南方流流祖実山居士献茶式。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

南方流流祖実山居士献茶式。

毎年この季節は、入門している茶道南方流の流祖である、立花実山居士を祀る献茶会でした。昨年の実山忌のレポートでは、由来について少し書いていました。写真は、待合から眺めた円覚寺のお庭。

今年も、献茶の儀式が済んだのちに、和尚さまが南方流の根拠となる書物「南方録」を読み解いてくださいました。原本のままでは難解なので、熊倉功夫先生解説の『南方録を読む』(淡交社)を教科書としています。今回学んだのは「曲尺割(かねわり)とは何か。」。

和尚さまによる解説で、特に心にのこったのは、次の五つでした。


七五三」「守破離」「草庵」「心と技術」「道具」

  • 曲尺割の基本にどのような根拠があるか。
  • 肝は陰陽五行の陽数の五。
  • 茶の湯の深味は草庵の茶にある。
  • 人によって修行の方法もかわるべき。
  • はいるところはかわっても、そのもっとも深い真実は同じである。
  • 一貫した根本の法を一通り習いおぼえ、道具も一つか二つに決め、自分が持つにふさわしい道具を師と相談して組合せ、置き合せのかねの具合、取扱い方など一通りおぼえる。
  • 草の小座敷、露路の茶風は本格のかねを基本とするとはいっても、最後にはかねを離れ、技術を忘れ、心味が無味にきわまる出世間の法である。
  • 真実というものは事実と理論と別々につかめるものではなく、知識が身についてくれば茶のこころもわかってくる。そうすると技術もそれに伴って熟達してくる。
  • 技術はよいけれども精神的な深味がないというのは、技術もまだ十分深奥に達していないからである。

※熊倉功夫先生解説の『南方録を読む』(淡交社)から、補足抜粋しています。


最後の方は特に、茶道だけでなく、日々の仕事にも同じことが言えるとしみじみ思いました。同様に「精神的にはすぐれているけれども、技術が不十分」ということも決して無くて、精神的な深味は、その技術や知識もしっかりと身に付けた熟達してこそ伴ってくるということですね。

学ぶほどに己の未熟さがますます見えてくる今日この頃。茶道も仕事も、大切なことは同じだと、あらためて思いました。