2020年読んだ本ベスト5。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

2020年読んだ本ベスト5。

すでに記事にしたと思い込んでいました…昨年の「読んだ本ベスト5」をまだ出していなかったことに気づき、あわてて読書記録を振り返り。昨年は例年よりたくさん読んでいたうえに、良書との出会いが盛沢山でした。とても5冊では足りない!と思いながらも、選んで選んで残ったのがこの5冊です。上の写真は、第1位の本の目次ページ。

第1位 『美術館っておもしろい!』(河出書房新社)モラヴィア美術館

「展覧会のつくり方、働く人たち、美術館の歴史、裏も表もすべてわかる本」(阿部賢一・須藤輝彦 訳)です。これまでこういう本(美術本ならぬ美術館本)を見たことがありませんでした。アートエデュケーターとして仕事をしていくうえで、常にそばに置いておきたい絵本です。

第2位 『小説 イタリア・ルネッサンス』(新潮文庫)塩野七生

「1 ヴェネツィア」「2 フィレンツェ」「3 ローマ」「4 再び、ヴェネツィア」の全四巻の塩野七生ワールド。アーティストにとって特別な時代「ルネサンス」を、史実をベースに描いた歴史小説です。政治の話のなかに芸術・芸術家とのかかわりが必然的に描かれているのが、かの国での芸術・芸術家の地位・重要性を感じさせるものであり、とても面白く読みました。

第3位 『知覚力を磨く 絵画を観察するように世界を見る技法』(ダイヤモンド社)神田房枝 著

ここ数年美術鑑賞によるトレーニング・研修効果をうたう本が次々と出ています。そんななか「効果が科学的に検証されている、絵画観察を用いたトレーニング」について論じているのが本書の特徴であり、強み。鑑賞教育の担い手にとって、心強い一冊です。

第4位 『7つの階級 英国階級調査報告』(東洋経済新報社)マイク・サヴィジ著、舩山むつみ訳

英国社会に興味があるので読んだ、というのが一番の動機でしたが、予想していたよりもずっと重い問題提起の本でした。英国だけの問題ではなく、自分の住んでいる国、地域、そして自分自身を省みて考えさせられます。個人的には特に「文化資本の力」と「文化的スノビズム」の二つのキーワードが、課題となりました。

第5位 『運命のコイン 上・下』(新潮文庫)ジェフリー・アーチャー

ソビエト(ロシア)、イギリス、アメリカの近現代史を振り返ることのできる小説。ストーリーの面白さに加え、ジェフリー・アーチャーその人への興味もかきたてるものでした。ここからスタートして『ケインとアベル』『百万ドルを取り返せ!』と、楽しみが広がりました。

ちなみに、ベスト5候補として挙がったほかの本は、トルストイの『アンナ・カレーニナ(上・中・下)』チャップリンの『チャップリン自伝(「若き日々」「栄光と波瀾の日々」)』ディケンズの『クリスマスキャロル』エミリー・ブロンテの『嵐が丘(上・下)』プレジデント社から出た『観光再生』など。特に『アンナ・カレーニナ』と『嵐が丘』は、衝撃的でした。

和・洋の小説、ビジネス書、学術書、絵本まで、たくさんの良書と出会えた一年でした。こうしてあらためて振り返ると、本のおかげで広がった世界があることを、あらためて感じます。感謝!

読書『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著

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読書『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著

なんとも痛快な一冊を見つけました。あとがきに『「これが日本の伝統」に乗っかるのは、楽チンだ』と書いてある通り、実に皮肉に満ちていて、面白おかしく読みました。著者の肩書に「作家・脚本家・放送作家」とありますが、「放送作家」としての経験や視点が色濃く反映されているのでしょう。伝統とビジネス、伝統とメディアの関係性が、さらっと暴かれています。上手に持ち上げられ、作り上げられ、利用されている「伝統」を、目の前に突き付けてくれる本です。

とはいえ著者が『「伝統」そのものを否定しているわけではありません』というのは、読めばよくわかります。多様な「伝統の例」を斬ることを通して、読者自身に何が問題かを気づかせてくれます。深刻な問題提起というよりは、4コマ漫画的な批判精神とユーモアあふれる切り口。ズバッとやられます。

それぞれの事例の伝統度合いを「○○から○○年」というように数値化しているのが秀逸です。「土下座は謝罪なのか?」として『土下座が謝罪の意味を持ち始めて、約90年。国語辞典にそれが載り始めて、約50年。ドラマ「半沢直樹」の土下座から、約7年。』(『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著より)とあったのには笑いました。

あとがきに、本書の意図がしっかり述べられています。『「伝統」という看板を掲げてはいるけれど、その実態は「権益、権威の維持と保護」にすぎないケースもあります―ミもフタもない言い方ではありますが。』(『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著)の言葉に、大いにうなずきました。伝統工芸の世界「あるある」なのです(笑)

仕事柄わたしも、「伝統」「伝統文化」「伝統工芸」などなど「伝統」を含む言葉をよく使います。無意識に「この言葉を使っておけばとりあえずOK」になっていないか、気を付けなければならないと自省しました。「権威」「ブランド」「伝統」に頼るようになったらお終いですね。

読書『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著

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読書『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著

こちらも最近お気に入りの「カメリアステージ図書館の新刊紹介棚」からです。上の写真は、古代エジプトの遺跡からでてくる副葬品のひとつである神聖な「カバ」を、磁器作家・藤吉憲典が作ったらこうなる、というもの。

さてエジプトと言えば、大学生の時に山口県立美術館に来た「大英博物館展」で見たツタンカーメン黄金のマスク、新婚旅行で大英博物館に足を運んだ時に釘付けになったミイラの数々、一時期流行っていた吉村作治先生のテレビで見たピラミッド&スフィンクス、つい最近「雰囲気似てるよね」と言われてちょっとうれしかった(笑)ネフェルティティの胸像…。

本書「はじめに」で著者が『日本でエジプトといえば、「大ピラミッド」・「ツタンカーメン」・「クレオパトラ」の3つの話題ばかり(後略)』『視聴者の多くが(中略)古代エジプト史の歴史の流れを知らないことが多い。』と書いておられる、まさにその通りの認識でした。福岡acad.建築の勉強会シリーズ「第2回エジプト・ローマ」で少し学んではいましたが、知らないことだらけの古代エジプト。

『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著
『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著

著者の近藤二郎氏は、吉村作治先生と同じ早稲田大学エジプト学研究所・所長として調査研究をなさってきた方ですが、本書では学術的な難解さを感じさせることなく、一般向けに専門的な領域を語ってくださっています。「解剖図鑑」とある通り、図解中心の本ですので、読むというよりは「見る」という感じ。写真は全く載っていませんが、単純化されたイラストだからこそわかりやすいです。なんとなく読み始めましたが、面白くて、読了したときには手元に一冊置いておきたいと思ました。

それにしても、古代エジプトの遺物にのこる絵画・図象表現、ヒエログリフの文字表現、建築を含む立体表現の多様さ面白さがたまりません。リベラルアーツは古代ギリシア・ローマに源流を持つと言われていますが、古代エジプト文明もまた、言語的要素・数学的要素・芸術的要素の総動員だと感じました。また「神様」の位置づけが、八百万の神々を拝む日本と似ているというのも、興味深く。自然界のあらゆるものに神が宿るという考え方、人間に不可能な力を持つものを神聖視することなど、なるほどと思わせられました。

エジプトの墳墓から出てくる副葬品のひとつ「カバ」についても、改めて考える機会となりました。アートの世界で最も有名なカバは、ニューヨークメトロポリタン美術館にいる「カバのウィリアム」ですが、これにインスパイアされて作品化する現代アーティストもたくさん。磁器作家・藤吉憲典もまたその一人であり、藤吉の作るカバもまた、世界のあちらこちらでコレクターに愛されています。紀元前の古代から数千年を経て、現代に受け継がれてきたアートの底力を感じます。

再読書『論語と算盤』渋沢栄一 と、あれこれ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

再読書『論語と算盤』渋沢栄一 と、あれこれ。

「渋沢栄一」の名前があちらこちらで目に付く今日この頃。「新一万円札の顔」と、「2021年NHK大河ドラマの主役」という二大トピックス故ですね。何度か読んだことのある『論語と算盤』ですが、恥ずかしながら、文章の難解なイメージが先に立ち「何が書いてあるか」にまで意識が回らない(=理解に至らない)という経験をしています。初めて手にしたのは、学生時代、経済学部での講義のときであったと思います。

わたしにとっては、そのうち「ちゃんと読める=理解できるようになる」日が来るさと、機会あるごとに引っ張り出している本のひとつ。最近あまりにもよく「渋沢栄一」の名を見たり聞いたりするもので、立春を前に書棚から引っ張り出してきました。

ひとつは『論語と算盤』角川ソフィア文庫版。各章ごとに「この章ではここに注目」と促してくれる、親切版です。あらためて少しづつ読み進めています。

次に岩波文庫版の『論語』。岩波文庫版は、原文・読み下し文・現代語訳に注釈まで入っているので、わたしにとっては「とりあえずこの一冊」です。こちらは『論語と算盤』を読む上での辞書的な役割。側に置き、原文を知りたいときに開きます。

論語は、佐賀県多久市にある孔子を祀った多久聖廟で手に入れた『よみかき論語』の本を使って友人と音読会をしたり、我が家の「日めくり暦」として10年以上使っていたりするので、かなり親しみがあります。

そして、少し前に手に入れた最新刊が『こども論語と算盤』祥伝社から出ている絵本です。友人から「これなら30分で読めるよ」とおススメされたもの。エッセンスを知るのに最適な、易しい言葉で書かれた超訳版です。これは、家人が気が向いたときに手に取りやすいように、居間の目につくところに置いておくことに。

読書『教養としての腕時計選び』(光文社新書)篠田哲生 著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『教養としての腕時計選び』(光文社新書)篠田哲生 著

久しぶりに腕時計を購入した途端に、このタイトルが目に飛び込んできました。「30代からの腕時計選び」のための教養的腕時計読本です。上の写真は目次ページですが、ここを見るだけでもワクワクしませんか?著者的には「30代以上の男性」に宛てて書いたもののようですが、女性にもお勧めできる本です。

語られているのは「高級腕時計」の世界。自分が所有しているものとは懸け離れていますが、それこそ「教養的知識」のひとつとして面白く読みました。暦・時間・時計の歴史、デザイン・芸術的な側面、鑑賞対象としての腕時計の見方、技術とそれを支える人々の話…。ラグジュアリーな存在としての位置づけ(価値づけ)はアートに通じるところも多く、「所有する人の人生を豊かにする」役割の大きさを思いました。

先日書いたブログ「長~く使う。腕時計。」にも書いたのですが、わたしは30年近く使っている腕時計があり、全然高いものではなかったにも関わらず、メンテナンスすればまだまだ使えるという時計屋さんのお墨付きをいただいています。本書で知ったのですが、「オーバーホール」というのですね。高級腕時計の世界では、3-5年ごとの定期的なメンテナンスがお勧めされているということでした。

「30代以上の男性」に宛てて書いたものであろう『教養としての腕時計選び』(光文社新書)。これを大人の女性向けに書いたら、ジュエリーの要素が入ってきて、これまた読み応えのある一冊になるでしょうね。さらにゴージャスな世界観が広がりそうです。どなたかが書いてくださるといいなぁと楽しみにしています。

読書『忘却についての一般論』(白水社)ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ/木下眞穂訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『忘却についての一般論』(白水社)ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ/木下眞穂訳

図書館で出会わなかったら、ずっと縁が無かったかも、な本。これまたカメリアステージ図書館の新刊紹介棚でたまたま見つけ、タイトルと表紙の雰囲気に釣られて、手に取りました。

舞台はアフリカ、長年ポルトガル支配下にあったというアンゴラです。まず「アンゴラってどこ?」、次に「ポルトガルの位置は?」と世界地図の確認からスタートしました。アンゴラを舞台にした小説を読むのが初めてなら、ポルトガル語圏の小説自体、これまでに読んだことがあるのかしらと頭に浮かびません。海外の小説も日本語訳されたものを読むのが当たり前になっていて、元の言語が何かというところに、あまり意識が向いていなかったことに気づきました。翻訳者の方々にあらためて感謝です。

世界地図

最初に「この物語はあくまでもフィクションです」と強調されるほどに、物語誕生を促した「ほんとうのこと」「残されているもの」へのイメージが湧きたちました。

奴隷貿易の「輸出国」であったというアンゴラの、ポルトガル支配(植民地主義)からの脱却と独立のための闘争、そして東西冷戦の代理戦争でもある内戦を背景とした物語。アンゴラに移住した主人公のポルトガル人女性が、独立戦争と内戦の騒動にパニックをおこして自主的にマンションに籠城し、誰に知られることもなく愛犬とともに30年ほど自給自足で生き抜くというストーリーです。

主人公が紡ぎだす言葉が詩となって、物語全体を不思議な雰囲気で包んでいます。本・文字を読むこと、言葉を生み出し書き残すことが、極限状態においてどれほど生きる糧となるのか、考えさせられました。「お話」や「歌」が、人を安心させ勇気づける力を持つことも。

決して昔ばなしではなく、1970年代から現代にかけて、つまりわたし自身の生きてきた時代と重なっていることに、衝撃を感じました。同時に、「訳者あとがき」に「ときに無情で残酷な場面もありながら、ユーモアと温かみが全編にしみわたる」と書いてあるとおりの読後感でした。ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ氏の書いた本を、もっと読んでみたいと思います。どんどん和訳されると嬉しいな、と。

読書『課題解決のための専門図書館ガイドブック』(読書工房)専門図書館協議会私立図書館小委員会編

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『課題解決のための専門図書館ガイドブック』(読書工房)専門図書館協議会私立図書館小委員会編

昨年末ごろだったと思いますが「このところ、カメリアステージ図書館の新刊選書がツボにハマっています(笑)」とブログに書いたことがありました。そのラッキーが、現在進行形で、続いています。本書もその一冊。

「専門図書館」なんて魅力的な響きでしょう。別に調べ物があるわけでもないのに、思わず手に取りました。わたしの人生のなかで専門図書館にお世話になったのは、学生時代に論文を書くのに資料取り寄せで使ったぐらい。公開専門図書館で最も有名なのは、国立国会図書館ではないでしょうか。蔵書から必要ページをコピーして送ってくれるサービスに助けられた記憶が鮮明です。

上の写真は目次ページ。ずらりと並んだ図書館名を見れば、解決すべき課題がさしあたりなくても、無条件にワクワクしてきます。本書をつくるにあたり、全国の専門図書館171館が、協力の呼びかけに応じてくださったそうです。ということは、もっとたくさんの公開専門図書館が、全国にあるということですね。

「実務的な専門図書館名鑑」として制作された本書。図書館自体の情報もさることながら、読み物ページも充実しています。そのひとつが「レファレンス事例」の紹介。図書館員さんのプロフェッショナルな仕事ぶりが伝わってきます。「調査支援」も図書館員の方々の重要な仕事のひとつ。「図書館という頭脳をいかに自分の味方につけるか」を考えたとき、わたしはまだまだ図書館を使いこなしていないなぁ、と実感しました。

読書『わたしの好きな季語』(NHK出版)川上弘美

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『わたしの好きな季語』(NHK出版)川上弘美

川上弘美さんと言えば『センセイの鞄』。考えてみたら、ちゃんと読んだのはこの一冊だけでした。著書は読んでいないもの、新聞や雑誌などで時折見かける川上弘美さんの文章は、やわらかそうに見えながら独特のほの暗さがあり、それが自然であざとくないのが好きだなぁ、と感じていました。

春・夏・秋・冬・新年に分けて、俳句の季語を紹介しているエッセイ。もとは雑誌に連載されていたのですね。言葉の選び方が楽しくあるいは美しく、さすが言葉を生業にする人だなぁ、と思いました。上の写真は、冬の季語「探梅(たんばい)」にちなみ、梅に鶯の描かれた蕎麦猪口(染錦梅に鶯文蕎麦猪口 藤吉憲典)。

本書のなかでしばしば登場する「歳時記」。その素晴らしさをあらためて感じました。我が家にも分厚い歳時記辞典があります。俳句を読む人には季語を知るための歳時記。わたしにとっては、もっぱらやきものの文様の意味をより深く知るための辞典です。歳時記を引くたびに日本の四季の美しさや、それを言葉に残してきた人々の感性に感謝の念が沸いてくる、不思議な書物です。

川上弘美さんの『わたしの好きな季語』は、俳句を嗜む人ではなくとも、その文章自体が面白く読める一冊でした。

読書『小説 イタリア・ルネッサンス 2 フィレンツェ』『小説 イタリア・ルネッサンス 3 ローマ』(新潮文庫)塩野七生

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『小説 イタリア・ルネッサンス 2 フィレンツェ』『小説 イタリア・ルネッサンス 3 ローマ』(新潮文庫)塩野七生

塩野七生さんといえば『ローマ人の物語』。過去何度か塩野七生作品にチャレンジしましたが、そのたびに途中で挫折していたわたしが、ついに無理なく読み進めることができたのが、本シリーズです。昨年末に読んだ『小説 イタリア・ルネッサンス 1 ヴェネツィア』に続く舞台は、「2 フィレンツェ」そして「3 ローマ」です。

主人公とストーリーの背景にあるものは「1 ヴェネツィア」からそのまま引き継がれています。いわば「続き」だからでしょう、物語にすぐに入りこんでいました。魅力的な登場人物たちの、興味深い人生が中心にあるからこそ、世界史・地理・宗教・美術といった要素の複雑さも鮮やかな彩りとなって迫ってきました。

一番興味をひかれたのは、ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマそれぞれの都市の違いの描かれ方でした。とても丁寧に描かれていると感じました。世界史の知識の足りないわたしにとっては、登場人物の心象やセリフを通して伝わってくる三都市の風景、政治、風俗、気質が、ルネッサンス期のかの地の歴史を読み知るのに大きな手助けとなりました。「3 ローマ」ではミケランジェロが登場してきます。物語を通して、当時の政治や宗教の有力者と芸術家との関係、依頼者と芸術家との関係をうかがい知ることができるのも、興味深かったです。

『小説 イタリア・ルネッサンス 1 ヴェネツィア』を読んだ時には「ヴェネツィアに行かねば!」と思い、「2 フィレンツェ」を読めば「やっぱりフィレンツェよね」と思い、「3 ローマ」を読んで「ともあれまずはローマから!」と思わせられました。著者塩野七生さんの、それぞれの場所に対する愛情の深さを感じました。シリーズ三巻まで読んだ今は、まずローマ、そしてフィレンツェ、最後にヴェネツィアに周るのがいいかな、と。そう思うに至った主人公マルコのセリフがありましたので、以下にご紹介。


「わたしの生まれ育ったヴェネツィアは中世・ルネサンス時代の美しさでは無比の都市だが、古代はどこにもありません。フィレンツェも別の美しさながら、中世・ルネサンスの精神が結晶した花の都です。あそこでも、古代は影は落としてはいても、古代は気にしないで生きていかれる。
 しかし、ローマは違います。(中略)ここローマでは、古代を思わないでは生きていく意味が無いような感じさえするのです」

『小説 イタリア・ルネッサンス 3 ローマ』(新潮文庫)塩野七生より


このあとは「4 再び、ヴェネツィア」になります。ヴェネツィアに戻った主人公がどうなるのか、読むのが楽しみです。 

読書『仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝』(朝日新聞出版)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝』(朝日新聞出版)鵜飼秀徳著

上の写真は、本書に載っている島津製作所と京都、日本、世界のトピックスがわかる年表。

大阪でサラリーマンをしていた時の、わたしの仕事は法人営業職で、毎日会社の経営者の方々にお会いしていました。わたしの担当エリアは大阪府内の企業さんがほとんどでしたが、「京都担当」「神戸担当」「和歌山担当」の同僚と情報交換をしていると、それぞれ独自の土地柄を感じることがよくありました。

京都企業といえば、ワコール、京セラ、村田製作所、オムロン、ローム、島津製作所などの社名が頭に浮かびます。社名は浮かびますが、「ワコール=婦人肌着」「オムロン=体温計」などのほかは、実際にどのような事業をなさっているのか説明できないことがほとんどです。わたしにとっては島津製作所もそのひとつでしたが、この本でその歴史を知ることができました。

幕末から明治維新、二度の世界大戦、そして現代まで、日本の大変換期と重なる島津製作所の歩みを読むことで、日本の近現代史の一側面を垣間見ることができました。仏具制作から始まった事業がノーベル賞受賞者を輩出する企業になるまでの変遷は、変化することによって会社を守り伸ばし続けている老舗の凄みを感じさせるものでした。2025年で創業から150年だそうです。

最終章に載っている、ノーベル賞の田中耕一さんの言葉に共感しました。曰く「独創とは、“無から有を生み出す”と思われているふしがあるが、アイザック・ニュートンの言葉を借りれば『巨人の肩に乗っている(先人の知恵の積み重ねから学べる)』からこそできる、(後略)」(『仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝』(朝日新聞出版)鵜飼秀徳著より)。まさに製造業(芸術も含めて!)に関わるすべての人が自覚すべきことだと思います。

次回の京都旅行にまた楽しみが加わりました。