「アートの教科書」と書いてあったので。

こんにちは。花祭窯の番頭役ふじゆりです。

本屋さんも大好きですが、図書館も大好きです。
我が家の周りには残念ながらわたしの好きなタイプの本屋さんが無いので、
ふだんは図書館利用が多くなります。

図書館に行ってまずすることは雑誌の新刊チェック。

図書館でザッと目を通して「もっと読みたい。持っておきたい」と思ったものだけを本屋さんで購入。
最近は、手元に持っておきたいと思う雑誌があまりなかったのですが
久しぶりに購入したのが「Pen」2016年6/15号でした。

 

特集「アートの教科書」

表紙の太文字につられてなかを開いたら、ビンゴです。
そうそう、わたしは「現代アートとはなんぞや」を体系的に学んだことがなかったのでした。

というよりも、考えてみたらこれまでに「現代アート」について学ぼうと読んだ本といえば、
カイカイキキ村上隆さんの著書や、ギャラリスト小山登美夫さんの著書が中心で・・・
ある意味とても偏っていますね。

今回手にとったPenの特集。
あくまでも「パリ・ポンピドゥー・センターの見解」ということになるのだとは思いますが、
なるほど現代アートにまつわる「?」の解説の数々。とてもわかりやすく読むことができました。

なかでも興味深く共感したのがこれ。

デザインとアートは、どう違うのですか?

「デザインとアートはどう違うのですか?」というクエスチョンに対する
パリ・ポンピドゥー・センター国立近代美術館デザイン・工業デザイン展望部主任学芸員さんの回答、

「デザインとは決まった規格での表現。建築家やデザイナーがアートを手がけ、その逆もある。
越境は自由なのです。」(「Pen」2016年6/15号より)

花祭窯・藤吉憲典が日頃から取り組んでいること、制作のスタンスがあっさりと肯定されて
なんだか嬉しい拍子抜けでした。

もちろん、誌面にはこのひと言を補足する丁寧な解説が加えてありますので、
興味がある方は、ぜひ手にとってみてくださいね(^^)

 

「粋」ってなんだ!?

こんにちは。ふじゆりです。

まだ花祭窯として独立する1年ほど前のある日のこと。
有田のとある窯元で商品開発をしていたダンナは、
「粋なデザイン」の新商品をたくさん出せと社長に言われたのでした。

勤めから帰って来ての第一声

「粋」ってなんだ!?

独立してからもずっと、この言葉はどこかに引っかかっていて
ことあるごとに「これは粋なのか、粋じゃないのか」が気になるものの、
そもそも「粋とはなんぞや」を本質的にわかっているかと問われたら、その自信も無く。
「これは粋だ!」と断言できないままに月日は流れて。

そんななか、古本屋で見つけた、そのものズバリのタイトル「粋」。

その前文にこうありました。

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江戸後期、江戸の市民たちは、
「粋」という洗練された美学をもっていました。垢抜けて、しゃれていて、すっきりしていて
それは長い間の泰平が生みだした、
ゆとりと遊びの文化といってよいでしょう。

(中略)

そして「粋」のなかに、私たちが “豊かに活き活きと生きる” ための
重要な指針が秘められているように思えます。

(後略)

------------

そして「粋」を紐解くさまざまな写真と文章で構成されているのですが、
この本を一読してわかったのは「本を読んだだけでは『粋』はほんとうにはわからない」ということ(笑)

「垢抜けて、しゃれていて、すっきりしていて」「ゆとりと遊びの文化」が生み出したもの・ことを
実際にたくさん見て、たくさん触って・・・体・五感で感じる経験を積み重ねた先にしか
「粋ってなんだ!?」への解は無いように思いました。

果たして「粋ってなんだ!?」に辿りつくのはいつの日か。
そこをめざして、ものづくりに取り組んで行きたいと思うのです。

 

ところでこの本、資生堂さんの企画でした。

なるほど、資生堂さんといえば、これ。

以前にこのブログでも紹介しました、資生堂名誉会長の福原義春氏が書いた
『美 「見えないものを見る」ということ』

本ふたつ

繋がっていますね(^^)

 

 

梅シーズン到来。

こんにちは。ふじゆりです。

この季節になると、そわそわしてきます。
店頭に「青梅」が並ぶのを見てしまうと、居ても立ってもいられなくなります。
ちょっと大げさですが・・。

梅シーズン到来

創業地・花祭は山のなか。
そう。場所探しのとき、なぜか山間ばかり探していたんですね。
「窯といえば、山!」という一般的イメージにそのままに(笑)

山に囲まれた古い農家屋での生活は、
自然の恩恵の素晴らしさも、その恐さも学び、「畏敬の念」という言葉の意味を体感するものでした。
ここがあるから今がある。
愛着をこめて「野生の王国」と呼んでいます。

で、梅です。
庭に立派な梅の木が3本も4本もあって、毎年みごとな実をつけます。
当初、ご近所のおばちゃんたちに「梅、漬けんともったいなかよ~」といわれても、
結婚するまでサラリーマン生活をしていたわたしは、どうしたらよいかわかりませんでした。

でも、長崎に住んでいた祖母がずっと梅干と味噌を手づくりしていたのを知っていたので、
よし、せっかくあるんだから自分もやってみよう!
と一念発起してまず買ったのが「梅ぢから」という本でした。

その本に導かれ、梅サワー・梅シロップ・梅酒・梅肉エキス・梅干と、いろいろチャレンジ。
なにしろ毎年たくさんの梅がとれるので、無駄にせぬよう必死です。
梅収穫前の草刈にはじまり、梅摘み、仕込と・・梅シーズンは体力勝負でした。

最近は必ず欲しいものとして「梅干」と「梅シロップ」を大量に漬け込んでいます。
おかげでここ20年、梅干に困ったことがありません。
すっぱいもの好きにとっては、たまらない贅沢です。

というわけで、梅の育ち具合チェック&草刈に佐賀・花祭へ。
今年もたくさんついています。
チェックだけのつもりが、思わず、すぐに採れるところから手を伸ばして収穫。
ぼうぼうの草もずいぶん刈ることができました。

そしてこの季節の楽しみのもうひとつは、ハチクと呼ばれる筍。
昨日も草刈をしていたら、近所のおじちゃんが
今採ってきたばかりと言って、たくさんの筍を持たせてくださいました。

近々の収穫第2弾が楽しみです。

お茶会のお手伝い。

おはようございます。ふじゆりです

週末はお茶会のお手伝いに行って来ました。
準備の土曜日、茶会当日の日曜日ともお天気に恵まれ、
新緑輝くなかでのお茶会日でした。

(注:画像はお茶会の場ではなく、花祭窯で撮ったものです)

お茶会のお手伝いは貴重な勉強の機会。

博多の禅寺・円覚寺に伝わる南方流(なんぽうりゅう)でお茶のお稽古をはじめて4年目。
月に2~3回のお稽古に通うほか、年に数回お茶会前日の準備や当日運営のお手伝いに声がかかります。

稽古時間に習う茶道のお作法が大切であるのはもちろんですが、
茶会の準備やお手伝いは実践的な礼を学ぶ場であり、その空間を体験できる貴重な機会なので、
できるだけ時間を作って参加するように心がけています。

大切な茶会のサポートですから、緊張します。
稽古ではなく実践ですから、緊張します。
まだまだ知らないことも多く、また一度習っても忘れてしまうことも多々あり、失敗の連続です。

ありがたいのは、そのたくさんの失敗を受け入れてくださる土壌があることです。
どんなチョンボをしでかしても、咎めることなく心から指導してくださる先生方、先輩方ばかりなのです。

人前でたくさんの失敗をすることは、正直恥ずかしいです。
勉強不足が露わになって、冷や汗モノです。
ですが、それを恐れずに出せる場があるというのは、とても幸せなことだとも思っています。
というのも、恥をかいた分だけ自分の身につくことを、肌で感じるからです。

準備やお手伝いのなかで動きまわる方々の姿を目の当たりにし、毎回ひしひしと感じるのは、
お茶会は作法の正しさや美しさにも増して、人としてのあり方が問われる場だということです。

そして実際のところ、素敵な方はお作法もとっても美しいのです。

さまざまな場面での先生方や先輩方のありようを拝見するごとに、そう思い至ります。

 

これまでにも、仕事の場で「この人すごいなー!」と尊敬する人にたくさん出会いました。
勉強会などでご一緒するなかにも、スゴイ経営者・人間的にも素晴らしい方がたくさんおられます。
ところが「すごいなー!」とは思っても「この人のようになりたい!」と感じるかどうかはまた別なのですね。

今習っている茶道の場には、「この人のような心の持ちようができる人になりたい!」と
これから生きていくなかでお手本にしたい方がたくさんおられます。
これって、かなり幸せなことですよね。
この環境をつくづくとありがたく感じています。

 

本来無一物

昨日のお茶会、待合のスペースとなった広間の床にかかっていたお軸のひとつに書いてありました。
お寺の方に伺ったところ、禅の言葉で「ほんらいむいちもつ」と読むのだそうです。

言葉の意味はよくはわかりませんでしたが、なんだか楽になる、心地の良い響きでした。

わたしの習っているお茶は博多の禅寺に伝わるお茶ですので、
こうして少しづつ、禅のことにも触れていく機会があることが、とてもありがたく楽しみです。

お酒を飲みながらお勉強・その2

こんにちは、ふじゆりです。

お酒を飲みながら建築のお勉強

第2回目。
今回も、隣町にお住まいの建築家、株式会社藤井設計室の藤井さんご夫妻のご好意で。
https://www.facebook.com/Fujii.Design.Office

阿蘇ファームランド、ひらかたパーク、南紀白浜とれとれヴィレッジ・・など
おもしろい空間をたくさん手がけておられるスゴイ建築家さん。
ご縁があって家族ぐるみで仲良くしていただいています。

その藤井さんがこれまでにヨーロッパ各地で撮影してきたさまざまな様式の建築物の写真を見ながら、
それぞれの建築について解説を聞くことが出来るという趣向です。

第2回目のテーマは、建築の歴史

洞窟から出てきた人間はまず最初に舟を作り、その後、舟をひっくり返して家ができた。

建築史を学んだ方には当たり前のことなのかもしれませんが、
のっけからの解説と、その建築物の写真に、建築素人のわたし達には強烈なインパクト。

そもそも古代の建築物は人間のためのものでなかったこと。
そこにある、目に見えないものへの敬意がうかがえるスケール。
手間とコストを厭わない国家的事業。

構造的な必然性と、装飾。
双方の兼ね合い。
その進化と変遷。

 

お話を伺いながら、器の歴史とも通じるものがあるなぁと感じていました。
器もまた、神様に祭る神器からはじまり、
用途の必然性と装飾の兼ね合いが常にあり、
御用窯の時代には手間もコストも厭わず、
そのなかで変遷してきています。

建築はわたしたちにとって異業種ですが、視野の広がりと同時に、
異なるもののなかにある共通性の面白さを教えてくれます。

ともあれ

美しい古い建築物の数々の写真で目の保養をし、
建築士・藤井さんのユニークな視点を交えた解説に教養を学び、
おいしい料理とお酒で、心もお腹も満腹の贅沢な勉強会でした。

ありがとうございました!

 

ちなみにトップの写真は、花祭窯の茶室徳り庵の天井組み。
構造と装飾を考えるなかで日本建築らしく竹の力を借りています。
この上に土壁を塗っているので、今は見えませんが。

 

台湾とのご縁。

おはようございます。ふじゆりです。

九州と台湾の経済文化交流の勉強会に参加してきました。

今年2016年に入ってから、台湾のギャラリーさんからお問合せがあったのがきっかけで、
台湾とのご縁が強まってきていると感じています。

台湾にはやきものの歴史的宝・故宮博物院があり、常々「行こうね~」と話していたものの、
「これ」というきっかけをつくれず後回しになってしまっていました。
「台湾のギャラリーさんからの問い合わせ」という絶好のきっかけに、つくり手は台湾へ。

初訪問の台湾。そこでつくり手がギャラリーの方々とお話をしてわかったのは
お茶や書など、日本と似たような文化的な基盤があること。
そのうえにやきもの文化が培われてきたのですね。

台湾の文化・食・親切な人々。

つくり手であるダンナは、すっかり魅了されて帰ってきました(^^)

 

さて

台湾での個展を検討するにあたり、先方との実務的なやりとりはわたしの仕事になります。
さっそく詳しく話を伺ってみると、いろいろと検討事項のあることもわかってきました。

そこで、いろいろな方々にお話を聞いて情報集め。
九州・福岡は地理的に近いこともあって、台湾に親しい方々も多く
情報提供してくれる場所も多いことがわかりました。

そもそも台湾のことをどれくらい知っているかというと、
ほとんど知らない自分があり。
ギャラリーさんとお取引をするしないということ以前に、
どんな国なのかを知ることが先だと気づきました。

それで、参加してきたのが今回の勉強会。

そこで学んだのは、台湾と日本・九州の強い結びつきでした。
もちろん、貿易取引高がどうだとか、観光客数の伸びがどうだとかという数値的なものもありますが、
むしろわたしにとって大きかったのは、その根本にあるものへの示唆でした。
歴史のなかで培われてきた、目には見えないけれど、確かにあるお互いの信頼関係と敬意でした。

そんな背景を得て、あらためて思ったこと。
台湾での個展を成功させよう!
民間レベルでの文化交流のひとつとして、少しでも役割を果たせたら嬉しいな、と思っています。

皆さんに一日も早く良いご報告ができるよう、でもあせらずじっくり取り組んで参ります。

お酒を飲みながらお勉強。

こんにちは!ふじゆりです。

隣町にお住まいの建築家、株式会社藤井設計室の藤井さんご夫妻のご好意で
https://www.facebook.com/Fujii.Design.Office

「酒を飲みながら建築様式のお勉強をしよう」

というなんとも贅沢な会に参加してまいりました。

阿蘇ファームランド、ひらかたパーク、南紀白浜とれとれヴィレッジ・・など
おもしろい空間をたくさん手がけておられるスゴイ建築家さん。
ご縁があって家族ぐるみで仲良くしていただいています。

その藤井さんがこれまでにヨーロッパ各地で撮影してきたさまざまな様式の建築物の写真を見ながら、
それぞれの建築について解説を聞くことが出来るという趣向です。

第1回目のテーマは「アールヌーボーの時代」。

約100年前のヨーロッパ建築を解説してくださいました。
建築物の写真を見ながら、その建物の解説はもちろん、時代背景や当時の文化について。
アールヌーボーからアールデコへの変遷。
建築素人のわたし達にもわかりやすく話してくださいました。

とくに、突出した才能を持つ人間だけにゆだねられていた芸術的な建築から、
ある程度技術とセンスがあればぎりぎり量産化できる建築デザインへの移行であるという解説。
これがわたしにとっては一番のあらたな理解でした。

建築関係のお仕事についている方、あるいは目指している学生さんが聞いたら
とっても羨ましがるだろうな、と思うような楽しいレクチャー。

実物の写真を観ながらの解説はすーっと腑に落ち、
美味しいものを飲み食べながら、わいわいおしゃべりしながら
とても楽しい教養の時間を過ごしました。

ありがとうございました(^^)

※ページトップの写真は約百年前の日本建築(花祭窯)です。

読書の贅沢。

こんにちは!ふじゆりです。

ここ数日、お掃除をしながら来る年に意識を向けています。

今年は自分がこれまでに培ってきた思いや、大切にしたいと思っていることを
言語化してくれる本にたくさん出会うことが出来ました。

↓先だってこのブログでご紹介した本↓をはじめ、古典・新著かかわらず
福原義春さんの『美-「見えないものをみる」ということ-』
岡倉天心『The Book of Tea』

必要なタイミングで、必要な本に出会うようになっているのだなぁ、と感じます。

その最新がこちら。図書館で目が合いました。
「スローシティ 世界の均質化と戦うイタリアの小さな町」

スローシティ世界の均質化と戦うイタリアの小さな町

町づくりとは違いますが、花祭窯もまた、「均質化」に逆行する仕事、特化することを良しとしています。

藤吉憲典作陶理念 のなかで

一人の手でつくるからこそできる仕事、
画一化・巨大化の対極にあるものづくりをします。』 と。

均質化せず、自分を貫く。
それはシンプルなことではありながら、そうあり続けることができるのは
ある意味とても贅沢なことなのかもしれないな、と思いました。

「スローシティ 世界の均質化と戦うイタリアの小さな町」のあとがきに
「場所のセンスを取り戻す」とありました。

「場所のセンス」

なるほどなぁ、と思わずうなずく言葉でした。

一軒の窯元、一人の作家ができることのなかで、
少しでも地域に貢献できることがあるといいな、と思いつつ。

お茶の本

こんにちは!ふじゆりです。

本日のタイトル「お茶の本」、そのまま本のタイトルです。

花祭窯でお抹茶

原題は「The book of Tea」、岡倉天心(岡倉覚三)が英語で書いた本です。

これは前回のブログで書いた
福原義春さんの『美-「見えないものをみる」ということ-』
のなかで紹介されていた本のなかの1冊でもあります。

The book of Tea

いくつかの出版社から出ています。
もともと英語で書かれたものなので
左頁に日本語、右頁に英語で、原文を確認しながら読めるこの本にしました。

「お茶の本」とありますが
実際には、お茶をとおして、禅(道教)の教えや、芸術のことなど
より広い視野で日本人の文化・精神性を説いた本です。

茶道に入門しているものとして学びの多い本であったのはもちろん、
個人的につぼにはまったのは、第五章の「芸術鑑賞」における岡倉天心の嘆き。

「昨今の芸術熱は上辺だけのもので、本物の感情に根ざしていないのが残念でならない」
「この民主主義という時代では、自分がどう思うかでなく、世間が良いと考えるものに人が殺到している」「人々は洗練されたものより値段の張るものを、美しいものより流行のものを求める」
「作品の質よりも芸術家の名前ばかりが重要視されている」
「収集家は(中略)分類することに必死になり過ぎて、芸術を少しも楽しんでいない」
「われわれは生活のなかの美を破壊することで芸術をも破壊している」

この本が出版されたのは1906年。
100年以上も前に、すでにこのような憂いがあったとは・・・。

本ふたつ

こんにちは!ふじゆりです。

前回の投稿からずいぶんと時間がたってしまいました。

錦牡丹文茶碗

津屋崎の花祭窯へは、遠路訪ねてきてくださる方も多くいらっしゃいます。
皆さん、ここを目的に、アポイントをとっていらしてくださる方がほとんどで、
ほんとうに嬉しくありがたいかぎりです。

お越しいただくと、2時間3時間とゆっくりお話をすることも多々。

今、そんな皆さまに、より器と空間を楽しんでいただけるよういろいろと考えています。
知恵をしぼり、たくさんの方の力を借りて、もうすぐ形になろうとしています。

この思いを形にするために、くりかえし読んでいる本がふたつ。

ひとつは先日もちょっと紹介した、福原義春さんの『美-「見えないものをみる」ということ-』
もうひとつが、岡倉天心『The Book of Tea』

『美-「見えないものをみる」ということ-』には、これまで自分が頭や心で思っていても
上手に言葉に変換できなかった思いが、たくさん文字になっていました。

●現代の問題点は「高水準でありながら(均質化されて)質の劣る暮らし」である。
●「文明が文化を駆逐する」のを阻止しなければならない。
●人間らしく生きていくためには、多様性と人間らしい感性(感受性)を取り戻すことが必要。

そして「美」(自然・本物・文化)は、単に贅沢なものなのではなく
「美とは人間にとって正義や愛と同じような、いわば本能的な価値」
というある種の結論に、とても納得したのでした。

また、とくに「ものづくり」という点では

●ものづくりを分業化せず一人で行うことによって、つくったものが、つくった人のアイデンティティや魂と一致する。
●「本歌取り」「見立て」によって日本人は文化を進化させてきた。これは「質を落としながらのコピー」とは根本的に異なる。
●過去の知的資産に触れることは、単に過去を知るだけではなく、何よりも未来を考えるのに役立つ。

というところに、深く共感したのでした。

著者の福原義春さんの教養の深さ・バックボーンの厚さには、とうてい辿り着けるものではありませんが
少しでも近づけるような空間づくりができればと思っています。

『The Book of Tea』については、また次回(^^)