齋正弘先生の『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)個人的要約、その3。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

齋正弘先生の『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)個人的要約、その3。

アートエデュケーターとしてのわたしの原点となる本です。ことあるごとに読み直しています。個人的に「ここ大切」な部分を、あらためて要約(基本的には本書より抜粋、部分的に言葉遣いをわかりやすいよう変更、ごく稀に括弧で内容補足)。


美術を使い込んでいくために

美術はもう終わったんではないかと言われたことがあった。でも終わらなかった。
美術は常識を点検し、無理やり世界を広げるのが、仕事。
美術が無くなるとき、それは常識が無くなったのに、それに誰も気付かなくなったときで、それって私たち人間の世界の終わりなんじゃないだろうか。
そうならないために、みんな美術館に行こう。

美術は、全ての人間が全部一人一人違うということを基礎に、人間全体の世界観を拡大してゆくということが、存在の意義である。

一人一人違う人間は、一人一人違う生活経験を組み立ててゆく。その生活経験の積み重ねで、その時のその人の世界観(自分を取り巻く状況とのつじつま合わせ)や人生観(自分の内側で起こっていることのつじつま合わせ)が、一人一人個別に、その人の中に出来上がって行く。まずこの状態が肯定的に、社会の基礎として存在しないと私たちが今知っていると感じている美術は始まらない。

なぜなら美術は、その個人の世界観や人生観を表現したものだからである。
そこに表出されたものが、全く違うということこそが、私たちの美術がここまでかけてやっと獲得してきたものであって、私が今ここにいる、ということの証明なのだ。

今ここに私がいる。そして私はこのように私の世界を見ている。
ただそれだけを自覚して真摯に描いて(表現して)いるかどうかだけが、問われる。

そこにあるのは私が知っている世界ではなく、それを描いた人が見ている世界だ。ということを肯定する。

その人が真摯に描いた世界観を、こちらも真摯に見る。ことを通して私たちは自分の世界観と人生観を点検し、修正し、どのような形であれ理解することによって、自分の世界の見方を拡大してゆく。

肯定された「一人一人違う世界の見方」が集まって初めて私たち一人一人の世界観はより豊かに広がっていく。
このことは練習しなければいけないし、いくら練習しても終わることはない。

みんな一人一人違うということを尊重して大切に想う。美術はそのまったく基礎にあるものの見方を訓練するもの。

齋正弘先生の『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)より