相撲は美しい-横綱鶴竜引退で、ひとつの時代が終わりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

相撲は美しい-横綱鶴竜引退で、ひとつの時代が終わりました。

というのが、今朝の藤吉家の空気です。

昨年末に、鶴竜が日本国籍を取得したことをこのブログにもアップしていたところでした。休場続きのこの一年、九州場所で鶴竜の相撲を見たいと、ケガからの復帰を待っていましたが、引退を決断なさったようです。上の写真は4-5年前の九州場所での写真。

「相撲が国技」という伝統は、実は割と近年に作られたものであると、先月読んだばかりの『日本の伝統の正体』(新潮文庫)で知ったところでした。でも、「国技」として認定された歴史は思っていたより浅くても、日本の文化がそこにたくさん詰まっていることには変わりないと思います。

鶴竜がモンゴルから日本にやってきたのは16歳の時。15歳の時に日本の相撲関係者に宛てて、相撲界に入る決意と熱意を日本語で手紙にしたというのは、有名な話です。15歳といえば、今のわたしの息子と同い年。その鶴竜に対して、お母さんが「日本には、郷に入っては郷に従え、という言葉がある」という話をしたというのも有名な話です。

昨年末、鶴竜が日本国籍を取得したことをニュースで知ったとき、これで日本の相撲界に鶴竜関がずっと居てくれると、単純に喜んでいました。でも相撲解説の舞の海秀平氏のことばを聞いて、ハッとしました。日本国籍を取得するということは(日本は二重国籍を認めていないので)モンゴルの国籍を離れるということであって、我々はあまりそのことについて考えることはないけれど、生まれ育った国の国籍を離れる決意をするのは、実はすごく大変なことだと思うんです…というようなことをおっしゃいました。

たしかにそうですね。少年期に日本にやってきて相撲界に入って、期待外れで幻滅したことなども正直なところあったのではないかと思うのです。それでも日本の相撲界に残る道を選んでくれたことを、一ファンとして応援してきた者としては、ほんとうにありがたく思います。

もう取り組みが見れないと思うと残念ですが、これからは、九州場所の会場で「年寄 鶴竜」に会えるのを楽しみにします。大相撲本場所の会場では、親方衆は駐車場整理をしていたり、入場チケットのもぎりをしていたり、会場の見回りをしていたり、イベントの運営をしていたりして、実は現役時代よりもお客さんの近くにいらっしゃることが多いのです。

息子が「鶴竜ちゃんが好き!」と言ってから10年以上。九州場所に足を運び、当時の井筒部屋(両国)にも訪問し、鶴竜関と記念写真を撮り…。おかげさまで大相撲をとっても楽しみました。鶴竜に直接「ありがとうございました」を言える日を、心待ちにしているところです。今年の九州場所は福岡国際センターで開催されるといいな。