こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
2019年9月の書道部。
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋。アートフェアを観てきたばかりだったので、今月は「芸術の秋」で。

今回は、5枚目で清書。10枚20枚と書いてもダメなときは全然ダメで、たくさん書けば上手くいくかというとそうでもなく。集中して書けるときと、そうでないときの差が自分でよくわかります。
月に一度、自分に向き合う書道、おすすめです。
読書録その他。読んだもの、観たもの、参加した勉強会やセミナーの話題など。
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
本日公開の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観に行きたいなと思いつつ、ちょっぴり振り返り。
タランティーノ作品を初めて映画館で観たのは『パルプ・フィクション』で、その後『ジャッキー・ブラウン』『キル・ビル』と観たのち、遠ざかっていました。タランティーノは10本監督作品を撮ったら引退すると公言していると何かで読んだことがありましたが、最新作は9作目だそうですね。
映画館で観た三本の、ストーリーはほとんど覚えていないのですが、共通して「音楽がカッコよかった」ことが印象に残っています。それまで映画のサウンドトラックを買ったことがなかったわたしが、初めて購入したサントラ盤が『パルプ・フィクション』。
そして、もうひとつこの三本に共通していたのが「キレッキレの女性」の存在。パルプ・フィクションのユマ・サーマン、ジャッキー・ブラウンのジャッキー・ブラウン(パム・グリア)、キル・ビルの栗山千明。
パルプ・フィクションでずっと印象に残っているのが、ユマ・サーマンとジョン・トラボルタがツイストを踊るなんともシュールでコミカルなシーン。この音楽が聞こえてくると、いまだにそのときの両者の表情が鮮明に思い出されます。映画の力、そのなかでの音楽の力って、やっぱりすごいですね。
ジョン・トラボルタといえば『サタデーナイトフィーバー』を観たのはそのはるか昔。当時の面影はどこへやら、ぷよぷよの中年となって『パルプ・フィクション』のスクリーンに現れた彼が、靴を脱ぎ棄ててツイストを踊り出した時に、おおー!と感激したのでした。
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
ご存知ミッフィー。その生みの親ディック・ブルーナの生涯や制作の背景を、著者が見て、聞いて、調べてまとめたものです。著者は「僕は(ディック・ブルーナの)研究者ではない」と書いておられますが、実際にブルーナ本人やその周りの人たちに何度も会ってインタビューしており、ブルーナが生み出す世界をとっても愛しておられることがわかります。
この本のなかでミッフィーのことを「うさこちゃん」という言い方をすることの理由が書かれていますが、たしかにわたしにとっても、ミッフィーはもともと「小さなうさこちゃん」だったことを思い出しました。
わたし自身がブルーナの絵本に出会ったのは、もう40年以上前、幼少期を過ごした町田の市立図書館でした。子どもの絵本コーナーでブルーナの絵本を開いていた思い出は、今でも鮮明です。そして子どもが生まれたとき、あちらこちらからブルーナの絵本をいただき、再会したのでした。
ブルーナの生涯のどんな出来事や環境が、この世界観をつくりだしたのか。そこには、子ども時代の母親からの大きな愛情だけでなく、戦争やナチスの影、父親との葛藤などもありました。すべての子どもの「子ども時代」を守ってあげたいという気持ちが根底に感じられました。
芸術家としてのブルーナが、どんな時代に生き、どんな人たちの影響を受けたのか、また受けなかったのか。これもまた興味深いものがありました。「現実から出発」することを好み「理論やコンセプトから始まる」ことを好まなかったことや、「見る側の自由な態度に任せ」るというブルーナのスタンスは、わたしにとっては「我が意を得たり」で、ますます好きになりました。
そのブルーナが亡くなったのは、つい2年前。これからますます「ディック・ブルーナ」研究が進むのかな、と感じさせる本書でした。
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
福津市津屋崎のカメリア図書館。その回し者でもなんでもないのですが(笑)、立地・スペースともにわたしにはちょうど使い勝手良く、ついつい贔屓にしています。
貸し出しカウンターの前に「特集コーナー」が設置されていて、それほど広くない(むしろ小じんまりとした)スペースなのですが、とてもいいなぁ、と思っています。
ようにできているのが、素晴らしいなぁと。
今月は「過去の芥川賞・直木賞受賞作」でした。図書館司書さんからのコメントにつられ、そういえば受賞の時は気になったものの結局読んでいなかったよなぁ、というものを数冊借りてきました。
「潜在需要」といいましょうか、「あ、そういえば」という読書欲を掘り起こしてくれる、嬉しいコーナーです。
ここ数年、博物館学芸員の研修で、図書館司書さんとご一緒になることも増えており、各館で抱えている課題を話し合う機会があります。「特集コーナー」を設置している館はたくさんあると思いますが、ちょっとしたことで、その使い勝手や印象が変わってくるものだなぁ、と思いました。
公立の図書館予算がどんどん減らされているのは、日本全国共通の課題です。この傾向が憂うべき事態であるのは間違いないものの、そのなかで、お金を掛けずにできる魅力アップをコツコツと続けてくださるスタッフさんのいる図書館があることは、地域住民としてとてもありがたい!のです(^^)
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
写真は、イギリスではありませんが、お日さまの名残りが美しい、夕刻の津屋崎浜。
少し前に読んだサッチャーさん『マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」』(新潮選書)から時代をさかのぼり、チャーチルさんへ。こちらは自伝でした。
「はじめに」にあたる冒頭部分が「現代イギリスの自伝として」と題した解説になっているとおり、1874年の生誕から、19世紀終盤の四半世紀を経て20世紀前半へというチャーチルの半生は、大英帝国の大きな転換期に重なっているのですね。読んであらためてわかりました。
特に本の前半で思い出したのは、カズオ・イシグロの書いた『日の名残り』。貴族の館で政治の重要なことが決まっていった時代への憧憬と、その終焉へ向かう時代の空気。『W・チャーチル 我が半生』の、行間に漂う当時の英国の思想と、階級社会の上から目線(笑)な文章がまったく鼻につかないと言えば嘘になりますが、それもまた時代と小説的文体のなせる業なのかもしれません。
そう、チャーチルの自伝記でありながら、気がつけば小説を読んでいるような気分になっていました。それもそのはずですね。チャーチルさんはそもそも文筆家でもあり、たくさんの著書があったことを、今回初めて知りました。
本書は自伝でしたので、次は客観的に書かれたチャーチルさんの本を読んでみたいと思います。
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
『マチネの終わりに』から約2年ぶりだったそうですね。平野啓一郎ファンには待ちかねた1冊だったようです。
戸籍を交換して別の人間の過去を引き継ぎ、その人間として生きる。小説ではありますが、自分の身近にそういう人がいたとしても不思議では無く、漠然とリアリティを感じながら読みました。
「別人として生きる」ある男の決断の背景にあるもの。そしてその背景を明らかにしないでいられない主人公の執着。すべてが少しづつ過剰ではありながら、誰にでもイメージできる程度のさざ波が立っているようなストーリーでした。
「文体」の妙があり、それが魅力でありながら、作品によっては、読み進めるのに時間のかかる平野作品。ちなみにわたしはデビュー作をいまだ読み終われずにおります(笑)が、この『ある男』は一気に読み終わりました。
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
今年も行って参りました。地元のカメリアステージ図書館が開催してくれる選書ツアー。写真はイメージ。
大学図書館では一般的らしいのですが、一般の公的図書館での開催はまだ珍しいという選書ツアー。「図書館に入れたいと思う本を選ぶ!」とっても魅力的なイベントで、もちろんすべての希望が通るわけではありませんが、このような機会があることが嬉しくて仕方がありません。
博多にある紀伊國屋書店に集合。今年は「子どもが選ぶ本」も入れたいということで、夏休み期間中の開催となりました。図書館の職員さんからの説明と、紀伊國屋書店さんからの説明を聞いた後、約1時間かけての選書タイム。自分が図書館に入れたいと思う本を見つけたら、専用の端末でISBNコードを読み込んでいきます。
このところ本屋さんをぶらぶらする時間をとれていなかったので、とってもいい時間になりました。普段はなかなか行かないコーナーにも足を伸ばし、久しぶりに子ども向けの本コーナーをのぞき、視界を広げる時間となりました。
図書館がより身近になる選書ツアー。せっかくの素晴らしい機会なのですが、3年目の今年も参加者の募集に苦戦をしたようで、図書館のスタッフさんと「次回はどうしたらもっと積極的に参加してもらえるか?」について意見交換。
福津市、とくにカメリアステージ図書館をお使いの皆さん、次回は是非ご参加をご検討ください。選書ツアー、おススメですよ♪
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
経営者の勉強会などでご一緒していた「 株式会社おつうじ屋 」さんのニュースレターに、コラム「日日是好日」を提供しています。「花祭窯おかみ・ふじゆり」として執筆中。先日、おつうじ屋さんのサイト内に、そのコラムを一覧でご覧いただけるページが登場しました!
おつうじ屋さんは、その店名からイメージする通り、腸内環境の改善に役立つお茶やもち麦を販売なさっているネットショップさん。ネット草創期に勉強会でご一緒してからのお付き合いです。代表の石井さんとおしゃべりするなかで、ストレスが体に及ぼす影響や、日常生活をいかに快く過ごすかという話題から、意気投合したのでした。
コラムのタイトルは「日日是好日」。ニュースレターは、ご購入なさったお客さましか読むことができませんでしたが、サイトではどなたでもご覧いただくことができます。
お茶のこと、 禅のこと、 花のこと、旅のこと、読書のこと、アートのこと…このブログと同様、日々のよしなしごとを書き綴っています。ちょっとしんどい時でも、視座を変えて穏やかに過ごせるような、そんなきっかけになる文章をお届けできたらいいな、と思っています。
ちなみにわたしは、おつうじ屋さんの扱っておられる「紫もち麦」が、大のお気に入りです(^^)
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
「イギリスのことをもっと知りたい!」の気持ちがずっと続いていて、本を見つけては少しづつ読んでいます。図書館で新刊コーナーをチェックしていたところ、昨秋出たこの本を発見!
サッチャーさんといえば、わたしにとっては、70年代後半から80年代にかけての「イギリス・政治・女性リーダー」のアイコン的イメージです。彼女に対して自分が持っている表面的なイメージと、断片的な記憶を補足しようと手に取りました。
読んでよかったです。サッチャーさんのことを書くことはすなわち、戦後の現代史を紐解くことをも意味するのだと、分かりました。東西冷戦の時代の、なんとなく記憶に残っている、いろいろな事件の背景や、そのとき政治の世界でどういうことが起こっていたのかを、垣間見ることができました。
日本の小中高校での歴史教育が、近現代史にほとんど時間を割かないことはたびたび多方面で話題に上りますが、その一部分を埋めてくれる本の一冊だと思いました。レーガン(米)、コール(独)、ミッテラン(仏)、ゴルバチョフ(ソ)など、わたしの世代には耳なじみのある各国の政治家の名前が出てきたのも、読みやすさにつながりました。
そして、ここ数年なかなか落ち着くところの見えない英国のEC離脱問題についても、そこにいたるまでの時代の欧州とイギリスの関係を眺めることができました。
著者の冨田浩司氏は、外務省から研修留学と大使館勤務とで7年英国に滞在したという方。この『マーガレット・サッチャー』の前に『危機の指導者チャーチル』(新潮選書)を書いておられるとのことで、次に読むべき本が決まりました(^^)
こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
写真は、なんとなくイメージ。
ここ数年の追っかけ読書。思い返せば小説家のスタートは原田マハさんだったのかもしれません。カズオ・イシグロ氏、平野啓一郎氏ときて、ここ2~3か月は坂東眞砂子さんの著書を読んでいます。平野氏の著書については、まだまだ読めていないものがたくさんありますが、いったん休憩中。
平野啓一郎氏の著作を数冊読んで「文体」の妙にひっかかり、読み辛さをも含めた魅力を感じていたところでしたが、今読んでいる坂東眞砂子さんの著作については、それぞれの著書を覆う「民俗学的なもの」に惹きつけられています。
坂東眞砂子=映画化もされた小説『死国』。彼女の著書を読んだことが無かったにもかかわらず、そのホラーのイメージに引っ張られてずっと敬遠していました。ホラーとかオカルト、苦手なのです。
なんのきっかけだったか一冊手にとったところ、全編にわたる民俗学的な雰囲気に、びっくり。ご本人が自覚なさっていたかどうかは存じませが、読みながら「民俗」「民族」「土着」という言葉が何度も頭をよぎりました。民俗学的フィールドワークを思わせる世界観。
わたしがここ数カ月で読んだものは、第二次世界大戦の影が濃いもの、3.11の影が濃いものが複数あり、それらは著者晩年の作ばかりであることがわかりました。これらの著作のなかで、小説家だからこそできる社会に対する問いかけの方法を見せられました。小説の姿を借りて描かれることで、むしろ真に迫るということがあるのだろうな、と。
亡くなられたときまだ55歳であられたことに驚き、それまでに出された著作の多いことに驚き、イタリアでデザインを学びタヒチにも住んでいたという経歴に驚き。
少し時代を遡って読んでみたいと思います。