読書『アンダスタンド・メイビー』(中公文庫)島本理生著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『アンダスタンド・メイビー』(中公文庫)島本理生著

島本理生さんのお名前は知っていましたが、読んだのは本書が2作目でした。いつものカメリア図書館でなんとなく手にした新刊の『憐憫』が思いがけず響いたので、著者名検索で遡って本書に辿り着きました。

中央公論新社の文庫紹介サイトでは、本書を「中三の春、少女は切ない初恋と大いなる夢に出会う。それは同時に、愛と破壊の世界へ踏み込むことでもあった」と紹介してあります。たしかにそうも説明できるかもしれないけれども、それはあくまでも表面的な事象であって、本書に綴られていたのはそんなことでは無い、というのが、わたしの感想です。

先日紹介した『女たちの沈黙』で書いた「女たちの暗澹たる行く末の描写は、読み飛ばしたくなるような部分が何度もありました」の感想は、そのまま本書にも当てはまります。読んでいてしんどい場面多々。時代も国もまったく異なるけれども、共通しているのは、女性であるがゆえに向けられる悪意に苦しむ主人公の姿でした。もしこのストーリーに自伝的部分があるならば、著者は心に血を流しながら書いたのだろうと思います。

本書のなかで、登場人物の一人が主人公に対して「あなたは強い」というニュアンスの発言をする場面がありますが、決して強いのではなく、自分(の心)を守るために鈍感になっていただけ、という方が正しいような気がしました。気がついて、理解してしまうことで、あまりにも辛く苦しくなってしまうことがある、ということです。

あとがきで、作家の村山由佳さんが書いていることが、とても腑に落ちました。いわく「この小説はおそらく、読む人を選ぶだろう」ということ、それが「読み手の側が、これまでの人生の中でどういった経験を重ね、その一つひとつとどう折り合いをつけてきたかに左右される」だろうということ。

わたしは本書の主人公のような体験をしたことは無いし、育った時代も環境も異なり、共通点を見つけることの方が難しいかもしれません。それでも、帰るべきところを持たない不安定さゆえに危うい方向へ向かってしまう姿は、なぜそうなってしまったのか、なんとなく理解できるような気がしました。また本書のなかに登場する新興宗教のくだりは、実際に起きた事件をモチーフに書いていることが容易にわかるのですが、当時著者は10歳ごろだったはずで、あの事件をどのように感じていたのかを考えさせられました。

これまでに読んだ2作は、字面に見えているよりもテーマが重く(とわたしは思いました)、島本理生さんの作品を続けて読むのは、ちょっとしんどいかも、という感じです。それでもまた時間をおいて、他の作品も読んでみたいと思いました。

アンダスタンド・メイビー』(中公文庫)島本理生著

福岡ABCにてお勉強-中華圏(香港・中国)における「アフターコロナの海外進出」とは?-

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福岡ABCにてお勉強-中華圏(香港・中国)における「アフターコロナの海外進出」とは?-

長年たいへんお世話になっている、福岡アジアビジネスセンター(福岡ABC)さんで、久しぶりにリアル開催のセミナーに参加して参りました。コロナ禍下では、Zoomを用いたオンラインセミナーに移行しておられ、今回も会場とオンラインのハイブリットでした。

上の写真は、2019年の上海個展の時のもの。もうずいぶんと時間が経ってしまったような気がします。思い返せば、いろいろな方のおかげで、上海・台湾と中華圏とのかかわりはけっこう長いのです。上海での活動を再開し、さらにもう一歩、香港へと踏み込んでいくためにも、今回のセミナーを楽しみにしておりました。

講師は日本国弁護士でありNY州弁護士であり香港ソリシター(事務弁護士)の、絹川恭久氏。香港永住権を持ち、香港と沖縄の2か所の法律事務所に所属し、企業法務を中心に弁護士活動を行っておられます。

以下、備忘。


  • 香港、2014年からの流れ。2014年雨傘運動/2019年逃亡犯条例改正反対デモ/2020年香港国家安全維持法施行/2022年香港返還25周年・ゼロコロナ政策解除・高度人材ビザ発給開始。
  • 2020年以降、外国人(日米欧)駐在員減少・移民流出/中国本土系高度人材の流入。
  • GBA(Great Bay Area)地域(マカオ・香港・中国広東省)での活発な人流・インテリ層人材の入れ替え。
  • トランプ政権=経済紛争→バイデン政権=軍事紛争
  • 現在香港で起こっていることは、香港のみの問題ではない。
  • 現地支援の活用:香港貿易発展局(HKTDC)、Enabay(BtoBプラットフォーム)など

福岡アジアビジネスセンター セミナー:中華圏(香港・中国)における「アフターコロナの海外進出」とは? 絹川恭久氏より


まとめるとこのように簡潔になりますが、現地での体験・事例を含めた生の情報はとても濃い内容で、1時間があっという間でした。リアル参加の人数が少なく限定されていたため、セミナー後に個別に相談し、しっかりお話を伺うことが出来たのがラッキーでした。やはりセミナーはリアル参加がいいですね。セミナーをご案内くださった福岡アジアビジネスセンターさんに感謝です。

読書『女たちの沈黙』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

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読書『女たちの沈黙』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

いつものカメリア図書館新刊棚から。このタイトルを見てまず連想したのは『羊たちの沈黙』。そういう本なのか!?と裏表紙の紹介文を読んで、どうやら違うようだとわかり、安心して借りてきた一冊です。実のところ、戦争の残酷な描写は、決して安心できるものではありませんでしたが。読み終わって気づいたのが、早川書房からの刊行だったということ。そういえばカズオ・イシグロ作品はじめ、わたしがこれまでに読んでいる洋書の邦訳版は、早川書房にずいぶんお世話になっています。

舞台はトロイア戦争。本書は、3千年以上前に起きたと言われている、古代ギリシアとトロイア王国(現トルコ)との戦いを描いた叙事詩『イリアス』を、女たちの側から描いた物語です。「訳者あとがき」によると、中世から近世のあいだトロイア戦争は神話だと考えられていたものが、1870年代のトロイア遺跡発掘から史実の可能性を見直され、研究が続いているのだとか。そんな背景情報を全く持たず、『イリアス』も知らずに読みました。読み終わってからの訳者あとがきで、なるほどそういうことだったのか、と、腑に落ちること多々。

戦いの描写の残酷さ、女たちの暗澹たる行く末の描写は、読み飛ばしたくなるような部分が何度もありました。それなのになぜ読むのか。それは読書の衝動とでもいう、ことばでは説明し難い理由ゆえなのだと思うのです。あえてもっともらしい言い訳をするならば、小説を通してではありながら「ほんとうにこのようなことが起こっていた」と知ることは、今後そういう事態を招かないようにしなければという、危機意識につながるという思いがあるからかもしれません。

著者は英国で「戦争文学の旗手」と呼ばれ、戦争にまつわる著作を多数書いているそうです。本書では、黙殺されてきた「女たちの声」が、ストーリーを通して聞こえてきます。古今東西「すぐれた文学作品」と呼ばれるものの根っこには、大小を問わず「戦い」があるのかもしれないということを、考えさせられました。本書冒頭の「すべてのヨーロッパ文学は戦争から始まった」が、なんとも切ないです。

『女たちの沈黙』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

南坊忌献茶会でした。

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南坊忌献茶会でした。

今年も無事、「南方流遠祖南坊宗啓禅師献茶会」に参加することが出来ました。南方流の祖である南坊宗啓禅師にあらためて感謝する機会であり、献茶のお点前を拝見できる貴重な機会であり、和尚さんから直々に『南方録』の一節をご教授いただく嬉しい機会でもあります。

コロナ禍以降、広間での薄茶だけであったお茶席は、4年ぶりに四畳半のお茶室「無声庵」を開き、お濃茶もいただくという、嬉しい回帰となりました。お濃茶は、回し飲みはまだできず、一服づつ点てられました。久しぶりの四畳半は、まず躙(にじ)り口で帯があたり「こんなに狭かったかしら!?」からスタート。草履を整え、床の間を拝見し、お道具を拝見し、席につこうと毛氈(もうせん)にきっちり並びぶと「そうそう!そうだった!」と、懐かしい密着具合。今回は9名での席でしたが、そういえばコロナ前は11名とかで入っていたなぁ、と思い出しつつ。同じ席のお正客さまが和尚様でしたので、お点前の間やお茶を頂く間にも、道具のことなどを、直々に教えていただくことが出来ました。

露地にはツツジが満開でした。青い紅葉の葉っぱもすがすがしく。午後から雨の予報でしたが、お日さまが顔を出し、帰りまでお天気が持ちました。今年も南坊忌に参加できたことに感謝です。

読書『kotoba(ことば)(2023年春号)』集英社クオータリー

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読書『kotoba(ことば)(2023年春号)』集英社クオータリー

カズオ・イシグロ特集号です。

まずこのような季刊誌があることを知りませんでした。先日観てきた映画『生きる LIVING』の報告ブログを読んで、お友だちが紹介してくださった季刊誌です。『単なる「情報」ではなく、残すべき「コトバ」を紙の本で残したい。』と、その公式サイトにありました。過去の特集で取り上げられたテーマを見てみると、まあ、なんとも興味深く。

一番上の写真は、今号の目次の見開き。そうそうたる文化人の方々が、カズオ・イシグロ作品への思いを語っています。まあその暑苦しいこと(笑)。どなたの文章からも、イシグロ作品への偏愛があふれていました。映画『生きる LIVING』をきっかけになされた特集ですが、それだけでなく、各著作についての掘り下げた論考や、著者その人に対する分析がこれでもかと続き、食傷気味になるほどの情熱を感じました。皆さんほんとうに、カズオ・イシグロ作品が好きなのですね。

わたしはイシグロ作品のなかでは『日の名残り』が一番好きです。邦訳された小説はほとんど読んだと思っていましたが、短編に読んだことのないものがあるのがわかりました。新刊を待ちわびる身には、まだ読んでいない本があったことはとても嬉しく。また、これまでは他の人がイシグロ作品に対して書いた論評には興味が無く、『日の名残り』はもちろん、その他の著作についての論評も、読んだことがほとんどありませんでしたが、今回このようにまとめて拝読してみると、これはこれで面白いことに気がつきました。

本書での特集の寄稿記事には、イシグロ作品を読んだ時に浮かんでくる、いろいろなキーワードが挙がっていました。なかでもわたしが一番考えさせられたのは、「日本的なもの」とはいったい何なのか。わたしたちが「日本的」だと思い込んでいる事象は、実は普遍的にどこにでもあるものかもしれない、ということ。どこにでもあるわけではなくとも、日本固有のものだとも言い切れない、ということ。国や文化や宗教を超えてたくさんの共通点があるからこそ、そこに共感が生まれるのだという事実。そんなことを考えさせられました。

それにしても、雑誌は冬の時代と言われながら、このような良質な情報誌があったのですね。2010年創刊ということでしたので、紙媒体が廃れていくなかでの、起死回生の一矢という感じでしょうか。とても嬉しい、本書との出会いでした。おススメしてくれたお友だちに心より感謝です。好み・関心の傾向を理解してくださっているからこその、ありがたいベストヒット。先日ご紹介した『TRANSIT』同様、内容の文章の質・量、使われている紙の良さも、気に入りました。

時間をかけ、頭をひねり、完成度が高くない文章でも、それを自分で書く意味。

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時間をかけ、頭をひねり、完成度が高くない文章でも、それを自分で書く意味。

わたしの友人にはIT系の情報感度がとても高い方々が多く、皆さんのSNS上の発信を拝見しているおかげで、世の中の動きを知ることが出来ています。昨今の話題で急に増えてきた単語が、CHAT GPT。生成系AI=Artificial Intelligence(人工知能)と呼ばれる技術を使ったサービスのひとつ、ということです。

質問や課題を投げかけることで、AIがインターネット上の情報を集めて、AIなりの回答を用意してくれるものらしい…というのが、現段階におけるわたしの認識。なかでもCHAT GPTは返事=文章(テキスト)を返すことから、文書作成に使えるということで、効果的な活用方法を見出すべく試している方が増えています。わたしはまだ試したことがありませんが、聞けば、文章の添削に使えたり、そもそもの文章制作にも使えそう、ということで。より適した文章を導くためには、AIに対して「どんな投げかけをするか」、つまり質問力が肝だそうです。

文法的に違和感のない文章を素早く作ってくれるだけでなく、「○○風」という味付けまでできるとなると、今後巷には、AIが作成した文章があふれてくるのだろうな、と思います。商業的な文章制作を仕事をしている方々にとっては、短時間でたくさんの文章を作り上げることが出来るようになるのですから、これを使うのが当たり前になるかもしれませんね。既に「生成系AIの登場で、今後無くなるであろう職業」のなかに、「ライター・作家」も含まれているようです。

そんななか、ブログを自分で書き続ける=わざわざ頭をひねって時間をかけて完成度の低い文章を作る意味は、それが読む人のためではなく自分(書く人)のための作業であるからに他ならない、ということになります。アーティストが、売れようが売れまいが作品を作り続けるのをやめないのと同様、売れる売れない以前に自分以外に読む人がいようがいまいが、わたしは文章を書き続けるのだと思います。

何を目的に、どう使うか、どの程度使うか。新しい技術が出てくるときはいつもそうなのですが、使い方の技術的な問題だけでなく、倫理観とか意識の問題を置き去りにしないように、と思います。そういっている間に世の中がどんどんと進んでしまい、自分が置き去りにされてしまう可能性もありますが(笑)。

ともあれ、まだまだ分からないことばかりでありつつも、情報感度の高いお友だちの皆さんのおかげで、「そういうものがある」という程度には認識できている今日この頃。思えば20年以上前ネットショップを始めたときから、わたしはこんな感じなのです。信頼できる方々の発信をもとに、世の中の流れをなんとか読もうとしています。今も変わらずそんな皆さんとつながれているのは、とてもありがたいことだと思います。

あと0.5秒ゆっくり。

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あと0.5秒ゆっくり。

昨日はお茶のお稽古でした。月に2回のお稽古は、自分の心身の状態に向き合う時間でもあります。前回のお稽古から、一足早く風炉になりました。季節により設えが変わり、設えが変わることにより作法が少々変わります。稽古をする者としては、作法のひとつひとつを習得しきれないままに変わってしまうことが悩ましい半面、この変化があるからこそ楽しいのだとも思います。

現在わたしがお稽古しているのは、奥点前のひとつ「袋茶碗」。基本の作法は濃茶ですが、仕覆(しふく)からお茶碗を出したり、仕覆を拝見に出したりと、付随する所作が相応に増えます。この次はこれ、その次はこれ、と、忙しい気持ちが動きに現れていたのでしょう、ひと通りのお稽古を終えた後に、見てくださっていた先生から言われたのが「あと0.5秒ゆっくり」でした。

「全体にはとっても良くできていますから、あとは、一つ一つの所作に、あと0.5秒ゆっくりかける気持ちでやってごらんなさい。そうしたら、もっとお点前が落ち着いてきれいに見えますよ」と。

とてもありがたいご助言でした。せっかちで大雑把な性格が所作に出ますね…と反省の弁を申しますと、「お茶のお稽古の時だけでなく、ふだんの生活から、一つ一つの動きに0.5秒余分に時間をかけてごらんなさい。そうすると動きが優雅になりますよ」と。お茶室でだけ意識をしても、結局は常日頃の動き方(生き方)が所作に現れるということですね。お稽古をしていていつも思うことであり、先生方から助言をいただくたびに心あたることでもあり。

50年以上生きてきての、動きや思考の癖ですから、一朝一夕には変えることはできないでしょう。ここから50年かけて、「0.5秒ゆっくり」が習慣になり、自然と所作に現れるよう、まずは意識していきたいと思います。

上の写真は、昨年のお茶会のときのもの。床の間で季節を感じるのも、お茶の楽しみのひとつです。筍シーズンですね。

足したり、引いたり。

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足したり、引いたり。

花祭窯の建物は、昭和元年(1926年)に建てられた商家。もうすぐ築100年というところです。当時栄えていた津屋崎千軒のなかにあって、商いをしているお宅ゆえの粋がちりばめられた建物です。堅実なつくりで、建築士さんが「これだけ時間が経っているのに、歪みが少ないのがすごい」とおっしゃっていました。わたしたちがここに入った11年前には、途中で入った方々が住みやすいようにリフォームした跡があちらこちらに残っていましたので、できる限り古い状態に戻す方向で「引き算」の修繕を施したのでした。

入居の際の「やや大規模な修繕」から10年以上が経ちましたが、古民家にはその維持がテーマとしてついてくるもので、常に「ここはそろそろ直さねば」のメンテナンス箇所との追いかけっこです。むやみに近代化することなく、古い状態(材料)をできる限りそのまま生かすことを心がけて…というと格好いいですが、実際には、ぜんぶ完璧に修繕するのには莫大なお金がかかる…という側面があるのも確かです。花祭窯の佐賀時代も築80年を超える古民家でしたので、「古い木造日本家屋」の不便さには慣れていて、不便だからこその良さも楽しんでいます。

ちょっとした不具合は、手先の器用なダンナが治せることもあります。なかでも一番多いのは、建具の不具合。その修正作業を見ていると、基本は表からは見えない部分での「足したり、引いたり」の微調整で解決しているようです。もちろん、根本的な解決にはならないことも多いのですが、上手に付き合っていくことが肝要かな、と。

そうはいいつつ、ご近所の古民家住まいのお友だちと会えば、日々どんな困りごとがあるか、どうやって維持する方向に考えるか、修理をどこの大工さんに頼んだか等々、おしゃべり&情報交換に花が咲く今日この頃。ご近所にそのように雑談できる人があるというのもまた、ありがたいことですね。

お久しぶりです、と、はじめまして。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

お久しぶりです、と、はじめまして。

お誘いいただいて、とある集まりに参加。大切なお友だちを応援する会でした。そこには、その友人を応援する人たちが集まっていて、久しぶりにお会いする方もあれば、初めましての方もあり。コロナ禍以降「初めまして」の方と食事の席でご一緒するケースがほとんどありませんでしたので、なんとなく新鮮な感じでした。

「応援する会」とはいっても、美味しいものを食べながら、近況を伺うぐらいのもの。そう、ほとんどのことは本人がすでに前進の準備を整えていますし、わたしよりも近い場所で現実的なサポートをしている人たちもあります。わたしが具体的に力になれることはほとんどありませんが、なにげない時間のなかで、少しでも彼女と一緒に笑う時間を共有できたら嬉しいな、と思いつつ。

初めましての方々も含めて、「これからの話」が出来たのは、面白かったです。なかでも残ったキーワードは、「教育」「インバウンド」「海外とのつながり」。事業としての教育の話が出てくるのは、世代的なものもあるかもしれませんが、このところさらにこの傾向が強くなっていると思います。『あらゆる企業は教育化する』の本を読んだのは、約2年前のことでしたが、確実に加速していますね。

ともあれ、久しぶりの友人の笑顔にあえて嬉しい時間でした。そんな友人とも、もう20年来のお付き合いになるのだと気づき、時の流れの速さをあらためて。

四月八日は花まつり。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

四月八日は花まつり。

お釈迦様の誕生日です。花祭窯の窯名は、創業地の通称である地名「花祭」からいただいたもので、お釈迦様の誕生日とは関係ありませんが、毎年なんとなくお祝い気分になります。創業時に窯の名前を考えていたときには、実は「花まつり」の意味を知りませんでしたが、つくづくと良い名前を頂いたと思います。

現在わたしは、禅寺で茶道に入門しておりますが、花祭窯の名前を付けたときには、将来そんなことになるとは思いもよらず。茶道を習い直そうと思ってさまざまな流派の情報を探した結果、自分に合いそうだと感じたところが、たまたま禅寺で受け継がれていた流派だったのです。

そういえば、わたしが博物館学芸員資格を修了したのは佛教大学で、それは単に通信教育をメインにした学習で学ぶことが出来るから、でしたが、修了に向けて書いた論文の中に、お釈迦様が誕生したとされる蓮の花についての考察があったのを思い出しました。知らず知らずのうちに、なんとなく関心が向いているのだなぁ、と我ながら面白く思います。

現在、株式会社Natu Rise(ナチュライズ)さんが発行するニュースレターに、コラム「日日是好日」の提供しており、そのなかで「日常の禅語なるコーナーを書いています。素人の禅語考ですが、この原稿を書くのに毎回かなり頭に汗をかいていますので、よかったら読んでみてくださいね。

お釈迦様は誕生の時に、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃった、と語り継がれています。その真偽はさておき、そんな偉大な存在が生まれた花まつり。毎年この日には、なんとなくありがたい気持ちになるのです。