年と、ほぼ重なっていたのですね。わたし自身が生まれるほんの少し前に実在したスターたちの物語は、華やかさよりもやりきれなさの残るものでした。

本を読み終わったときに息子から「マリリン・モンローって誰?」と問われ、説明できませんでした。あらためてマリリン・モンローの属性は「マリリン・モンロー」なのだと思いました。彼女はきっと「ハリウッドで活躍した演技派女優」と説明してほしかっただろうな、と思いつつ。

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」、次の読書は『シャネル』です。

カメリアステージ歴史資料館「新原・奴山古墳群 発掘速報展」開催中。

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カメリアステージ歴史資料館「新原・奴山古墳群 発掘速報展」開催中。

福津市のカメリアステージ歴史資料館には、世界遺産登録された新原奴山古墳群に関する展示室、重要な遺物等を展示するための基準を満たす設計がしてある特別展示室がふたつ、その周りに回廊になっている展示スペース、そして持ち出しはできないけれども閲覧可能な書籍資料の部屋があります。

回廊になっている展示スペースでは、時々通路に展示ケースが入って特別展示が行われます。とても小さいスペースではありますが、速報的な展示場所としては、誰でも気軽に覗くことができるし、便利なスペースだと思います。

現在行われている「新原・奴山古墳群 発掘速報展」では、新原・奴山15号墳30号墳の発掘調査結果を見ることができます。ここ津屋崎から宗像方面に向かう495号線に沿った新原・奴山古墳群は、ここに住まう者にとって身近な存在です。昨年から、古墳の調査が進んでいる様子を通るたびに外側から目にしていたので、その内容には興味津々。さっそく見に行ってまいりました。

今回の調査の目的は、主に古墳の正確な形や大きさを調べることにあるということで、測定技法がわかりやすくパネル解説されていました。須恵器や土師器などの出土品も展示されていました。わたしが一番面白いと思ったのは、古墳の壁面をスライスした状態で展示してあったもの。古墳を作る際に盛り土をしていった過程が断層模様に現れるということで、保存展示のためにスライスする方法の技術的な工程解説もあり、なるほど面白く拝見しました。

3月20日(土)と21日(日)には「ふくつの古墳まつり」が開催され、20日(土)には福津市文化財課職員による現地での発掘調査説明もあります。こういう機会が身近にある面白さ、ありがたさ。

カメリアステージ歴史資料館「新原・奴山古墳群 発掘速報展」は、2021年3月29日まで開催中です。

九州農政局による、地域の和食文化ネットワーク九州。

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九州農政局による、地域の和食文化ネットワーク九州。

福岡県商工会連合会から、九州農政局が「地域の和食文化ネットワーク九州」を発足し、「和食文化」に関わる個人・団体の会員を募集しているとのご案内をいただきました。花祭窯はもともと和食器からスタートしていますから、和食の料理人さんとのつながりも多く、がっつり「和食文化」に関わっています。

最近、九州農政局が攻めている!という噂をよく目にしていました。近頃の「ウワサ」は耳にするものではなく、目にするものが多いですね。その一つが、農水省官僚による動画の発信、BUZZ MAFF(タガヤセキュウシュウ)。農水省の公式ユーチューブチャンネルです。九州の農産物を盛り上げていこうという取り組み趣旨の素晴らしさはもちろん、「農水省の官僚」が一気に身近に感じられてくる動画の数々がアップされています。

このユーチューブで九州農政局の好感度が上がりつつあったところに届いたご案内でしたので、「地域の和食文化ネットワーク九州」に参加してみることにしました。登録完了すると、メールマガジンで各種情報が送られてきます。文化庁による和食関連のシンポジウム情報一般社団法人和食文化国民会議の活動報告、そしてBUZZ MAFF(タガヤセキュウシュウ)の最新動画情報などが載っています。

内容を拝見しながら、自分たちの仕事や活動に生かしていけるといいな、と思っています。九州で和食文化に関わる仕事をなさっている方々と出会う機会にもつながるかもしれませんね。興味のある方はぜひ、九州農政局のサイトをご覧になってみてください。

「一人肥前磁器博覧会(仮タイトル)」プロジェクトスタート。

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「一人肥前磁器博覧会(仮タイトル)」プロジェクトスタート。

「博覧会」をWeblio辞書で検索したら「産業・貿易・学術・技芸などの振興・促進のために、種々の産物・文化財などを集めて展示し、広く一般に公開する催し。」と出ました。肥前磁器の歴史と文化を、一人の作り手の仕事を通して紹介していこうというのが、今回のプロジェクトの趣旨です。結果として、肥前磁器への関心が高まるといいな、と。

藤吉憲典が肥前磁器作家として独立し花祭窯を開窯して、来年は25年目に入ります。創業から四半世紀を前に、ここからさらに肥前磁器を深め、作家としてジャンプしていくための「おさらい」として、このプロジェクトに取り組むことにしました。藤吉憲典のミッション「伝統の継承を、生きた個性で形にする」ためにも、ガッツリ取り組むべき主題であり、彼にしかできない展覧会になります。

2020年10月、自然に出てきたアイデアでした。このアイデアを現実の展覧会にしていくために、具体案と概要を書き出しまとめてきました。年が明けて、2021年度の福岡アジア美術館の貸し館でギャラリーを1週間押さえることができたので、いよいよ動き出します。会期は11月、あと約半年で準備を進めて行くことになります。

藤吉憲典の展覧会(個展・テーマ展)は通常、主催してくださるコマーシャルギャラリーさんによる、販売を前提とした展示であり、ギャラリーのオーナーさんがすべてを取り仕切ってくださいます。今回のプロジェクトは自分たち自身が主催し、非営利(現地販売無し)で行います。趣旨も方法もまったく異なり、わたしたちにとっては、大きなチャレンジです。

これから、進捗状況なども時々こちらでご紹介していきたいと思います。

地域での社会教育はつながりが大切で、実際につながっていくことが多い。

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地域での社会教育はつながりが大切で、実際につながっていくことが多い。

と、タイトルを書いて、あれ?なんだか既視感(笑)。ブログ内検索をしたら、ちょうどひと月前に「目的・内容・方法…社会教育・生涯学習を考える。」のタイトルでブログをアップしていました。

わたくし事ではありますが、息子がこの春「義務教育」を終えます。ここまでの9年間は、「文部科学省の決めた学校教育」を中心とした学びの場であり、ここからは「自らの選択による学び」のスタート。日本国内で公立の高校・大学と進学していく限り、「文部科学省の決めた学校教育」の延長にあることは否めませんが、「自分で選ぶことができる」範囲が広がるのは、これまでとの大きな違いです。

本日のタイトル「地域での社会教育はつながりが大切で、実際につながっていくことが多い」というのは、なんだか漠然とした表現ですが、息子の義務教育期間に重なるここ10年ほどの実感です。「つながり」って「何と何」のつながり?への答えとしては、人と人、地域と学校、民間と公的機関、世代と世代…多方面にわたる組み合わせが考えられます。無限に広がりますね。

その根底には「学校教育と社会教育の自覚と違い」があると、わたしは考えています。学校でできることと、学校じゃないからできること。それらが両方あってこそ、子どもたちに、ひとつでも多くの学び・体験・居場所を提供することができる。それは子どもにとってだけでなく、その周りにいる大人たちにとっても大切な機会になっています。

ここ福津市では、地域の子どもの教育を考える任意団体「次世代教育推進協会」が昨年8月に発足しました。学校・地域・習い事教室などが連携して、子どもたちの「やりたい」「知りたい」に応える機会を提供していくための、有志の集まりです。設立趣旨に賛同し、わたしも参加しました。一方、長くかかわってきている福津市の生涯教育システム「郷育カレッジ」は大人の受講生が多く、その方々に向けた講座が多いです。子どもたちに目を向けた「次世代教育推進協会」と「郷育カレッジ」の精神がつながることで、新たに生まれるものがあるのではないかと、ワクワクしています。

続・初めての「レンズとボディが別々のカメラ」-撮ってみた。

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続・初めての「レンズとボディが別々のカメラ」-撮ってみた。

昨日の、初めての「レンズとボディが別々のカメラ」の続編。実際に撮ってみました。

隼(はやぶさ)陶箱 藤吉憲典
隼(はやぶさ)陶箱 藤吉憲典
猟犬と草原陶箱 藤吉憲典
隼(はやぶさ)と矢羽根陶箱 藤吉憲典

初撮りにしては、まあまあですが、同時にまだまだ(笑)。もっとパキッとクリアに撮りたいものです。でも、撮るときのストレスは、これまでに比べてかなり軽減されました。これは大きな前進です。

カメラの設定をどう微調整していくかということも、もちろんあるとは思いますが、むしろ撮影セットの配置の問題であったり、光の加減の問題であったりする気もします。撮ったものを見ていただいて、アドバイスをいただいて、「撮る→修正する」の繰り返しが必要です。引き続き、チャレンジしてまいります♪

初めての「レンズとボディが別々のカメラ」。

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初めての「レンズとボディが別々のカメラ」。

インターネットで藤吉憲典の食器を紹介する仕事をスタートしたのは、約20年前のこと。もともと写真を撮ることやカメラに興味があったわけではなく、仕事の必然としてコンパクトデジタルカメラを手に入れたのでした。

この20年のあいだに、商品写真撮影の講座を(複数回)受け、上手な方のご指導を(何度も)仰ぎ、素人(=わたし)に参考になる書籍やカメラ周りの道具を教えていただき、試行錯誤の繰り返し。そういえば「撮影1000本ノック」なんてこともしていました。にもかかわらず上手にならない最大の理由は、「準備八割」の「準備」に集中できない大雑把さと面倒くさがりの性格故です。

周りの方々が次第に「一眼レフ」に移行していかれても、自分では使いこなす自信が無く、コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)に頼ってきました。そのコンデジも、まったく使いこなせていませんが(汗)…「いざ!」の写真はプロに頼むことで解決するようになりました。

ずっと使っていたNikonの様子がおかしくなり、メーカーに持って行っても「(修理は)無理です」と言われ、通算5台目となるデジカメを買わねば!ということになりました。いざ!の写真はプロに頼むにしても、やはり手元で写真を撮る必要性はずっとあるもので、カメラは必需品です。商品撮影用の「物撮り」専用機として、用途固定・セッティング固定を前提に、コンデジを卒業することにしました。

その裏には強い味方、ご近所のゲームクリエイターでありカメラマンである日浦さんの、設定指導があります。日頃からアドバイスをいただいていて、藤吉憲典の動画も日浦さんが撮影してくださったものです。コンデジに逃げようとするわたしに、予算に合わせたカメラ選定から、カメラの機能説明、実際に撮るセットに合わせたセッティングまで、丁寧にご指導くださいました。「何を撮るのか」「何のために撮るのか」をよく理解してくださっているので、説得力があります。

ひとつひとつ作業を見せていただき、その理由もわかりやすく説明していただくと、なるほど納得のいくことばかりです。操作も難しいことはなにもなく、自分にも出来そうな気がしてきました。難しそうに見えることを易しく教える(伝える)ことのできる人って、すごいですね。さすがプロだなぁ、と思いました。

さあ、あとは撮るだけです。いただいたアドバイスを無駄にしないよう、購入したカメラを無意味にしないよう、さっそく今から撮影タイムです。

読書『注文をまちがえる料理店のつくり方』(方丈社)小国士朗

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読書『注文をまちがえる料理店のつくり方』(方丈社)小国士朗

発刊当初にあちらこちらの書評で話題になり、読みたいと思いながら手に取る機会を逸していた本です。2017年末に出た本です。

認知症の方々がスタッフとして働くレストランのお話。わたしは常設営業のお店だと思い込んでいたのですが、単発的な試みでした。ただ単発とはいっても、そのノウハウをきちんと資産にして、日本各地・世界各地でこのような取り組みにチャレンジしようとする人たちが現れることを期待し(促し)サポートする仕組みを、本書をはじめとして形に残しているという意味で、より永続的なものにしていると感じました。

この本に出てくるのは認知症の方々でしたが、「認知症の方々に活躍の場をつくる」という直接的なことを超え、「一生懸命生きようとしている人、一生懸命生きている人たちがちゃんと応援される社会がとっても大事」(本書内p298、実行委員長和田さんのことばより)だということが、文章の端々からにじみ出ていました。

「間違えちゃった、ごめんね」「まぁ、いいか」をお互いにできる社会。厳格さよりも、寛容さ。これがどんどん広がっていけば、すべての人の「生きやすさ」につながると思えてきました。クラウドファウンディングチームの方の「このプロジェクトは、特定の人の共感ではなく、社会に共感されるテーマ」という言葉があり、このプロジェクトとこの本が注目されている理由を端的に表していると感じました。

そのうえで「料理店」ならば料理店としてのプロレベルのサービス提供を目指すことの大切さ。それを可能にするための「仕組み」をいかに構築していくかが問われ、それは働く人が認知症であるかどうか、ということとは関係なく重要であるという意識。「注文をまちがえる料理店」を継続的なものにしたり、汎用性を持たせたりするには、最も大切な部分だと感じました。このプロジェクトに関わるすべての人たちの、「プロ」としての気概が伝わってきました。2017年以降の「これから」について、継続させるために法人化する=ビジネス化するという決意を書いてあるのも、とても腑に落ちました。

本書内にふんだんに載っている写真がまた素晴らしいです。その場の空気が伝わってきて、自分もその場に一緒に居てみたいという気持ちになります。誰もが生きやすい世の中を目指すというと、絵空事のように聞こえるかもしれませんが、その可能性を垣間見せてくれる本です。これからも何度も読み返したい本です。

念願の、新しい急須が、我が家の食卓にやってきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

念願の、新しい急須が、我が家の食卓にやってきました。

仕事柄、食器だけは贅沢に使っている藤吉家ではありますが、どうしても「お客様への納品用が先、我が家用は後回し」になってしまう一面もあります。写真は、やっとこさ出来上がった、我が家用の急須。

緑茶、ほうじ茶、紅茶、中国茶、お抹茶…お茶をよく飲みます。特に食事の前後は緑茶かほうじ茶なので、「急須」は朝晩出番が多い器のひとつ。長年使っている急須がありましたが、ダンナが急須を試しに作り始めたころのもので、お世辞にも使いやすいとは言えないものでした。使うたびに「次はここをこうして欲しい」と要望を出したくなる急須(笑)。

そのおかげで(!?)今回の急須は、合格点です!

  • 茶漉しがちゃんと機能していること
  • 注ぎ口の切れが良いこと
  • ハンドルが持ちやすいこと
  • 蓋に不安が無いこと
  • 持った時に重く感じないこと

見た目に美しいのは、藤吉憲典の磁器作品には当然のこと。それに加えて、上に並べたのが、急須に求めた要素です。急須の機能として、当たり前の内容ではあります。が、実はこれらがすべて満たされている急須って、それほど多くないんですね。かたちがきれいだと思って手に取ると、ずっしりと重かったり…。

手に持って使うのが大前提ですから、まず持ちやすいかどうか。お茶を注いだ時の切れの良さや、茶漉しの詰まりにくさなど。そして、見落としがちですが蓋のつくりの良さ。蓋を取り外しやすいかどうか、つまみの大きさや形も、実は重要な要素。急須づくりには、細かい心配りと、その心配りを形にする技術が必要です。

新しい急須のおかげで「お茶を淹れる」が、いっそう楽しい今日この頃です。わたしはこういうときに道具の持つ力を感じます。道具ひとつで、同じ動作・同じ時間が楽しくなる。日頃よく扱うもの、身近にあるものこそ、好いものを選びたいなぁ、と思います。

読書『桜坂は罪をかかえる』(講談社)藤本ひとみ

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『桜坂は罪をかかえる』(講談社)藤本ひとみ

いつものカメリアステージ図書館。このブログでも、何度も「カメリアステージ図書館の新刊紹介棚が秀逸!」という内容を書いていますが、もうひとつ、貸出カウンター横にある「今月の特集棚」も、わたしにとっては要チェックコーナーです。貸出の際に必ず目に入りますので、さしづめレジ横のお菓子といったところ^^

先日、テーマが「桜」に代わっていました。表紙の絵画(「髪を編む少女」アルベール・アンカー)に釣られて思わず手に取ったのが本書。藤本ひとみさんの本は、20代の頃に何冊か読んでいて、とても久しぶりでした。西洋史・西洋美術史の周辺を題材にした小説といえば「藤本ひとみ」さんが居たことを、この本を手に取るまで失念しておりました。

さて『桜坂は罪をかかえる』は、中学生が主人公のミステリー小説。わたしが20代の時に出会った本から抱き続けていた著者のイメージからは離れていて、ちょっとびっくりしたというのが正直な感想でした。調べてみたところ、講談社青い鳥文庫から小中学生向けのミステリー小説がシリーズ化されて大人気なのですね。

わたしのもっていた彼女の著作イメージは、どちらかというと「大人向けのドロドロしたもの」でしたので、拍子抜けしました(笑)が、ストーリーもテーマも人物描写も面白く、サクッと読める本でした。この小説を大人読者向けにもっと書き込んでくれたら、もっと面白くなるだろうな、と思いながら読みました。

登場人物の中学生たちのセリフや胸中の思いを読みながら、中学生の頃って、こんなにものごとを考えていたかなぁ、これは大人が書いている本だからこうなるのではないか?などと疑問も持ちつつ。自分が中学生の頃どうだったかをすっかり忘れていることに気づかされつつ。

これをきっかけに「藤本ひとみ」本をまた読んでみようと思っています。きっかけを作ってくれたカメリア図書館の特集棚に、今日も感謝です。