読書:季刊誌『AXIS 2025.1 winter』株式会社アクシス

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書:季刊誌『AXIS 2025.1 winter』株式会社アクシス

いつものカメリアステージ図書館の雑誌スポンサーとなり、提供誌として『AXIS』の定期購読を選んだのは、昨年夏のことでした。

その後、図書館のカフェで読もうと思いつつ、実際はカフェでゆっくりする気持ちの余裕が無くて借りてきて読むことになり、読むほどに「これは手元に置いておきたい」の欲求が高まり、という感じで、ついには花祭窯でも定期購読することに。手元にずっとあることで、気になったときにページを開けるのが、やはりいいですね。

写真も文章も、興味をそそられるものがたくさんで、この一冊で、自分の視野がだいぶ広がったのがわかりました。わたしは昨年『AXIS』の存在を知ったのですが、ダンナはもともとキャリアのスタートが「グラフィックデザイン」なので、当時から手にしていたようです。AXISがスタートから40年と書いてあって、ダンナのデザイナー業のスタートとほぼ重なっていたということがわかりました。

今回気になったキーワード&テキストを備忘。


  • 情報が少なかったことが、美意識を形成するのにはすごく尊い時間
  • その1着が誰かの人生をどれだけ豊かにできるか。
  • 「つくり手半分、受け手半分」(三宅一生のことば)
  • プロセスの最適化
  • 歴史的な思考から新たな創造を始める
  • coconogacco(ここのがっこう)
  • 芸術教育の場「アルスシムラ」
  • 日本の教育環境には、美大や芸大以外で「美を育む教育」の場が不足し、そのため多くの人が「美」を特別扱いし、自らが関われるものではないと捉えているのではないか。
  • 自然に負けながら、自然をつくる
  • 3Dプリント建築
  • ラグジュアリーを再定義する
  • 「価値を後世に残す」という意思を持って見守る活動に取り組んでいる人たち
  • 真の意味での豊かさや人間性を取り戻すこと
  • 精神的に豊かさを求める暮らし方というのが一周回ってラグジュアリーと呼べるのではないか。
  • 質的なリサーチ

季刊誌『AXIS 2025.1 winter』より


今号では「持続可能性」「サステナブル」が中心テーマのひとつになっていました。昨今、あちらこちらでSGD’s関連で語られるものには、マーケティング的に「乗るべき流行」としての位置付けのものが少なからず、食傷気味なところがありましたが、本誌では違いました。上っ面な偽善的提案ではなく、しっかり考えるべきこととしての位置付けが示されていると思いました。また美術や伝統工芸について、ものづくりの作家性について、本気で心配して教育活動をスタートしている方々がいることが記事にいくつも見受けられ、とても嬉しい気持ちになりました。次号も楽しみです^^

デザイン誌『AXIS』

読書『おとなのOFF 絶対見逃せない2025年 美術展』(日経TRENDY)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『おとなのOFF 絶対見逃せない2025年 美術展』(日経TRENDY)

2025年読書記録の一冊目は、本というか雑誌ですが、毎年恒例の美術展情報。この手の美術展情報誌は毎年初めに数種類出ているのですが、比較的近所の本屋さんで手に入るのが「おとなのOFF」ということで、ここ数年の定番になっています。

さっそく中身を見ていきますと、まず気が付くのは、今年は京都・大阪など関西方面の美術館博物館で力が入っているなぁ、ということ。ここ数年、大阪の美術館でリニューアルのための休館をしているところが多いな、と思っていましたが、万博開催に合わせていたのですね。と、今頃気が付きました。関西に日本の国宝が大集結するようです。

今年はゴッホやら印象派やらの展覧会が目白押しのようです。日本に限らないことかもしれませんが、ゴッホも印象派も、根強い人気ですね。そんななか、本書で紹介されていたなかで個人的に気になった展覧会ベスト5(順不同)は次のとおりです。

  • 西洋絵画、どこから見るか?-ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館vs国立西洋美術館(国立西洋美術館、京都市京セラ美術館)
  • 異端の鬼才-ビアズリー(三菱一号館美術館、久留米市美術館)
  • ブルックリン博物館所蔵特別展 古代エジプト(森アーツセンターギャラリー)
  • 絵金(サントリー美術館)
  • 九州国立博物館20周年記念 特別展 九州の国宝 きゅーはくのたから(九州国立博物館)

そして、展覧会内容に関わらず、個人的に今年こそ足を運びたい館ベスト5(順不同)はこちらの顔ぶれ。

  • 泉屋博古館京都本館
  • 大阪市立東洋陶磁美術館
  • 大阪中之島美術館
  • 大阪市美術館
  • 福田美術館

足を運びたい館は、みごとに関西方面に集中しました(笑)今年は大阪での藤吉憲典の個展がありますので、それに合わせてひとつでも回ることが出来たらいいな、と。それから九州国立博物館が20周年なので、こちらもきっといろいろと企画があるはずで、楽しみです。2025年も素晴らしい展覧会と出会えますように^^

『おとなのOFF 絶対見逃せない2025年 美術展』(日経TRENDY)

今年もまぁまぁたくさん読むことが出来ました~2024読書ベスト10!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今年もまぁまぁたくさん読むことが出来ました~2024読書ベスト10!

まだ本日を含めてあと4日ありますが、おそらく今読んでいる本のシリーズが年内ラスト読書になるかな、と思います。今年はうっかり上半期のベスト5を出すのを失念していましたので、一気に年間ベスト10を上げていきたいと思います。

と書いたものの、困りました。振り返ってみたら、どれもこれも面白かったもので、とても10冊におさまりません。が、なんとか絞り込んでみましょう。ベスト10ですが、順不同の10件ということでご了解ください。読んだ時期の早い順に並べてみました。


『新古事記』(講談社)村田喜代子著

『犬のかたちをしているもの』(集英社)高瀬隼子著

『家庭用安心坑夫』(講談社)小砂川チト著

『バッタを倒すぜアフリカで』(光文社新書)前野ウルド浩太郎著

『シャーリー・ホームズとジョー・ワトソンの醜聞』(早川書房)高殿円著

『アート脳』(PHP研究所)スーザン・マグサメン、アイビー・ロス著/須川綾子訳

『犯人に告ぐ』シリーズ(双葉社)雫井脩介著

『関心領域』(早川書房)マーティン・エイミス著/北田絵里子訳

『哀しいカフェのバラード』(新潮社)カーソン・マッカラーズ著 /村上春樹訳/山本容子銅版画

『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著


それぞれの本はもちろん、高瀬隼子さん、小砂川チトさん、雫井脩介さんという作家さんを知ることが出来たのが、今年の一番の収穫だったように思います。とくに雫井脩介さんは、既刊本がたくさんありましたので、図書館で借りることができ、かなり読みました。上の10冊に入っていないものもブログに上げています。『アート脳』と『バッタ…』の2冊を除いて小説。我がことながら、近年その傾向が強くなってきているなぁ、としみじみ。

来年もたくさん読めますように^^

読書『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から、印象的な表紙に手が伸びましたら、久しぶりの、藤本ひとみさんです。前回、藤本ひとみさんの著作追っかけをしたのは、2021年~2022年ごろのこと。そのときは、藤本ひとみさんといえば、のイメージそのまま、ヨーロッパが舞台の歴史ものが中心で、どっぷりとその世界観に浸ったのでした。

本書は日本の近現代を背景としているので、わたしとしては新しい世界を覗き見るような期待感がありました。そして結論から言ってしまうと、その期待以上に読み応えのある一冊でした。写真でお分かりになりますでしょうか、557ページとけっこうな厚さです。が、引き込まれて数日で読破。

読書『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

主人公の女性が強く生きていく姿、というのは、藤本ひとみさんの小説の特徴の一つで、毎回それが楽しみです。本書の主人公もそうでした。が、とても切ない物語でした。登場人物それぞれが魅力的で、映画で観たいような気もします。そして、続きを読みたいという気もします。しばらく読後の余韻に浸れそうです。

それにしてもこのところ、第二次世界大戦前夜から大戦中を題材とした新刊小説がよく目に留まります。わたし個人的には、そのような意図を持って選んでいないのにもかかわらず、たまたま新刊棚で目に留まって、借りてきたら、そうだった、という感じ。それも邦書洋書を問わず、というところが、いまの世界の状態を表しているような気がします。ぱっと思い浮かぶだけでも、『リスボンのブックスパイ』『関心領域』『女の子たち風船爆弾をつくる』と並びます。

藤本ひとみさんの、日本近代史を舞台とした小説がもっと出てくると嬉しいな、などと思いつつ。

『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

読書『ターングラス 鏡映しの殺人』(早川書房)ガレス・ルービン著/越前敏弥訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ターングラス 鏡映しの殺人』(早川書房)ガレス・ルービン著/越前敏弥訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。あれ?表も裏も表紙?と気になって手に取りました。ただそのときは、それがどういう意味を持つのか、想像もしませんでした。そのままふつうに読み出し、本の真ん中あたりでお話が終わり、まだまだページが残っているところで、おや?となり。その先に進んだら「訳者あとがき」となっていて、頭のなかが???となりつつ、訳者あとがきの解説でようやく「仕組み」に気が付きました。

表と裏の両方から、二つの独立した物語を読むことができるのです。二つの独立した物語ですのでどちらから読んでもOKですが、それぞれの物語が、もう一つの物語の伏線になっている、という凝った作り。上の写真は、早川書房さんの本書紹介ページからお借りしました…どういう作りかをわかってもらうのに、一番良い写真だと思いましたので。そのページ第一声は「ミステリ界騒然!? こんな翻訳ミステリ見たことが無い!」で始まっていますので、わたしが初体験だっただけでなく、業界的にもチャレンジングな試みだったようです。

いろいろな意味でドキドキしながら読みました。1881年のエセックスにあるターングラス館を舞台にした物語と、1939年のカリフォルニアのターングラス館で起こった事件の物語です。いずれも当時の社会的・政治的背景が伝わってきてイメージしやすく、読後に著者がもともとはジャーナリストであるという解説を読んで、なるほど納得しました。ガレス・ルービン氏の著作に、興味が湧いてきましたので、また探してみようと思います。

『ターングラス 鏡映しの殺人』(早川書房)ガレス・ルービン著/越前敏弥訳

読書『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著―江戸文化の専門家による解説本。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著―江戸文化の専門家による解説本。

来る2025年のNHK大河ドラマの主役が「蔦屋重三郎」だということで、ここ1-2年で関連本が続々と刊行されている感があります。わたしがこれまでに読んだのは、小説二冊。いずれも「そんな人がいたんだ!」という驚きをもたらしてくれるものでした。

小説世界で面白さに浸ったあとは、実際のところどうだったの?の検証とまでは言いませんが、専門家のお話を聞きたくなりました。ということで、江戸の文化といえば、田中優子先生。2017年に、当時「法政大学総長」であった先生の講演会を聴きに行くことが出来たのは、思い返すほどにとてもラッキーなことでした。

本書は2024年10月20日刊行です。小説とはまた異なったアプローチでの「蔦屋重三郎の生きた時代」を読むことは、面白いばかりでなく学びになりました。「編集」の意味、「アバター」としての筆名や芸名など、現代のわたしたちの仕事につながるヒントがたくさんです。

『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著

読書『「ふつうの暮らし」を美学する』(光文社新書)青田麻未著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『「ふつうの暮らし」を美学する』(光文社新書)青田麻未著

最近、異動のお伴に「新書」を選ぶことが増えています。小説はストーリーに入り込み過ぎて、うっかり電車を乗り過ごしそうになる危険があること、新書だとサイズも厚さも程好いのでバッグが重くなり過ぎないこと、などがその理由です。なかでも光文社新書は、美術系の考察に強いような気がしています。個人的に保存版的位置づけの本に、光文社新書が何冊も入っているもので、本屋さんではまずチェックする場所になりました。

さて『「ふつうの暮らし」を美学する』。サブタイトルに「家から考える「日常美学」入門」とあります。日常美学の入門書、とあります。「日常美学」という学術分野があることを、この本を見るまで知らなかったのですが、その字面から、自分がやろうとしていることに近しいものがあるかもしれないと勝手に想像して、手に取りました。

学術分野としては、哲学の領域に入るようです。たしかに、本文中に引用される何人かの研究者の主張する内容を見ていると、いかにも哲学的な「これは無理矢理でしょ!?」というような論旨展開も多々あり、久しぶり(学生時代ぶり)に哲学の面白さを垣間見ることが出来ました。

著者の言わんとすること、日常美学とは簡単に言うとどんなものなのか、なぜこの本を書いたのかは、序章を読むことで明らかになります。そのなかから、わたしがピンときたのは、

  • 美学は「感性の学」である
  • 美しくない芸術もある
  • そもそも芸術と日常を峻別することができるという前提は、西洋近代に特有のもの
  • 芸術という概念抜きに発展してきた文化
  • 生活のなかで実践される「美」、「芸術」
  • 文化がかたちづくられる以前に、私たちは生きていくなかで自然に感性をはたらかせている

というようなところ。

とにかく新しい分野だということで、帯にも「気鋭の若手研究者による唯一の入門書」とあります。興味のある方は、ぜひ読んでみてくださいね^^

『「ふつうの暮らし」を美学する』(光文社新書)青田麻未著

読書『可及的に、すみやかに』(中央公論新社)山下紘加著

こんいちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『可及的に、すみやかに』(中央公論新社)山下紘加著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。この場所のおかげで、たくさんの「はじめまして」の小説家さんに出会います。ふと気がつけば、そうした作家さんの多くが、わたしよりもお若い方々。だんだんと、そんなふうになってきますね(笑)。そしてこれは洋書・邦書問わずなのですが、すごい!と思ったら若い女性の作家さん、ということが最近とみに増えてきました。

本書の著者、山下紘加さんもそんななかのお一人。と思ったら、2年ほど前に著書『あくてえ』を読んでいましたので、厳密には「はじめまして」ではありませんでした。『あくてえ』は、家族の問題てんこ盛りのヤングケアラーの物語でした。

さて『可及的に、すみやかに』。こちらも家族の問題を扱った中編二編が収録されています。タイトルは『掌中』と、表題にもなっている『可及的に、すみやかに』。ふたつとも「母と子」の関係を描いています。母の目線で「母と息子」を軸に物語が進む『掌中』と、娘であり母である立場から描かれる『可及的に、すみやかに』。どちらも、じりじりとする立場の痛みが伝わってきて、苦しくなりながらも目が離せませんでした。

物語の主人公と読んでいる自分に性格的に重なる部分がまったく無くても、そうなってしまう主人公の追い詰められた感じはなんとなくわかる、というのが、読みながらの感想でした。スマホに残る指紋の跡のこととか、鏡にやつれたおばさんが映っていると思ったら自分だったとか、細かい描写に心当たるところが、登場人物への共感につながります。光が見えそうだと思ったらあっけなくひっくり返されるラスト。むしろ残念な状況が続くことを予感させる終わり方にも、リアリティを感じました。著者追っかけをしてみたいと思います。

『可及的に、すみやかに』(中央公論新社)山下紘加著

「令和6年度デザイン開発ワークショップ」第3回目は、一人(一社)につき一時間の贅沢ブレスト。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「令和6年度デザイン開発ワークショップ」第3回目は、一人(一社)につき一時間の贅沢ブレスト。

福岡県の新事業支援課の事業のひとつ「デザイン開発ワークショップ」。わたしが参加する北九州地区では、西日本工業大学の梶谷克彦先生、株式会社GKデザイン総研広島の遠藤大輔さん、株式会社宣研の重松依子さんが、アドバイザーを務めてくださっています。昨日はその三回目。参加社数は4社なので、そもそも少数でじっくり取り組める体制なのですが、インフルエンザで2社が欠席となり、いつもにも増して濃い時間となりました。

この日の成果と宿題は、以下5点。

  • エントリーモデル(普及版)作品群としてのシルクスクリーンは、独自のブランディングストーリーを作る。
  • 入口はひとつ(=藤吉憲典)。そのなかで、エントリーモデルからハイエンドモデルへのステップをストーリー化する。
  • なぜこの作品群が生まれたのか?
  • すべての普及版作品に添付することのできるブランドストーリーの小冊子化。
  • 額装・作品のアレンジ→世界観を示す「実際に飾ってある場所」の写真や動画。
藤吉憲典 昇龍

やりたいことに対して、次にすべきことが明らかになるこの時間は、ふだん一人で仕事をしているわたしにとって、とてもありがたく貴重です。次回に向けて、しっかり準備を進めます^^

読書『哀しいカフェのバラード』(新潮社)カーソン・マッカラーズ著 /村上春樹訳/山本容子銅版画

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『哀しいカフェのバラード』(新潮社)カーソン・マッカラーズ著 /村上春樹訳/山本容子銅版画

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。本の色合いに惹かれて手に取れば、表紙に並ぶ名前にびっくり。これはとりあえず借りねばならぬ、となりました。というのも、村上春樹さんの訳に、山本容子さんの銅版画による挿絵。実は肝心の著者であるカーソン・マッカラーズさんのお名前は存じませんでしたが、そこはご愛敬ということで^^;

なんとも奇妙な読後感が残るお話でした。結末で誰一人幸せにならないどころか、光も見えない。あとがきに村上春樹さんが「主要登場人物である三人のいずれにも感情移入し難い」というようなことを書いているのですが、まさにその通りなのです。ただしばらくすると、これもまたあとがきに書いてある「登場人物それぞれが抱えている、ある種の欠落」を、自分のなかにも多かれ少なかれ認めることができるからこそ、無視できない小説になっているのだろうと思えてくるのです。

そんなわけで、カーソン・マッカラーズ著に俄然興味が湧いてきました。村上春樹さんの訳で既刊が2冊あるようなので、まずはそちらから読んでみたいと思います。

『哀しいカフェのバラード』(新潮社)カーソン・マッカラーズ著 /村上春樹訳/山本容子銅版画