読書『ボローニャの吐息』(小学館)内田洋子著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ボローニャの吐息』(小学館)内田洋子著

図書館でなぜ手に取ってのかわからないけれど、とりあえず連れて帰ってきた本。たまに、そういうことがあります。装丁に惹かれたというのでもなければ、タイトルが特に気になったということでもなく、著者のお名前はどこかで拝見したことがあったかも、とは思いつつ、その程度で、つまりは「なんとなく手に取った本」。

無意識ではあったものの、どこにも出かけない大型連休に、異国の情景をたくさんイメージさせてくれる、嬉しい本でした。タイトルに「吐息」とあるように、少し切なく、一筋縄ではいかない、ちょっとした屈折を感じる、それでいてとても魅力的なイタリアでの暮らし・生活の気配が伝わってきます。そこで仕事をし、生活しているからこそ現れてくるややこしさと、それを大きく上回る魅力。

とりあえず読みはじめ、最後まで本書がエッセイなのだか小説なのだか、よくわからないままに読了。著者紹介の肩書がエッセイストとなっていましたので、エッセイなのだと思います。でも、そのまま小説にも映画にもなりそうな描写だと感じました。日常を描いたものが、そのまま絵になる感じ。読みながらわたしのイメージに入ってくる映像は、なぜかセピア色のモノクロームでした。

「ボローニャの吐息」となっていますが、これは本書に入っている15のストーリーのうちのひとつのタイトルでした。お話はミラノを拠点に、ヴェネツィア、カプリ、ボローニャ、あちらこちらに飛びます。時代も、今と回顧とを行ったり来たり。最後に収められているタイトルが「イタリア、美の原点」なのですが、全編をその言葉のもつ意味が貫いているように感じました。

以前イタリアから福岡の企業にインターンに来ている学生さんたちとお話したときの言葉が思い出されました。いわく「イタリア人は、まず『家ありき』なんだ」と力説してくれた男子学生。家=家族=家族と一緒にいる空間・時間を大切にすることが一番だということ。そして「わたしたちイタリア人は、生活の基盤に芸術を欲しているのです」と誇らしげに教えてくれた女子学生。それは特別なことではなく、イタリアはそもそもそんな国なのだ、ということ。

良書を読むとすぐに影響を受けます。イタリアに行きたくなりました。

『ボローニャの吐息』(小学館)内田洋子著