博多阪急さんでの藤吉憲典個展、ご来場ありがとうございました!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

博多阪急さんでの藤吉憲典個展、ご来場ありがとうございました!

福岡での初の商業個展となりました、博多阪急さんでの藤吉憲典個展、無事会期終了いたしました。初の博多個展で、正直ドキドキしておりました。たくさんのお客さまがお越しくださり「ホッとした」というのが、偽らざる感想です。おかげさまで地元の皆さまに作品をご覧いただくことが出来ました。足を運んでくださいました皆さまに、心より感謝申し上げます。

阪急3階の特別室の場所がわかり難かったようで、阪急のインフォメーションコーナーにもたくさんお問い合せをいただておりました。通常は外商のお客さまを対象とした商談会や受注会で使われるという「特別室」は、おそらく意図的にわかり難い位置にあり、今回ご案内がじゅうぶんに出来ていなかったことを、お詫び申し上げます。

会期中、福岡県での開催を待ち望んでくださったお客さま、佐賀・長崎・愛媛など遠方から駆けつけてくださったお客さま、古くからのお得意様にもお会いすることが出来、たいへん心強く嬉しい限りでした。また『美の壺』や雑誌で観てからずっと情報を追っていたとおっしゃるお客さまも少なからず、ありがたく思いました。西日本新聞で紹介されていたイベントの記事を切り抜き、手に持って訪ねてきてくださったお客さまもありました。また2021年に福岡アジア美術館で開催した展覧会にお越しになったお客さまに再びお会いする機会にもなり、とても嬉しかったです。

初めての百貨店開催とあって、いつもの「ギャラリーさんにお任せ」とは異なり、運営上では反省点もいろいろとありました。こちらはまたあらためて、まとめ・反省して、今後の取り組みに生かしていきたいと思います。

最後に、今回の機会は、昨年初開催となった福津市の事業者と博多阪急さんとのコラボイベント「ふくつのね」の一環として、スタートしたのでした。会期中を一緒に駆け抜けた「ふくつのね」メンバーにも、心からの感謝を。

藤吉憲典個展 博多阪急

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その5。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その5。

特集コーナー「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」での藤吉憲典のインタビュー記事です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものだったため、元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していくシリーズです。


Q10. 創作のインスピレーションは、どこで得ていますか。(Homes & Antiques)

A10. 海、山、花、鳥、動物、およそ自然にあるすべてです。山に住んでいた時には山を朝夕散策していましたし、海の近くに越してきてからは海辺を、毎朝散歩しています。また、古いものから受けるインスピレーションも大きいですね。時代を超えて残ってきたものにはそれだけの理由があると思いますし、理屈抜きにパワーを感じるものがたくさんあります。(藤吉憲典)


Q11. ご自身のキャリアのなかで、最も誇りに思っていることはどんなことでしょうか。(Homes & Antiques)

A11. 1997年に独立して以来、ずっと伝統的な肥前磁器の表現様式をそのまま生かしてきたことです。わたしには師匠はありませんが、江戸時代(1600年代~1800年代)の肥前磁器の名品の数々こそが、わたしにとっての師です。表現方法において奇をてらうことなく、流されることなく、古伊万里の先人たちが遺してくれたものを、自分の個性で形にし直すことを徹底してきました。

日本には「写し」の文化がありますが、写しとは劣化したコピーを作ることでは無く、オリジナルを超える良いものを生み出そうとする行為です。わたしがやってきているのは、まさに肥前磁器における「写し」の王道だと自負しています。現代アート市場において、わたしが投げかけたいのは、観た人をびっくりさせるような作品ではなく、心安らぐ作品、手に入れた人が笑顔になる作品です。数百年後にも受け継がれ残っていくものを目指しています。

実は、わたしが独立以来掲げている作陶理念のひとつに「国宝より家宝」があります。作りたいのは、業界や評論家に称賛されるようなものではなく、自分や愛する人のためにそれを買い、遺していきたいと思ってもらえるようなもの。なので、今回インタビューの打診をいただいたときに、テーマが「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」であると聞いて、とても驚くとともに、嬉しかったです。(藤吉憲典)


特集コーナーへの掲載を打診してくださった、Our Media「Homes & Antiques」編集者のケイティ、作り手の魅力を引き出す質問を届けてくれたライターのドミニク、間をつないでくれたSladmoreのサラに、心より感謝です。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その4。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その4。

特集コーナー「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」での藤吉憲典のインタビュー記事です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものだったため、元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していくシリーズです。


Q7. Animal Boxesシリーズが有名ですが、いつごろから箱を作り始めたのでしょうか。作りはじめたきっかけは何ですか。(Homes & Antiques)

A7. 箱は、ただ好きなんです。好きだったので、窯元勤めの頃から、時間を見つけて趣味で作っていました。商品としてではなく、ですね。幼少期からアニメや漫画の影響を強く受けて育った世代ですので、もともとプラモデルやフィギュアをつくるのは素材に関わらず好きでした。その延長での彫像と、肥前磁器の歴史のなかでもずっと作られてきている陶箱の組み合わせ。なにか強い意図があって箱シリーズを作ったわけではなく、自分の好きなもの、こんなものが合ったらカッコいいな、を形にしたら、このスタイルになった、というのが正直なところです。わたしがつくるものは、基本的に「自分が欲しいもの」なのだと思います。(藤吉憲典)


Q8. どのような経緯でアート作品として作るようになったかを、教えてください。(Homes & Antiques)

A8. 前述のように、もともとは趣味で作っていました。アート作品として発表しようと明確に決めたのは、作家として独立してから10年以上が経ってからです。それまで「食器」の作家として、用途のあるものにこだわっていましたが、あるとき、用途にこだわらず自由に自分が作りたいもの、良いと思うものを発表していこうという気持ちになりました。

それまでは勝手に自分の創作表現に制限をかけていて、それに気づいたというか。今考えると、食器作家として少しは認められるようになったと実感できる場面が何度かあり、自分のものづくりのスタンス・考え方に、自信が持てるようになってきたことが、影響していたのかもしれません。(藤吉憲典)


Q9. Animal Boxesシリーズを制作するうえで、一番楽しい工程はどんなものですか。また、特に困難なことはありますか。(Homes & Antiques)

A9. 実は、どの工程も楽しくて仕方がありません。作っていると、あっという間に時間が過ぎています。もちろん、それぞれの工程は、繊細さを必要とし、技術的にも決して簡単ではありませんが、その難しさがまたチャレンジングで楽しい。

一番難しいのは、完成したときの全体としてのまとまりです。形と文様・色彩との調和が一番の肝であり、そこに、分業ではなく作家として自分一人の手で作ることの意味・価値がもっとも現れると思っています。全体としての調和した美しさを形にするために、どのように組み合わせていくか。手を動かし始める前に、資料を集めたり調べたりしながら頭のなかで何度も何度もシミュレーションを繰り返すのですが、ここに一番エネルギーと時間を使っているかもしれません。(藤吉憲典)


「その5」に続きます。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その3。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その3。

特集コーナー「HEIRLOOMS OF THE FUTURE(未来の家宝)」での藤吉憲典のインタビュー記事です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものだったため、元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していくシリーズです。


Q4. 有田の磁器工房(窯元)で働くことになった経緯を教えてください。そこであなたはどのような仕事をし、どのように感じましたか。(Homes & Antiques)

A4. 父が病気のため、東京から佐賀に帰郷したことがきっかけでした。父は書道家であり、最初は彼の営む書道塾を継ぐように言われました。わたしは、書は幼少期から猛特訓を受けていましたので、もちろんそのような道もあったのだと思いますが、どうしても絵を描く仕事、デザインの仕事がしたくて、父に頭を下げて断りました。

一番最初の窯元では、大量生産用の器の絵柄のデザインを手がけました。大量生産とはいっても、有田の絵付職人さんたちが手描きで画をつけるものです。なので、職人さんたちに、どのように絵をつけるかの指導までを含めて、デザイナーの仕事でした。とにかくどんなかたちであれ「絵」「デザイン」を続けることが出来たのが、とても嬉しかったです。その後、形のデザインまで含めた商品開発デザイナーへと進みました。(藤吉憲典)


Q5. ご自分の作品を作るようになる技術は、そのような窯元の仕事のなかで学んだのでしょうか。(Homes & Antiques)

A5. 足かけ約8年、全部で四つの肥前磁器の窯元を経験しました。それぞれの窯で、商品開発のプロダクトデザイナーとして仕事をするなかで、わたしの基礎が作られていきました。前述したように、「どのように絵をつけるか」「どのように形を作るか」、実際に手を動かす現場の職人さんへの指導も含めてわたしの仕事でしたので、自然と技術も身に付いていきました。窯元は同じ有田でもそれぞれにつくるものに特徴・違いがあり、四つの窯元を経験することで、技術的な幅も広がったと思います。(藤吉憲典)


Q6. 独立して自分の作品を作り始めようと思ったきっかけはなんでしょうか。最初に制作した作品はどのようなものでしたか。またどのようにして作品の市場(販売先)を見つけましたか。本格的に軌道に乗ったのはいつ頃からですか。(Homes & Antiques)

A6. ご存じのように、肥前磁器はすべての工程が細かい分業で行われています。磁器作家を名乗っている人も、実際には形は別の職人が作り、作家は絵をつけるだけの人が多かった。この、分業があたりまえの業界で、全部を自分一人でやってみたいと思ったのがきっかけです。それともうひとつには、非常に現実的な話なのですが、有田の窯元の徒弟的な労働環境のなかで仕事をしていくのが、肌に合わなかったというのも正直なところです。

最初に作ったものは、何だったか忘れました。でも、食器です。独立するときは「食器作家として成功する」ことを目指していました。自分の作った器で、一人でも多くの人が、ご飯を食べる時間が楽しくなるといいな、食卓が豊かになるといいな、という気持ちでした。雑誌に載っている器専門の有名ギャラリーのなかで、自分の作風に合いそうなところ、尊敬する作家さんの器を扱っているところを探し、電話でアポを取って器を持って行って見てもらっていました。

わたしは芸術系の大学を出ているわけでもなく、窯元勤めはしましたが、弟子として有名師匠に仕えたわけでもありませんでしたので、磁器作家としてなんの後ろ盾も持っていませんでした。誰の紹介もなく、突然電話して「器を見てください」と。なので、最初は門前払いされることも少なくなかったです。それでも、作ったモノ自体を見て評価してくださるギャラリーさんと少しづつ出会うことができ、仕事を続けることが出来ました。ようやく何とかこの道で食べていくことが出来るかな、と思えたのは、10年経った頃だったと思います。(藤吉憲典)


「その4」に続きます。

 

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その2。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

『Homes & Antiques』8月号への藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その2。

特集テーマは「HEIRLOOMS OF THE FUTURE」。日本語にすると、「未来の遺産」あるいは「未来の家宝」です。日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、元のインタビューのボリュームがかなりたくさんであったこと、そしてなにより、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものでしたので、掲載記事の元となった日本語原稿を何回かに分けてご紹介していきたいと思います。


Q1. 佐賀県有田町で育ちましたか。有田が日本の磁器の歴史の中で特別な場所であることは、子どもの頃に知っていましたか。有田で育つというのは、どういうことなのでしょう、またどんな場所でしたか。磁器産業の町ならではの特徴はあったのでしょうか。(Homes & Antiques)

A1. 有田の隣町で育ちました。幼少期から絵ばかり描いている子どもでした。画家になりたくて、当時佐賀で唯一デザイン科のあった佐賀県立有田工業高等学校のデザイン科に進学し、それが有田との接点のスタートです。わたしはデザイン科でしたが、高校には窯業科があり、同級生には窯元の子や、両親が窯元で職人として働いている子がいました。毎年5月には有田で陶器市があり、学校がそこでのアルバイトを奨励していました。そのように、日常にあたりまえに窯業があるのが有田でした。

当時の意識としては、歴史ある伝統工芸というよりも、そこに住む市民の生活の糧としての磁器産業だったと思います。実のところ、高校時代のわたし自身は、朝から晩までアトリエで絵を描く学校生活をしていて、まったく窯業には興味はありませんでした。(藤吉憲典)


Q2. 1988年に肥前磁器を「発見」したとレジュメに書かれています。どのような経緯で肥前磁器と出会ったのでしょうか。またどんなところに魅力を感じたのでしょうか。(Homes & Antiques)

A2. 高校卒業後、グラフィックデザイナーとして東京で就職をしました。数年後、父親が大病をしたため、佐賀に帰りました。どうしてもデザインの仕事をしたかったのですが、当時佐賀ではそのような仕事はほとんどありませんでした。あきらめかけていたところに、高校時代の恩師から「やきものもデザインだぞ」と言われ、初めて肥前磁器を正面から見ることになりました。そうして有田の窯元に製品開発デザイナーとして就職したとき、これまで平面(グラフィック)で培ってきたデザインが、そのままではまったく通用しないことを思い知らされ、それがわたしにとっての、肥前磁器の発見でした。

また当時の開発室の上司が、肥前磁器のマニアであり、窯元のデザイナーとして彼と対等に話をするためには、肥前磁器の歴史やモノを深く学び理解することが必要でした。彼に追いつきたくて、美術館や骨董屋に幾度となく足を運び、関連する本や資料をたくさん読みあさりました。同じデザインでも、それまでのグラフィックデザイナーとしてのセンスや技術ではまったく追いつかない奥深さに、難しさと同時に大きな魅力を感じました。(藤吉憲典)


Q3. その発見は、あなたにどのような影響を与えましたか。(Homes & Antiques)

A3. グラフィックデザイナーとして少しづつ自信をつけ始めていたところから、「やきもの」ではゼロからのスタートと覚悟を決めての学び直しとなりました。すべてが新鮮でした。意匠と造形を組み合わせて完成品を導いていく。この複雑な作業の修得に、新しい世界を見つけた気がしました。(藤吉憲典)


「その3」へと続きます。

英国の雑誌『Homes & Antiques』8月号への、藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その1。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

英国の雑誌『Homes & Antiques』8月号への、藤吉憲典のインタビュー記事原稿。その1。

「ロンドンから、5月5日締め切りの仕事が飛び込んでまいりました」と書いたのは、4月もそろそろお仕舞いかという頃のことでした。

その後、最終原稿確認を終わらせ、無事発刊されたようです。

Homes&Antiques 2023 Aug

特集テーマは「HEIRLOOMS OF THE FUTURE」。日本語にすると、「未来の遺産」あるいは「未来の家宝」とでも訳されるところで、常日頃から「数百年後も遺る家宝になるものをつくる!」と言っている藤吉憲典にとっては、まさに我が意を得たりのテーマでした。

記事自体は、かなりの分量があったインタビューを、UKのライターさんが上手に素敵にまとめてくださいました。それでも見開き3ページに及ぶ内容。こんなにスペースを割いていただいたのは、日本国内の雑誌でもあまり無いことでしたので、とてもありがたい機会となりました。

ただ、日本国内でこの記事をご覧いただける機会はまずないと思われることと、元のインタビューのボリュームがかなりたくさんであったこと、そしてなにより、インタビューで尋ねていただいた内容が、作家のキャリアを理解するうえでとても有用なものでしたので、日本語のもと原稿をこちらでご紹介していきたいと思います。

さっそく明日から、一日一問(あるいは2-3問)でインタビューをご紹介予定です。どうぞご期待ください。

博多阪急さんでの藤吉憲典個展、案内ハガキ・告知動画など。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

博多阪急さんでの藤吉憲典個展、案内ハガキ・告知動画など。

今月7月下旬に博多阪急3F特別室にて開催の「藤吉憲典個展 陶芸彫刻書画」。着々と準備を進めております。福岡県内での商業個展は初開催、九州内で考えても、とても久しぶりの開催になります。一人でも多くのお客さまと会場でお会いできることを、心から願っております。

そんなわけで告知にも力が入ります。今回ぜひご覧いただきたいのが、イベントの告知動画。いつもお世話になっている動画クリエーター日浦さんが作ってくださいました。作家への愛情をもって撮ってくださるので「任せて安心」です。

博多阪急3F特別室にて開催「藤吉憲典個展 陶芸彫刻書画」(約5分)

またイベントのプレスリリースは、福岡で文化イベントの広報といえばこの方、福博ツナグ文藝社の西山健太郎さんに、今回もお世話になりました。おかげさまで、各種媒体で紹介していただいています。

そして先日完成した告知チラシに続いて、ハガキDMも完成いたしました。下の画像をクリックすると、拡大してご覧いただくことが出来ます。

博多阪急3F特別室にて藤吉憲典個展
博多阪急 藤吉憲典個展 DM
博多阪急3F特別室にて藤吉憲典個展
博多阪急 藤吉憲典個展 DM

藤吉憲典個展 陶芸彫刻書画

会期:7月19日(水)~7月25日(火)
時間:10時~20時(最終日のみ17時閉場)
場所:博多阪急3F特別室(フロアマップは下記URLでご覧いただくことが出来ます)
https://www.hankyu-dept.co.jp/hakata/floor/3f.html

↓告知チラシはこちらでご覧いただくことが出来ます↓

7月は博多阪急3F特別室にて「藤吉憲典個展 陶芸彫刻書画」。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

7月は博多阪急3F特別室にて「藤吉憲典個展 陶芸彫刻書画」。

昨年に引き続き博多阪急さんで、花祭窯のある福津市の地域イベント「ふくつのね」開催が決まりました。花祭窯も参加いたします。今年は阪急さんが藤吉憲典のために「特別室」をご用意くださいました。地元福岡でまとまった数の作品をご覧いただき、お買い求めいただける初めての機会となります。ぜひお越しくださいませ。

藤吉憲典個展 陶芸彫刻書画

会期:7月19日(水)~7月25日(火)
時間:10時~20時(最終日のみ17時閉場)
場所:博多阪急3F特別室
https://www.hankyu-dept.co.jp/hakata/

藤吉憲典個展 博多阪急

博多阪急 藤吉憲典個展

「藤吉憲典 陶展」で、ぜひ書画も楽しんでください。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「藤吉憲典 陶展」で、ぜひ書画も楽しんでください。

西麻布桃居さんで開催中の「藤吉憲典陶展」今回は書画を10点以上お持ちしています。

藤吉憲典の書画は、どこかにありそうな「手先の器用な陶芸家が、ちょっと書画も描いてみました」というのとは、根本的に異なるということを、ここで説明しておきたいと思います。もともと幼少期から書家のお父さんに猛特訓を受けたキャリアの持ち主なのです。

「絵」に進むために「書」を継がずに歩んで来た藤吉憲典が、最初は「デザイン」を糧とし、その後肥前磁器と出会って「陶芸」の道に進み、陶芸家となったわけですが、その間もずっと「書」はあたりまえのように生活のなかにありました。そして陶芸家としての道も四半世紀を過ぎたときに、ようやく自らのベースにある「書」を作品として表舞台に出そうと思えるようになったのです。

書画の作品としてのアウトプットは、昨年からスタートしたばかりですが、そこには、これまでのあらゆるキャリアが詰まっています。お父さんから書道を習い始めてからの道のり、グラフィックデザイナーとしてのキャリア、その上に陶芸家としての25年以上があるからこそ、書く(描く)ことが出来る作品の数々です。

今回の個展に対して、桃居オーナーの広瀬さんの評価が、とても嬉しいものでした。

“天性の「描く人」、描くことに憑かれた人、が藤吉憲典さんです。
今回は「描かねばいられぬ人」藤吉さんの資質とその才能が全開となった展示となりました。
令和の「画狂人・藤吉憲典」の描写の妙にご注目ください。” 
(桃居インスタグラムより)

その片鱗の一部をご紹介しますね♪

藤吉憲典画 獣面芙蓉手

藤吉憲典画 馬

藤吉憲典画 昇龍

藤吉憲典画 牡丹唐草

ぜひ現物を会場でご覧いただけると嬉しいです。

桃居 藤吉憲典 陶展
2023年6月21日(水)~6月26日(月)
11:00~18:00 (最終日は17:00まで)
東京都港区西麻布2-25-13
TEL03-3797-4494

6月22日の21:00以降、桃居さんの運営する「桃居オンライン」でも今回の個展に出した新作をお買い求めいただくことが出来ます。ぜひ覗いてみてくださいね。

「桃居オンライン」
藤吉憲典作品の販売期間:2023/06/22 21:00 〜 2023/06/26 16:59

「画狂人」って、もともとは誰のことなのかしらと思ったら。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「画狂人」って、もともとは誰のことなのかしらと思ったら。

連日の告知ブログ。夏至の本日6月21日、西麻布桃居さんでの藤吉憲典陶展は初日を迎えます。個展の初日はいつもドキドキ。正直に言えば、初日に限ったことではありません。個展にご来場くださったお客さま方がどのような反応をなさるのか。すべての作陶に全力を傾けているからこそ、作家本人はやり切った感があり「あとは天任せ」とすっきりしたものですが、サポーターたるわたしとしては、お一人でも多くの方にご覧いただきたいので、最終日までジタバタし続けます。

桃居オーナー広瀬さんが書いてくださった紹介文に、“令和の「画狂人・藤吉憲典」”というくだりがありました。「画狂人」という表現が新鮮だったので調べてみたところ、宮本亜門さん監督で葛飾北斎を主人公にした舞台『画狂人・北斎』のタイトルに元があることがわかりました。舞台のポスターに見る俳優・西岡徳馬さんの表情に凄みがあります。狂人のイメージって、こんなふうなのですね。

紀伊國屋ホールのサイトにある『画狂人・北斎』の宣伝文を読めば、「他人を顧みず、自分勝手に画に向き合い、狂ったように画を描き続けた生き様」とあり、藤吉憲典は似たようなところはあってもそこまで過剰ではないかな、と。ただ「そこら辺にいる変なおっさん」というところは、そのまま地を行っているという確信があります。工房のある津屋崎の方々は、皆さんきっとそう(=そこら辺にいる変なおっさん、だと)思っておられることでしょう。

そういえば九州国立博物館での『北斎展』を観に行ったのは、約1年前のことでした。そのときにわたしが一番良かったと感じたのは、「日新除魔図(にっしんじょまず)」という200枚超の連作。サラッと描いた(ように見える)スケッチだからこそ滲み出るセンスに目を見張ったのでした。「ように見える」というのは、ふだん実際に絵をつける作家の様子を見ているからこそ実感できることです。描きだすと迷いがありませんので、サラッと描いているように見えますが、実は最初の一筆に入る前に、ものすごい量のシミュレーションが、作家の脳内でなされているのです。意識的にも無意識的にも、すごい量のシミュレーションが行われているのだろうな、と見ていてわかります。それは、やきもの(磁器作品)においても、書画(水墨画)においても同様。

それにしても、今回広瀬さんがそのように評価してくださるまで「画狂人」という表現を知りませんでした。お墨付きを得ましたので、これからは藤吉憲典の創作活動における一面を現す言葉として、使っていきたいと思います^^