読書『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)みうらじゅん

台風避難のお伴に、本。わたしが避難グッズとともに持ち込んだのは、台風の緊張を少しでも解きほぐそうと、避難所に隣接する図書館で「みうらじゅん」を借りてきました。読みはじめてすぐに「あ、これ読んだことあった!」と気が付きましたが、何度読んでも面白いものは面白いので、良いのです。

笑い声を押し殺しながら読みましたが、この本は本人による「みうらじゅんの仕事術」であり、ジャンルとしては「実用書」「ビジネス本」に入れてしかるべき内容です。誰にでもできることではないことをやり続けている凄さが、ひしひしと伝わってきます。

個人的に引っかかった、みうらじゅんのキーワードは、次の通り。


  • 一人電通
  • 自分を洗脳する
  • ブームとは「誤解」
  • 本質を突く
  • 母親に向けて仕事をする
  • 言い続けること
  • まだないことを描く
  • 自分なくしの旅
  • 「空」に気づく
  • 子供の趣味と大人の仕事

以上『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)より


でも、実は巻末のみうらじゅんと糸井重里との対談の中に出て来た、糸井さんがみうらじゅんに対して言った言葉というのが一番引っかかりました。いわく「かまぼこ板に『みうらじゅん』って書いて商売しろ」。自分の表札で仕事をするということを説いたこの一言に、さすが糸井さんは「ことば」を職業にする人なのだなぁ、と思いました。

読書『メンタルに効く西洋美術』(マール社)

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読書『メンタルに効く西洋美術』(マール社)宮本由紀 著

『英語でアート』以来、なにかとお世話になっているアート・アライアンスの宮本由紀先生の二冊目となる著書。常々、アート・英語・西洋美術史・リベラルアーツを説いておられる由紀先生の、美術とアーティストへの愛情とユーモアを感じる一冊です。

西洋美術史に名を遺す「アーティスト」なる生きものの、生き辛さ、人間臭さ、悲喜交交…。読みながら、決して他人ごとではなく(笑)、感情を揺さぶられました。由紀さんが本書で重視なさっているのが、プライマリーソース(一次資料)。その「元」がきちんと目に見えることが、作りものではない臨場感につながっているのかもしれません。

個人的には、老若男女問わず「悩めるアーティスト」たちに、ぜひ読んで欲しい本です。自分と重なる部分、まったく異なる部分を、西洋美術史の主役たちの生きざまに見ることができますし、そのどちらにしても「自分は自分として生きる(つくる・描く)しかないのだ!」というあたりまえの結論を、はっきりと目の前に突き付けてくれます。

本のつくりも、とっても好みでした。しっかりした紙質のページに、カラーの絵が載り、イラストによる図説も親しみやすくわかりやすく。アーティストのストーリーをメインにしていますが、実は解説を通じて、西洋美術史を見る際に役立つ知識もふんだんに載っています。

「手元においてことあるごとに開く本」がまた一冊増えました^^

読書『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』(講談社)

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読書『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』(講談社)スティーヴン・マーフィー重松

「マインドフルネス」についてちょっと知識を仕入れる必要に迫られ、まずは図書館でキーワード「マインドフルネス」検索であがってきた本を、手あたり次第借りて参りました。極端なスピリチュアル系からがっつりビジネス系まで、たくさんあるだろうなと思ってはおりましたが、その予想を上回る多さ(笑)。現段階で読んでいるのは数冊ですが、そのなかでは、わたくし的には最もしっくりきた一冊です。

マインドフルネスという単語は、なんとなく「瞑想」とか「禅」とか「ヨガ」とか「スティーブ・ジョブス」とか「グーグル」とかと結びついてイメージしていた程度で、ちゃんと本を読んだのは初めてでした。本を読む(頭で考える)よりも、実践したほうが、体感による理解は早いだろうなと思いつつ。

本書は良い意味で特に斬新さや驚きを感じるものではありませんでしたが、マインドフルネスってやっぱりそういうことだったのね、と納得でき、自分のなかで解釈を深めることができるものでした。茶道と重なるものがたくさんあったのは、利休の茶道精神に加え、わたしが入門している南方流が、禅寺の茶道であることも大きいかもしれません。またエデュケーションの視点で見ると、対話型美術鑑賞の方法論と効用に通じるものが、とてもたくさんありました。

数ある「マインドフルネス本」のなかにおいて、分野的には、How to本というよりは考え方や本質を理解するための本です。が、章末ごとにエクササイズが載っていて、これが秀逸です。ほんの数行のエクササイズですが、これを実践することが、そのままマインドフルネスな状態を導いてくれることでしょう。わたしもまずは、ここからスタートしてみようと思います。

ホームボディ経済。

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ホームボディ経済。

福岡アジアビジネスセンター主催のウェビナー「 変化をチャンスに変える! ネクストノーマル時代のヒントになるビジネス戦略と実践(米国編)」に参加しました。

講師は、北米でマーケティングコンサルタントとして活躍するYKA Ltd. Co (EZGlobal123)代表の村井 清美 氏。約1時間の短いセミナーでしたが、コンパクトでわかりやすく、集中できました。ブログタイトルの「ホームボディ経済」は、ウェビナー中登場した多数のカタカナ単語のなかで、個人的にもっともインパクトがあったもの。上の写真は関係ありませんが、「家にいる時間が長い」の私的イメージ。

以下、備忘。


  • ホームボディ経済=家で過ごす時間が長い。
  • デジタル化が3-4年分一気に進んだ。
  • オムニチャネル化の成否が生き残りを左右。
  • 多様化多数化した顧客との接点を、いかにシームレスにつなげていくか。
  • サスティナビリティの重要性への傾倒。
  • 米国内BtoBでもオンライン商談があたりまえ=距離に関わらずチャンス。
  • 既存のプラットフォームに乗るのではなく、独自に直接進出するチャンス。
  • 長期計画を推進する重要性(コロナへの短期・単発的な対応ではなく)。
  • 「信頼している人から購入」の傾向がより強く、明確に。
  • ベストプラクティスの活用=顧客の信頼を最優先。タイムリーに決断する。

「 変化をチャンスに変える! ネクストノーマル時代のヒントになるビジネス戦略と実践(米国編)」YKA Ltd. Co (EZGlobal123)代表の村井 清美 氏 より


今や「会わずに商談」があたりまえというときに、補完する方法として「電話」の役割が見直されてくるかもというニュアンスを感じました。またセミナー後の質疑応答で、コロナ以前への回帰はあり得ないことを説明するのに、「新車は一度でも乗ったら中古車であり、新車には戻れないのと同じこと」とおっしゃったのが、面白かったです。

読書『我らが少女A』(毎日新聞出版)

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読書『我らが少女A』(毎日新聞出版)高村薫 著

2017年8月から毎日新聞に連載された小説の単行本化。初出が2017年ですが、2011年以前、初期の高村薫作品の雰囲気を感じました。お馴染みの「合田刑事」が登場したから、単純にそう感じたのかもしれませんが(笑)。少し前に読んだ高村作品の『晴子情歌』『新リア王』とはまったく異なるものでした。

犯罪小説であり刑事ものですが、そこに描かれているのは「家族」の問題でした。そういえば家族の問題を描いているという意味では、『晴子情歌』『新リア王』に通じます。読んで思ったのは、「ふつうの幸せな家族」なんてものは、イメージほどには存在しないのだということ。どこかに何か問題を抱えているのがふつうであり、ただ、その問題の大小多少の違いは確かにあるということ。

かつて10代だったことのあるすべての人に心あたるであろう、自意識過剰で恥ずかしい不安定な時代は、時を経てキラキラした思い出になるのか、記憶から抹消されてしまうものになるのか。高村薫さんの、登場人物に対するやさしさを、これまでになく感じました。

それにしても『マークスの山』映画化以降、合田刑事=中井貴一の顔で脳内展開されてしまいます。当時、高村薫の小説(の細かさ、描写)を映画でどこまで再現できるのだろうかと興味はありましたが、自分のなかにできあがっていた世界観を崩したくなかったので、映画は観に行きませんでした。なのに、中井貴一で刷り込まれています(笑)。メディアの影響はすごいですね。

まだ読み残している高村薫作品も、徐々に埋めていきたいと思っています。楽しみです。

復習『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

復習『大きな羊の見つけ方 「使える」美術の話』(仙台文庫)齋正弘著

アートエデュケーション(美術教育)の原点確認に、本書を学びなおし。わたしが学芸員資格課程を修了したのが2013年の秋。その3年後、2016年の秋に参加した学芸員技術研修会で、自分にとって最も大切なテーマが「美術教育(アート教育)」であることに気づいたのでした。

わたしが持っている仙台文庫版は、たしか廃版になっていました。中古で手に入れるしかないのかな、あるいはどなたか復刊してくださるといいな、と思いつつ。

3年ぶりに読み返してみて、美術の役割を再認識しました。いわく「美術は、全ての人間が全部一人一人違うということを基礎に、人間全体の世界観を拡大してゆくということが存在の意義である」。少し言い換えると、「一人一人違う世界の見方」が肯定されていることが、わたしたちが生きている近代市民社会であり、美術はその基礎にある「ものの見方」を訓練するものである、ということです。

そういう意味において、美術と文学はとても似ていると思います。ビジュアルによるアプローチか、文字によるアプローチか、の違いはあれど。図書館を利用するように美術館を利用し、本を買うようにアートを買い、読書をするように美術鑑賞する。そんな生活スタイルが、日本でももっとあたりまえになるといいな、と思います。

読書『にんじん』(新潮文庫)

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読書『にんじん』(新潮文庫)ジュール・ルナール著

著者自身の少年時代のエピソードを題材にしたという『にんじん』。一話、二話、三話と読み進めながらどんどん苦しくなり、読むのをいったん止め、先に訳者によるあとがきを読んでみました。

「母親による精神的虐待の物語」と、訳者・高野優氏が「あとがき」ではっきりと書いてくれていました。そして、その虐待の物語がどうして「文学」足りえるのか、心理学的な見地も含めて腑に落ちる解釈があり、最後に「この本を読んだ方が訳者と一緒に、にんじんのために涙を流してくだされば嬉しく思う。」と。この「あとがき」を先に読むことによって、あらためて本書を開くことができました。

「負けるな、にんじん!」と思いながら読みました。にんじんが小さな(とても小さな)勝利を手にすると一緒に喜びました。目をつむってしまわずにいられたのは、にんじんに虐待を生き抜く力(抵抗する力、逃げる力)が備わっていたからで、そのことも訳者あとがきで説明されています。それでも、幼少期に心に負った深い傷は、大人になってもずっと残るのですが。

この物語が、虐待のメカニズムと、そこから子どもを救い出すためのいくつかの示唆を読む人に伝えてくれたら。そしてなにより、読んだ人が虐待を受けた子どものために泣いてくれたら。そんな訳者の気持ちも一緒に伝わってくる『にんじん』でした。

わたしが読んだ新潮文庫版は2014年の高野優氏の翻訳版。比較的新しいので、「母親による精神的虐待」の解釈も昨今の時世にあったものになっていると思います。その前にもいくつも訳されているようなので、どう違うか読んでみたいと思いました。

読書『ブッダに学ぶほんとうの禅語』アルボムッレ・スマナサーラ著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ブッダに学ぶほんとうの禅語』アルボムッレ・スマナサーラ著

お盆休み中の読書。入門している茶道南方流が、禅寺である円覚寺で受け継がれてきているところから、禅の言葉に触れる機会が増えました。お寺やお茶室で掛け軸になっているのを目にしたり、和尚さんがさらっと口になさったり、初釜茶会でいただく色紙に書いてあったり。気づけば身の周りに禅語がありました。

あまり意味を深く考えることなく、自然に接していた禅語ですが、少し考える機会があって手に入れたのが本書です。著者のアルボムッレ・スマナサーラ氏はスリランカ上座仏教長老ということで、禅宗の人ではありません。その方が、あえて初期仏教を受け継ぐ立場から、よりブッダの教えに寄り添い「禅に関する言葉」を解釈をするという、試み。

歯に衣着せぬ物言いで、一般に広まっている禅語に対する解釈を補足したり修正していく様子は、とても面白いです。禅の言葉に限らず、日頃いかにわたしたちが、言葉を自分に理解しやすいように、あるいは自分に都合よく、解釈しようとしているかを突き付けられたような気がしました。

禅の言葉はいろいろな解釈を呼ぶものがあるけれども、そのずっと根本にあるブッダの教えは明確で、多様に解釈されるようなものではないというお話が、心に響きました。また、禅と初期仏教では立場や手法が異なっているけれども、そもそものブッダの教えはひとつであり、その目指すところは同じというお話には、安心を覚えました。

ところで禅語に関する書籍は、禅の修業とは関係なく「ふつうの人」が日々の生活に生かせるように解釈したものが、たくさん出ていますね。今回少し調べてみて、類書がたくさんあったこと、つまり「禅のことば」や「禅的なもの」に関心のある人がたくさんあるのだなぁ、と再認識しました。

読書『運命のコイン 上・下』(新潮文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『運命のコイン 上・下』(新潮文庫)ジェフリー・アーチャー

小説から歴史を眺める。今回の舞台はソビエト(ロシア)、イギリス、アメリカの近・現代史でした。1968年から1999年の約30年間の出来事として設定されていて、わたし自身が生まれた(1969年)まさにリアルタイムでの世界情勢を垣間見ることができました。

政治・経済、そしてちょっぴり美術の世界を通じて眺める近現代史。タイトルの「運命のコイン」は、主人公がソビエトを脱出して乗る船の行き先を、アメリカにするかイギリスにするかの二択をコインの裏表で決めようというところからついたもの。

イギリス行きの船に乗った場合と、アメリカ行きの船に乗った場合の、両方のストーリーがあり、面白い手法だなぁと思いました。それぞれのストーリーで、主人公がしばしば「もう一方の船に乗っていたらどうなっていただろうか、この選択は間違っていたのではないだろうか」という思いにとらわれるのに対し、読む側はその結果を知っているのですから、なんとも不思議な立ち位置に立たされている感じがしました。

それにしても、その結末をどう理解したらよいか、考えさせられました。アメリカ行きとイギリス行き、最初はかなり異なった道になるように見えたのが、同じようなお終いを迎えることになった二つのストーリーに、苦いものが残りました。

その人の行き先(将来)を決めるのは、結局は環境ではなくその人自身だということでしょうか。持って生まれた宿命があるのか。あるいは母国への抗えない帰巣本能とでもいうべきものがあるのか。それとも、ある種の「欲」ゆえの結果なのか。いずれにしても、タイトルで「運命のコイン」といいながら、コインの表裏は主人公の運命を最終的に決めるものではなかったということになります。

ジェフリー・アーチャーその人自身にも興味が湧いてきました。作品を読み広げていきたいと思います。

読書『クリスマス・キャロル』(新潮文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『クリスマス・キャロル』(新潮文庫)ディケンズ

続々と、読んでいなかった名作シリーズ。『大いなる遺産』からディケンズ作品に興味が湧き、季節外れですが『クリスマス・キャロル』。これもまた、映画になっていたのですね。写真はロンドン・パディントン駅のクリスマスツリー。

「幽霊が三人出てくる話」と聞いていましたが、幽霊の話ではなく、人間の話。「過去」「現在」「未来」にいざなう幽霊が主人公スクルージに見せたものと、スクルージの悔恨。訳者の村岡花子さんがあとがきで、毎年クリスマスがめぐってくるごとに読むと書いておられ、その気持ちがわかるような気がしました。

ディケンズは10代から働きに出ながら、独学で勉強を続け新聞記者になり、ついには文豪と呼ばれるようになった人。その目線で眺めたロンドンの街と人々とが、背景として大きいことをこの本でも感じました。

作品のあらゆるシーンに涙と笑いが同居しているのは、先日自伝を読んだチャップリンに通じるなぁ、と思いました。時代的には、ディケンズが少し先で、そのあとにチャップリンです。これも訳者の村岡花子さんが書いているのですが、「つまるところ、彼は役者であり、彼の演劇の終局の目的はヒューマニズムであったのだ」に、大きくうなずきました。

チャップリンが自伝で「芸術作品には、歴史書などよりずっと多くの貴重な事実や詳細が含まれている」と書いていました。ディケンズの小説もまさにそんな芸術作品のひとつだと思いながら読んでいます。