藤吉憲典ロンドン個展2019。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

藤吉憲典ロンドン個展2019。

藤吉憲典ロンドン個展SladmoreContemporar

藤吉憲典ソロの個展としては、2回目。いよいよ来週12月4日がオープニングです。そういえばロンドンでのこれまでのアートフェアや企画展、個展はいずれも5月の開催でした。

今回は初めての12月。アート作品は、ご自身のために購入なさるコレクターさんがほとんどですが、クリスマスシーズンなので、大切な方への贈りものに選んでいただくのも嬉しいな、と思いつつ。

ふたたび、上海。

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ふたたび、上海。

銀座黒田陶苑さんによる、初めての上海での展示会のポスターがとどきました。そうそうたる顔ぶれの皆さまに混ざって、藤吉憲典も参加いたします。今回、磁器の染付・赤絵(色絵)の作家は藤吉だけなので、彩を楽しんでいただく役割を果たせたら嬉しいです。

上海展示会 銀座黒田陶苑

銀座黒田陶苑さんが一年近くをかけて準備してこられた展示会。さすがの規模です。会期は、2019年11月30日(土)から2020年2月16日(日)まで。 上海で、一人でも多くの皆さまにご覧いただけることを、心より願っております。

「任せる」と「責任を持つ」。

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「任せる」と「責任を持つ」。

写真は、ぼーっと考え事をするのに最適な、穏やかな浜。このところ、ふたつ続けて「もっとしっかり事前に打ち合わせをするべきだった」と反省する事案が、仕事上でありました。

「人に任せる」のが不得手なわたしは、ここ十年以上「信頼して任せる」がテーマのひとつ。こちらから事前に説明しすぎたり、先方がやろうとしていることを確認しすぎたりするのは、「任せる」に逆行するのではないかと、いまだに「適切な加減」をつかむのは簡単ではなく。

任せる一方で、当然その結果の責任はすべて負います。実はその「責任を持つ」には、お任せする相手に対して、きちんと理解してもらえるよう説明したり、先方がどのように考えるかを聞かせてもらったり、という事前のことも含まれるのだと、つくづく。

「信頼して任せる」の言葉を隠れ蓑に、必要な会話のやりとりを省いてしまっていたように思いました。しつこく話を聞いたり、聞いてもらったりするのってエネルギーのいることで、でも、やっぱりやらなきゃ!ですね。

ご近所さんに助けられています。

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ご近所さんに助けられています。

昨日はシンガポールからのお客さまでした。その前日に「やっぱり、椅子、あったほうがいいよね」と、ふと思い。

花祭窯は畳で、椅子がありません。これまで海外からのお客さまがいらっしゃったときは、座布団に座っていただいたり、立ったままでの接客。毎回気になりつつも対策をとらず、という状態でした。

とはいえ、前日。さて、どうしたものかと、まずはご近所の登録有形文化財「藍の家」館長さんに相談してみたところ、和室にあう椅子を貸していただけることになりました。しかも、必要数の八名分が余裕で揃います。花祭窯から歩いて1-2分ほどの距離ですから、せっせと手で運び込み、準備OK!

そして当日。お車でいらっしゃるというので、タクシーと思いきや、あと30分で到着するというタイミングでお電話いただき「大型バスなのですが、横付けできますか?」。これは無理なので、駐車場を確保しなければなりません。

すぐに、これまたご近所の福津市まちおこしセンター「なごみ」にお電話。文字通りの直前にもかかわらず、快く大型バスを受け入れていただけることになりました。ほっと一安心。こちらも歩いて3分ほどですから、お客さまに歩いていただくのに、苦にならない距離です。

お客さまを無事お送りして、あらためて、このエリアの「お客さま受け入れ力」を思いました。「和室に合う椅子8台」も「大型バスの駐車場」も、普通に考えたら、そんなに簡単に都合できるものではありません。それが、前日や直前で解決したのですから、ほんとうに恵まれています。

つくづく、ご近所さんに助けられています。ありがとうございます。

「地図帳」が面白い。

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「地図帳」が面白い。

写真は息子から譲り受けた、小学校4年生以上用の副教材「地図帳」(東京書籍)。

翌日にシンガポールからお客さまがお見えになる、という晩、ダンナと「シンガポールの公用語は何語だ!?」と話していると、息子がおもむろに「地図帳に書いてあるよ」と。

見せてもらったところ、地図だけでなく各種統計の表が載っていて、そのなかに国ごとの「おもな言語」もありました。思いがけず情報量が多く、感嘆。世界地図も、全体を俯瞰したものだけでなく、地域にクローズアップして都市名がわかるものもあり、とても便利です。

「これ、いいねぇ!」と夫婦で奪い合うように見ていたところ、「僕はもう別のをもっているから、あげるよ」と譲り受けました。わたしも小学生のころ、たしかに地図帳を使っていた記憶はありますが、こんなに情報が充実していたのですね…。今こそ、地図帳が有意義に使えそうです(笑)

あらためて地図でシンガポールの位置も確認。福岡まで飛行機で5-6時間とおっしゃっていたのが距離的に把握できたり、国土の広さに対してとても多くの方が暮らしておられることなどを、統計の表と合わせてビジュアル的に理解することができました。

ところで、シンガポールの主な言語は「マレー語・中国語ほか」と書いてありました。ほとんどの方が英語を話せるのは、教育によるものなのだということを、今さらながらに思います。わたしも頑張ろう。

目の前のことに向き合う時間の大切さ。

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目の前のことに向き合う時間の大切さ。

花祭窯おかみとしてわたしがしている仕事は、「先の予定(未来)のための準備」と「終了した仕事(過去)へのフォロー」が多いよな、とふと考える機会がありました。もちろん「準備→今(実践)→アフターフォロー→次への準備」とつながっているのではありますが。

体はここにあっても、意識は未来のことか過去のことに集中しているという状態。わたしはこれが過多になってくると、「今ここに居る自分」に集中する時間の大切さを感じます。

少し前からビジネスマンの間でも流行っている「マインドフルネス」の考え方は、源が「禅」にあるようですが、たぶん同じようなことなのだろうな、と思いつつ。

で、どうするか。瞑想とまではいかなくても、たとえばお茶のお稽古や書道をしているときは、わたしにとって「今ここ」に集中する貴重な時間です。その場・その時間に心身共に集中していないと、時間をかけても、何回やってもうまくいきません。

でも実は、日々の生活のなかで料理をしたり掃除をしたりということも、じゅうぶん「今ここ」に集中する時間になるのですよね。いつもの家事を、「ながら」ではなく、ひとつひとつに集中してみると、同じような効果が感じられることに、最近気づきました。

大掃除をし終わった後のスッキリ感や、ちょっと頑張ってお料理をつくりあげたときの充足感、ありますよね。これは「今ここ」に集中した結果もたらされているのだろうな、と。

ということで、この週末は「掃除」に集中する時間を作ってみようと思います。

ひさびさに干し柿づくり。

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ひさびさに干し柿づくり。

ご近所さんから、干し柿用にと柿をたくさんいただきました。日に日に気温も下がり、空気も乾いてきたので、シーズン到来です。

佐賀に居たときは、裏庭に渋柿の木がありましたので、お正月用にといくつか採って、ささっと皮をむき、吊るして手軽に作っていました。食べどきになったころには、ずいぶん小さくなってしまうのですが、凝縮した甘みがたまらないおいしさでした。ついつい食べてしまい、お正月前に無くなってしまった!ということもしばしば。

今回いただいたのは、農家さんが作っている柿。まずその立派な大きさにびっくりしました。ひとつひとつ皮をむいて、吊るした姿も迫力があります。あとは、カビがしませんようにと、お天気にお祈り。津屋崎は風が通るので、比較的乾燥しやすく、干し柿づくりに適した気候のはず!と思いつつ。

The Animal Boxes of KENSUKE FUJIYOSHI :ロンドン個展のミニカタログ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

The Animal Boxes of KENSUKE FUJIYOSHI : ロンドン個展のミニカタログ。

12月4日スタートのロンドンで個展 “The Animal Boxes of KENSUKE FUJIYOSHI” を控え、自らも告知活動を本格化せねば!と思っていたところ、インスタグラム上に、ロンドンのギャラリーがミニカタログを作ってくれていました。

これは嬉しい♪ということで、こちらでも宣伝。カタログ掲載の作品が欲しい!という方は、ぜひ Sladmore Contemporary へお問い合わせくださいませ。

学芸員技術研修会「博物館教育」2019。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

学芸員技術研修会「博物館教育」2019。

毎年楽しみな齋正弘先生の博物館教育。今年度は、春にリニューアルオープンした福岡市美術館での開催でした。「教育普及学芸員」としての在り方を考える研修会。毎回楽しいながらも、気がついたらエネルギーを消耗しています(笑)写真は、今回の研修内で実施した「見る」を知るための作業の、わたしの成果物。

以下、備忘。


  • 図工≠美術。
  • 自立した美意識がはじまると「美術」が可能になる。
  • 美意識が始まるのは、自分で選択ができるようになってから。
  • その境目が、おおよそ10歳ごろ。
  • 世界の見え方:どこから見る?どう見る?何を見ている?
  • 好きなものしか描け(か)ない・作れ(ら)ない。
  • 運動神経。
  • ひとつの絵から、見た人がそれぞれ別の方向に広がっていけるのが「良い鑑賞」。
  • 例えばうちの例(磁器の芸術)で考えたとき「400年前→200年前→現代」で、どう進歩しているか。
  • 建物、環境、展示作品(美術)。
  • 美術館・博物館は「これが宝物だ」を教える場所。
  • 「その前」に思いを至してみる。
  • その作品が出来上がる前/その作品が出来上がるまで。
  • 絵を描く前には必ず「見る」。
  • 知っていることしか使えない。知っていることからいかに多方面に拡大していくか。
  • ピクセルを上げる。
  • キャパシティ。
  • 鑑賞教育≠解説。
  • 社会教育は、学校教育ではできないことをするのが使命。
  • そもそも博物館・美術館は社会教育の担い手である。
  • ワークショップの肝は「準備しない」「成就を目指さない」。
  • リソースの確認→スコアの作成→実行→リソースの確認→…の繰り返し。


あいにくの雨となり、楽しみにしていた美術館探検は屋外が使えず、屋内でのワークショップに変更。わたしにとっては、これが思いがけず貴重な時間となりました。「見る」ことの確認、「準備しない」ワークショップなど、あらためて実体験を通して得るものが大きかったです。

毎年この機会をつくってくださる九州産業大学の緒方泉先生に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

南方流流祖実山居士献茶式。

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南方流流祖実山居士献茶式。

毎年この季節は、入門している茶道南方流の流祖である、立花実山居士を祀る献茶会でした。昨年の実山忌のレポートでは、由来について少し書いていました。写真は、待合から眺めた円覚寺のお庭。

今年も、献茶の儀式が済んだのちに、和尚さまが南方流の根拠となる書物「南方録」を読み解いてくださいました。原本のままでは難解なので、熊倉功夫先生解説の『南方録を読む』(淡交社)を教科書としています。今回学んだのは「曲尺割(かねわり)とは何か。」。

和尚さまによる解説で、特に心にのこったのは、次の五つでした。


七五三」「守破離」「草庵」「心と技術」「道具」

  • 曲尺割の基本にどのような根拠があるか。
  • 肝は陰陽五行の陽数の五。
  • 茶の湯の深味は草庵の茶にある。
  • 人によって修行の方法もかわるべき。
  • はいるところはかわっても、そのもっとも深い真実は同じである。
  • 一貫した根本の法を一通り習いおぼえ、道具も一つか二つに決め、自分が持つにふさわしい道具を師と相談して組合せ、置き合せのかねの具合、取扱い方など一通りおぼえる。
  • 草の小座敷、露路の茶風は本格のかねを基本とするとはいっても、最後にはかねを離れ、技術を忘れ、心味が無味にきわまる出世間の法である。
  • 真実というものは事実と理論と別々につかめるものではなく、知識が身についてくれば茶のこころもわかってくる。そうすると技術もそれに伴って熟達してくる。
  • 技術はよいけれども精神的な深味がないというのは、技術もまだ十分深奥に達していないからである。

※熊倉功夫先生解説の『南方録を読む』(淡交社)から、補足抜粋しています。


最後の方は特に、茶道だけでなく、日々の仕事にも同じことが言えるとしみじみ思いました。同様に「精神的にはすぐれているけれども、技術が不十分」ということも決して無くて、精神的な深味は、その技術や知識もしっかりと身に付けた熟達してこそ伴ってくるということですね。

学ぶほどに己の未熟さがますます見えてくる今日この頃。茶道も仕事も、大切なことは同じだと、あらためて思いました。