『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)

読書『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)

佐藤優さんによる、筑波大学非常勤講師の小峰隆生氏を聞き手とした筑波大での特別講義をまとめたものです。

自分の知識が質・量ともに足りなさ過ぎて、本書の内容をちゃんと理解できたとはまったく言えないのですが、得たかった答えのひとつを再確認することができました。それは「目には見えなくても、確実に存在し、社会や歴史を動かすもの」(本書まえがきより)の存在と、そういうものへの理解を少しでも進めるために「一見、意味のない、現実社会とは遠い所にあるものを学ぶことが必要」(本書第二講より)であるということ。

以下備忘。


  • 目には見えなくても、確実に存在し、社会や歴史を動かすものが見えるからだ。
  • なぜなら哲学と宗教は、人間が生きていく上で不可欠な基本原理だからだ。
  • 学問とは、実学を身につけることです。哲学も神学も、実学です。
  • 人間は、一見、意味のない、現実社会とは遠いところにあるものを学ぶことが必要です。それによって、いまの自分の目ではしっかり見えていないものを理解するための「回路」を身につけることができるのです。
  • 実際に「存在すること」と、「存在すると思っている」ことは違うということです。
  • 我々の認識は、我々の文化による拘束を受けています。
  • 江戸時代の人々や幕府は「世界は完成している」として、外に目を向けなかった。その結果、その当時の人々の美意識は、最終的にエログロナンセンスに向かいました。
  • 自発的に選択したものは、自分で放棄することができる。
  • 抑圧されたものは、いずれ別のかたちになってまた戻ってくる。
  • 類比的な説明や思考は、見えないものを理解するのに役立つ

『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)より


 

投稿者:

ふじゆり@花祭窯

花祭窯おかみ/Meet Me at Art アートエデュケーター ふじゆり のブログです。1997年に開窯した花祭窯は、肥前磁器作家である夫・藤吉憲典の工房です。その準備期から、マネジメント&ディレクション(=作品制作以外の諸々)担当として作家活動をサポートし、現在に至ります。工芸・美術の現場で仕事をするなかで、体系的な学びの必要性を感じ、40代で博物館学芸員資格課程に編入学・修了。2016年からは、教育普及を専門とする学芸員(アートエデュケーター)として、「Meet Me at Art(美術を通して、わたしに出会う)」をコンセプトに、フリーでの活動をスタートしました。美術を社会に開き、暮らしと美術をつなぐことをライフワークとして、コツコツと歩んでいます。