こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
再読『コレクションと資本主義』(角川新書)水野和夫・山本豊津 著
『「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる』とサブタイトルにあります。経済学者の水野和夫さんと、東京画廊社長の山本豊津さんとの対談本。思うところがあり、本棚から引っ張り出してきました。本書が刊行されたのが2017年9月で、すぐに読んでいましたので、最初に読んでから5年半ほどが経っています。その間にコロナ禍下の3年間がありましたので、いろいろなことが大きく変わりました。
アート分野においても、コロナ禍は、将来振り返ったときにエポックメイキングな出来事であったと位置づけられるのではないかと言われるのを耳にします。それは、アーティストの表現方法や作品そのものに現れるものもあれば、アート市場の動きやアートの社会的な位置付けの変化もあると思います。そしてそのような兆しは既に現れつつあるのを、感じます。そのように考えたときに、もう一度読んでみよう、と思ったのが本書でした。
上の写真は、コロナ禍前2019年秋に開催されたアートフェアアジア福岡のイベントで、宮津大輔さんによる「現代アート経済学」の講演のときのもの。ここからでも既に3年半が経っていますね。
以下、『コレクションと資本主義』再読で目に留まったフレーズ備忘。
- 美術品や文化遺産を自分たちのもとに集め、自分たちの価値基準によって分類し、評価する。それは自分たちの価値基準で一元化しようとする試みでもあるのでしょう。
- コレクションを展示することで、自分たちの国家や文化の優位性を誇示する
- 「蒐集」の本質が「自らの価値を広げていこうとする暴力性」
- 経済・軍事力から文化力に価値をシフトさせる
- 「長い二十一世紀」
- 「長い十六世紀」
- 自我意識が誕生することによって、美術が宗教的な装飾から、独立した「作品」としての価値を持つものになる
- 知識と情報を共有することで、モノの価値が定まる
- 客観性の根本には、「ものを見る」という行為があります。それは絵画や芸術の態度そのものでしょう。科学と芸術というのはその意味で、親和性がある
- 利子率ゼロというのは、希少性を否定する世界
- スターリンは個人の自由な芸術活動を抑制したけれど、作品を捨ててはいなかった。
- 最後に頼るのは国家でもシステムでもない、自分自身と自分の身体一つ、確かなのは自分の感覚や肉体だけ
- 「花」ではなく「種」を買う、言い換えればそれこそが「投資」
- 西欧には、美術作品は半永久的に残していくものという意識がある
- いまやアートに関しては世界の中心は再びヨーロッパに戻っています。
- 絵画と三次元的表現の垣根がなくなったという意味で、絵画そのものも終焉を迎えた
- 芸術は必ず、反芸術によって延命してきた
- テーマを失った時代にあえて模倣すること自体から新しい価値を提示
- アート作品が持っている価値転換、すなわち使用価値の低いものほど交換価値が上がるというパラドックス
- 人類は虚構の物象化を時間をかけて積み上げ、それが今日の資本主義社会の土台となった
- 芸術の資産化
- (美術品は)希少性を持ちながらも無限性を有しています
『コレクションと資本主義』(角川新書)水野和夫・山本豊津 著 より
コロナ禍を経て、本書で述べられていることが、よりイメージでき、理解できたような気がします。投資先をなくしたお金が軍事・戦争に流れるのではなく、アート作品・芸術的活動がそのお金の受け皿になることを願います。