こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
読書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』山口周(光文社新書)
先日読んだ、池上彰さんの『考える力がつく本』で、ドン・キホーテ創業者の安田隆夫さんとの対談のなかに「書店めぐりをしているとありますよね。(中略)本のほうから手招きするんです。」という会話がありました。今回の本はまさにそうでした。
2017年7月20日初版。実のところ著者のお名前も存じませんでしたが(汗)、タイトルと副題の『経営における「アート」と「サイエンス」』に惹かれ、パラパラと中をめくり、飛び込んできたいくつかのキーワードで即決購入。一気に読みました。
以下、備忘。
- 「美しい」と人が感じるとき、それはなにがしかの合理的な目的に適っている、というのがカントの指摘
- 「直観」はいいが「非論理的」はダメ
- 論理的にシロクロのはっきりつかない問題について答えを出さなければならないとき、最終的に頼れるのは個人の『美意識』
- 千利休は最初のチーフクリエイティブオフィサー
- 不確実性の高い意思決定においては、(中略)経営者の「直観」や「感性」、言いかえれば「美意識」に基づいた大きな意思決定が必要
- モノの消費というのは機能的便益を手に入れるための交換という側面が弱くなり、自己実現のための記号の獲得という側面が強くなっていた
- 外観もテクノロジーも簡単にコピーすることが可能ですが、世界観とストーリーは決してコピーすることができない
- 世界観とストーリーの形成には高い水準の美意識が求められる
- 生活の中から失われた「美」は、やがてそこに暮らす人の感性を鈍麻させ、鈍麻した感性を持った人々が、(中略)社会の美を根こそぎにしていく
- 「システムに良く適応する」ということと「より良い生を営む」というのは、まったく違うこと
- 「より高品質の意思決定」を行うために「主観的な内部のモノサシ」を持つ
- 「顧客に好まれるデザイン」ではなく「顧客を魅了するデザイン」
- 一目見て、イイものはイイ、ダメなものはダメ
- 14世紀のイタリアから始まったルネサンスでは、(中略)「人間性=ヒューマニズム」の回復が起こった(中略)、それまで神様に委ねられてきた「真・善・美」の判断を、自分たち人間が担うようになった
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より