津屋崎陶片ミュージアム~これぞ初期伊万里!?~H260816001

こんにちは!ふじゆりです。

拾ってきたままになっていた陶片のなかから
ダンナが「これが初期伊万里」と出してきました。

津屋崎陶片ミュージアム初期伊万里の陶片

津屋崎陶片ミュージアム初期伊万里の陶片

津屋崎陶片ミュージアム初期伊万里の陶片

津屋崎陶片ミュージアム初期伊万里の陶片

江戸時代の初期1610年~1650年代につくられたもので
いわば日本で最初に生産された磁器の特徴を持つものが
初期伊万里と呼ばれています。

高台径が小さい
皿の中央にかけて厚手になっている呉須の発色が控えめ

などなど
「初期伊万里の特徴」と言われるものがあります。

写真のものは
高台径が小さいです。
高台がやや内側に向かって斜めに入っているのも
初期伊万里に見られる特徴のひとつだという人もあります。

皿の底部は、厚くできています。
縁が段になっているのも、初期伊万里に良く見られる形だとか。

呉須の色合いも、やわらかい発色です。
釉薬もしっとりとした感じです。
なにが描かれていたのか、この片だけでは判断が難しいですが
おおらかな筆遣いの文様です。

この1片から、ああだこうだと全体を想像してみるのが
陶片の楽しみのひとつでもあります。

見て・触って・少し学んで、選ぶ。

こんにちは!ふじゆりです。

津屋崎・花祭窯で、新しい取り組みはじめます。
とはいっても、特別なことではなく
これまでなんとなくやってきていたことを
意識的にやることにした、というところです。

なにをするかというと
「やきものを見て・触って・少し学んで、選ぶ」
場を提供すること。

花祭窯ニュースレター7月号英語版
花祭窯ニュースレター7月号英語版

日本の美術教育は、美術館などでの一般向けプログラムを見ても
やたらと「体験させる(=自分で作る、的な)」ことがメインに組まれていて
「鑑賞する」ということがなおざりになっているのが
常々不思議でなりませんでした。

「ただ、みる(見る・観る)」
「さわって、みる」
「そのものの背景にあるストーリーを少し知ったうえで、みる」

そんな「みる」を楽しむ場を育んでいけたら、と思っています。

津屋崎陶片ミュージアム~見込に松竹梅~H260709001

こんにちは!ふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム
本日のご紹介は染付の碗か蓋ものか。

染付碗、見込に松竹梅

染付碗、見込に松竹梅

染付碗、見込に松竹梅

染付碗、見込に松竹梅

写真1枚目、見込文様に松竹梅があると知っているのでそれとわかりますが
まあ、ずいぶんと崩れた松竹梅。

環状の松竹梅を見込文様に描くのは
18世紀中頃から流行りはじめたそうですが
手間のかかる文様であるため
ある程度上手(高級品)のものに描かれているようです。

写真のように雑な(笑)表現になってくるのは、19世紀に入ってからか。
職人さんが文様から文様を写しているうちに
もとの図案がなにを表していたのかわからなくなってしまった!
という感じのもの、古伊万里によく見かけます(^^)

ともあれ、これは表も裏もきちんと文様が描かれています。
表は花かなと思いきや、おそらく宝袋。
松竹梅も吉祥文ですから、宝尽くしですね。

つくりも丁寧で、高台にもきれいに釉薬がかかっています。
宝尽くしの蓋ものかな、と。

 

 

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津屋崎陶片ミュージアム~金襴手の華~H260629001

こんにちは、ふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム。
今回のご紹介は、赤絵。それも、金彩を用いた金襴手(きんらんで)!
古伊万里様式の金襴手。
1690年~1730年ごろでしょうか。

古伊万里様式の金襴手赤絵

古伊万里様式の金襴手赤絵

古伊万里様式の金襴手赤絵

古伊万里様式の金襴手赤絵

古伊万里様式の金襴手赤絵

この赤絵も、良くぞこの状態で残ってくれてくれました!
と思わず叫びたくなるカケラのひとつです。

赤絵は上絵(うわえ)とも呼ぶとおり
釉薬をかけた本窯焼成の上に、絵の具を載せて焼いているため
釉薬による保護が無く、外的要因によって色が剥げ落ちます。

そのため、海で洗われていた漂着カケラには
赤絵が残っていないことが多いのです。

周辺部、白抜きになっている部分に
金彩が施されていたのではなかろうか、と想像できるのです。
この白抜き部分を良く見ると
植物や山などの文様が描かれた線描きのあとが見えます。

そして見込は染付。
ということは、染錦の金襴手です。
裏にもしっかり染付の文様が描かれています。
蔓と葉の組み合わせ。
高台にも染付の線が入っています。

皿のカケラです。
高台の大きさから考えて、7寸~8寸くらいでしょうか。
結構大きいですね。
つくりも薄く、丁寧です。

つくりの丁寧さ、絵付の豪華さ、丁寧さ。
上ものの器です。

こういう丁寧な仕事が肥前陶磁の誇りです。
眺めていて思わずニヤニヤしてしまう、嬉しいカケラです。

津屋崎陶片ミュージアム~肥前陶磁の広東形蕎麦猪口~H260621001

こんにちは!ふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム
今回は、広東形(かんとんがた)といわれる肥前陶磁の蕎麦猪口(そばちょこ)。

・・と、言い切れるほどの形で残っているのはすごいことです。
よくぞまあ、この形で残っていてくれました。
カケラというにはかなり立派な陶片です。

天明時代の広東形蕎麦猪口

天明時代の広東形蕎麦猪口

天明時代の広東形蕎麦猪口

天明時代の広東形蕎麦猪口

天明時代の広東形蕎麦猪口

葡萄(上がり葡萄)に蝶
見込には蔓草。あるいは蜻蛉が変形したようにも見えますが。
裏は釉薬がきれいにかかっています。

蕎麦猪口のことなら、大橋康二先生の
「年代別蕎麦猪口大辞典」(講談社)です。

ありますあります。
同様の資料がたくさん載っています(^^)

1780年~1820年代、天明様式。
広東形は、その名のとおり中国磁器(清朝)の影響を受けたものです。

それまでに出てきていた蕎麦猪口とは一線を画する形状。
きりっとしたフォルムがスタイリッシュです。

津屋崎陶片ミュージアム~宋の青磁~H260614001

こんにちは!ふじゆりです。
津屋崎陶片ミュージアム、第一発目。

スタートは初期伊万里で!と思いもしたものの
山のようにある陶片を目の前にして
どれを一番に持ってくるかを考えるのは至難の業で・・。

つい先日お越しになったお客さまと話題になった陶片が
ちょうど机の上に出ていたので。
宋の青磁と思われる陶片。

中国は宋の時代の青磁だと思われます。
12-13世紀。南宋かな。
日本だと平安末から鎌倉時代。

津屋崎小学校のなかには古墳があります。
「在自唐坊跡(あらじとうじぼうあと)」
日宋貿易の時代に中国人居住区があったことがわかる古墳です。

ここから輸入磁器がたくさん出ています。
宋の貿易商人が持ち込んでいたのでしょう。
その頃は現在の津屋崎小学校のあたりまで
海岸線が入りこんでいたということです。

ダンナが海で拾ってきたこの青磁のカケラもおそらくその時代のひとつ。

宋の青磁と思われる陶片。

宋の青磁と思われる陶片。

宋の青磁と思われる陶片。

宋の青磁と思われる陶片。

つくりが丁寧です。
表には暘刻(ようこく)が施されています。
蓮の花でしょうか。

海で長い期間洗われているためあちこちにキズがありますが
貫入はありません。

青磁は貫入が景色のひとつで面白さとも言われますが
視点を転じると
貫入が無い=強度がある器
であり、上等なものだといえると思います。

薄く丁寧にロクロを引いています。
口縁部の仕上げも丁寧。
口当たりが良さそうですね。
碗と思われます。
こんな碗でお抹茶いただいたら・・・贅沢ですね。

津屋崎陶片ミュージアム開設準備室

こんにちは!ふじゆりです。

以前にもこのブログで触れたことがありましたが

古伊万里の陶片
津屋崎浜に眠る古伊万里の陶片(カケラ)。

毎朝毎朝、津屋崎浜でダンナが拾ってくるもので
この2年で大漁の、いえ大量のカケラが我が家に・・・。

近世の歴史資料として、肥前陶磁の伝統文化の資料として
とても貴重なものであるのはもちろん
単純に見ていてその造形や文様の面白さがあるので
いずれきちんと整理整頓したいなぁ、と思っていました。

どんどん溜まっていくので
これはもう、はじめないとたいへんなことになる!ということで
本日2014年6月9日津屋崎陶片ミュージアムの開設準備室を始動いたします!

といっても、まったく大げさなことではなく
今日からひとつづつ、陶片を整理しつつこのブログで紹介してまいります。
どうぞお楽しみに(^^)

伝統工芸品の価値

こんにちは!ふじゆりです。

このところ、いろんな分野のいろんな方とお話する機会が増えました。

先日、海外駐在10数カ国20数年というK氏とお話していたときのこと。
K氏いわく
「“伝統工芸品”という言葉から連想する価値っていうのは、
日本国内だからこそ通用するんですよ」

「花祭窯の商品は、有田焼になるんですか」
という問いに対し
「技術や文化を学んだ場所、歴史的な背景、使っている材料から言えば有田焼といえますが
“有田焼”とか“伝統工芸品”という言い方はあまりしていません」
とお返事したところ返ってきた言葉です。

伝統工芸品の価値を否定しているわけではありませんし
日本だけがその価値を認めている、ということでもありません。
歴史や伝統を重んじ、価値を尊重する想いは
世界中にあると思います。

K氏の言葉の真意は
「日本の伝統工芸品だ、職人が手間暇かけて作っているんだといったところで
日本人はある程度説明をしなくても理解する土台があるけれど
海外でそれを説明するのは、国により多少の違いはあるけれど難しい。
そのもの自体にそれなりの質が伴っていなければ通用しない」
ということでした。

常日頃考えていることをあらためて確信しました。

日本では「伝統工芸品」=「つくるのに手間や時間のかかっているもの」と
イメージしてくれる方がたくさんいらっしゃいます。
そして
「つくるのに手間や時間のかかっているもの」=「価値のあるもの」
という理解を示してくれる方も多くいらっしゃいます。

でもほんとうに見なければならないのは
「つくるのに手間や時間がかかっているもの」

「それなりの価値が伴っているか」
だと思うのです。

そのものの価値は
そのもの自体の価値であって
「有田焼だから良い」のでは無く「伝統工芸品だから価値がある」のでもなく。

たとえば、すてきだな、欲しいな、と思ったものの背景を詳しく聞いてみたら
「実は日本の伝統工芸品のひとつ、有田焼の伝統技法や文化に基づいたものであった」
というようなことが、格好良いと思うのです。

津屋崎的、海の達人。

こんにちは!ふじゆりです。

津屋崎の海はとっても豊かなので
浜辺を歩いていると、いろいろなものに出会うらしく
これまでにダンナが海から持って帰ってきたものは

・貝殻(観賞用)
・貝(食べる用)
・ソデイカ
・カガミダイ
・ワカメ
・ナマコ
・カブトガニの抜け殻
・古伊万里の陶片

・・・その他にもあったような。

釣竿やら道具を持って出かけるわけではないため
この収穫方法を「拾い漁」と名づけました。

「拾い漁」のなかでも大ヒットの、ソデイカ。
「拾い漁」のなかでも大ヒットの、ソデイカ。昨年末のこと。

先日はご近所のお友達に
「こんなに津屋崎をエンジョイしてる人、はじめて見た!」
と言われました。

確かに、もともと収集癖はありますし自然を楽しむ方法も普通の人よりは知っているかもしれません。

でも、実はこれらの収穫は
津屋崎の地元のおじさんたちに教えていただいた
「海辺に暮らす知恵」のおかげなのです。

いつごろ、なにが浜辺に上がってくるのか、
どんな気候のときにあがってくるのか、
どうやって獲ったらいいのか、などなどなど。

そう、津屋崎に暮らすおじさま方は海の達人揃い。

海暮らしようやく1年を超えたばかりのダンナなど
まだまだ足元にも及びません。
目指すべき「海マスター」への道程は、まだ始まったばかりです。

津屋崎浜の古伊万里

こんにちは!ふじゆりです。

本日は風が強いです。
海沿いなので、風の強い日が多いです。
のれんもほら、この通り。
でも、風にバタバタと揺れているのれんがお客さまへの目印になっていることも。

花祭窯(はなまつりがま)エンジ色ののれんが目印です。
海風に花祭窯のれんがバタバタ。これが目印。

そして、海風が運んでくるもののお楽しみのひとつにこんなものも。

古伊万里の陶片
津屋崎浜に眠る古伊万里の陶片(カケラ)。

津屋崎で古伊万里に会えるとは
まったく思ってもみなかったことなのですが
歴史や地理を紐解いてみると、なるほどなっとく。

江戸時代、有田焼を積んで伊万里港を出発した船が
海上交易で栄えたこの地にやってきていたり
あるいは玄界灘で座礁したりもしてもいるのですね。

先人の遺してくれた仕事に励まされ、この地でのご縁に感謝する日々です。