美術の使い方。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

先日「学芸員研修に行ってきました」をアップしたばかりですが、
その続きです。

宮城県立美術館の教育担当学芸員・齋正弘先生の著書

『大きな羊のみつけ方- 「使える」美術の話』

が、手元に届きました。

本の帯にある

「美術を使おう。美術館を使おう。」

これこそが、わたしが学芸員研修に参加した、いちばん大きな理由でした。

美術はもっと普通に、いろんな人に開かれているはずのもの。
美術館も博物館も敷居の高いものではなく、
もっと当たり前にみんなの生活のなかに登場してしかるべき、という気持ち。

そして、そのきっかけにもなる美術館や博物館で行われる「ワークショップ」と呼ばれる参加型の催し。
この大半が「トーク」か「なにかを作ってみる作業」であることにずっと疑問がありました。

その根っこにあったのは、
まずは『見る=鑑賞する』ことが先なのでは?」という思い。
「じゃあ、鑑賞ってどういうこと?」への自分自身の理解の曖昧さ。
「使える」美術の話は、その思いに答えてくれるものでした。

いわく

  • 「描く、分かる、知る」だけが美術じゃない。
  • 自己表現としての「鑑賞」。
  • 美術は、すべての人間が、全部一人一人違うということを基盤に、
    人間全体の世界観を拡大してゆくということが存在の意義(=仕事)。

などなどなど。

美術館での長年の美術教育の実践に裏付けられた齋先生の言葉は、
たいへん説得力に満ちていて、しかも哲学的で面白い!
読めば読むほど理解が深まり、ただいま3周目を読んでいます(笑)

美術教育を考える小学校や中学校の先生方にも、
ぜひ読んでほしい本です。

 

 

 

村上隆スーパーフラットコレクション展の図録

こんにちは。花祭窯 内儀(おかみ)ふじゆりです。

思いがけず刺激的な贈りもの。

村上隆さんのSUPER FLAT COLLECTION展の図録が届きました。

その数日前にカイカイキキさんから電話がありました。
今年2016年1月~4月に横浜美術館で開催した村上隆のコレクション展
藤吉憲典の作品も展示され、図録で紹介してくださったとのこと。

もうずいぶん前に、長年お世話になっている西麻布の桃居さんから
村上隆さんが藤吉の器もお買い上げくださっているという話は伺っていたので
そのこと自体はまったく驚かなかったのですが、

まあ、なんとも分厚く立派な展覧会図録が届きました。

開いてびっくり。
コレクターとしても一流というお話を聞いたことがありましたが
「あ、これどこかで見たぞ」がいくつも(笑)
すごいコレクションです。質・量ともに。

そういえばたしかにカイカイキキの方も
「とても膨大な量の展示で、作家さんも175名いらっしゃるため
図録での紹介文掲載自体は小さなものになりますが・・」
とおっしゃっていたのでした。

その紹介文、簡潔ながらわかりやすく的確で「さすがだなぁ」と嬉しくなるものでした。
さらにその紹介文を見ながら気づいたのが
「SUPER FLATって、こういうことか!」ということ。

いえ、正確にはわたしが勝手にそう解釈しただけのことなのですが、
つまり、その作家紹介のあり方というのが
古今東西老若男女、いかにもスーパー・フラットな紹介の仕方だったわけです。

「すべて、村上隆がいいと思って手に入れたもの」という意味で、
国宝級であろうと物故者であろうと若手であろうと無名であろうと…
気持ち良いほどにフラット=平等に扱われている感じがしました。

展示内容の写真だけでなく、読み応えのある文章の数々。
桃居オーナー広瀬さんとの対談、熊倉功先生の千利休についての話などなど
この図録はしばらくわたしの教科書のひとつになりそうです。

素敵な贈りもの、ありがとうございました(^^)

 

学芸員研修に行ってきました。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ) ふじゆりです。

10月3日、熊本県立美術館で行われた学芸員の専門研修に参加してまいりました。

熊本駅から熊本城周遊バス「しろめぐりん」で美術館へ。
「しろめぐり」の愛称通り、熊本城の周りをぐるりと回るバスで
地震後の城内の様子を目と心に刻みながらの美術館入りでした。

研修テーマは「アート教育」。

宮城県立美術館の教育担当学芸員・齋正弘先生による講義と演習でした。

 

九州はもとより、全国の公私の美術館で学芸員として活躍なさっている方々に向けた研修。
普段は観る側として訪問している美術館。
そこで活躍している学芸員さんに、何人もお会いすることができました。
わたしは珍しい立ち位置での参加でしたが、たいへん貴重な経験となりました。

あまりにも内容が濃かったので、わかりやすくまとめるのは至難の業なのですが・・
いくつかピックアップしてみると

  • ミュージアムは誰のもの!?

    本来ミュージアムはもっと開かれたもの。
    本来ミュージアムは皆が使うためのもの。

  • 「すごい」の意味は!?

    自分の立ち位置(歴史的なもの、バックボーン、リソースetc)を確認すると、
    鑑賞対象に対して感じる「すごい」の意味がもっと「自分のこと」として迫ってくる。

  • 鑑賞(アートワーク)とは!?

    「それを見たときに、どこまでイメージを広げることができるか」がアートワーク。
    学芸員は鑑賞者のイメージを広げるお手伝いをいかにできるか、が腕の見せ所。

  • MUSE(ミュゼ)の役割とは!?

    「わたしがここに居る」(繋がり)をバックアップしてくれるもの。
    ※かなり説明が必要ですね。またあらためてブログに書きます(^^)

  • 美術館・博物館での学びとは!?

    皆が同じになるために学ぶ(現在の学校教育)のではなく、
    個人が個人として存在するための思考を促すための学び。

などなどなど

「美術」や「鑑賞」について、日ごろからモヤモヤしていたものを
すっきりと言葉として明らかにすることができた研修となりました。

数年前に受けた学芸員資格課程の実習のなかで学んだことをあらためて思い返す研修にもなり、
自分自身のこれからにとって、たいへん貴重な一日でした。
花祭窯は美術館ではありませんが、ギャラリーとしての機能を持っているので
今回の学びはすぐに現場で生かすことができそうです(^^)

素晴らしい機会とご縁に恵まれた学芸員研修。
取り計らってくださった皆さまに、心より感謝申し上げます<(_ _)>

お酒を飲みながらお勉強・その3

こんにちは、ふじゆりです。

お酒を飲みながら建築のお勉強

第3回目。
今回も隣町・宗像にお住まいの建築家、株式会社藤井設計室の藤井さんご夫妻のご好意で。
https://www.facebook.com/Fujii.Design.Office

阿蘇ファームランド、ハウステンボス、ひらかたパーク、南紀白浜とれとれヴィレッジ・・など
おもしろい空間をたくさん手がけておられるスゴイ建築家さん。
ご縁があって家族ぐるみで仲良くしていただいています。

その藤井さんがこれまでにヨーロッパ各地で撮影してきたさまざまな様式の建築物の写真を見ながら、
それぞれの建築について解説を聞くことが出来るという趣向です。

第3回目のテーマは古代の建築

ピラミッド、ストーンヘンジなど壮大な建築物が画面に現れるたびに
「なんのために?」「どうやって?」の「?」がどこからともなく飛び出します。

そのたびにたどり着く結論が、「わからない」。

今回の勉強会で個人的に一番面白かったのは、
この「わからない」ということを受け止めることでした。
わからないし、もっと言えば「そんなことはどうでもいい」

なんのために作られた建造物なのか、どうやって建てられたのか。
確かにとても気になる部分ですし、いろいろと推測することはできます。
推測して議論する、というのが一般的にありがちな学び方かもしれません。

でも、藤井さんがその都度おっしゃった
「僕たちが考えつくことは、すべて現代科学(西洋科学)の前提に基づくものだから、
本当のことなんて誰にも分らない」ということが、とても響きました。

そして「そんなことはどうでもいい」
建築家である藤井さんがそのようにおっしゃることが、とても面白かったのです。

そうなんです。
美しいものは美しい。素晴らしいものは素晴らしい。
「どうやってつくったのか」なんていうのは、おまけみたいなものなんですね。
頭で理解するのではなく、感性で評価する。

わからないことはわからないままに、自分の五感で受け取ったままに
そのものを受け入れる「ものの見方」。
その心地よさを存分に味わった勉強会でした。

ありがとうございました。

美術館・ギャラリーの存在について考える本。

こんにちは。花祭窯専属キュレーター・ふじゆりです。

このところ、美術館・博物館・ギャラリーなどの文化・文化施設が果たす社会的な役割について
考察する手引きとなる本を読むことがまた増えてきています。

単純に個人的にそういう場所が好きである、ということが一番の理由ではありますが、
仕事上かかわりが深い場所だからこそ、この分野の本が定期的にマイブームとなります。

これまでに読んだものでは
デービット・アトキンソン著の「新・観光立国論」
慶応義塾大学SFC研究所場づくりマーケティング・コンソーシアムによる「地域を変えるミュージアム」
などがありました。

そして一番最近読んだのが、これ「THE CURATOR’S HANDBOOK」。

美術館やギャラリーでの展覧会をつくりあげる仕事、それに携わる人について書かれた一冊です。

普段、当たり前のように楽しんでいる展覧会が出来上がるまでの、
キュレーターと呼ばれる人たちの仕事のありよう、あるべき姿が読み取れる本です。

その道のプロの、光るセリフが随所に取り上げられていました。
なかでも、わたしがもっとも嬉しかったのが、こちら。

THE CURATOR'S HANDBOOK

「美術館・博物館は、人々が訪れるべきだと思う場所
―人生で行くべき場所のひとつ。または客人とともに訪れる儀式的な巡礼の目的地―
であるだけでなく、自由に時間を過ごす場所でなければならない。」
(「THE CURATOR’S HANDBOOK」より)

「べき」とか「でなければならない」という言葉の硬さはさておき、わたしも
美術館・博物館・ギャラリーその他、あらゆる文化施設=アートのある場所は、
誰もが人生のなかで普通に訪問して、感性の赴くままに自由に楽しめる場所だと思うのです。

日本では、特に特別展などは入場料が高いこともありますが、
ギャラリーは基本的には無料で入ることができるのが普通ですし、
多くの公的な美術館でも、常設展示は安価に、または無料で見ることができる場所も増えてきています。

より多くの人にとって、美術館やギャラリーに行くことは特別なことではなく、
日常的に自由な時間を過ごせる場所になると、すてきだな、と思うのです。

「アートの教科書」と書いてあったので。

こんにちは。花祭窯の番頭役ふじゆりです。

本屋さんも大好きですが、図書館も大好きです。
我が家の周りには残念ながらわたしの好きなタイプの本屋さんが無いので、
ふだんは図書館利用が多くなります。

図書館に行ってまずすることは雑誌の新刊チェック。

図書館でザッと目を通して「もっと読みたい。持っておきたい」と思ったものだけを本屋さんで購入。
最近は、手元に持っておきたいと思う雑誌があまりなかったのですが
久しぶりに購入したのが「Pen」2016年6/15号でした。

 

特集「アートの教科書」

表紙の太文字につられてなかを開いたら、ビンゴです。
そうそう、わたしは「現代アートとはなんぞや」を体系的に学んだことがなかったのでした。

というよりも、考えてみたらこれまでに「現代アート」について学ぼうと読んだ本といえば、
カイカイキキ村上隆さんの著書や、ギャラリスト小山登美夫さんの著書が中心で・・・
ある意味とても偏っていますね。

今回手にとったPenの特集。
あくまでも「パリ・ポンピドゥー・センターの見解」ということになるのだとは思いますが、
なるほど現代アートにまつわる「?」の解説の数々。とてもわかりやすく読むことができました。

なかでも興味深く共感したのがこれ。

デザインとアートは、どう違うのですか?

「デザインとアートはどう違うのですか?」というクエスチョンに対する
パリ・ポンピドゥー・センター国立近代美術館デザイン・工業デザイン展望部主任学芸員さんの回答、

「デザインとは決まった規格での表現。建築家やデザイナーがアートを手がけ、その逆もある。
越境は自由なのです。」(「Pen」2016年6/15号より)

花祭窯・藤吉憲典が日頃から取り組んでいること、制作のスタンスがあっさりと肯定されて
なんだか嬉しい拍子抜けでした。

もちろん、誌面にはこのひと言を補足する丁寧な解説が加えてありますので、
興味がある方は、ぜひ手にとってみてくださいね(^^)

 

「粋」ってなんだ!?

こんにちは。ふじゆりです。

まだ花祭窯として独立する1年ほど前のある日のこと。
有田のとある窯元で商品開発をしていたダンナは、
「粋なデザイン」の新商品をたくさん出せと社長に言われたのでした。

勤めから帰って来ての第一声

「粋」ってなんだ!?

独立してからもずっと、この言葉はどこかに引っかかっていて
ことあるごとに「これは粋なのか、粋じゃないのか」が気になるものの、
そもそも「粋とはなんぞや」を本質的にわかっているかと問われたら、その自信も無く。
「これは粋だ!」と断言できないままに月日は流れて。

そんななか、古本屋で見つけた、そのものズバリのタイトル「粋」。

その前文にこうありました。

------------

江戸後期、江戸の市民たちは、
「粋」という洗練された美学をもっていました。垢抜けて、しゃれていて、すっきりしていて
それは長い間の泰平が生みだした、
ゆとりと遊びの文化といってよいでしょう。

(中略)

そして「粋」のなかに、私たちが “豊かに活き活きと生きる” ための
重要な指針が秘められているように思えます。

(後略)

------------

そして「粋」を紐解くさまざまな写真と文章で構成されているのですが、
この本を一読してわかったのは「本を読んだだけでは『粋』はほんとうにはわからない」ということ(笑)

「垢抜けて、しゃれていて、すっきりしていて」「ゆとりと遊びの文化」が生み出したもの・ことを
実際にたくさん見て、たくさん触って・・・体・五感で感じる経験を積み重ねた先にしか
「粋ってなんだ!?」への解は無いように思いました。

果たして「粋ってなんだ!?」に辿りつくのはいつの日か。
そこをめざして、ものづくりに取り組んで行きたいと思うのです。

 

ところでこの本、資生堂さんの企画でした。

なるほど、資生堂さんといえば、これ。

以前にこのブログでも紹介しました、資生堂名誉会長の福原義春氏が書いた
『美 「見えないものを見る」ということ』

本ふたつ

繋がっていますね(^^)

 

 

梅シーズン到来。

こんにちは。ふじゆりです。

この季節になると、そわそわしてきます。
店頭に「青梅」が並ぶのを見てしまうと、居ても立ってもいられなくなります。
ちょっと大げさですが・・。

梅シーズン到来

創業地・花祭は山のなか。
そう。場所探しのとき、なぜか山間ばかり探していたんですね。
「窯といえば、山!」という一般的イメージにそのままに(笑)

山に囲まれた古い農家屋での生活は、
自然の恩恵の素晴らしさも、その恐さも学び、「畏敬の念」という言葉の意味を体感するものでした。
ここがあるから今がある。
愛着をこめて「野生の王国」と呼んでいます。

で、梅です。
庭に立派な梅の木が3本も4本もあって、毎年みごとな実をつけます。
当初、ご近所のおばちゃんたちに「梅、漬けんともったいなかよ~」といわれても、
結婚するまでサラリーマン生活をしていたわたしは、どうしたらよいかわかりませんでした。

でも、長崎に住んでいた祖母がずっと梅干と味噌を手づくりしていたのを知っていたので、
よし、せっかくあるんだから自分もやってみよう!
と一念発起してまず買ったのが「梅ぢから」という本でした。

その本に導かれ、梅サワー・梅シロップ・梅酒・梅肉エキス・梅干と、いろいろチャレンジ。
なにしろ毎年たくさんの梅がとれるので、無駄にせぬよう必死です。
梅収穫前の草刈にはじまり、梅摘み、仕込と・・梅シーズンは体力勝負でした。

最近は必ず欲しいものとして「梅干」と「梅シロップ」を大量に漬け込んでいます。
おかげでここ20年、梅干に困ったことがありません。
すっぱいもの好きにとっては、たまらない贅沢です。

というわけで、梅の育ち具合チェック&草刈に佐賀・花祭へ。
今年もたくさんついています。
チェックだけのつもりが、思わず、すぐに採れるところから手を伸ばして収穫。
ぼうぼうの草もずいぶん刈ることができました。

そしてこの季節の楽しみのもうひとつは、ハチクと呼ばれる筍。
昨日も草刈をしていたら、近所のおじちゃんが
今採ってきたばかりと言って、たくさんの筍を持たせてくださいました。

近々の収穫第2弾が楽しみです。

お茶会のお手伝い。

おはようございます。ふじゆりです

週末はお茶会のお手伝いに行って来ました。
準備の土曜日、茶会当日の日曜日ともお天気に恵まれ、
新緑輝くなかでのお茶会日でした。

(注:画像はお茶会の場ではなく、花祭窯で撮ったものです)

お茶会のお手伝いは貴重な勉強の機会。

博多の禅寺・円覚寺に伝わる南方流(なんぽうりゅう)でお茶のお稽古をはじめて4年目。
月に2~3回のお稽古に通うほか、年に数回お茶会前日の準備や当日運営のお手伝いに声がかかります。

稽古時間に習う茶道のお作法が大切であるのはもちろんですが、
茶会の準備やお手伝いは実践的な礼を学ぶ場であり、その空間を体験できる貴重な機会なので、
できるだけ時間を作って参加するように心がけています。

大切な茶会のサポートですから、緊張します。
稽古ではなく実践ですから、緊張します。
まだまだ知らないことも多く、また一度習っても忘れてしまうことも多々あり、失敗の連続です。

ありがたいのは、そのたくさんの失敗を受け入れてくださる土壌があることです。
どんなチョンボをしでかしても、咎めることなく心から指導してくださる先生方、先輩方ばかりなのです。

人前でたくさんの失敗をすることは、正直恥ずかしいです。
勉強不足が露わになって、冷や汗モノです。
ですが、それを恐れずに出せる場があるというのは、とても幸せなことだとも思っています。
というのも、恥をかいた分だけ自分の身につくことを、肌で感じるからです。

準備やお手伝いのなかで動きまわる方々の姿を目の当たりにし、毎回ひしひしと感じるのは、
お茶会は作法の正しさや美しさにも増して、人としてのあり方が問われる場だということです。

そして実際のところ、素敵な方はお作法もとっても美しいのです。

さまざまな場面での先生方や先輩方のありようを拝見するごとに、そう思い至ります。

 

これまでにも、仕事の場で「この人すごいなー!」と尊敬する人にたくさん出会いました。
勉強会などでご一緒するなかにも、スゴイ経営者・人間的にも素晴らしい方がたくさんおられます。
ところが「すごいなー!」とは思っても「この人のようになりたい!」と感じるかどうかはまた別なのですね。

今習っている茶道の場には、「この人のような心の持ちようができる人になりたい!」と
これから生きていくなかでお手本にしたい方がたくさんおられます。
これって、かなり幸せなことですよね。
この環境をつくづくとありがたく感じています。

 

本来無一物

昨日のお茶会、待合のスペースとなった広間の床にかかっていたお軸のひとつに書いてありました。
お寺の方に伺ったところ、禅の言葉で「ほんらいむいちもつ」と読むのだそうです。

言葉の意味はよくはわかりませんでしたが、なんだか楽になる、心地の良い響きでした。

わたしの習っているお茶は博多の禅寺に伝わるお茶ですので、
こうして少しづつ、禅のことにも触れていく機会があることが、とてもありがたく楽しみです。

お酒を飲みながらお勉強・その2

こんにちは、ふじゆりです。

お酒を飲みながら建築のお勉強

第2回目。
今回も、隣町にお住まいの建築家、株式会社藤井設計室の藤井さんご夫妻のご好意で。
https://www.facebook.com/Fujii.Design.Office

阿蘇ファームランド、ひらかたパーク、南紀白浜とれとれヴィレッジ・・など
おもしろい空間をたくさん手がけておられるスゴイ建築家さん。
ご縁があって家族ぐるみで仲良くしていただいています。

その藤井さんがこれまでにヨーロッパ各地で撮影してきたさまざまな様式の建築物の写真を見ながら、
それぞれの建築について解説を聞くことが出来るという趣向です。

第2回目のテーマは、建築の歴史

洞窟から出てきた人間はまず最初に舟を作り、その後、舟をひっくり返して家ができた。

建築史を学んだ方には当たり前のことなのかもしれませんが、
のっけからの解説と、その建築物の写真に、建築素人のわたし達には強烈なインパクト。

そもそも古代の建築物は人間のためのものでなかったこと。
そこにある、目に見えないものへの敬意がうかがえるスケール。
手間とコストを厭わない国家的事業。

構造的な必然性と、装飾。
双方の兼ね合い。
その進化と変遷。

 

お話を伺いながら、器の歴史とも通じるものがあるなぁと感じていました。
器もまた、神様に祭る神器からはじまり、
用途の必然性と装飾の兼ね合いが常にあり、
御用窯の時代には手間もコストも厭わず、
そのなかで変遷してきています。

建築はわたしたちにとって異業種ですが、視野の広がりと同時に、
異なるもののなかにある共通性の面白さを教えてくれます。

ともあれ

美しい古い建築物の数々の写真で目の保養をし、
建築士・藤井さんのユニークな視点を交えた解説に教養を学び、
おいしい料理とお酒で、心もお腹も満腹の贅沢な勉強会でした。

ありがとうございました!

 

ちなみにトップの写真は、花祭窯の茶室徳り庵の天井組み。
構造と装飾を考えるなかで日本建築らしく竹の力を借りています。
この上に土壁を塗っているので、今は見えませんが。