読書『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫)宮沢賢治著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫)宮沢賢治著

宮沢賢治の短編を編み直した、新潮文庫の2022年度版。電車のお伴を探していたところ、新潮文庫の棚に、美しいプレミアムカバーシリーズを発見。なかでも本書の青紫色に金文字の装丁に惹かれて、即買いしました。

実は宮沢賢治をあまり読んでいないという自覚があります。実は『銀河鉄道の夜』は、ちゃんと読んだことがありませんでした。読んだことのあるもので、パッとタイトルが出てくるのは『雨ニモマケズ』『注文の多い料理店』『セロ弾きのゴーシュ』くらい。いずれも絵本で読んでいます。そして、読んだ三冊についてはとても気に入っていましたので、

本書には14編が入っていますが、そのうち読んだ覚えがあったのは、『よだかの星』と『セロ弾きのゴーシュ』のみ。初めて読むものがほとんどで、新鮮な気持ちで宮沢賢治ワールドを堪能いたしました。読みはじめてすぐに気がついたのは、幼い頃に読んでいた時は自覚が無かったのですが、わたしは宮沢賢治の言葉の選び方、使い方が好きなようです。ツボにハマりました。

そういえば今年6月に「わたしの読書ベスト30」を挙げていて、挙げ終わった後に「『注文の多い料理店』が入ってなかった!『雨ニモマケズ』も失念してた!」と反省をしたところなのでした。

『雨ニモマケズ』は、とてもカッコイイ版画の絵本を持っているので、今度本屋さんに行った折には、『注文の多い料理店』の絵本を探したいと思います。

留学生の力を借りて、英語化をすすめる。

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留学生の力を借りて、英語化をすすめる。

いつもなにかとお世話になっている福岡アジアビジネスセンターさんからお知らせが来たのは、七月のことでした。福岡県の事業に「留学生の語学力を活用した企業の多言語化事業」なるものがあり、留学生の力を借りてホームページやパンフレットを英語化しませんか、というもの。対象は「海外販路開拓に積極的な福岡県に拠点のある中小企業」ということで、即座に応募いたしました。

参加企業として決定しましたというご連絡をいただいたのは、八月中旬。翻訳をお願いしたい内容・原稿を確認していただくことになりました。昨年の福岡アジア美術館での藤吉憲典個展のパンフレット(上の写真)を、いずれ英語化したいと思っていたので、そのなかから一部の文章を選んで依頼することに。その後、県の担当者と翻訳を担当してくださる留学生が、花祭窯に面談・事業所視察にいらっしゃったのは九月中旬のことでした。

花祭窯を担当してくださるのは、インドから留学して来ている女子学生さん。日本の伝統工芸に興味があるということでした。2時間ほどの面談のなかで、事業の概要や理念などを説明し、先方からの質問に答えました。こちらからは伝統工芸関係の翻訳に使える用語の和英訳が載っているサイトや、キャプションが参考になる美術館博物館をご紹介するなど、情報提供。既に渡してある原稿内容についての疑問点確認も行われ、ちゃんと対応しようとしてくださることが伝わってきました。

もともとは2週間程度で翻訳を仕上げるスケジュールになっていましたが、伝統工芸・陶芸といった専門分野についての知識が足りないため少し時間がかかりそうだということで、1か月ほど先の納品予定となりました。急いでいるわけではなく、良い翻訳が上がってきた方が嬉しいので、ゆっくり取り組んでいただくことに。

この事業には「福岡県留学生サポートセンター運営協議会」が協力してくださっているということで、その組織の存在を知る機会にもなりました。学校の公立私立を問わず福岡県に留学している学生さんをサポートする組織で、在学中のアルバイトや卒業後の就職先の相談にのっておられるとのこと。今回の事業をきっかけに、お互いに協力できることがあると嬉しいな、と思いました。まずは翻訳の納品を楽しみに待っているところです。

お庭掃除。

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お庭掃除。

九月は二つの台風がありました。その都度窓ガラスの養生をしたり、作品を保護したり、なんだかバタバタといたしました。台風のあとは庭の草木が潮で枯れてしまったり、隙間風で砂がたくさん家の中に入ってきていたりしたので、お掃除に気持ちばかりが追われます。それでも大きな被害なく建物も無事でしたので、守られているありがたさをつくづく感じます。

屋内は掃除機をかけたり雑巾がけしたりして砂をはらい、とりあえずお客さまを迎えられるように。庭に出ると、枯れた葉っぱが目につきます。まずは落ち葉を取り除き、立ち枯れてしまった草をはらい、と、文字で書くとあっという間なのですが、けっこうな仕事量で、いったん休止。でも枯れた部分を取り除いていくと、その下から緑の葉っぱが出てきているのがいくつもあり、嬉しくなりました。

パッと見たところ全体に茶色っぽいトーンになってしまっていた庭に、緑色がでてくると、それだけでも気分的に華やぎます。そのうえ、ツユクサやヤブランなど、紫色の花がきれいに咲きはじめ、色を添えてくれています。枯草の下で凌いでいたその生命力に感動しつつ、残りの庭仕事もこの週末あたり、せねばなりません。

写真は今年の花祭窯の小さな露地の注目株、ザクロ。台風で折れた枝もあり、いくつかの実は落ちてしまいましたが、まだいくつかが元気に育っています。ひとつでも口に入る状態にまで育つと良いな、と期待しています。

文具屋さんはやっぱり楽しい。

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文具屋さんはやっぱり楽しい。

「まちの文具屋さん」的な存在が、すっかり減ってしまっている今日この頃。先日出かけた丸善博多店で、久しぶりにゆっくり文具を見て回りました。博多店は、文具のスペースは決して広い方ではないと思いますが、わたしがウロウロするには程好い広さで、その品揃えには期待が高まります。

お店にたびたび足を運んではいるものの、本屋さんスペースに行くことが多いし、文具コーナーに行ってもいつも「封筒を買う」「便箋を選ぶ」「万年筆のインクを買う」など目的がはっきりしています。そう、ウィンドウショッピングができない性質なのです。

今回は「自分用に、使いやすそうなシャープペンシルがあったら欲しいな」と、ぼんやりと思いつつ売り場を物色。「シャープペンシルを買う」という行為自体が、とても久しぶりであることに思い至りました。ボールペンや万年筆は購入していたのですが、ね。10年以上使い続けていたシャーペンが、ついに壊れてしまったのです。使う頻度はそれほど高くないかなと思い、しばらくシャーペン無しで過ごしてみましたが、いや、不便です。「シャーペンじゃないと駄目」「シャーペンの方が良い」場面が結構あることを再認識。

最近のシャーペンの進化具合に目を見張りつつ、ワクワクしながら選びました。色、形、機能。種類が多いと、どれを選んだらよいやら迷いますね。今回選んだのは、上の写真の通り、MONOのシンプルな細身のシャーペン。色はシルバーで。芯は2BかBか迷ったうえ、Bを購入。

ものの大小、価格の高低に関わらず、自分の使う道具をじっくり選ぶのは楽しいですね。わたしの仕事のお伴がひとつ増えました。

選書ツアー2022@博多丸善。

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選書ツアー2022@博多丸善。

毎年楽しみな、カメリアステージ図書館の選書ツアー。今年も参加することが出来ました。これまでに参加した選書ツアーはすべて、博多の紀伊国屋書店さんでしたが、今年度は初の丸善さんでの開催でした。参加者は、募集定員の5名ちょうど。毎回、希望者が少ないと司書さんが告知にご苦労なさっていましたが、ようやく図書館イベントとして定着してきたのかもしれません。

丸善さんは本を買いに行くのと、文房具を買いに行くので、大好きな場所のひとつです。紀伊國屋書店同様、博多駅近く(というか、真上)にありますので、博多に出たときはしばしば立ち寄る場所です。勝手知ったる店内。のつもりでしたが、選書ツアーとなると、少し視点が変わるのが面白いですね。あらためて売場の配置を確認する機会にもなりました。

今回のわたしの選書は、先月お話を聞いたばかりのブックディレクターさんのアドバイスを生かそうと決めていました。いわく、選書の際は、具体的に「誰に読んでもらいたいか」を決めて、その人に届けるつもりで選ぶということ。

そう心掛けた結果、これまでは「表紙買い」よろしく、直感的にバンバンと選んでいたのですが、ちょっと手順が変わりました。すなわち、表紙が気になる→中身をパラパラと読んでみる→想定した相手に合いそうと確認出来たら、選ぶ。この方法で選んでいった結果、所要時間の1時間はあっという間に過ぎました。これまでは毎回20冊近くの本を登録していましたが、今回は9冊と、約半分に。こんなにも変わるものなのだと、我ながら驚きです。

選書した本は、このあと司書さんがさらに選書して、選書者一人あたり3-5冊が新たに図書館の蔵書として加わることになります。蔵書として入る前には、おススメする本のポップを選書者本人が作るのも、楽しみな仕事です。

読書『英国メイド マーガレットの回想』(河出書房新社)マーガレット・パウエル著/村上リコ訳

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読書『英国メイド マーガレットの回想』(河出書房新社)マーガレット・パウエル著/村上リコ訳

著者名を聞いたことがあるなぁ、と思いましたが、それは音がそっくりの「マーガレット・ハウエル」で、こちらはファッションブランド…の、思い違いでした。

さて本書、タイトルの通り、回想記=自伝です。1907年生まれの著者が1968年に著した60年分の回想記。貧しい家庭に生まれて、富裕な家でのキッチンメイドとなったマーガレットの少女時代から、執筆活動を始めるに至るまで。そこには、現代に生きるわたしがイメージしきれないほどの大きな「階級の壁」があり、その実態を覗き見ることになりました。この間に二度の世界大戦があり、英国の社会も大きく変化しています。訳者による「はじめに」で、時代背景を解説してくださっているのが、その後の読書にとても役立ちました。

英国の階級社会については、これまでに何冊もの本を読んで、なんとなくわかったようなつもりになっていました。

が、それはあくまでも「つもり」でしかありません。実際に英国でメイドとして働くことがどういうことであったのか、「労働者階級」というものがどういうものなのか、赤裸々ともいえる本書を読んで、頭をガツンとやられたような気がいたしました。

例えば、チャーチルやチャップリンの自伝などにも、階級の話は出てくるのですが、チャーチルはアッパークラスですし、チャップリンは上り詰めていった人。

富裕層に使える労働者クラスという意味では、カズオ・イシグロの『日の名残り』の主人公である執事も、まさにその立ち位置ではあります。

映画では、ダウントン・アビーにも、そのような視点が出て参りますね。

ですが、美しくお話としてまとめられているこれらに対し、『英国メイド マーガレットの回想』の実話のインパクトは、とても大きかったです。そしてそのような理不尽な中を生きるマーガレットの強さ。さりげなく「本を読む」ことの価値が伝わってくるくだりがたびたび登場し、読書が彼女を支え続けたのだと知ることは、わたしにとっても嬉しいことでした。

読書『利休の闇』(文藝春秋)加藤廣著

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読書『利休の闇』(文藝春秋)加藤廣著

利休関連の小説といえば、山本兼一著『利休にたずねよ』を読んだのが、約5年前のことでした。

本書『利休の闇』は、2015年発刊。存じ上げなかったのですが、著者の加藤廣氏は、丹念な史資料精査と独自解釈が人気だそうですね。「丹念な資料精査」の片りんは、本書内で千の宗久、宗及らによる茶事記録などを多数引用しているところからも伺えました。

宗易(利休)の秀吉との出会いから切腹までのお話です。信長から秀吉の時代へと、秀吉が成りあがっていくなかで、お茶がどのように位置づけられていたのか、戦国時代の茶道と政治の関係があからさまに描かれています。「遊びに過ぎない」はずであったお茶が、政治の道具としてその姿を変えていくさまは、なんとも切なくもありました。

それにしても『利休にたずねよ』のときも思ったのですが、この手の小説を読むほどに、宗易(利休)の人間らしさが印象に残ります。人間らしさといえば聞こえは良いものの、言い方を変えれば「遊び好きで好色で権威欲がある」一人の姿。小説とはいえ、完ぺきな師とは言い難い姿に、「なんだ、そうだったのか」と、ちょっとホッとします。

本書内のエピソードでもっとも「へぇ~!」と思ったのは、宗易から利休へと改名を命じられた「利休」の名の由来でした。真実か否かはわかりません。でも、不本意ながらの改名でも、その後の歴史のなかでは多くの人に改名後の名前で愛されているのですから、それを知ったら本人はどんな気持ちになるかな、と思いました。

利休さんにまつわる本は、茶道の指南書関連のものを読むことが多いのですが、こういう小説をたまに読むと、また視野が広がるような気がいたします。

桐箱、撮影、リスト作成、梱包、インボイス作成、発送。

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桐箱、撮影、リスト作成、梱包、インボイス作成、発送。

ロンドン個展に向けて、ひとつひとつ必要事項を確認しながらの作品発送準備です。

まずはそれぞれの作品に合わせた桐箱のサイズ計測と納品が9月中旬に完了。いつもながら、お世話になっている株式会社増田桐箱店の担当さんのおかげでスムーズに進みました。箱の形(中身の配置)、ゆとり(隙間)の取り方など、こちらの意図を理解してくださっているため、任せて安心です。

そして昨日は作品写真の撮影。こちらもいつもお世話になっているabc picturesの赤司憲壕さんにお願いいたしました。これまでは花祭窯で撮っていただいていましたが、今回は磁器作品に加えて書画作品もあるため、セッティングの変更がしやすいスタジオでの撮影です。神経を使う対象物(ワレモノなので)ですが、テンポよく撮ってくださり、無事に完了。

信頼できるプロフェッショナルが身近にいてくださるおかげで、少々緊張を強いられる仕事もつつがなく進んで行きます。恵まれていますね。ほんとうにありがたいです。物流会社さんに委ねるまでに、残るは自分たちですべき仕事のみ。

Sladmore Contemporaryと、作品の発送・到着スケジュールについて確認をしつつ、進めます。あとは作品リストを完成させて、完璧な梱包をし、インボイス等輸出書類を揃えたら、発送できます。世界情勢的に、物流に少し時間がかかる状況はまだ続いているようなので、一日でも早く出荷したいところです。最後の詰めを怠らないよう、がんばります。

読書『世界はさわらないとわからない』(平凡社)広瀬浩二郎著

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読書『世界はさわらないとわからない ユニバーサル・ミュージアムとはなにか?』(平凡社)広瀬浩二郎著

博物館学芸員技術研修会でお世話になっている広瀬浩二郎先生の最新著書を、偶然見つけました。発行日は2022年7月15日。今年の学芸員研修会「触文化とユニバーサル・ミュージアム」を受講したのが、7月26日でしたので、直前に出ていた著書です。

読みながら、研修会での広瀬先生がおっしゃったこと、語り口がそのまま蘇ってきました。お話を聞き、実技指導を受けたうえでの読書でしたので、理解も深まったように思います。以下、備忘。


  • 失明得暗
  • 得暗によって「できる」ことで勝負していた歴史(がある)
  • 目の見えない者は、目に見えない物を知っている
  • 既存の枠組みそのものを変えるのがユニバーサル
  • 非接触社会から触発は生まれない
  • さわるとわかる=さわらないとわからない
  • 博物館とは見る場所だという固定観念
  • 視覚を使わない解放感
  • 創・使・伝は手を介してなされる
  • 外に伸ばした手は、内へと返ってくる。さわることによって外と内が融合する。
  • 触察
  • 物にさわるとは、創・使・伝を追体験する文化ともいえる
  • なぜさわるのか(作法)、どうさわるのか(技法)
  • 自分の(想像)力で「画」を動かす。
  • ユニバーサル・ミュージアム=誰もが楽しめる博物館
  • 行き方(情報入手法)と生き方(自己表現法)
  • (健常者・障害者ではなく)見常者・触常者
  • 身体感覚を伴わない情報共有は浅薄で危うい
  • 文化相対主義
  • 人々の生活の中で生きている文化
  • (美術品なども)もともとは人々の日常生活を支えるものとして、実用的機能と美しさを併せ持つものであった
  • 生活の中での文化の厚み
  • 陳列棚に入ると生活から離れてしまい、何かが抜け落ちていく
  • (茶道・華道・書道・食文化などの)生活文化
  • 我々の生活から離れた特別なものではなく、生活とともにあるもの
  • 作品の制作・鑑賞は、自己の内面との対話である
  • 視覚を使わない自由
  • (能)花=舞台上の魅力
  • 花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり(「風姿花伝」)
  • 触覚の「美」
  • 目に見えないものをごく自然に受け入れていた江戸時代以前の世界観

『世界はさわらないとわからない』(平凡社)広瀬浩二郎著より


本書前半は、先般の講義のなかで学んだことの復習でした。後半では、各分野の方々との対談やインタビューをもとにした内容が載っていて、これらは広瀬先生の講義のなかでは伺うことのできなかったことでもあり、とても良かったです。

「わたしの外部記憶装置」としてのブログ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「わたしの外部記憶装置」としてのブログ。

先日、久しぶりに成毛眞氏の著書『黄金のアウトプット術』を読み返していました。本書のレビューを書いていたのが2018年したので、もうすぐ5年経とうというところ。ツールや手法についての記述はともかく、中心の主張はまったく色あせることがありません。

本書のなかで一貫して言われていることが、「アウトプットをすることが、よりすぐれたインプットにつながる」ということ。このブログ「ふじゆりスタイル」は、わたしにとって大切なアウトプットツールのひとつですが、記事投稿を積み重ねて行くほどに、その真意が実感として理解できるようになってきています。

わたしの、ここでのアウトプットの姿勢は、誰かに役に立つ情報発信であることを意識することなく、自分が読みたいことを書くこと。それは『黄金のアウトプット術』での主張とは異なります。でも、そのスタンスのおかげで、暢気に継続することが出来ているのも事実。いわば自分のための備忘録。年月を重ねるに連れて「ブログ内検索」で欲しい情報を呼び出せる精度はどんどん上がり、「わたしによる、わたしのための辞書」として強い味方になってきています。

もともと何かを覚えておくことが苦手なわたしは、昔から「メモする」「手帳を使う」といった外部記憶を使うことによって、自分をサポートしてきました。ブログは質量ともに規模の大きな外部記憶装置であり、自分以外の誰かの役に立とうという目的を持たないまでも、公開=誰かが読む可能性があることが大前提であることが、メモや手帳とは異なります。当然アウトプットの仕方には、意識的にも無意識的にも第三者への気配りが多少織り込まれることになります。そしてその気配りが、情報としての検索性の高さや客観性にもつながり、後から振り返ったときに、自分にとっても価値を高めることになっているように思います。

あと約半年ほどで、「ふじゆりスタイル」スタートから10周年です。自分のためのアウトプットであるにも関わらず、このブログを起点としたお仕事もちらほら発生しつつある、この2-3年。継続は力なりを感じる今日この頃です。