福岡県立美術館

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

福岡県立美術館。

先日、学芸員の研修でお世話になった福岡県立美術館。気がつけば何年振り?の久しぶりの訪問でした。

特別展が開催されることの多い3階展示室と、館収蔵品のコレクション展などが開催されることの多い4階展示室。今回は4階展示室でスタートした『コレクション展3 特集:おしゃべりな絵画と寡黙な絵画』を観てきました。

今回の展覧会を担当した福岡県立美術館学芸員さんによるギャラリートークに参加。わたしはふだん展覧会を見る際、できるだけ言語情報を入れたくないので、めったにギャラリートークに参加しません。が、久しぶりの「解説を聞きながらの鑑賞」は、学芸員さんの熱意が伝わってくる、あたたかい時間となりました。

近年はどの館でも特別展には「イヤホンガイド」が用意されていることが多いですが、せっかく解説を聞くのならば、有名人によるアナウンス的解説音声よりも、実際に関わった学芸員さんの生の声で聞いた方が、伝わってくる熱量が違うよね、と感じました。

福岡県立美術館でお薦めしたいのは4階にある『美術図書室』。3万冊以上の美術図書を自由に閲覧できるということですが、個人的には、近所の図書館や書店では見つけにくいアート系の月刊誌・季刊誌などが並んでいるのが嬉しいです。また、これも書店ではなかなか見つけることのできない全国の展覧会図録を探すことができるというのも嬉しいですね。

 

映画『ボヘミアンラプソディ』

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

映画『ボヘミアンラプソディ』

写真はわたしのお宝Queenの2枚組ベストアルバムに入っている解説書から。

そもそもQueenが好きなので、当たりまえに観に行ったわけですが、好きになって30年ほどを経た今、思いがけず「歌詞の意味、その歌詞が生まれた背景を深く考える」初めての機会となりました。

わたしがクイーンを聴きだしたのは、10代前半からのこと。ラジオで全米チャートを聴き、夜中にMTVでプロモーションビデオをチェックするという、当時の洋楽好きな中高生にありがちなパターン。

クイーンに限らず、洋楽をたくさん聴いてはいても、英語の歌詞は何を言っているかわかりませんでしたし…歌詞カードを読めば少しはわかったのでしょうけれど(笑)、ヴォーカルの魅力は音のひとつとしての魅力でしたから、歌詞の内容を気にしたことがありませんでした。ひたすら「音の格好良さ」に惹かれて聴き続けてきたのです。

映画『ボヘミアンラプソディ』を観たあとで、今まで何百回・何千回と聴いてきた同じCDの音がまた違って聞こえる不思議。

上映期間中にもう一度映画館に行けたらいいな、と思いつつ

連続講座第5回「美術館de音楽療法」

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

連続講座第5回「美術館de音楽療法」

博物館マネジメント人材育成事業」の一環である連続講座「2025年問題に向けた高齢者の健康と博物館の役割」。第1回目「コラージュ」、第2回目「園芸療法」、第4回目「回想法」に続いて、第5回目「音楽療法」に参加してまいりました。

写真は、今回の会場となった福岡県立美術館。開催中の「バレルコレクション」、足を運びたいなと思いつつ、当日はガッツリ音楽療法を学びました。これまで3回受講した連続講座のなかでも、最も実験的な試みの講座でした。

指導してくださったのは、福岡女子短期大学音楽科の井上幸一先生。ほとんどの参加者が日頃は音楽は聴くだけの素人状態から、「即興的アンサンブル」を完成させるところまでしっかりと導いてくださいました。

以下、備忘。


  • 社会的・文化的関わりから音楽療法を捉える「コミュニティ・ミュージックセラピー」の考え方
  • (単にリラックスする、というようなレベルではなく)意図的、計画的に音楽を使用する
  • 音楽は時間芸術である
  • 音楽による非言語的コミュニケーション
  • ソーシャルアートとしての音楽
  • 触媒としての音楽
  • 音楽の構造のなかで「リズム」は本能的・情動的レベルで、人間が最初に取得し最後まで残るもの。
  • 理論的背景にあるのは「医学モデル」「精神分析モデル」「行動療法モデル」「人間主義的心理学」「同質の原理」
  • 精神分析モデル→音楽は無意識のレベルに働きかける
  • 同質の原理→浄化作用(カタルシス)をもつ

(「美術館 de 音楽療法」福岡女子短期大学音楽科 井上幸一先生 より)


座学ののち実験的に挑んだのは「絵画のイメージを音(即興的アンサンブル)で表現する」という、冷静に思い返せばかなり「無茶ぶり」な内容でした(笑)

この活動を通して最も大きく感じたのは「ふだん自分が何かを表現し伝えようとするときに、いかに『言語』という手段に頼っているか」ということ。そして、言語という手段に安易に頼るがゆえに、「きちんと伝える」ためにすべきことがないがしろになっていたかもしれないという反省。

広義での「鑑賞=見ること」について、あらためて考える機会となりました。

 

 

やっぱり人気の波兎。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

やっぱり人気の波兎。

肥前磁器の文様のなかには動物がたくさん登場するのですが、なかでもウサギは人気が高い動物です。干支のひとつであるのももちろんですが、干支に関わらずファンが多い。そしてウサギをモチーフにした肥前磁器の定番文様といえば、波兎文。

波兎(なみうさぎ)文。波とウサギの組み合わせは、神話の「因幡の白うさぎ」に題材を得たとも言われますが、真偽のほどはさておき、江戸時代からこちら「波に乗るウサギ」として縁起の良い意味づけをされています。

伸びやかなウサギの躍動感が感じられる、藤吉憲典の描く波兎。上の写真ではマグカップに入っていますが、定番の蕎麦猪口、飯碗など。今回の町田ももふくさんの個展でも、波兎文をいくつかみつけていただくことができます。


藤吉憲典展

2018.12.1(土)-12.7(金)
会期中無休

12:00-19:00(最終日は17:00まで)

ももふく
町田市原町田2-10-14#101
TEL042-727-7607

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出荷完了!町田ももふくさんで藤吉憲典展。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

出荷完了!町田ももふくさんで藤吉憲典展。

写真は藤吉憲典作、染付牡丹唐草文中鉢。月の満ち欠けに見立てたデザインになりました。

午前中に、個展会場に並ぶ器の出荷が完了。あとは作品リストを作成してお送りするのが、ひとまず会期前のわたしの任務。ここまでくるとひとまずホッとします。

個展の前は毎回ぎりぎりまで窯を焚いている藤吉憲典。今回も赤絵窯から朝上がったばかり。楽しみに足を運んでくださるお客さまに、ひとつでも多くご覧いただきたいという気持ちのあらわれです。

ぜひご来場くださいませ。


藤吉憲典展

2018.12.1(土)-12.7(金)
会期中無休

12:00-19:00(最終日は17:00まで)

ももふく
町田市原町田2-10-14#101
TEL042-727-7607

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読書『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)

佐藤優さんによる、筑波大学非常勤講師の小峰隆生氏を聞き手とした筑波大での特別講義をまとめたものです。

自分の知識が質・量ともに足りなさ過ぎて、本書の内容をちゃんと理解できたとはまったく言えないのですが、得たかった答えのひとつを再確認することができました。それは「目には見えなくても、確実に存在し、社会や歴史を動かすもの」(本書まえがきより)の存在と、そういうものへの理解を少しでも進めるために「一見、意味のない、現実社会とは遠い所にあるものを学ぶことが必要」(本書第二講より)であるということ。

以下備忘。


  • 目には見えなくても、確実に存在し、社会や歴史を動かすものが見えるからだ。
  • なぜなら哲学と宗教は、人間が生きていく上で不可欠な基本原理だからだ。
  • 学問とは、実学を身につけることです。哲学も神学も、実学です。
  • 人間は、一見、意味のない、現実社会とは遠いところにあるものを学ぶことが必要です。それによって、いまの自分の目ではしっかり見えていないものを理解するための「回路」を身につけることができるのです。
  • 実際に「存在すること」と、「存在すると思っている」ことは違うということです。
  • 我々の認識は、我々の文化による拘束を受けています。
  • 江戸時代の人々や幕府は「世界は完成している」として、外に目を向けなかった。その結果、その当時の人々の美意識は、最終的にエログロナンセンスに向かいました。
  • 自発的に選択したものは、自分で放棄することができる。
  • 抑圧されたものは、いずれ別のかたちになってまた戻ってくる。
  • 類比的な説明や思考は、見えないものを理解するのに役立つ

『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(PHP研究所)より


 

読書『充たされざる者』(中央公論社)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『充たされざる者』(中央公論社)

カズオ・イシグロ作品。わたしが読んだのはハードカバーの中央公論社版の上下巻でしたが、現在はハヤカワepi文庫版で出ているようです。

写真はロンドン郊外の街中で撮ったもの。この本を読みながら、わたしの頭に浮かんだ風景のひとつです。

上巻434ページ、下巻366ページ。久しぶりにこの分量を、ほぼ一気に読みました。読むにあたり、友人から「とんでもない本ですよ。ご覚悟くだされ(笑)」とアドバイスいただいた本でしたが、カズオ・イシグロ作品追っかけ中の身としては避けて通るわけにはまいりません。

全体像の見えない複雑なパズルをひとつひとつ埋めていく作業を思わせる読書でした。まどろっこしいながらも、手を止めるわけにいかず、ついつい読み進んでしまう。引きつける力がすごいな、と思いました。

読み終わってまず思ったのは、分かりにくいもの、正解のないもの、結論が見えないものにアプローチすることの意味。ひとつひとつの事象を自分のなかで組み立てていってみたり、ある事象の背後にある意味を根気強く考えたり、裏切られた予想を何度も立て直していったり。結論にたどり着くことが目的なのではなく、そこに至る(あるいは至らなくても)過程で自分がどう考えふるまうかを問われていたような気がしました。

わたしはあまりテレビを観ない生活をしていますが、たまに見ると、過剰にわかり易いというか、説明過多と感じることがしばしばあります。ドラマにしても、お笑い番組にしても、ニュース番組にしても、視聴者に対して「ここではこのように反応するのが正解ですよ」と言わんばかりのお膳立てを感じると、うんざり。一方で、そこに安心を感じる人もあるのだろうなということもわかる気がします。

『充たされざる者』は、いわばその対極にある本かも知れません。読み手にゆだねられていることの多いこと。読了まで、いえ、読み終わった後でさえ、まったく安心できない本です。

 

東長寺でダライ・ラマ法王。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

東長寺でダライ・ラマ法王。

写真は別の日の東長寺。明らかに季節が違いますが、ご容赦を。

「ダライ・ラマ in 福岡」。今にも雨が降り出しそうな二十四節気の小雪。ダライ・ラマ法王の声を聴きに行って参りました。

ダライ・ラマ14世のお話を聴く機会に恵まれたのは二度目。一度目は13年前子どもがお腹のなかにいたときに、熊本・玉名にいらっしゃると聞いて、こんな機会一生に一度あるかないかだ!と佐賀から車を走らせたのでした。

今回は博多・東長寺とあって、まさか二度目の機会があるなんて、しかもこんなに近くにいらっしゃるなんて!と申し込んだのでした。13年を経て、おかげさまで無事にここにおります、という気持ちで会いに行きました。

チベット語でのお経の奉納では、ここ数年の日本の自然災害による被災者の方々や被災地のことを思って祈ってくださいました。続く法話では、「禍」のときにどうそれを乗り越えるのか、心の持ちようについて説いてくださいました。

13年前のときのお話は(あくまでも、わたしの記憶に残っているものですが)「自我と無我」のお話でした。今回は「空(くう)」のお話。般若心境のなかにも現れる「空」ですね。

空(くう)である。すなわち、すべてのものには微塵たりとも実体性が無い、ということ。実体があると勘違いするから、そこに執着その他が生まれるというお話は、なんとなく分かるような気がしました。

そして「平らかな心」を保つことこそが「禍」を乗り越えるのに役立つということ。菩提心=利他の心を高めていくことが大切であるということ。これらを会得するために、般若心経を唱えることが必ず力になるということ。

というわけで、単純なワタクシ、しばらくお休みしていた「朝から声に出してお経を読む」を、復活しようと思います。

チベット語を日本語に通訳してくださった女性の方がすごいな、と思いました。話し方が前回と同じような印象だったので、同じ方だったのかもしれません。チベット語で仏教の専門領域のことばが次々と出てくるお話を、そこにいる人たちにわかりやすくその場で日本語にして伝える技術。すごいなぁとつくづく思いました。

ところで「ダライ・ラマ法王に会いに行きました」と書きましたが、実際にはお堂の奥でお話をなさった法王の姿はわたしの席からはまったく見えず、入場される際のお姿をかろうじてちらりと拝見しただけとなりました。それでも、その場に行くことができて良かったな、と思います。

感謝。

 

読書『ビジネスメールの中国語』(三修社)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『ビジネスメールの中国語』(三修社)

『日中辞典』(講談社)の編集にもかかわっておられるという著者・林松涛(りん しょうとう)さん。「ビジネスメールの」とありますが、その背景にある中国での慣習もわかりやすく説明してくださっているので、文化を知る上でもとてもありがたい一冊です。

ことあるごとに「やっぱり中国語勉強しなきゃ!」と思うのですが、今回も例にもれず上海出張の反省です(笑)今回の反省は「話せるようになりたい、書けるようになりたい」というずっと以前に「まずは相手に不快感を与えないようにしたい」という思いです。

以下、わたし的に「!」と思った内容まとめ。


  • 英語か日本語のメールに、中国語で1行の挨拶を添えてみる
  • 中国の祝祭日を意識した挨拶を書く
  • 英語のDearにあたる前置詞的ことば
  • 「簡単なあいさつ」「安否のあいさつ」「感謝やお詫び」「時候のあいさつ」のうち、一つか二つ書けば大丈夫
  • 結びには「祝~」式
  • 感嘆符と疑問符は必ずつける
  • 結びにはポジティブな言葉を入れる

『ビジネスメールの中国語』(三修社)より


具体的な文例等は、ぜひ本書で(^^)

 

連続講座第4回「博物館 de 回想法」

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

連続講座第4回「博物館 de 回想法」

博物館マネジメント人材育成事業」の一環である連続講座「2025年問題に向けた高齢者の健康と博物館の役割」。第1回目「コラージュ」、第2回目「園芸療法」につづく第3回目が「アニマルセラピー」だったのですが上海出張と重なり参加できず。第4回目の「回想法」に参加してまいりました。

写真は会場となった福岡市博物館。常設展示で、地域の歴史を世代ごとの目線で追える仕組みが面白い博物館です。当日はとっても良いお天気でした。

美術館・博物館が地域に貢献できること、地域と博物館資源を考えたときに、もっとも具体的・有効的に歴史民俗的資料が生かされる方法のひとつが回想法といえるのではないかと確信した一日でした。

以下、備忘。


  • 「博物館」と「教育」「福祉」の連携をいかに実現するか。
  • 市民が博物館を自分たちの「道具」としていかに使うか。
  • ライフレビュー(個人回想法)とグループ回想法。
  • グループ回想法で地域回想法。地域ケアとしての取り組み。
  • テーマ・内容・道具
  • 場の提供とサポート。
  • アート回想法ワークショップ。
  • お出かけ回想法。
  • 記憶の展示。
  • 持続性=行政の手を離れても持続可能か。
  • 「体に良い博物館」「脳に良い博物館」の効能。
  • 語る材料を得るための「地域の博物館」。
  • 私的刺激としての博物館資料。
  • 傾聴力。
  • 共有する時間の濃さ→チーム力→関わりから生まれる積極性。

今回の研修では、グループワークの際に学芸員、医療関係者、福祉関係者がそれぞれの現場から語る時間がしっかり確保されており、理想と現状を話し合うなかでいろいろと考えさせられました。