花祭窯のショップカード。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯のショップカード。

最新版が完成して、ご機嫌さんです(^^)

ショップカードという言い方が正しいかはわかりませんが、陶芸作家の履歴書的な「陶歴」とも異なる、花祭窯のカード。

前回のショップカードはいつ作っていたのかしらと振り返ったら、2017年10月でした。毎回楽しみなのは「どの写真を使おうか」の選択。今回は abc photoの赤司さんに撮っていただいた最新の写真があったので、いつにも増して選ぶのが楽しかったです。

最近は、カードを新しくするたびに文字情報が減る傾向にあります。最初のころはなにかと情報を詰め込みがちでしたので、「これは説明しなくてもいいよね」と省けるようになってきたのは、個人的には好いことなのだと思っています。

花祭窯藤吉憲典カード

今回も印刷は、「印刷通販ならWAVE」さん。満足の仕上がりです。

読書『クロスボーダーレビュー2009-2013 森村泰昌×平野啓一郎』

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『クロスボーダーレビュー2009-2013 森村泰昌×平野啓一郎』

このところ続いているマイブーム「平野啓一郎を読む」で、手に取った一冊。もとは日本経済新聞での連載です。このところずっと日経新聞のから遠ざかっていたもので、こんなに面白い連載があったことを知りませんでした。

上の写真は、2017年福岡市博物館で開催された「ルドルフ2世の驚異の世界展」で、コラボレーション展示されていた、 現代美術作家フィリップ・ハースさんの作品 。この本とは全く関係ありませんが、森村泰昌氏の名前を見て、わたしのなかで連想された風景です。

森村泰昌氏といえば、セルフポートレイト・自画像的作品ですね。もうずいぶん前(おそらく30年くらい前)、日本の現代アートシーンにまったく興味が無かったわたしが初めて「これ、いい!面白い!」と思った作家さんでした。当時のわたしはそれを「現代アート」とさえとらえていなかったように思いますが。

そのころ南伸坊さんの「顔」シリーズも面白くてはまっていたのですが、森村作品はそれを「美術」的に格調高く(?)したような感じでしょうか。今思い返せば、わたしの考える「現代アートは、くすっと(あるいはニヤッと)笑えるものがいい」という感覚は、森村作品を目にしたことから始まっていたのかもしれません。

その森村氏と平野氏が、それぞれに「映画評」(森村氏)と「美術評」(平野氏)を書いて、それが対になっているという構成の本書。実に面白い実験になっていました。

個人的には、特に森村さんの映画評での映画の選び方が、興味深く感じました。その映画評を読んだうえで、DVDがあったら観たいと思ったものが多々あり、タイトルチェック!

読後につくづくと感じたことは、美術も映画も、「好きか否か」という視点と「評価できるか否か」という視点は、別のものであるということ。そして、その両方の視点をどちらも取り込むことができた方が、美術も映画も深く楽しむことができるのだ、ということでした。

梅!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

梅!

シーズン到来。お店に青梅が並びだすと、ソワソワしてきます。花祭の我が家の梅もそろそろ収穫時なのではないかしら、と。青々とした梅がたくさんついた木々の景色が脳内に広がります。

快晴の一日、ダンナとお友だちが梅摘みに出かけてくれました。わたしは今回はお留守番。梅摘みの作業は、木に登ったりはしごを使ったり体力が要りますが、終わった後は頭と心がスッキリします。花祭に暮らしていたときは、仕事の気分転換に最高でした。

さて、半日がかりで収穫してきてくれた梅は、みんなで取り分けて十分に余る量でした。今年はあまり雨が降っていなかったので、あまり落果していなかったようで、絶好の収穫タイミングだったようです。

ご近所に配り、お友だちにも声をかけ、お裾分け。そして我が家では、今年はまず梅シロップを大量につくろうかなと考え中。夏の間の暑気払いドリンクに最適の梅シロップ。梅干しは「〇年もの」と呼べるものが大量にあるため、たまにはお休みしてもいいかしら、と。

こうしていろいろ考えるのも、毎年の梅仕事の愉しみです。

紫陽花!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

紫陽花!

ご近所さんからたくさんいただきました。紫陽花の種類・色、すごくたくさんありますよね。おかげさまで只今、花祭窯は紫陽花がいっぱいです。

今月の書道部@花祭窯。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今月の書道部@花祭窯。

初心に戻って、名前を書こう!ということで、今回は自分の名前に取り組んでみました。

名前、日常のなかで一番書く頻度が高い文字であるものの、上手に書くことができない!と思っている方、少なくないと思います。かく言うわたしも。のし袋への記名など「自分の名前を書く機会」に、日ごろからダンナ頼りなのがいけないとわかってはいるのですが(笑)

今回は半紙のサイズに書いていますが、これを実用的な文字サイズ、つまり芳名録に書くくらいのサイズに小さくしていくと、途端に字の形が崩れてしまいます。もっと小さいサイズで書く練習も必要ですね。来月はそれに取り組んでみようかな、と思いつつ。

生業としての、陶芸作家。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

生業としての、陶芸作家。

創業から23年目に入った花祭窯。わたしたちにとって、花祭窯を継続するということは、「陶芸作家・藤吉憲典」を生業(なりわい)として成り立たせるためにどうしたらいいか?の問いかけに答え続けることです。これまでもこれからも、ずっとそうなのだろうと思います。

「陶芸作家」を名乗っている人は世のなかにたくさんいます。プロもアマチュアも同じように名乗るし、プロのなかでも専業作家と兼業作家があります。集合体の代表としてのプロデューサー的「作家」業も一般的です。 その在り方は千差万別。これは「アーティスト」や「芸術家」も同じですね。

陶芸作家としていろいろな在り方があるなかで「ほんとうにやりたいことは何か」「何をプライドとするのか」が、常に自分たちの進むべき道の基準になってきました。事業における「志(ビジョン)」とか「使命(ミッション)」とか言われる部分。

目指す方向に進んでいくためには、常に「新しい何か」に取り組みながらの変化が生まれました。そして新しいことを採り入れるときには、必然的にそれまでのやり方との決別や見直しが伴います。それが小さなことであっても「スクラップアンドビルド」の繰り返し。

これまでうまくいってきた部分を新しい要素に置き換えることは、上手くいっていなかった部分に改善を試みることよりも、心理的にプレッシャーがかかります。いろいろと準備をしても「これで十分」と思えることはほとんどなくて、たどり着くのは「イチかバチか」の心持ち。

そんなわけで、23年目に入った今も「生業としての、陶芸作家」の「自分たちが求める、あるべき姿」への探求は続いています。20年後も30年後も、同じことを言っているような気がしますが、もしかしたら、その探求の試行錯誤こそが醍醐味なのかもしれませんね。

初夏の庭とご近所の景色。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

初夏の庭とご近所の景色。

5月から6月初めにかけての花祭窯の庭先と、ご近所の風景。上の写真はご近所のはっさくの花。甘い香りがあたり一面に広がり、嬉しくなります。庭先には草がどんどん伸びてきて、草むしりとの追いかけっこ。

傍らに花の景色のある幸せです(^^)

6月は花祭窯創業月。

こんにちは。花祭窯おかみ・ふじゆりです。

6月は花祭窯創業月。

1997年6月9日ロックの日を花祭窯創業日と決めてまるっと22年。結婚記念日は覚えていませんが、創業日は忘れない藤吉家です。

あらためて数字をみると、よくまぁ続けてきたと思います。置き換えてみれば、生まれて、大学まで卒業して、就職して、という年月に匹敵する長さ。かといって、すごいことでもなんでもなくて、ただ単に「やめなかった」だけなのですが。

商い=飽きない。よく言ったものだなぁと思います。飽きてるヒマなどありません(笑)

花祭窯ならびに藤吉家を応援してくださるすべての皆さまに、心より感謝申し上げます。ほんとうにありがとうございます。23年目も「笑顔で全力疾走」で参ります。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます!

津屋崎千軒には王丸屋がある。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

津屋崎千軒には王丸屋がある。

「コミュニティカフェ」とか「コミュニティスペース」などの言葉を日常的に聞くようになってきたのはいつ頃からだったでしょうか。津屋崎千軒にある王丸屋も「コミュニティスペース」とついていて「誰でも気兼ねなくふらっと立ち寄れる場所」になっています。

花祭窯から歩いて30秒ほどなので、我が家の家族は(特にダンナ!)しょっちゅう立ち寄っています。何をするわけでもなく、そこに行って、そこに「たまたま」いた人としゃべる。コーヒーを飲む。息抜きの場であり気分転換の場。

わたしはわたしで、 スマホ仕事に集中したいときに、王丸屋のフリーWiFi環境で長居。店主のとーる君はじめ、そこには「私より若い誰か」が居る、あるいは現れる確率が非常に高いので、スマホを触りつつ分からないことがあると、誰彼構わず聞いて教えてもらったりしています。

地元の人も、旅人も、子どもも、大人も、いろいろな人が気兼ねなく立ち寄れるのは、そのオープンな店構えもさることながら、店主とーる君のゆるい雰囲気が安心感を誘うのだと思います。地域コミュニティ!居場所づくり!的な張り切った雰囲気がまったく無いからこそ、居場所足り得るという逆説的な事実。

津屋崎方面お越しの際は、ぜひ王丸屋を体験してみてくださいませ(^^)

みんなの縁側 王丸屋はこちら。

ウィーン・モダン@国立新美術館

こんにちは、花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ウィーン・モダン@国立新美術館

西麻布桃居さんでの藤吉憲典陶展に在廊してきたついでに、国立新美術館へ。このところ、出張のタイミングで隙間時間を見つけては「ふらりと展覧会」に足を運べるようになりました。

桃居さん界隈で徒歩圏の美術館は、森美術館(六本木ヒルズ)サントリー美術館(東京ミッドタウン)、そして国立新美術館。月曜休館の美術館が多いなか、「今日開いている!」「企画展会期中!」という条件に当てはまった国立新美術館に行って参りました。

お天気も良く、お散歩がてら15分ほど。桃居さんのオープン時間まで約1時間、しっかり観覧することができました。

正式の展覧会名は「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」。英語版の「VIENNA ON THE PATH TO MODERNISM」の方がストレートでわかりやすいタイトルだと感じましたがそれはさておき。

素晴らしかったです!

このところブログでの展覧会訪問録は「素晴らしかった!」と書いていることが多く、何を観ても「素晴らしい」と言っていると思われるのではないかと危惧しつつ(笑)。実のところ、展覧会の感想は毒を吐くことも多いのですが、このところは「ちょうど自分の関心が向いているもの」を「秀逸な展示で見ることができる」ラッキー♪が続いています。

絵画だけでなく、ウィーン工房の工芸品の数々や、近代建築の先駆者と言われるオットー・アーグナーの設計計画図面、模型なども多数展示してありました。「分離派(セセッション)」の時代であり、これはつい先日の「世界史を建築家の視点で学ぶ アールヌーボー」で学んだばかりだったので「なんとタイムリー!」と一人で大満足。

クリムトの絵も好きですが、今回わたしがもっとも気に入ったのは、エゴン・シーレの「ひまわり」でした。1本すっくとした立ち姿の、華やかでない存在感に惹きつけられました。そして同行した中学生の息子を感動させたのは、「音楽の教科書に載っているシューベルトの肖像画」。

美術展では「自分のペースで勝手に見る」のが習いの藤吉家。今回もさっさと歩きだした息子がしばらくして興奮した様子で戻ってきて、「ほんもの?ほんものよね!」と腕を引っ張るので何かと思えば、お馴染みのシューベルトの肖像画の「ほんもの」でした。ついでにメガネの実物も。

「帰ったら音楽の先生に報告しなくっちゃ!」と大喜びの息子。こういう発見があるから、やっぱり本物を観に行くのはいいですね♪わたし個人的には、もっとゆっくりできるときに、3階にあるという美術図書館に行ってみなくちゃ!と思いつつ。

大満足の新国立美術館でした。「ウィーン・モダン」の会期は8月5日(月)まで。