ワタリウム美術館で、鈴木大拙展。

読書『禅と日本文化』(岩波新書)鈴木大拙著/北川桃男訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『禅と日本文化』(岩波新書)鈴木大拙著/北川桃男訳

東京南青山にあるワタリウム美術館「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」を観たのは2022年7月のことでした。そのときにミュージアムショップに並んでいたたくさんの本のなかに、もちろんこの『禅と日本文化』もあって、これは読むべき本だと思いながらそのままになっていました。このたび満を持して(!?)読了。著者は日本人であるのに訳者が付いているというのは、本書がもともと欧米人向けに英語で行った講演をもとにしていて、英文で表されたものであるから。このパターンは、岡倉天心の『The Book of Tea 茶の本』と同じですね。

ともあれ、以下備忘。


  • 「言葉に頼るな」(不立文字)
  • 心理がどんなものであろうと、身をもって体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬ
  • 知性はもともと均衡を欲するものであるが、日本人は不均衡を好む強い傾向によって、ややもすればそれを無視する
  • 鎌倉・室町時代
  • 禅は武士道精神と相提携する
  • 禅は行動することを欲する
  • いっさいの学問と文字的再構成に反する禅
  • 鎌倉・室町時代(1192-1333-1573年)は(中略)禅僧が中国文化を日本にもたらし、後日同課の道を開いたのはこの時代
  • 特に日本的と見做しうるものが、この時期を通じて孵化の過程にあった
  • 禅と儒
  • 禅には自己の哲学というようなものは無い。その教えは直覚的経験に焦点をおき、この経験の知的内容はかならずしも仏教哲学にかぎられるというわけではない。
  • 寺子屋
  • 茶は原始的単純性の洗練美化
  • 禅がまず知性と闘うのは、知性というものが実用には役立つであろうが、我々が自分の存在をふかく掘り下げようとするのを妨げるから
  • 和・敬・清・寂
  • 禅に必要なのは心の誠実であり、その単なる概念化や物理的模倣ではない
  • いつかどこかで退避の道をもたねばならぬ
  • 四畳半の茶室によって象徴される、静かな「無意識」の一隅
  • 宇宙的無意識
  • 直感的心理
  • 教育者の義務は、その生徒のもつ最も貴重なものを育て上げるために、あらゆる機会を与えること
  • 経験の連続のみが芸術の秘密な深処(中略)へ通ずる

4年前に本書に出会っていながら、読むのが今になったのには理由があったようです。先月の「南方流遠祖・南坊宗啓禅師 献茶会」でお点前を勤めるに至るお稽古のなかで、体感的に分かったと思えることがひとつだけあって、それが具体的に何であったのかを、本書を通して文字で確認することができました。4年前には読んでもわからなかっただろうことが、今だから少しはわかる、という感じです。この先また10年後20年後に読み直せば、そのたびに少しづつ分かることが増えるかしら、そうなると嬉しいな、と思いつつ。

巻末を確認したところ、本書(日本語翻訳版)は1940年第一刷発行でした。「読んでいなかった古典名作」認定です^^

『禅と日本文化』(岩波新書)鈴木大拙著/北川桃男訳

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ふじゆり@花祭窯

花祭窯おかみ/Meet Me at Art アートエデュケーター ふじゆり のブログです。1997年に開窯した花祭窯は、肥前磁器作家である夫・藤吉憲典の工房です。その独立準備期から、マネジメント&ディレクション(=作品制作以外の諸々雑用)担当として作家活動をサポートしています。工芸・美術の現場で仕事をするなかで、体系的な学びの必要性を感じ、40代で博物館学芸員資格課程に編入学・修了。2016年からは「Meet Me at Art(美術を通して、わたしに出会う)」をコンセプトに、教育普及を専門とする学芸員(アートエデュケーター)としても、並行して活動しています。美術を社会に開き、暮らしと美術をつなぐことをライフワークとして、コツコツと歩んでいます。