アーティスト・藤吉憲典のイタリア短期研修報告、その1。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アーティスト・藤吉憲典のイタリア短期研修報告、その1。

ダンナ・藤吉憲典が前回イタリアに行ったのはいつだったかしら?で、ブログのセルフ検索。2017年10月のことでした。もう6年も前のことになるのですね。ダンナにとっての「初」イタリアでした。

2回目の今回は、ミラノでのギャラリー訪問の商談もありつつ、メインはトスカーナ州カッラーラでの約2週間の大理石彫刻の研修。カッラーラは大理石の世界的な産地であり、ミケランジェロはじめ、ルネッサンスの偉人たちがここに通い詰めて彫刻を制作した、まさに「聖地」です。

上の写真は、かなりブレブレですが(笑)カッラーラの大理石採石場での一枚。

磁器作家から、書画作品も生むようになり、次は大理石で作品づくり?という短絡的なことではありません。アーティストとして「造形」を追及するにあたり、歴史的に偉人を輩出してきた大理石彫刻を通して、「Object」の原点を見つめることが出来るのでは、という思いがありました。磁器彫刻が塑像(塑造)であるのに対して、大理石は彫刻なのですが、両者の違いについて、とても分かりやすい考察文を見つけました。

彫刻と塑像の関係

 一般に彫刻と呼ばれる作品は、その技法から「塑造」と「彫刻」に大別できる。「塑造」とは粘土など柔らかく可塑性のある素材をこねて形をつくり出すものをいい、「彫刻」とは石や木など硬質の素材を鑿などで彫り刻んで形を表すものをいう。

粘土を加えながら形をつくる塑造と、すでに存在する立体の塊から形を彫り出す彫刻とは技法的には対極にあり、作り手の意識や作品の特質も異なるといわれる。実際、塑造は粘土を加えたり取り去ったりして、いわば推敲を重ねることが可能なのに対し、彫刻は彫りすぎた場合に後戻りすることは原則的に不可能であり、両者の相違は大きい。

三重県立美術館サイト「彫刻と塑像の関係 毛利伊知郎(日本彫刻の近代 図録)」より

 

彫刻の聖地ともいえる場所で、今やっている表現とまったく対極にある技法を手を動かし学ぶことによって、自分の表現や技術に還元できるものがあるはず、という思いは、観念的な思い込みともいえるものではありましたが、実際に研修期間を終えたダンナの話を聞けば、その思いが的を得たものであったことは確実です。今回の研修期間を一緒に過ごした受講生は、ダンナを含めて三名だったそうですが、そのうちの一人、南米アルゼンチンでブロンズ彫刻作家として活躍しているヴィヴィアンの参加動機が、まさに同じ理由。世界中に同じような考え方をするアーティストがいるのですね。

「宝物のような2週間だった!」という帰国後のダンナの第一声を聞いて、手配したわたしとしては、まずは安堵したのでありました。今回のミラノ~カッラーラ出張にあたり、情報収集・下調べ等の準備から在伊中のアテンドと、間接的にも直接的にも、今回もたくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました!

Special Thanks to ミラノでのギャラリー調査とアテンドを請け負ってくださった高橋さん、高橋さんにつないでくださったジェトロ育成塾スタッフの皆さん、前回のイタリア出張時からなにかと情報提供をしてくださったディサント株式会社の吉村さんとそのスタッフさん、そして研修地でお世話になったマエストロとバーバラ。

「報告その2」以降につづきます。どうぞお楽しみに。

読書『私はスカーレット 上』(小学館)林真理子著

こんにちは、花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『私はスカーレット 上』(小学館)林真理子

ご存じマーガレット・ミッチェル著の長編小説『Gone with the Wind(風と共に去りぬ)』を、主人公スカーレットの一人称でリライトしたという、林真理子氏の意欲作です。新聞の書評欄で知り、これは絶対に読みたいと思っていたところ、いつものカメリアステージ図書館新刊棚に、並んでいるのを発見。ありがたいですね。まずは上巻を読破。

読みながら思ったのは「わたしは『風と共に去りぬ』をいつ読んだんだ?」ということでした。というのも、大筋でストーリーは覚えているものの、南北戦争の描写の印象があまり残っていなかったのです。もしかしたら、ちゃんと全部は読んでいなかったのかもしれません。高校2年の頃に文化祭で『風と共に去りぬ』のパロディ(?)をやることになり、クラスメートが書いた脚本でストーリーを読み直し、さらに高校3年の時に、4時間ほどの映画をテレビで一挙放送する機会があって、当時受験直前にも関わらずぜんぶ見てしまった記憶があり、それらを通してストーリーが頭に入っていたのかもしれないな、などと思いつつ。

さて『私はスカーレット』。まだ上巻だけですが、傑作です。スカーレット・オハラという、ただでさえ強烈なキャラクターが、林真理子節でさらに磨きをかけられている、と、わたしは感じました。若い頃の林真理子さんの、コンプレックスを反転させたようなちょっとひねくれた毒舌が大好きでしたので、(わたしの持っているイメージでの)著書らしい勢いを感じて、愉快な気持ちになりました。

それにしても、もしも近くにいたら絶対に腹の立つキャラクターであろうスカーレットの、なんと力強く魅力的なこと。周りにいる人間は、自分にはできないことをやってのける彼女に腹立ち半分、羨望と敬意を抱いてしまうのだということが、とてもよくわかります。そして、わたしにとってはこれまで歴史の教科書を通してキーワードとしてしか知らなかった米国の「南北戦争」や「奴隷解放」が、本書でその時代・その場所で生きた人々の生活の一端を垣間見ることで、胸に迫ってきました。

凄みを持った面白さです。下巻も楽しみです。そしてそれを終えたら、気になりながら手を付けていなかった林真理子版『小説源氏物語』も読まねばなるまい、という気持ちになっています。

『私はスカーレット 上』(小学館)林真理子

夏休みが明けて久しぶりのお茶のお稽古。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

夏休みが明けて久しぶりのお茶のお稽古。

わたしが入門している茶道南方流は、毎年八月は夏休みです。九月に入るとまず円覚寺のご近所の聖福寺で、日本に「茶」をもたらしたといわれる栄西禅師の命日供養があるので、そのお献茶のお手伝い。このお手伝いで約ひと月ぶりに先生や先輩方にお会いし、翌週から通常のお茶のお稽古が再開されます。

毎年毎回言い訳をしていますが、休み明けに釜の前に座ると、あらゆることが抜け落ちています。そんなわけで、最初の一回目はウォーミングアップと割り切ってお茶室へ。

お点前の手順を思い出すことに気をとられて、一つ一つの所作が雑になるという、自分の弱さを目の当たりにしながらのお稽古でした。袱紗(ふくさ)捌きひとつをとっても、茶巾の扱いひとつをとっても、「もっと丁寧に!」と頭では唱えながらも、次の瞬間には気が散って動きがばらばらになります。長くお稽古を見てくださっていたN先生がこの場にいらっしゃったら、微笑みながら「心ここにあらず」とおっしゃっただろうなぁ、と思いました。自分の心の状態がすっかり出てしまいます。

自分の状態が「動き」になって客観的に見えてしまうということは、なんだか怖いことだとも言えますが、ふだんの生活のなかでそのようなことはなかなかありませんので、ありがたい機会です。誤魔化しのきかない世界だなぁ、と。茶道のそんな厳しさのなかで、いつも温かく指導してくださる先生方、先輩方、同輩の皆さんに心より感謝の一日なのでした。ご自服のお抹茶も久しぶりで、美味しかったです♪

週末は波折神社の遷座八百年祭でした。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

週末は波折神社の遷座八百年祭でした。

波折神社御遷座八百年奉祝祭。コロナ禍を経てようやく開催の記念行事とあって、朝10時から午後3時まで、さまざまな催しが神社境内で行われていました。朝、町内放送でお祭りの告知がこれでもかというほど行われ(笑)、そういえばまだ戻していない古いお札があったから、お散歩がてらどこかのタイミングで出かけようと思いました。

そうこうしているうちに、遠くから吹奏楽の演奏が聞えてきました。お祭りのオープニングは地元津屋崎中学校の吹奏楽部の演奏。波折神社から花祭窯までは徒歩で3分ほどの距離ですので、風向きによって、演奏の音がよく聞こえたり遠くなったり。ああ、始まったなぁ、と、なんだかワクワクします。

11時ごろから境内で餅まきをするとなっていましたので、その混雑を避けるつもりで昼前に神社へ。ところが餅まきのあとは、地元の青年有志「笑福会」による「うどんとカキ氷のふるまい」があるとあって、親子連れが行列をなしていました。行列を横目に、本殿へと進むと、お祓いや奉納の儀式は一通り終わった後で、本殿前は空いていました。

古いお札を返し、お礼のお参りをしたところで、ご近所の知人友人にあちこちから声をかけられました。これぞ津屋崎コミュニティ、嬉しいですね。いつもお世話になっている方から「今来たの?」と問われて、「はい、お参りだけ」と返したところ、社務所前に連れていかれ「ほら、持っていきなさい!」と手渡されたのは、餅まき用に準備していたのであろう紅白のお餅。「家族分持って帰りなさい!」と、家族の人数分どころか両手いっぱいに持たせてくださいました。おかげさまですっかり温かい気持ちになりました。

波折神社に親子連れ、特に子どもたちの姿があるのを見ると、やはりとても嬉しくなります。今回の八百年祭は単発行事ですが、来月10月8日には、毎年恒例の秋季大祭が開催されます。コロナ禍下では子どもたちの太鼓の行列が出来なかった秋季大祭ですが、今年はコロナ禍前のような体制に戻してのお祭りになりそうです。こちらも楽しみです。

読書『謎の毒親-相談小説』(新潮社)姫野カオルコ著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『謎の毒親-相談小説』(新潮社)姫野カオルコ著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。タイトルと著者名で迷わずゲットした一冊です。姫野カオルコ、新井素子の両氏は、まぎれもなくその存在自体がわたしに影響を与えています。ではお薦めの本は?と聞かれると、自分でも呆れるほどに「当時何を読んだのか、本のタイトルを一切覚えていない!」ので、なんだかなぁとも思うのですが。

姫野カオルコさんは1958年生まれ、1990年に小説デビュー。新井素子さんは1960年生まれ、1980年(あるいは1977年)小説デビュー。自分より10歳ほど上の彼女たちの存在は、大学卒業から社会人1~2年目のわたしの目には格好良く映り、お二人に対するあこがれのようなものがあったのだと思います。それから30年ほど経って、また著書に出会える嬉しさ。

さて『謎の毒親』。新潮社のサイトには「親という難題を抱えるすべての人に贈る衝撃作。」と紹介してあります。すべての人が程度の差こそあれ、またタイミングの違いこそあれ、そして親が存命か否かの違いはあれ、「親という難題」に向き合わねばならないときがあるように思います。でもそれが幼少期であればあるほど、子どもには立ち向かう術あるいは回避し逃げる術はなく、ずいぶん後になってから、自分なりに消化する場を求めることになるのだと思います。

主人公が小学生から中学生、高校生へと成長していく中で「この家を出なければ!」と決意し、考え抜いて辿り着いた「確実に、波風立てずに出ていくための方法」は、わたし自身の経験とも重なるところがあり、ああ、やはりこういう方法に辿り着くんだと、なぜかホッとしました。主人公の「痛ましい目にも遭わず、酷たらしい目にも遭わず暮らして」来たことで親を肯定しながらも、子どもだったときの心情を吐露する姿は、ただただ「吐き出せる年齢になり、吐き出せる場所(聞いてくれる、信頼できる人たち)を得ることが出来てよかったね」と思わせるものでした。

最後に、「本書の「投稿」はすべて事実に戻づいていますが(中略)フィクションとして構成したものです。」としてあります。使い古された言い方にはなりますが、事実は小説より奇なりの言葉を思い出させる読書でした。

『謎の毒親-相談小説』(新潮社)姫野カオルコ著

花祭窯の長月の庭、2023。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の長月の庭、2023。

暑さ寒さも彼岸まで、とは言うものの、今年は9月に入ってからも連日最高気温30度越えでした。そんななかでも、やはりヒガンバナはお彼岸に花を咲かせてくれました。毎年のことながら、偉いなぁ、と思います。それまでは他の草木の陰に隠れて見えていなかったヒガンバナの茎が、「そろそろかな」と思う頃になると、あっという間にぐんぐん伸びてきて、気がつけば蕾がたくさんつき、そして開花する。自然の力に感心する恒例行事のようになっています。

花祭窯の長月の庭 ヒガンバナ

花祭窯の長月の庭

花祭窯の長月の庭

花祭窯の長月の庭 ヒガンバナ

花祭窯の長月の庭

花祭窯の長月の庭 ミズヒキソウ

↑これはミズヒキソウをアップで撮ったのですが、わかりますでしょうか。なかなか、目の前で見るようには写真には撮れませんね。クリックしてサイズを大きくしていただくと、わかりやすいかもしれません。花祭窯の小さな露地も、秋の色が射して参りました^^

ART FAIR ASIA FUKUOKA (AFAF)2023 観に行って参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ART FAIR ASIA FUKUOKA (AFAF)2023 観に行って参りました。

アートフェアアジア福岡(以下、AFAF)です。今年はVIPパスをいただきましたので、少し早め、混みあう前に観に行ってくることが出来ました。会場はマリンメッセ福岡B館。すっかり大規模アートフェアの様相を呈してきました。ホテル開催のアートフェアからスタートしたことを考えると、この数年で隔世の感があります。ホワイトキューブなブースが並ぶさまは、メディアでよく目にする海外の大規模アートフェアさながらの雰囲気でした。

120軒以上のギャラリーが出展するなか、効率よく回れるよう、あらかじめ見たいところを絞り、そこを目指す道々、目についたところに立ち寄る、という感じで会場を歩きました。今回わたしが「とりあえず外さずに見よう」と決めていたのは、みぞえ画廊、日動画廊、ミヅマアートギャラリー、小山登美夫ギャラリーと、先日AFAFのプレイベントでお話を聞いてきたコレクター・宮津大輔氏のキュレーションによる特別展示のコーナー。

さてAFAF。純粋に、楽しかったです!目当てを決めて動いたので、まったく通らなかったエリアもありますが、限られた時間で回る以上、そこは仕方がないと割り切りました。逆に、目に留まったブースでは時間をかけ、作品をじっくり拝見し、ギャラリストさんのお話を聞くようにしました。このギャラリストさんとの会話が、現在の日本の現代アート市場を垣間見るのに、とても勉強になりました。そして、自分の扱う作家さんへの愛情が強く感じられる方々にお会いすることが出来たのは、とても嬉しいことでした。

個人的に今回一番気に入ったのは、日動画廊-nichido contemporary artさんと、韓国から参加なさっていたGallery Upkasさん。特にGallery Upkasさんは、まったくノーマークで偶然見つけたのですが、韓国在住でアメリカにもルーツを持つという作家・Alika Yonさんの出す青とオレンジ色がとても美しくて、しばし見入りました。

全体の感想としては、いっときのような、コンセプトありきでコンテンポラリーのためのコンテンポラリーという感じだったり、すでに売れている誰かに追随した二番煎じ三番煎じの雰囲気ありありのものだったり、という空気感が少し和らいだ気がしました。もちろん、相変わらずそういう作品もたくさんありましたが。ただ、出展ギャラリー数が増えたことにより多様性が生まれて、「ザ・コンテンポラリー」の印象が薄らいだのかもしれないな、という好感は持ちました。わたし個人的には、嬉しい限りです。

また全体に若手を推し出すところが多かったようで、小品で10万円前後からのプライスがついているものが多々あり、自らの眼力で作品・作家を探し出す格好の機会となっていたように感じました。コレクション形成の最初の一歩を踏み出すのに、ちょうど良いアートフェアかもしれません。といいつつ、わたし自身は作品購入には至っておりませんが(笑)。

AFAFは、明日9月24日(日)まで。お時間のある方、ご興味のある方、ぜひ出かけてみてください♪

ART FAIR ASIA FUKUOKA (AFAF)2023

読書『水曜の朝、午前三時』(河出書房新社)蓮見圭一著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『水曜の朝、午前三時』(河出書房新社)蓮見圭一著

9月の三連休は読書三昧!3冊目。先日読んだ『美しき人生』の読後感がなんとも言えない余韻を残したので、遡って読書。いつものカメリアステージ図書館で検索したら、ありました!読みたいタイミングで、読みたい本が見つかる贅沢。助かりますね。

河出書房新社さんのサイトでは、紹介文に “叶わなかった恋を描く、究極の大人のラブストーリー” とあります。が、わたし個人的には、ラブストーリーの切なさにもまして、戦後復興の象徴となる大阪万博を迎えた当時の時代の難しさや、今もなお存在する差別の根の深さを感じさせる、社会的な要素を強く感じました。

大阪万博は1970年。わたしはその1年前に生まれています。そういえば同世代の友人知人には、万博の「博」から「博子」という名前がついた、という人も数人。本書を通して、自分が生まれた頃の日本の社会風俗や価値観を垣間見ることが出来ました。そして、それはかすかに残る幼少期の記憶を想起させるものでもあり、そんな意味でも少し苦しくなるものでした。

戦後、それまでの価値観をがらりと入れ替えさせられ、自己否定しながらなんとか自尊心を守って生きて行かねばならなかった人たち。そんな親に育てられた子どもたち。わたしにとっては、自分の親たちが生きてきた時代を考えさせられるものでもあり、小説としての面白さは、先に読んだ『美しき人生』よりもさらに深い余韻を残すものでした。

『水曜の朝、午前三時』(河出書房新社)蓮見圭一著

なごみでビジネス系セミナー「インバウンドさん、いらっしゃい!」。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

なごみでビジネス系セミナー「インバウンドさん、いらっしゃい!」。

ひかりのみちDMO福津主催のセミナー「インバウンドを知る実践セミナー インバウンドさん、いらっしゃい!」に、参加して参りました。講師は、福岡から九州の魅力を発信するインターナショナルメディア「Fukuoka Now」編集長ニック・サーズさんとゼネラルマネージャーのサーズ恵美子さん。お二人の軽妙なトークに、和やかな雰囲気ながら、なるほどと学ぶことの多い1時間半でした。

以下、備忘。


  • 地元(福岡)でエグゼクティブと呼ばれる人たちにまずは知ってもらい、ファンになってもらう。
  • ファン醸成は時間をかけて。
  • プロ(有力な媒体など)に向けて、情報を流し(届け)続ける。
  • ずっと知っていてもらう、ための情報提供。
  • 情報源トップは、友人や家族からの口コミ。
  • (単純に価格が高い・低いではなく)価値の高い旅行体験への需要大=価格に含まれる具体的価値を明示する必要。
  • 翻訳ツールとしてのChat-GPT。
  • 手軽なものを大勢に、ではなく、手間のかかるものをコアなファンに、届ける。(例. Tik Tokよりも長時間動画、ツイートよりもnoteやブログ)

「インバウンドを知る実践セミナー インバウンドさん、いらっしゃい!」より


それにしても、徒歩3分程度の場所で質の高い学びを得られるありがたさ。なごみのオープンなスペースを軽く仕切り車座で行われた講座は、雰囲気よく、楽しかったです。講座を企画してくださったひかりのみちDMO福津の皆さんに感謝するとともに、第2弾、第3弾を期待しております^^

津屋崎千軒なごみ

映画『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』を観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』を観てきました。

2023年映画8本目はポアロです。先月だったかな、遅ればせながらTOHOシネマズのシネマイレージカードを作りましたので、映画鑑賞へのモチベーションがさらに上がる(!?)かもしれません。何が嬉しいかといって、特別料金で観ることのできる曜日が増えること。シネマイレージカードは、今ならトム・クルーズのミッションインポッシブルのデザインが期間限定で選べると言われたので、映画は観ていないけれど、それにしました。

ケネス・ブラナーのポアロ三作目の舞台は、ベネチア。アガサクリスティ原作『ハロウィーン・パーティ』です。上の写真は、ケネス・ブラナー監督の前作『ベルファスト』のインタビュー記事から。

ケネス・ブラナーのポアロは今回も良かったです。そして、今回最もわたしの目を引いたのは、子役のジュード・ヒル。この子は『ベルファスト』で主役(9歳のケネス・ブラナー)を演じていて、その時も素晴らしかったのですが、本作ではまた雰囲気をガラッと変えて登場していました。ミシェル・ヨーはじめクセ強めの俳優陣のなかにあって、こどもながら「可愛い」とか「かしこい」とかだけではない複雑な存在感を、存分に発揮していました。

ところでポアロシリーズの前作『ナイル殺人事件』を観てから、まだ1年半しか経っていないということが判明。その間に『ベルファスト』がありましたから、年に1本以上のペースでケネス監督作品を観ていることになります。なかなかのペースですね。

さて『ベネチアの亡霊』。公式サイトにも書いてある通り「世界一の名探偵ポアロが超常現象の謎に挑む」ストーリーです。アガサクリスティの『ハロウィーン・パーティ』を読んだことがありませんので、内容をまったく知らず、予告編を何回か見て、正直なところ「オカルトっぽいのはいやだなぁ」と頭をよぎりもしました。が、「いやいや、ポアロの小説でそれはあり得ない」と自らを納得させて映画館へ。結論から申しますと、上映中に数回ビクッとするシーンはありましたが(ビビリなので)、最終的には合理的に説明がつきます。オカルトではありませんので、大丈夫です(笑)。

前作もそうだったのですが、従軍経験が遺す傷の深さや、感染症の広がりが遺した禍根など、現代にも通じる問題提起が、物語に通底しています。ほんとうに怖いのは亡霊ではなく、生きている人間。使い古された言い方かもしれませんが、そう考えさせられずにはいられないストーリーでした。

ベネチアの街並みの美しさを堪能できたのは、エンディングでした。街並みを上空から撮った画が、とても良かったです。観ながら思いがけず津和野(島根県)を思い出しました。津和野もまた、上から眺めたときに同じ色合いのトーンになるように、屋根瓦の色を統一していました。今もかな?わたしが学生時分よく遊びに行っていた時はそうでした。この峠を越えると津和野へ、というところで高いところから津和野の町を眺めると赤茶系の瓦屋根がずらっと見えて、美しかったのでした。

ともあれ、ケネス・ブラナーのポアロ次回作が待ち遠しくなりました。

映画『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊