「見る」のプロ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「見る」のプロ。

NHK BSプレミアム『美の壺 File543 「青と白の粋 染付の器」』の後日談です。

取材撮影にいらしてくださった制作チームの皆さんが素晴らしくプロフェッショナルで、そのお仕事ぶりに感嘆したことは、「たま~にメディア取材。」としてブログ記事にアップしておりました。放送終了後、お世話になった制作チームの皆さんにダンナがお礼状を書いておりましたが、つい先日そのお一人からお手紙が届きました。そのなかに、とてもありがたい一文がありました。

いわく「藤吉さんがこれらの仕事を長年の熟練によって楽々とこなしているのでもありませんでした。作業の節目で生き返ったように大きく息継ぎするのが印象的でした」と。

まさにそうなのです。長年の熟練ではありながら、一つ一つの仕事は、常に「最初のひとつ」として向き合うのが、藤吉憲典の仕事です。たとえ同じ文様を何百回何千回と描いてきていても、惰性でこなせる仕事などひとつもありません。仕事のどの部分を切り取られても「これは自分の仕事」だと胸を張って言えるものでなければ、お金を出して購入してくださるお客さまに対して失礼であるというのが、独立以来の考え方です。

「大きく息継ぎ」は、テレビには映っていない場面でしたが、日ごろから仕事ぶりを見ているわたしには見慣れた姿です。制作チームの方がその意味を理解してくださっていたことを、とてもありがたく思いました。たとえば絵付の手元だけを見ていると、とても自然にさらさらと筆が動いています。そこは熟練を感じるところ。けれどもその背後にはものすごい集中力があり、それがわかるのが、ひと作業終わるたびに「ふうーっ」と大きな息をつく姿だったのだということです。

思えば、カメラを通してではありますが、いえ、カメラを通しているからこそ、かなりの至近距離で磁器作家・藤吉憲典の動きや表情をご覧になっていたのですね。一日半の撮影は、長いようでいて対象の本質を知るには十分な時間ではなかったのではないかと思っていましたが、プロの「見る力」の凄さを感じました。こんなふうに、表面に見えるものの奥までを捉えようと撮ってくださったからこそ、あのような映像が出来上がったのだなぁと、あらためて感慨深く思いました。