読書『枯れてこそ美しく』(集英社)戸田奈津子・村瀬実恵子共著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『枯れてこそ美しく』(集英社)戸田奈津子・村瀬実恵子共著

映画字幕翻訳のパイオニア・戸田奈津子さんと、米国における日本美術研究の第一人者・村瀬実恵子さんとの対談集。コロナ禍下、東京とニューヨークをZoomでつないで実現した対談ということです。

1936年生まれの戸田さんと、1924年生まれの村瀬さん。お二人の年齢からでしょう、タイトルには「枯れて」の文字が入っていますが、どうしてどうしてお二人ともエネルギーにあふれています。読み終わったときには、この「枯れて」には何か別の意味が含まれていたのではないか、その意図を探さねば、という思いに駆られました。

わたしは本書を読むまで村瀬実恵子さんをまったく存じ上げなかったのですが、アメリカの美術界では知らないひとはいないというお方だそうです。元コロンビア大学教授でメトロポリタン美術館東洋部日本美術特別顧問。50年前から、アメリカでは当時ほとんど知られていなかった日本美術の芸術性、美しさを伝えてきた第一人者(集英社サイトより)とのことです。

そんな「最前線」を突っ走ってこられたお二人のやりとりは、機知に富み、人生を生き抜く力、責任と覚悟がビシビシと伝わってくるものでした。テーマは「おしゃれ」「キャリア」「運命の出会い」「仕事の意味」「美」「楽しみ」「人との付き合い」「終活」と続きます。ストレートなお二人の言葉は厳しさも含んではいるものの、どの談のトークも面白く。読んでいて励まされ、わたしももっと頑張ろう、頑張れる!と思わされました。

最終章「終活」のところでの、日本についての村瀬さんの見解が、とても重く痛かったです。いわく「そういうことに人々が関心を持つのは、国としても、個人としても理想像がないからでしょうね。小さく、小さく、小さくなっていくのね。日本という国はもう、そんなに遠くない将来になくなるのかもしれませんね。どういう形で消滅するかは興味もあるし、ちょっと長生きして見届けたい気持ちもあります。」(『枯れてこそ美しく』より)と。

日本に生きる私たちは、そんな現状をどうやって打開して行ったらよいのでしょう。巻末最後の最後で、大きなテーマを突き付けられました。

『枯れてこそ美しく』(集英社)戸田奈津子・村瀬実恵子共著

読書:家族と老いを考える2冊、『老後の資金がありません』と『あくてえ』。

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読書:家族と老いを考える2冊、『老後の資金がありません』と『あくてえ』。

天海祐希さんの主演で映画になった『老後の資金がありません』を観そびれていたところに、図書館の特集コーナーで原作を発見。

『老後の資金がありません』(中央公論新社)垣谷美雨著

主人公・篤子はドンピシャでわたしと同い年。生活環境は異なるものの、老親の介護はじめこの世代に共通する家族の問題の数々に、うなずきながら読みました。映画であればコメディとして笑い飛ばせたのかもしれませんが、本だからこそ迫りくる切実さがあって、気がつけば拳を握りしめて応援していました。

篤子の言うところの「50歳を過ぎた頃から」目につくようになった数々の現象(家族、特に夫の性格や癖)は、子育てがひと段落しそうだという安心感と反比例して現れるものかもしれません。文中にある彼女の「心の叫び」に対し、「わかる!わかるよ!」と心のなかで相槌を打ちました。たぶん彼女とわたしは性格的に似ているところがあるのだな、と思いながら。

なかでも篤子の「だが…それは強者の考え方だ。」のセリフ(心の声)が残りました。「自分は世の中の一部分しか見ないで、弱者のなんたるかを知らないまま一生を終えたのではないかと思うことがある。」というのは、読んでいるわたし自身に向けられた、深い反省でもありました。

これでもかと難儀な状態が降りかかりながらも、ストーリーは少し光が見えてくるところで終わります。安心とは言えないものの、少しはホッとして「ジ・エンド」を迎えることが出来ました。先に原作を読むことになったのは、かえって良かったかもしれません。そのシビアなストーリーを踏まえたうえで、映画(DVD)で大笑いしたいと思います。

対して、最後まで光が見えなかったのが、カメリア図書館の同じ特集コーナーにあったもう一冊。

『あくてえ』(河出書房新社)山下紘加著

著者の山下紘加さんは1994年生まれとありますから、わたしよりも20歳以上も若い方です。読みながら、近年社会問題化している「ヤングケアラー」という言葉が思い浮かびました。家族の問題は今や若者にとっても他人ごとではなく、あらゆる世代において切実になってきていることを、あらためて突き付けられました。

こちらも家族の問題てんこ盛りです。両親の離婚に、出て行った父親のお母さんの介護問題。当然お金の問題も出てきます。若い主人公がイライラしながら、どうしようもなく、現状を受け入れていくしかない様子が、閉塞感一杯に描かれています。

ストーリーの最後で、小説家を志している主人公が「小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。」と心の中で叫ぶセリフは、現代におけるこれらの問題の根深さを突き付けてきました。

『老後の資金がありません』では最後に見えた光が、『あくてえ』では見えず(むしろ悪くなるばかり)、トンネルに迷い込んだような感じでした。それでも読後感が悪くなかったのは、それが特別な人だけに起こる特別な問題ではなく、誰にでも降りかかる可能性のある現実的な問題として、ある意味淡々と描かれていたからかもしれません。

図書館の特集コーナーで偶然見つけた二冊。読んでよかった二冊です。

企画展『新原・奴山古墳群と集落』を観てきました。

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企画展『新原・奴山古墳群と集落』を観てきました。

福津市のカメリアステージ歴史資料館には、世界遺産登録された新原奴山古墳群に関する展示室があります。コンパクトながら重要な遺物等を展示するための基準を満たす特別展示室がふたつ、その周りに回廊になっている展示スペース、そして机と椅子が備わり閲覧可能な書籍資料の部屋。図書館が2階にあるので、その行き帰りに覗くのに最適です。

展示スペースは広くはないけれど、所蔵している資料はたくさんあり、ときどきこのような企画展で展示解説をしてくださいます。

↓こちらは昨年度の「新原・奴山古墳群」関連の企画展↓

今回の展示では、「住」に焦点を当てられていました。個人的に気になったのは「カマド」。住居内にカマド跡がある「カマド付き竪穴住居」は、5世紀ごろに朝鮮半島からの渡来人によって、ここ宗像エリアに伝わったとされています。住居内に台所があって、そこで煮炊きしたものを食べる…一気に当時の生活が身近に感じられてきます。

可愛らしい「手づくね土器」の数々も目に留まりました。祭祀用に作られたと考えられるミニチュア土器。徳利とぐい呑でしょう、手で粘土をこねて作った感じがダイレクトに伝わってくる土器の姿は、素朴でほのぼのとしていました。古来、酒器は祭祀に欠かせない大切な道具であったことが、あらためて伝わってきます。

それにしても、古墳と集落の分布図を見るたびに、この地域にどれだけたくさんの人々が生活していたのだろうと、なんだか壮大な気持ちになります。須恵器の窯跡が、確認されているだけでも60基以上あるというのも、あらためて興味深く。

こうして企画展を拝見することで、自分たちの住む地域の歴史を振り返る機会があることは、とても嬉しいことです。遠方の博物館等にわざわざ足を運ぶというのではなく、住んでいる場所で、生活の一部になっている文化施設で、観ることが出来るのは、ほんとうにありがたいことです。

令和4年度福津市複合文化センター歴史資料館 企画展『新原・奴山古墳群と集落』は、令和5年1月5日(木)~2月27日(月)(火曜日・最終水曜日は休館)です。

津屋崎古墳群。
495号線沿いに現れる、津屋崎古墳群。

読書『仁義ある戦い アフガン用水路建設 まかないボランティア日記』(忘羊社)杉山大二朗 文・漫画

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読書『仁義ある戦い アフガン用水路建設 まかないボランティア日記』(忘羊社)杉山大二朗 文・漫画

アフガニスタンで用水路建設を続けた医師・中村哲先生と、それを支えるペシャワール会の活動を垣間見ることのできる本が、また一冊世に出ました。このブログで本書をご紹介できる嬉しさ。著者の杉山大二朗氏は、彼がアフガニスタンから日本に帰国して少し経った頃からの友人です。「やっと上梓しました!」と、喜びと安堵の混ざった顔で本書を届けてくれました。

中村哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れてから三年が経ちました。中村医師の葬儀の後に、魂の抜けたような、心ここにあらずの状態で、著者が我が家にいらっしゃったときのことを、はっきりと覚えています。そこから本書上梓に至るまでに、どんな経緯や葛藤があったのかは、容易にすべてを量り知ることはできません。けれども本書を手に、出版の報告にいらした表情を見て、わたしたちもまた、とても安心したのでした。

中村医師に関する書籍は、ご存命中から多数出ていましたが、お亡くなりになってからもなお、次々に出版されています。そんななかでの、ペシャワール会から派遣された現地ワーカーの一人であった著者による本書は、エッセイであり、漫画であり。これまでにないアプローチで、アフガニスタンでの中村医師の姿を垣間見ることのできる一冊です。

漫画という手法を取り入れることで、より読みやすくわかりやすく、一人でも多くの人たちに伝えたいという気持ちが伝わって参ります。読み終わってまず思ったのは、子どもたちにも是非読んで欲しいということ、そして、たくさんの言語に翻訳されて世界中に届けばいいな、ということ。国・宗教・文化を越えて大切なことが、中村医師の姿(行動)を通して伝わってくる本です。

本書を書き上げたことで、さらに書くべきテーマがあることに気がついたという著者の、次作も楽しみです。

『仁義ある戦い アフガン用水路建設 まかないボランティア日記』(忘羊社)杉山大二朗 文・漫画

読書『しゃべる からだ』(サンマーク出版)トルステン・ハーフェナー著/柴田さとみ訳

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読書『しゃべる からだ』(サンマーク出版)トルステン・ハーフェナー著/柴田さとみ訳

こちらも昨日ご紹介の本と同様、メールマガジン「ビジネスブックマラソン」で紹介されていた本のなかで、昨年気になりながらそのままになっていたものの1冊。

↓昨日ご紹介したのはこちらでした↓

さて『しゃべる からだ』。著者の肩書を見ると「マインドリーダー、メンタリスト、マジシャン」とあります。いずれの肩書も、怪しげな匂いがしないこともありません。が、書いてあることは、至極真っ当です。心理学をかじったことのある人ならば、ふつうに「そうだよね、そうだろうね」とうなずける内容なのではないかと思います。「身体言語、知覚、行動心理学、錯覚」などをとことん勉強・実践(実験)なさった専門家、という方が、ぴったり合うような気がします。わたし個人的には、昔から行動心理学に興味があり、本書を読みたいと思ったのでした。

まず最初に書かれていたこの文章に、大きくうなずきました。

『「体」と「心」、「行動」と「思考」の間には、境界など存在しない。すべては関連し合い、つながり合い、互いに影響をおよぼし合っている。』

「境界など存在しない」。当たり前で、わかっていたつもりなのに、無意識のうちに別々のものとして考え語る自分がいたことに気づかされました。このことに気づき、意識し直すだけでも、ものの見方が変わるような気がします。

そしてもうひとつ、本書にある行動心理学を生かすために、大前提とされるのが「観察力」でした。相手のことをどれだけ観察できるか=相手にいかにしっかりと向き合うか。同時に、相手への観察とともに、自分自身への観察も大切でもあると感じました。観察についての記述では、わたしがアートエデュケータとして取り組んでいる「鑑賞教育」に通じるものがたくさんあり、思いがけずつながったことが、読んでいて嬉しくなりました。

サブタイトルに『よりよく生きるための「身体言語」の本』とあります。ノウハウ本として読む方もあると思いますが、もっと深いところで大切なことが書かれていると思いました。昨日は「ラテン語」という言語を通して、今日は「身体」という言語を通して、思考・表現・行動を考える機会となった読書でした。

『しゃべる からだ』(サンマーク出版)トルステン・ハーフェナー著/柴田さとみ訳

読書『教養としてのラテン語の授業』(ダイヤモンド社)ハン・ドンイル著/本村凌二監訳・岡崎暢子訳

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読書『教養としてのラテン語の授業』(ダイヤモンド社)ハン・ドンイル著/本村凌二監訳・岡崎暢子訳

わたしが新刊書評を確認する場所として主に使っているのは、新聞とメールマガジンと、ときどき雑誌です。そういえば書評サイトはほとんど見ていません。メールマガジンは、出版コンサルタント・土井英司氏の「ビジネスブックマラソン」略して「BBM」を購読(無料です)しています。

BBMで紹介されていた本のなかで、昨年気になりながらそのままになっていたものがありましたので、お正月に数冊まとめて手に入れたのでした。そのなかの一冊が本書『教養としてのラテン語の授業』。タイトルの「教養としての」に、またか…の気持ちもありつつ(笑)、メルマガで内容が気になっていたところに、哲学に造詣の深いお友だちが読んで「良かった!」という感想をSNSに上げていたのを見て、買わねば!と思ったのでした。

ラテン語の授業を書き起こしたような章立てになっています。語学の授業というよりは、ラテン語の背景にある文化を覗き込むことのできる授業だと感じました。著者のやさしい語り口が聞こえてくるような文体でした。本を開く前に少し懸念していた「難解さ」はまったく無く、とても読みやすかったです。読後、すっかりやさしい気持ちになりました。

以下備忘。


  • 人は教えている間に、学ぶ(哲学者・セネカの『倫理書簡集』より)
  • ラテン語の「丁寧さ」が地中海の平和を生んだ
  • 言語は思考の枠組みです。相手についての尊重や配慮、公平性を持つラテン語が、ローマ人たちの思考と態度の寄り拠になっていたはずです。
  • 正しい用法がすべての表現の礎となり、それが真の知的体系を形成する
  • みなさんの言葉の中に、典雅は発見できますか?
  • 言語が、(中略)たゆまぬ習慣を通して身につけていく性質を持っている
  • 言語は自分を表現するための手段であり、世界を理解するための枠組みです。
  • 川を渡り終えたら、舟は川に置いていかなければならない。
  • 私たちは自分自身の、そして何かにおいての「スムマ・クム・ラウデ(最優秀)」
  • 周囲の問題は深く考えず、自分が出来ることをやればいい
  • あなたなら、他者に何を与えられますか?どんなものを準備すればいいですか?
  • 自分がどういう人間で、何に喜び、悲しむのか、自分には何が必要なのかも、走ってみた人にしかわかりません。
  • 「一緒に、ともに」の価値が失われてはいけない
  • フラットな言語体系が発達すれば、(中略)嗜好や社会構造も柔軟になる
  • 「私を上に引っ張り上げる」ティラミス
  • 我々は自分が知っているものしか、目に入らない。
  • スピノザにとって欲望とは、それ自体が善や悪ではなく、天地万物すべてに共通する自然法則から生まれた本質に過ぎません。
  • 真理はそれ以外の何物でもなく当然受け止めるべきものであり、外部の力によるものは真理ではない
  • 賽は投げられた
  • これもまた過ぎゆく。

『教養としてのラテン語の授業』(ダイヤモンド社)ハン・ドンイル著より


サブタイトルに「古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流」とついているのを、読み終わってから見つけました。本書を読んで、ラテン語を学んだとは言えるものではありませんが、繰り返し読みたくなる本だと思いました。

『教養としてのラテン語の授業』(ダイヤモンド社)ハン・ドンイル著/本村凌二監訳・岡崎暢子訳

やっと博多座、やっとエリザベート。

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やっと博多座、やっとエリザベート。

ずいぶん観劇に行くことが出来ていなかった博多座に、ようやく行って参りました。コロナ禍下で、チケットを取ったもののあきらめたものもあり、ほんとうに久しぶりでした。そんな2023年初観劇は『エリザベート』。2016年チケットを撮り損ね、2020年リベンジ!と思っていたら全公演中止となり…のあとの、2023年です。

博多座 ミュージカル『エリザベート』

満席の観客席の9割方は女性だったと思います。開演前から会場ではすごいエネルギーを感じました。競争の激しいチケットをゲットした皆さんの想いがあふれていたのかもしれませんね。わたしが観た回のキャストは、花總まりさん、井上芳雄さん、涼風真世さんで、ずっと見たいと思っていた方々の舞台を観ることが出来ました。

井上芳雄さん、すごい存在感でした。歌声も身のこなしも美しく、目の保養になりました。トート(黄泉の帝王)という役柄もあったのかもしれませんが、オーラがすごかった。花總まりさんもすごいですね。わたしのお友だちがこの人の追っかけを宝塚時代から続けているのですが、その気持ちがわかったような気がしました。そして一番楽しみにしていた涼風真世さん。もとはといえば『エリザベート』を観たいと最初に思ったのは、彼女がシシィを演じたころだったのです。今回、役は異なれど、その舞台上にいらっしゃるのを拝見できたのは、とても嬉しいことでした。

ミュージカル『エリザベート』を観ることが出来なかった間に、藤本ひとみさんの『皇妃エリザベート』を読んでいたので、大まかな時代背景や人物相関を少しでも知ることが出来ていたのは、良かったです。もちろんそのような予備知識無しでも、ミュージカルそのものが素晴らしいので問題ありませんが、ちょっとだけ自己満足。

カーテンコールは拍手が鳴りやまず、結局5回も出てきてくれました。終了・退場案内の館内アナウンスがはじまっても拍手が止まずに、緞帳が上がったときは、観客総立ちでした。素晴らしい世界観のなかに居ることが出来た幸せ。幸先の良い観劇スタートを切ることが出来ました。今年はあと何回か、博多座に足を運べるといいな、と思います。

基礎研修最終日:JETRO「中小企業海外ビジネス人材育成塾」

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基礎研修最終日:JETRO「中小企業海外ビジネス人材育成塾」

昨年11月21日からスタートしたJETRO「中小企業海外ビジネス人材育成塾」。

あっという間に年が明け、昨日は基礎研修の最終日でした。前回までのようなワークショップ中心の研修ではなく、久しぶりにみっちり座学の5時間半。とはいえ、パリ・ミラノからの現地情報など、机上ではない内容もかなり充実し、終了の頃には、心はワクワク、頭はパンパンになりました。以下備忘。


【デジタル商談】

バイヤーからよく出る、事前に答えを準備しておくべき(即答できるようにしておくべき)質問7。

  1. 商品開発ストーリーは?
    →なぜその商品を売りたいのか、なぜ海外(対象国)に出したいのか、ポジティブな理由。
  2. 他とのどんな違いがありますか?
    →5つ以上。3つまでならどの会社も出してくる。
  3. お客さまはどんな方たちですか?
    →そのお客様たちがどのように評価しているか=お客さまの声。
  4. どこで、どのような環境で作られていますか?どこで、どんな場所で売られていますか?
    →必然性。ブランディング。
  5. 創業何年ですか?会社の歴史は?
    →たとえ2~3年短くても、語れるものを用意する。
  6. どのように作られていますか?どのように使われていますか?
    →写真、動画によるビジュアル的な解説の重要性。
  7. 価格は?発注ロットは?
【現地事情 イタリア】
  • 売り手(小売店・専門店)のコンセプトが明確。
  • 装飾品市場規模60億ユーロ。
  • 居住環境(インテリア)を充実させたい願望。
  • 購入場所は45%以上がデザイン・家具の専門店。
  • オンラインショップと実店舗、両方チェックして購入する人が70%以上。
  • 商流として現実的に有望なのは「現地代理人」方式。
    →言葉の問題が解決でき、現地にすぐに問合せできる人がいることは、取引先の安心につながり、大きな価値。通常(月額基本料+コミッション)で契約。
  • インスタ・フェイスブックのショッピング機能SHOP NOWの活用、利用が急激に伸びている。
  • ハイレベルの伝統工芸品、高価格帯の一点ものの取り扱い先(=ギャラリー)は極めて狭くなる。
  • ミラネーゼは「ストーリー」よりも、直感的に「美しい」「格好いい」に反応する。
  • イタリアの従来のライフスタイルに取り入れることで、ちょっと豊かになるものが好まれる=生活空間での商品イメージの可視化が必要。
    →写真やショート動画。
  • ハイエンドギャラリーへのアプローチは、あきらめず何度も手を変え品を変えトライ!
  • サステナビリティは、今や欧州全体で外せないテーマ。
    →自社の考え方や取り組み、貢献について語れるようにしておく必要性。

この研修を受講しているメンバー15社のなかには、1月19日~23日パリで開催される見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展なさる方も数名あります。直前のあわただしい時期であろうなか、きっちりと受講なさっている意欲的な姿勢に、とても刺激を受けました。中小企業海外ビジネス人材育成塾は、このあと実践に向けて3月まで、現地専門家による個別指導、仕上げ研修、事後評価、フォローアップ研修と続きます。学んできた内容を自分のものにできるよう、ひとつひとつ落とし込んで参ります。

読書『すずりくん 書道具のおはなし』(あかね書房)青柳貴史 作/中川学 絵

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『すずりくん 書道具のおはなし』(あかね書房)青柳貴史 作/中川学 絵

友人がお年始に送ってくれた一冊です。出版元のあかね書房さんは、サイトに「子どもの本のあかね書房」と書いてある通り、児童書の専門出版社。1949年創立だそうです。

作者は硯(すずり)をつくる職人「整硯師(せいけんし)」。我が家には、ダンナのお父さんが遺してくださったたくさんの硯がありますが、わたしは整硯師という言葉を初めて知りました。「墨を磨って書く」ことがどんどん「昔のこと」となり、学校教育での書道の時間も「墨液とプラスチック硯」にすっかり変わっている昨今の状況を危惧して本書を制作したそうです。あとがきで『「道具たちの本来の姿」にふれる機会がなくなってしまっていいのでしょうか?』と問いかけています。

そういえば息子が小学校低学年の時だったと思います、書道の授業が始まる際に「書道具セット」購入案内が学校から届いたのでした。その時に初めて「プラスチック硯」なるものが存在することを知り、ダンナともども「いやいや、硯がプラスチックではイカンでしょう」と思ったのでした。結果、息子はダンナのお父さんが遺してくれた硯と、筆と文鎮をセットにして箱に入れ、学校に持って行って使いました。どれも昔ながらのものでしたので(筆は未使用のものでしたが)新品のぴかぴかではありませんし、持ち運びも重かっただろうな、と思います。それでも「じいじが遺してくれた本物だからね、上等だからね」という親の言葉を素直に受け入れ、嬉々として使ってくれたことを、あらためて嬉しく思います。

さて『すずりくん 書道具のおはなし』。文房具の四つの宝物「筆・墨・硯・紙」を「文房四宝」とし、文字のなりたちや道具の歴史を絵と文でやさしく紐解いています。子ども向けに制作されていますので、平易にコンパクトにまとまっていますし、文章には「かな」が付いて読みやすいです。でもその中身は、大人が読んでも知的好奇心がくすぐられるもの。わたしは書道には比較的親しんでいる方だと思いますが、知らないことがたくさんで、「ほぉ~!」と言いながら読みました。

毎年恒例の花祭窯での書き初めや書道部では、硯も墨も用意しますが、わたしもふくめ墨液を使うことがほとんどであるのも確か。上の写真は2年前2021年の書き初めのもの。たまにはゆっくり墨をすってみようかな、と思いました。

『すずりくん 書道具のおはなし』(あかね書房)青柳貴史 作/中川学 絵

読書『100万円で家を買い、週3日働く』(光文社新書)三浦展著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『100万円で家を買い、週3日働く』(光文社新書)三浦展著

新年最初の読書は光文社新書。先日『おとなのOFF 2023年 絶対に見逃せない美術展』を読書記録に上げていましたが、文章を読んだという意味ではこちらが初読書ということで。

お正月をはさんで1月5日にご近所カメリアステージ図書館が開きましたので、冬休み中に借りていたたくさんの本を返却しに足を運びました。今年もたくさんお世話になります♪

さて『100万円で家を買い、週3日働く』。社会デザイン研究者・三浦展(あつし)氏による著書です。2012年に刊行された同著者による『第四の消費』の実例集と称されている本書では、現代を生きる世代の価値観が体現された、いくつもの生き方・生活を垣間見ることが出来ます。わたしは『第四の消費』を読んでいませんでしたので、これから遡って読んでみようと思いました。

第四の消費とは、「1.物の豊かさ志向から人間関係の豊かさ志向へ 2.私有志向からシェア志向へ 3.ゴージャス・ブランド志向からシンプル・ナチュラル・手作り志向へ 4.欧米・都会志向から日本・地方志向へ」という4つ特徴を持ち、「高度経済成長期以前の日本人の一般的な暮らし、生活を、もう一度見直し、再評価し、部分的にではあってもそれを現代の生活に取り入れようとする動き」である「再・生活化」という共通の軸がある(『100万円で家を買い、週3日働く』「序」より引用)ものだそうです。

窯を開くために佐賀の山里に移住して生活をスタートしたときのことを思い出しました。近所のおばちゃんたちに教えてもらいながら、梅を摘み梅干を漬け、味噌を手作りし、山菜を採りに行き、白菜や高菜の漬物を仕込み、小さな畑を作り…と、まさに田舎ではあたりまえに続いてきた生活のあれやこれやを、生まれて初めて自分の生活に取り入れたのでした。

2018年初版でしたので、5年ほど前ですね。いくつか知っている事例が載っていて、この流れが大きくなりつつあることを感じます。本書で描かれているさまざまな生き方を読んで、とても心強い気持ちになりました。実践している当事者の一人が「生活実験」と言っているように、手探りで取り組み進んでいる様子は、「より自分達らしい生き方」を求めていく道の途中を思わせましたが、そこには先々への不安よりも期待が満ちているように感じました。

花祭窯の創業地・花祭は、自然豊かな里山。この場所が、わたしたちにとって心のセイフティゾーンになることを、その可能性とともに嬉しく実感した読書でした。

『100万円で家を買い、週3日働く』(光文社新書)三浦展著