郷育カレッジ「コラージュ講座へようこそ」開催いたしました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ「コラージュ講座へようこそ」開催いたしました。

「コラージュ」はフランス語で「糊付け」の意味。ハサミで紙を切り、糊で台紙に張っていく作業を通して、自分の内側を覗き見てみましょう、という講座です。美術の表現技法のひとつでありながら、心の安らぎ・健康を目指す側面を伴うのは、わたしが最初にコラージュを学んだのが、心理療法として長年臨床で取り組んでこられている先生の講座であったからにほかなりません。

かといって、わたしは心理の専門家ではありませんので、アート・エデュケーターとしての範囲内でのナビゲーションになります。それでも、コラージュ制作を通して得られる心理的効果は、自分自身がとても感じています。まずは受講生の方々にいかに楽しんでいただけるかが一番!

例えば「今から絵を描きましょう」と言われたら、ちょっとしり込みしてしまいますが、コラージュなら気軽に手を動かすことが出来る。それが、わたしがコラージュが好きな理由のひとつです。とても優れた美術的表現方法だなぁ、と思います。

講座を開催するごとに、集まる方々は十人十色ですから、進め方も少しづつ変わります。今回、受講生の皆さんはほとんど迷うことなく、すぐに制作・思索に取り掛かられたので、ナビゲーションは必要最小限にして、見守りに徹するかたちで進みました。グループの規模もちょうど良かったのかもしれません。計画していた時間内で、皆さんほぼ完成させることが出来ました。

出来上がった作品には、それぞれの個性がとてもよく表れていて、拝見していて嬉しくなりました。一人一人違うと分かっていても、毎回実際にそれを目の当たりにすると、やっぱりすごいことだなぁと嬉しくなるのです。そして今回は、作品完成後に、グループでそれぞれの作品の「分かち合い」をすることが出来ました。「分かち合い」では、出来上がった作品に対して、自分の思いを説明するとともに、他の方の作品には一言コメントをプレゼントすることです。コロナ禍下で対話が憚られていた時期にはこれが出来なかったのでしたが、やっぱり、お互いに作品の感想を分かち合うと、作品の解釈がさらに広がって、とてもいいですね。

講座終了後に、皆さんが晴れやかなお顔になって会場を後にするのを見送り、ホッと致しました。講座後の受講生アンケートでも、皆さん嬉しい感想をたくさん寄せてくださいました。なかでも「日常思っていることを、コラージュ制作を通して整理することが出来ました」「『テーマ』を決めて創り出す、迷ったら『テーマ』に立ち返る。このポイントをこれからも生かしていきます」というご感想は、まさにわたしのコラージュ講座が一番伝えたいことであり、ほんとうに嬉しく思いました。

楽しく取り組んでいただくのがなによりのコラージュ講座。受講生、運営の方々のおかげで、無事に開催することが出来ました。ありがとうございました!

博物館リンクワーカー人材養成講座がはじまりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

博物館リンクワーカー人材養成講座がはじまりました。

せっかくの機会なので、具体的な実践につなげていくための学びにしたいと、今年は自分なりに事前準備をいたしました。まずは、自分の取り組みスタンスを整理。

できる範囲での周辺知識の獲得。

連続講座第1日目は、九州産業大学の緒方泉先生による「博物館浴」研究の最前線の報告からスタートしました。そのなかでピンときたキーワードは次の通り。

  • 博物館に課せられる「ケアの義務」
  • 博物館法=社会教育法+文化芸術基本法
  • MUSEUM CHANGES LIVES
  • 博物館やギャラリーは、英国におけるウェルビーイング資源
  • 英国での取り組み Museum Health &Well-Being Summit
  • メンタルヘルスプログラム、MINDFUL MUSEUM
  • 感覚から科学へ
  • 博物館健康ステーション
  • 脳の仕組みの変化を追う
  • 回想法のキーワードは「共感」

これまで、社会教育法のうえに根拠を置いていた「博物館法」が、今年度から社会教育法にプラスして文化芸術基本法をも根拠とするように変わったという、日本の法令上の変化は、遅れ馳せ感はありながらも、きっと歓迎すべき変化なのだろうと思いました。

講座後半はグループに分かれて「語り場」タイム。久留米大学の学芸員課程を教えておられる先生、宮崎県総合博物館の解説員さん、下関市考古博物館の学芸員さんとご一緒させていただきました。宮崎県総合博物館では既に週3回、福祉施設と連携した回想法の開催をしているということで、実際の取り組みについてお話を伺うことが出来たのは、とても刺激になりました。

アート×ウェルビーイング:認知症サポーターになりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アート×ウェルビーイング:認知症サポーターになりました。

アート・エデュケーターとして、博物館リンクワーカー人材養成講座で学ぶなかで、社会教育施設としての博物館学芸員が、地域での役割として福祉の現場とつながっていくのは、とても自然なことだと感じています。

福祉を専門的に学ぶには時間がかかるにしても、認知症サポーターになることは、誰もが無理なくできる第一歩。さっそく認知症サポーター養成講座を受講してまいりました。

講座の時間は約1時間半。短い時間のなかで、簡潔にわかりやすい説明がなされ、講座が終わる頃には、認知症への理解がすっかり上書きされました。わたしは4年間ほど、高齢者福祉施設を複数抱える社会福祉法人で人材育成の仕事をしていたことがあり、ある程度の理解しているつもりでした。が、10年以上のブランクのあいだに、認知症の解明も大きく進み、取り巻く環境も変わっています。それがわかったことが、まず大きな収穫でした。

今回の認知症関連イベントは、市内の大型ショッピングセンター内のホールで開催されました。市役所の高齢者サービス課、地域包括支援センター、地域の薬局、生活支援コーディネーター、福祉施設運営者など、さまざまな立場の方々が協力して運営なさっており、「リンクワーカー」の在り方を目の当たりにする機会にもなりました。

一番大切なのは「心のバリアフリー」=まずは自分の意識を変えることから。認知症サポーター(=地域で暮らす認知症の人とその家族の応援者)宣言をし、その意思表示である「オレンジリング」をいただきました。今日から認知症サポーターです。

「博物館リンクワーカー人材養成講座」に向けて、自分の立ち位置を考える。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「博物館リンクワーカー人材養成講座」に向けて、自分の立ち位置を考える。

今年も11-12月にかけて、九州産業大学の緒方泉先生をリーダーとする「博物館リンクワーカー人材養成講座」が開催されます。このタイトルで開催されるようになったのは2021年度からですが、

実はそのさらに前、2018年の「2025年問題に向けた高齢者の健康と博物館の役割」の連続講座で、すでにその流れは始まっていました。

今年度の連続講座開催に先立ち、そもそもリンクワーカーとはなんぞや?と、今更ながらに思いました。その先駆的な取り組みをしているのは英国で、これまでの学芸員研修会でも、英国の美術館の事例を学んできました。

あらためて復習して思ったことは、リンクワーカーはリンクワーカーでも、アートエデュケーターとしてつなぐ先は、美術に関連する活動や組織や施設であればこそ、その専門性が生かされるということ。アートを軸とすることで、そこから広がる活動にも「わたしが関わる意味」がはっきりするだろうな、と思いました。

アート・エデュケーターとしての、ワーク・フィロソフィー。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アート・エデュケーターとしての、ワーク・フィロソフィー。

上の写真は、わたしに美術教育、アート・エデュケーションという仕事があることを教えてくださった師である、齋昌弘先生の「大きな羊の見つけ方」の表紙帯。齋先生との出会いは2016年の10月のことでした。

それから6年後となる先日受講した宮本由紀さんの講座で、アート・エデュケーターとしてのわたし自身のワーク・フィロソフィーについて考える機会をいただきました。。

そもそも「work philosophy」とは何ぞや!?単純に翻訳すると「仕事哲学」です。会社でいうところの「経営理念」、芸術家にとっての「アーティスト・ステイトメント」というようなこと、かな。フリーランス=個人の名前で仕事をするにあたり、大切にしているもの。「哲学」という言葉はしっくりきます。さらに言えば、仕事がそのまま人生である人(わたしもそうですが)にとっては、人生哲学ともいえるのかもしれません。


アート・エデュケーターふじゆりの哲学。

WHY なぜその仕事をしているのか。

結婚を機に「工芸・アート(美術)」の世界に入りました。ギャラリーを回るなかで、お客さまに接するなかで、すぐに「自分の美意識(価値観・世界観)で作品を評価出来る人が、いかに少ないか」に気づきました。「やきものが好き、アートが好き」と言いながら、個別の作品について「これが好き、これが良いもの」と、自分の言葉で言える人がとても少なかったのです。自分のモノサシを持たず、他者の評価がないと、決めることが出来ない人たち。一般のお客さまだけでなく、ギャラリストをはじめとしたアート関係者にもそういう方が少なくなかったのは、ショックでした。

わたし自身は、仕事として美術の世界に入ったのは26歳からですが、「自分の好きなもの・自分にとって良いもの」を評価することは、それ以前からずっと、あたりまえのことでした。ですのでこれは、単にアート(美術)の問題にとどまらず、生き方全般に関わることだと思いました。「自分で決めることが出来ない」人々を目の当たりにして、自分で決めることが出来る人を増やしたいと思ったことが、根本的な動機・使命としてわたしのなかに芽生えました。美しいものとはどのようなものか、大切なものは何か、自分自身のモノサシを持ち、判断できる人は、自分の人生を豊かにすることが出来ると思うからです。

そんなわたしの課題を解決する方法として、美術が使える=アートエデュケーションの意味・価値・方法を最初に教えてくださったのが、齋昌弘先生の美術教育の講座でした。齋先生に出会ったのは、博物館学芸員資格を取った後のことでしたから、最初に課題を見つけてから10年以上が経っていました。「これが自分の探していたものだ!」と、長年のモヤモヤに一つの道が開けて、興奮したのを覚えています。自分のこれまでのキャリア・経験がすべて無駄なく生かせる仕事であり、注ぎ込むべき仕事だと思いました。

WHAT 何をしている人なのか。

アート・エデュケーターです。「Meet Me at Art アート(美術)を使って自分と出会う」をテーマに、活動しています。美術・工芸に関する知識の教授、美術・芸術教育情報の提供、セミナー・研修会・会議の企画開催、美術に関する講習会および美術鑑賞セミナーの企画・開催、美術・工芸・芸術に関する書籍・テキストの制作…などが、Meet Me at Artの仕事、アート・エデュケーターとしてのわたしの仕事です。

HOW 具体的にどのような活動をしているのか。

美術を使った教育プログラム(アート・エデュケーション)を提案・実施しています。対話型鑑賞法(ビジュアル・シンキング・ストラテジー)や身体的なアプローチによる美術鑑賞、自分の内面と向き合う美術的コラージュ制作のワークショップなど。それぞれの手法で「見る(触る)」「分析する」「解釈する」「言葉にする」トレーニングを行うことにより、観察力・想像力(創造力)・表現力を育みます。視野が広がり感性が磨かれると、他者の評価に惑わされない自分自身のモノサシができます。美術を使ったプログラムを通して、自分軸のモノサシを会得し、磨いていくお手伝いをいたします。

まとめると…

「Meet Me at Art」アート(美術)を使って自分と出会う。「見る(触る)」「分析する」「解釈する」「言葉にする」アート・エデュケーションを通して、観察力・想像力(創造力)・表現力を育むお手伝いをしています。視野を広げ感性を磨き、自分自身のモノサシができると、毎日はもっと面白く豊かになります。不確実性の高い現代をしなやかに生きる人を、美術を使ってサポートします。


思いのほか時間がかかりました。常日頃から考えていることなので、すんなりいくと思ったのですが、文字にまとめるとなると、またひと手間ですね。これからも、場面や自分自身の成長に合わせて、少しづつブラッシュアップしていくことになると思います。まずはこれが出来上がったことで、確実に自己紹介がしやすくなりました。ワーク・フィロソフィーを言語化する。分野を問わずフリーランスで活動する方々は、この手順で自分の「哲学」まとめてみると、活動の核となると思います。あらゆる選択・決定の場面で、立ち戻ることのできる核があると、ブレない行き方(生き方)ができるだろうな、と。

「アートの仕事」の講座で、自分の仕事を考えた。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「アートの仕事」の講座で、自分の仕事を考えた。

【フリーでアートの仕事をする】について、ガッツリと考えることのできる講座に参加してまいりました。主催してくださったのは『英語でアート』の著者であり、さまざまな「アートの仕事」をしておられる、Art Allianceの宮本由紀さん

この分野では、日本での第一人者でいらっしゃると思います。このような立ち位置でアート関連の仕事を本業にするということは、そもそも日本では概念がなかったので。わたしにとっては、水先案内人的な存在。そういえば3年ほど前にも、アートの仕事について考える機会を作っていただいたのでした。

今回も、ご自身の体験をもとに、実践的なアドバイスをたくさんいただくことが出来ました。わたしにとって、これまでやってきたこと、今取り組んでいること、アートエデュケーターとしてこれから進むべき方向性を整理整頓する、最適な機会となりました。

以下、備忘。


  • Why you are not an artist. →We are artists in our way of life.
  • 覚悟・信頼・運。
  • 日々淡々ときちんとやっていれば、それに見合った仕事が向こうからやってくる。
  • ビジョンを持ち、そこに合わせて必要なスキルを身に着けて行けばOK。
  • 遠くに視点を合わせれば、ブレない。
  • フロントエンド(コマーシャル商品)→バックエンド(ほんとうに売りたいもの)。
  • 教える:自分にしかできないことは何か?=すでに自分のなかにあるマニアックなもの。
  • 本の出版=名刺代わり:自分がオンリーワンになれる分野について書く。
  • アート×○○→オンリーワン。
  • B to B。
  • ワーク・フィロソフィー:Why / What / How
    • なぜその活動をしているのか。
    • 何をしている人なのか。
    • 具体的にどのような活動をしているのか。
  • 学びは手段ではなく、目的であり、人生そのもの。
  • 知識、才能、技術力より「人間力」。

3時間があっという間の講座でした。自分の仕事について根本的に考える機会は、よほど意識して時間を確保しないと、日々の業務に流されて後回しになりがちです。おかげさまでガッツリ考える時間となりました。

福岡市美術館の常設展示が、いい。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

福岡市美術館の常設展示が、いい。

鳥獣戯画展の報告ブログを書いたのは、昨日のことでした。

鳥獣戯画展を観たあとは、そのまま同じフロアの常設展示室の「コレクションハイライト」へ。上の写真は、2022年12月27日まで展示予定のKYNEの壁画

通年展示のコレクションハイライトは、近現代の作品が中心です。何度も見ていますが、何度見ても見ごたえのある作品がいくつもあります。フロアを広くとっているので、空間的にも気持ち的にもゆっくり拝見することが出来るのも嬉しい。先日の郷育カレッジ「知識要らずの美術鑑賞」講座でレプリカをお借りしたシャガール作品「空飛ぶアトラージュ」のホンモノにまずは挨拶。

ダリ、ミロ、バスキアと眺めて、あれ!?と足が止まりました。画をじっくり観たあと、キャプションを見て納得、横尾忠則作品「Y字路」シリーズのひとつでした。おそらくずっとあったのだと思いますが、これまでは気に留めていませんでした。つい先日、横尾忠則についてのレポートを書いていたところでしたので、なんとなく目に留まったのかもしれません。所蔵品検索をかけてみたところ福岡市美術館は70点ほどの横尾忠則作品を持っていることがわかりました。

カフェでの休憩をはさんで、続いては1階にあるコレクション展示室へ。東光院仏教美術室の仏像は、いつ見てもワクワクします。お気に入りは十二神将の立像。仏像の皆さんにご挨拶したあとは、松永記念館室へ。この部屋ではお茶道具や仏教美術のコレクションを拝見できます。「秋の名品展」と銘打った展示を開催中で、勢いを感じさせる木造の風神像がとても良かったです。最後は、古美術企画展示室。「明恵礼賛」のテーマで、こちらも茶道具をたくさん拝見することが出来ました。

九州国立博物館でも、わたしは常設展示がお気に入りですが、あらためて福岡市美術館の常設の素晴らしさを堪能しました。常設展示だけなら200円で拝見できるのですから、とってもお得で嬉しいですね。贅沢な一日でした。

国宝鳥獣戯画と愛らしき日本の美術@福岡市美術館。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

国宝鳥獣戯画と愛らしき日本の美術@福岡市美術館。

鳥獣戯画展を観に福岡市美術館へ。今回の展覧会は、週末のみ入場時間指定でした。わたしは平日午前中に伺いましたので、予約無しでしたが、比較的ゆっくりの人出。会場が混みだす前に、2周して観ることができました。

ここ何年か、鳥獣戯画的な日本画のブームが続いているような気がいたします。展覧会タイトルの通り、目玉は国宝に指定されている、京都・高山寺所蔵の「鳥獣人物戯画」でした。ただ、実のところわたしが本展覧会で個人的に一番気に入ったのは、木彫り(木造彩色)の子犬。鎌倉時代のものです。同じ空間に、やはり木彫りの神鹿と馬があり、これらもとても良かったです。

平面(絵画)のものでは、会場終盤で力を感じる掛け軸が並んでおり、思わず駆け寄ったところ、仙厓さんでした。福岡市美術館の所蔵品です。我が家に複製品のある「指月布袋図」は、出光美術館所蔵のものが原本ですが、同じタイトルのホンモノを拝見し、やっぱりいいなぁ、と感動。生き生きと筆が走っています。

その他に気に入ったものとしては「獣類写生帖」1冊に「鳥類写生帖」2冊。江戸時代のものですのでそれほど古くはありませんが、色が鮮やかで、資料として欲しくなる可愛らしさでした。この3冊は福岡県立美術館の所蔵ということ。これらの資料をはじめ、今回展示されていたもののなかに、実は身近に所蔵されているものがかなりあることがわかり、とても嬉しくなりました。

読書『横尾忠則自伝 「私」という物語1960-1984』(文藝春秋)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『横尾忠則自伝 「私」という物語1960-1984』(文藝春秋)

タイトルの「1960-1984」は、ほんとうは漢数字で書いてありますが、横書きになると読みにくいので、数字書きにしています。

訳あって、横尾忠則に関する本をまとめて読んだところでした。そのなかに作品集も何冊もありましたので、読んだり見たりした、という方が正しいかもしれません。本書は『自伝』となっていますが、タイトルの通り1960年から1984年までの24年間の記録ですので、『半生記』としても、まだ足りないぐらいです。1984年以降も「画家」として大量の作品を生み出していますし、現役作家として展覧会もたくさん開催されています。草間彌生のレポートをした時も思ったことですが、留まることのないエネルギーに圧倒されます。

横尾忠則のサクセスストーリーの背後にある、個人としての姿が垣間見える本でした。本人が「あとがき」で「記録」だと書いている通り、日記的なものです。時代を象徴する多様な業界の才能の数々との交流は、「近現代文化史」とも言えそうです。ただ、個人的に本書を読んで一番すごいと思ったのは、横尾忠則が自分の仕事を語るときに、グラフィック・デザイナーとしての仕事と、画家としての仕事の違いを、自分の言葉で明確にできていることでした。

横尾忠則の物語をもっと幼少期から知りたい、という方には、『横尾少年』(角川書店)もおすすめです。グラフィック・デザイナーとしての横尾忠則の仕事については、たくさんの図録が出ていますが、今回目を通したなかでは『全装幀集』(パイ・インターナショナル)が圧巻でした。わたし自身は、画家としての作品よりは、グラフィック・デザイナーとしての作品に圧倒されました。

読書『世界はさわらないとわからない』(平凡社)広瀬浩二郎著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『世界はさわらないとわからない ユニバーサル・ミュージアムとはなにか?』(平凡社)広瀬浩二郎著

博物館学芸員技術研修会でお世話になっている広瀬浩二郎先生の最新著書を、偶然見つけました。発行日は2022年7月15日。今年の学芸員研修会「触文化とユニバーサル・ミュージアム」を受講したのが、7月26日でしたので、直前に出ていた著書です。

読みながら、研修会での広瀬先生がおっしゃったこと、語り口がそのまま蘇ってきました。お話を聞き、実技指導を受けたうえでの読書でしたので、理解も深まったように思います。以下、備忘。


  • 失明得暗
  • 得暗によって「できる」ことで勝負していた歴史(がある)
  • 目の見えない者は、目に見えない物を知っている
  • 既存の枠組みそのものを変えるのがユニバーサル
  • 非接触社会から触発は生まれない
  • さわるとわかる=さわらないとわからない
  • 博物館とは見る場所だという固定観念
  • 視覚を使わない解放感
  • 創・使・伝は手を介してなされる
  • 外に伸ばした手は、内へと返ってくる。さわることによって外と内が融合する。
  • 触察
  • 物にさわるとは、創・使・伝を追体験する文化ともいえる
  • なぜさわるのか(作法)、どうさわるのか(技法)
  • 自分の(想像)力で「画」を動かす。
  • ユニバーサル・ミュージアム=誰もが楽しめる博物館
  • 行き方(情報入手法)と生き方(自己表現法)
  • (健常者・障害者ではなく)見常者・触常者
  • 身体感覚を伴わない情報共有は浅薄で危うい
  • 文化相対主義
  • 人々の生活の中で生きている文化
  • (美術品なども)もともとは人々の日常生活を支えるものとして、実用的機能と美しさを併せ持つものであった
  • 生活の中での文化の厚み
  • 陳列棚に入ると生活から離れてしまい、何かが抜け落ちていく
  • (茶道・華道・書道・食文化などの)生活文化
  • 我々の生活から離れた特別なものではなく、生活とともにあるもの
  • 作品の制作・鑑賞は、自己の内面との対話である
  • 視覚を使わない自由
  • (能)花=舞台上の魅力
  • 花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり(「風姿花伝」)
  • 触覚の「美」
  • 目に見えないものをごく自然に受け入れていた江戸時代以前の世界観

『世界はさわらないとわからない』(平凡社)広瀬浩二郎著より


本書前半は、先般の講義のなかで学んだことの復習でした。後半では、各分野の方々との対談やインタビューをもとにした内容が載っていて、これらは広瀬先生の講義のなかでは伺うことのできなかったことでもあり、とても良かったです。