映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』を見た。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』を見た。

図書館で偶然見つけてDVD鑑賞。ここ数年、近代絵画の画家にスポットを当てた映画がよく作られているなぁ…と思っていました。「観に行きたい!」と思いつつ、ひとつも映画館で見るに至らず上映期間が終わる、ということが続いていたので、図書館での出会いはラッキーでした。

が、見始めて数分で「やっぱり映画館で見るべきものだった」との想いでいっぱいになりました。風景はもちろん、一つ一つのシーンがとても美しかったのです。自然の景色だけでなく、街の様子、室内の様子など、ゴッホの遺した絵画に登場する場所が、いくつも忠実に再現されていて、大きいな画面で没入して観たかったなぁ、と。

なんといってもゴッホを演じたウィレム・デフォーが秀逸でした。わたしにとっては、映画スパイダーマンの「親友のお父さん=ゴブリン」のイメージが一番強かった俳優さんですが、ゴッホ(の自画像)にそっくりでびっくり。ゴッホは自画像をたくさん残していますので、わたしたちはその自画像を通してゴッホのビジュアルイメージを持っていますが、そのイメージを全く裏切りませんでした。

弟テオとの関係性、ゴーギャンとの関係性。どちらも分かりやすく描かれていたと思います。ゴッホと彼らとの「手紙」のやりとりを通して残っている史実があるので、リアリティをもって描くことができるのかもしれませんね。特にゴーギャンとの関係性については、切なさがひしひしと感じられました。この辺りのエピソードについては、アートエデュケーター宮本由紀さんの著書『メンタルに効く西洋美術』がとても参考になります。「メンタルマッチョなゴーギャン」「ハイリ-・センシティブ男子、ゴッホ」として巻頭エピソードを飾っています。

映画のラスト。ゴッホは自殺だというのが定説だと思っていましたが、諸説あるうちの「他殺説」をほのめかすラストでした。たしかに映画の通りであれば、やっと心の安定が少しづつ取り戻せるかもしれない環境にたどり着いたゴッホが自殺をするというのは、考えにくいかもしれないなぁ、と考えさせられました。

終盤のゴッホのセリフに、神様が彼を産み落とす時代を間違えた(早過ぎた)、というニュアンスのものがありました。それは、古今東西ゴッホを評価するすべての人の想いだったかもしれません。それをゴッホ自身に言わせることは、ゴッホが自分が評価されないことを悲観してはいなかったということにつながります。映画のなかだけでなく、ほんとうにそうだったらいいな、と思いました。