ブログ「花祭窯便り」では、作家や作品のニュースを端的にお知らせしています。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

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花祭窯おかみとしての仕事のひとつに、オンラインショップ「蕎麦猪口倶楽部」の運営があります。花祭窯は最小単位の家内制手工業ですので、一人に何役も割り当てられ、わたしはいわば「何でも係」。花祭窯で「オンライン」の概念を仕事に取り入れたのは、2000年のことでした。もう20年以上携わっていることになります。

さて「花祭窯便り」。もともとは、オンラインショップでお買い上げくださったお客さまへの、花祭窯と作家藤吉憲典の「近況お知らせ」的なニュースレターのタイトルです。オンラインショップ「蕎麦猪口倶楽部」をリニューアルオープンするにあたり、ショップサイト内に短信ニュース的なブログを書くことになりました。目的が同じところ(お客さまへの近況お知らせ)にあったので、同じタイトルに。

蕎麦猪口倶楽部ブログ 花祭窯便り

ブログ「ふじゆりスタイル」が、 花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりの個人的な雑文(読み物)の位置づけであるのに対し、「花祭窯便り」ではより公式な窯や作家のニュースを短めの文章でお知らせしています。「窯や作家の情報が、必要なものだけ、パッと分かればいい」というときには、「花祭窯便り」の方が端的でおススメです♪

蕎麦猪口倶楽部ブログ「花祭窯便り」
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読書『人間であることをやめるな』(講談社)半藤一利

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『人間であることをやめるな』(講談社)半藤一利

いつものカメリア図書館「新刊コーナー」で手に取った一冊です。「新刊コーナー」は、ジャンルにとらわれずアンテナに響くものを見つけることが出来るので、わたしにとっては、視野を広げるのに最適な場所になっています。読書傾向が偏りがちなのは当たり前のこととしても、「たまにはこんなのいかが?」と無言でプレゼンしてくれるのが、新刊コーナーです。

半藤一利さん。恥ずかしながら「お名前だけは聞いたことがある」というぐらいでした。映画『日本の一番長い日』(2015年)の原作者、昭和史研究の第一人者にして「歴史探偵」。今年の初めに亡くなられたのですね。著書を読むのは初めてで、読後、もっと早く手にする機会が無かったものかと自問しました。でも、本との出会いはタイミング。わたしにとっては、今がその時ということですね。

本書は2021年4月初版。亡くなったのが1月でしたから、その後に刊行されたことになります。2009年から2015年の間に初出された文章の中から、「墨子と竜馬と」「明治の将星のリアリズム―名言『坂の上の雲』」「石橋湛山と言論の自由」「昭和天皇の懊悩と歴史探偵の眼」「人間であることをやめるな」が収録されています。

図書館で手に取ったときには「なんとなく」でしたが、読んでみて、わたしにとって今まさに読むべき本であったとわかり、驚きました。久しぶりに「本に呼ばれた」と、感じました。ここ最近の読書で再三考えさせられている「時代は進んでも、同じ失敗を繰り返す」わたしたちへの警鐘に他ならない文章の数々です。

同じ過ちを繰り返すのは、歴史を直視せず、事実を知ろうとせず、そこから学ぶことを怠ってきたからに他ならないということ。そもそも為政者によってそれぞれの時代の「記録」がきちんとなされてこなかった(不都合なことは隠蔽された)傲慢・怠慢。そして明治期以降の短い期間にも、同じこと(失敗)が繰り返され続けているという驚愕。著者の言う「リアリズムとは無縁の、想像的楽観主義」による政治…。

「リアリズムとは無縁の、想像的楽観主義」。もう、今まさに、というところですね。先日読み終わった山崎豊子さんの『運命の人』しかり、 「ペン」で警鐘を鳴らし続けている人たちがいた(いる)ことに力を得る一方で、それでも世の中が「空気」に押し切られてしまう怖さ弱さを思います。

上の写真は、ご近所の津屋崎浜から大峰山方面を仰いだところ。大峰山の山頂には「東郷公園」「東郷神社」があります。「東郷」は、東郷平八郎のこと。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』に出てくる日本海海戦ゆかりのスポットです。わたしは「なぜここに?」が理解できなかったのですが、日本海海戦がこの岬の沖で行われたことから、東郷平八郎の信奉者らにより大正時代に建設運動が起こり、昭和初めに完成したということです。

半藤一利さんはもちろん、墨子、司馬遼太郎、石橋湛山と、これまで自分にとって距離のあった人物に対して、興味の沸いてくる読書となりました。司馬遼太郎さんは、いつかはと思いながら、まだ全く手についていませんでしたから、今からがタイミングということでしょう。ほんとうに、読んでいないものばかりです。少しづつ、手に取っていこうと思います。

花が無いときは、葉っぱで。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花が無いときは、葉っぱで。

真夏らしいお天気が続いています。朝から蝉の声、青い空青い海に、ぴかぴかの陽射し。花祭窯の小さな露地では、百合の花も終わり、力強い緑色に覆われてきています。ちょっと花でも活けておこうと思ったときに、パッととってこれる花が無い!という状態。

そんなときは、まず近所のお魚センターうみがめに足を運びます。でも、やはりこの猛暑続き故でしょうか、切り花があまり出ていません。活けたいと思える花がないならば、無理はせず、頭を切り替えます。そう、我が家の庭に緑はたっぷりあるのですから、それらを生けよう!ということで。

濃い緑に白が目を引く、斑入りの葉蘭がありましたので、葉っぱの大きさと斑の景色で3枚選んできました。

同じ「緑」でも、こちらはやわらかい黄緑色。茎の赤茶色とのコントラストがきれいです。花が無くても、葉っぱでOK。緑が室内にあることで空間が潤いますね。

読書『運命の人』(文春文庫)山崎豊子-後半(3・4巻)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『運命の人』(文春文庫)山崎豊子-後半(3・4巻)

数日前に、読書『運命の人』前半をアップしましたが、その後半です。前半の感想の最後に「エンディングに向かってドキドキ」などと書いておりましたが、それどころではありませんでした。本書では「国家権力とジャーナリズムの戦い」ひとつを主題としていたのではなく、「沖縄問題」そのものをさらに深く追求していくことが、もうひとつの大きな主題であったのだと気づかされました。

わたしが読んだのは文庫版。「文庫版のためのあとがき」を山崎豊子さん自身が手がけており、そのなかに、この本に対する思いがはっきりと書かれています。いわく「通常より早い文庫化をお願いしたのは、私の方からだった。一人でも多くの読者に読んで欲しいと、願ったからである。」(『運命の人』(文春文庫)「文庫版のためのあとがき」より)。

この「あとがき」を読んでさらに、本書への並々ならぬ思いを感じました。ちょっと探してみたところ、文芸春秋社のサイトに、本書についての山崎豊子さんへのインタビューが載っていました。そのなかで「これが最後の作品だという気持ちをこめて書き上げました」とおっしゃっています。

「沖縄の基地の統廃合には、日本の外交、防衛のありようが集約されている。再び取り返しのつかない不幸な事故が起きない前に、国民一人一人が真摯に考えて欲しい、というのが私の切なる願いであり、拙著がその万分の一でも役立てば幸せである。」 (『運命の人』(文春文庫)「文庫版のためのあとがき」より)。

わたしは本書がいつ書かれたのかを知らずに手に取りましたが、読み終わって、これが最近の著書であったことを知り、現在の日本の状態を憂う著者の思いの結晶であることがわかりました。まぎれもなくわたしにとっては、真摯に考えるきっかけとなる一冊(4巻)です。「ペンは剣よりも強し」の言葉が思い出され、ペンを手に取る人の責任感・使命感を強く感じた読書でした。

次世代教育推進協会の交流会に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

次世代教育推進協会の交流会に参加してまいりました。

「地域での社会教育はつながりが大切で、実際につながっていくことが多い」のタイトルで、社会教育のことを考えていたのは約半年前。そこでも紹介していた、福津市で地域の子どもの教育を考える任意団体「次世代教育推進協会」の交流会が開催されました。福津市内の学校・地域・習い事教室などが連携して、子どもたちの「やりたい」「知りたい」に応える機会を提供していくための、有志の集まりです。

今回は市内の小学校のうち3校の校長先生が、ゲストとしてご参加くださいました。約2時間の意見交換の後、最後の挨拶をしてくださった校長先生の「学校も、民間も、子どもを思う気持ちは同じで、抱える課題にも共通のものがたくさんあり、ここにも仲間がいると嬉しくなった」という言葉が印象的でした。

福津市では「コミュニティスクール」として、学校と地域と家庭が連携して子どもたちに関わっていく取り組みをしています。「子供会」「婦人会」「商工会」「おやじの会」など、これまでにもさまざまな地域団体が、小中学校と連携した活動をしています。その「地域」の枠組みに、「習い事教室の先生方」という新しい結びつきが加わるのは、画期的なことだと思います。

公教育と、私教育の連携。アートエデュケーターとしては、博物館学芸員の教育普及の仕事は「学校ではできないこと・やらないことをする」ことに、大きな価値があると考えています。相互に補い合うことで、子どもたちにより豊かな学習環境を提供できるのは、素晴らしいことです。具体的な取り組みに発展させていくのは今からということですが、一会員として、とても期待しています。

このような機会をつくるために奔走してくださっている会長はじめ幹部役員の皆さん、事務局の皆さんに心より感謝申し上げます。

7月25日は波折神社で夏越祭でした。

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7月25日は波折神社で夏越祭でした。

ここ津屋崎波折神社の夏越祭は、毎年7月に行われます。6月末に正月から半年の禊払いを行う神社も多いですが、ひと月遅れ。毎年楽しみな行事のひとつです。

今年も感染症対策の観点から、皆でぞろぞろと歩く「茅の輪くぐり」は出来ず、午後の時間帯に随時それぞれ出かけて輪くぐりをする方法となりました。出かけていくと氏子総代の方が輪のそばにいらして、「くぐり方」を指導してくださいます。輪に向かって左側、右側と8の字を描いてくぐります。

茅の輪くぐりが終わったら、境内にお参りして紅白のお饅頭をいただき、茅を数本頂いて帰ります。我が家の玄関内側に飾る輪っかを編むのは、ダンナの仕事。ともあれ今年も、無事家族皆が元気に茅の輪くぐりに参加できることへの感謝と、半年の反省を込めてのお参りができました。

波折神社の茅の輪と、霰天神社の厄除粽。

つい先日、思いがけず、お客さまから霰天神山の厄除粽と護符をいただきました。霰天神山は「火除天神山」ともいわれ、京都祇園祭の宵山には、火伏・雷除の護符「火乃要慎」が授与されるのだそうです。我が家は窯元で火を扱いますから、お客さまのお気持ちを、とてもありがたくいただいたところでした。

さっそく火乃要鎮の護符は窯のところに、厄除粽は波折さんの茅の輪と一緒に玄関内側にかけて柏手。良い日曜日となりました。

藤吉憲典の次の個展は、岡山のギャラリー栂さんです。

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藤吉憲典の次の個展は、岡山のギャラリー栂さんです。

「そろそろ案内状の作成に取り掛かりたいのですが」と、栂さんからご連絡がありました。藤吉憲典の次の個展は、九月に岡山・和気のギャラリー栂さんで開催です。

個展案内状に使う写真用に、作品をいくつか送ります。今回は、栂さんの方で選んでいただけるように少し多めに用意しました。個展を開催してくださるギャラリーオーナーさんが、どのように選び、DMをつくってくださるか。そこには、作家や作品に対する、オーナーさんの期待が込められていると思うので、いつも出来上がってくるのが楽しみです。

現状、国内での藤吉憲典の個展は、ほとんどが「器」の個展です。扱ってくださるギャラリーさんが、器をメインとしたギャラリーさんなので、必然的にそうなっています。今回は、栂さんが「器でもアートでも、藤吉さんにお任せします!」とおっしゃってくださいました。栂さんの空間ならではのイメージで、どちらも存分に楽しんでいただけるような構成になるのではないかと思っています。

栂さんには、お蕎麦屋さんが併設しています。しかも個展初日は中秋の名月9月21日予定。「蕎麦・酒・月見・アート」キーワードを並べるだけで、俄然ワクワクしてきますね。作り手は、これからさらにイメージを膨らませて、個展へのものづくりラストスパートです。どんなものが生まれるか、楽しみです。

本屋さんハシゴ。

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本屋さんハシゴ。

久しぶりにゆっくり本屋さんに行ってきました。上の写真は、今回本屋さんをハシゴした宗像市のマップ。文化財マップですが。

昨年来、ひとつの場所で「ゆっくりする」ことが憚られる雰囲気が長く続いていましたね。わたしも、せっかく大好きな本屋さんに行っても、気持ち的にも物理的にもゆっくりできないことが続いていました。一年以上を経て、それぞれに配慮すれば解決できることがあると見えてきたのは、大きな進歩だと感じています。というとなんだか大袈裟ですが、要は、本屋さんに行ってゆっくり本棚を眺めることができるようになってきたのがとっても嬉しい、ということ。

さて本屋さん一軒目は、明屋(はるや)書店くりえいと宗像店。ずっと、地元のいわゆる「町の本屋さん」だと思っていましたが、愛媛に本社(本店)がある本屋さんの、宗像店なのでした。平積みと面陳列に強い意志が感じられる本屋さんです。売れているもの、話題のものが並ぶ、だけでは終わりません。個人的にツボにハマる並びをあちらこちらで発見しては、「こう来るか~!」と嬉しくなる店内。

なかでも今回一番「おお!」と思ったのは、光文社新書のコーナー。「名画」シリーズでお馴染み中野京子さんの「ヨーロッパの歴史を名画とともに紐解いていく」シリーズが特集されていました。シリーズ最新刊の「プロイセン王家12の物語」に既刊の「ブルボン王朝 12の物語」「イギリス王家12の物語」「ハプスブルク家12の物語」「ロマノフ家 12の物語」を合わせて「この5冊を読めばわかる!」と。あまりにも理にかなった抱き合わせ販売的並びに、まとめ買いしそうになりました。

そしてもうひとつ、店内の店員さんたちのてきぱきとした姿が印象的でした。書店員さんに「訊ねもの(または相談)」をしているお客さんが、とても多いのです。これはひとえに、店員さんたちの常日頃のお客さま対応の結果なのでしょうね。わたしも探している本があったので、店員さんにたずねてみましたが、とても気持ちの良い対応で、「これはすぐに店員さんを頼ろうという気になるなぁ」と思いました。

あっという間に一時間以上が経過。続く本屋さん二軒目は、明屋さんのすぐお隣にあるサンリブくりえいと宗像店2階にこの春オープンしたばかりの、BOOK & CAFE「TSUTAYA × TULLY’S COFFEE」。至近距離にある2店舗ですが、良い意味で棲み分けができている感じがいたしました。が、長文になってきたので、こちらの紹介はまた別の機会に♪

花祭窯のショップカードが新しくなりました。

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花祭窯のショップカードが新しくなりました。

約二年ぶりの新調となりました。在庫が少なくなるタイミングとも重なりますが、新しいものを作りたくなるタイミングが、わたしの場合どうも二年スパンのようです。新調したいと思ったときに躊躇なく作れるよう、毎回カード制作は最小単位(50枚とか100枚とか)で発注します。足りないときは追加発注したらOK。おかげで印刷物を余らせることなく、毎回すべて使い切ることができます。最近のオンデマンド印刷は、画質が良いうえに小さい単位での注文もしやすいので、助かります。

花祭窯のショップカードというよりは、磁器作家・藤吉憲典の略歴カードあるいは名刺代わりと呼んだ方が、正しいかもしれません。このところハガキサイズでの制作が続いていましたが、今回は少し気分を変えて、二つ折りで名刺大のタイプにしてみました。これだと、蕎麦猪口や小皿といった小さいサイズのものを化粧箱包装するときにも、きれいに箱におさまります。

花祭窯ショップカード 兼 藤吉憲典アーティストステイトメント

↑写真面が表。写真は、abcフォト(abc pictures)の赤司さんに撮っていただいたもの。いい写真が手元に揃っていると、このような制作物を作ろうと思ったときにすぐに取り掛かれるので、とっても助かります。

花祭窯ショップカード 兼 藤吉憲典アーティストステイトメント

↑こちらがカードを開いた内側面。前回ショップカードを新作したときにも思ったのですが、つくるたびにテキスト(文章)が減っていく傾向にあります。必要最小限を目指した結果、今回はこのようになりました。シンプルイズベスト。英語版もそろそろ在庫が少なくなってきたので、同じパターンでつくろうと思っています。せっかくなので、写真は別のものに差し替えます。その写真選びも楽しみのひとつです。

今回も印刷は、「印刷通販ならWAVE」さんに発注。発色美しく印刷してくださること、オペレーションが常に改善されていてスムーズでわかりやすいこと、入稿データに少しでも「?」があるとすぐに電話でご連絡くださること、オンデマンドでは選べる紙の種類がたくさんあるのが嬉しいです。今回も満足の仕上がりです。

読書『運命の人』(文春文庫)山崎豊子-前半(1・2巻)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『運命の人』(文春文庫)山崎豊子-前半(1・2巻)

約半年ぶりの山崎豊子さん。前回の「勝手に山崎豊子祭り」では、大阪船場商人の生きざまを感じさせる本を読んでいました。できるだけ冊数の少ないものから…とスタートしたところ、初期の作品になっていました。今回はちょっと大作に手を伸ばしてみようと思っています。まず手に取ったのが、大作のなかでも比較的冊数の少ない本書『運命の人』、文庫で4巻です。現在2巻まで読み終わり、折り返し地点。

「国家権力とジャーナリズムの戦い」と銘打たれたストーリー。政治家・官僚とメディア。自分たちの生活がいかに振り回されているかを痛感するここ一年半を経て、思いがけずタイムリーな読書となりました。さまざまな課題・場面において、今も実際に、国の政治において似たようなことが起こっているのだろうことがイメージ出来て、背筋が寒くなります。このところ「時代は進んでも、同じ失敗を繰り返す」ことを考えさせられる本に立て続けに出会っていますが、本書もまたそのひとつです。

日本の近現代史を知る上でも、興味深い読書となっています。本書での事件の背景にある沖縄返還は、1972年。自分に置き換えると3歳の時です。ストーリーを追いながら、自分がいかに、生まれ育った時代のことを学ばずに生きてきたかを思います。近現代史、ちゃんと学ばないといけませんね。小説はもちろん事実そのものではありませんが、事実を下敷きにした、書き手の目を通した「その時代」を読むことができると思っています。そういう意味でも山崎豊子さんの本は、わたしにとって時間がかかっても必ず読んでおくべき本に位置づけられると感じています。

『運命の人』読書は後半2巻に入ります。エンディングに向かってドキドキが大きくなっています。