読書『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著

なんとも痛快な一冊を見つけました。あとがきに『「これが日本の伝統」に乗っかるのは、楽チンだ』と書いてある通り、実に皮肉に満ちていて、面白おかしく読みました。著者の肩書に「作家・脚本家・放送作家」とありますが、「放送作家」としての経験や視点が色濃く反映されているのでしょう。伝統とビジネス、伝統とメディアの関係性が、さらっと暴かれています。上手に持ち上げられ、作り上げられ、利用されている「伝統」を、目の前に突き付けてくれる本です。

とはいえ著者が『「伝統」そのものを否定しているわけではありません』というのは、読めばよくわかります。多様な「伝統の例」を斬ることを通して、読者自身に何が問題かを気づかせてくれます。深刻な問題提起というよりは、4コマ漫画的な批判精神とユーモアあふれる切り口。ズバッとやられます。

それぞれの事例の伝統度合いを「○○から○○年」というように数値化しているのが秀逸です。「土下座は謝罪なのか?」として『土下座が謝罪の意味を持ち始めて、約90年。国語辞典にそれが載り始めて、約50年。ドラマ「半沢直樹」の土下座から、約7年。』(『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著より)とあったのには笑いました。

あとがきに、本書の意図がしっかり述べられています。『「伝統」という看板を掲げてはいるけれど、その実態は「権益、権威の維持と保護」にすぎないケースもあります―ミもフタもない言い方ではありますが。』(『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著)の言葉に、大いにうなずきました。伝統工芸の世界「あるある」なのです(笑)

仕事柄わたしも、「伝統」「伝統文化」「伝統工芸」などなど「伝統」を含む言葉をよく使います。無意識に「この言葉を使っておけばとりあえずOK」になっていないか、気を付けなければならないと自省しました。「権威」「ブランド」「伝統」に頼るようになったらお終いですね。

読書『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著

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読書『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著

こちらも最近お気に入りの「カメリアステージ図書館の新刊紹介棚」からです。上の写真は、古代エジプトの遺跡からでてくる副葬品のひとつである神聖な「カバ」を、磁器作家・藤吉憲典が作ったらこうなる、というもの。

さてエジプトと言えば、大学生の時に山口県立美術館に来た「大英博物館展」で見たツタンカーメン黄金のマスク、新婚旅行で大英博物館に足を運んだ時に釘付けになったミイラの数々、一時期流行っていた吉村作治先生のテレビで見たピラミッド&スフィンクス、つい最近「雰囲気似てるよね」と言われてちょっとうれしかった(笑)ネフェルティティの胸像…。

本書「はじめに」で著者が『日本でエジプトといえば、「大ピラミッド」・「ツタンカーメン」・「クレオパトラ」の3つの話題ばかり(後略)』『視聴者の多くが(中略)古代エジプト史の歴史の流れを知らないことが多い。』と書いておられる、まさにその通りの認識でした。福岡acad.建築の勉強会シリーズ「第2回エジプト・ローマ」で少し学んではいましたが、知らないことだらけの古代エジプト。

『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著
『古代エジプト解剖図鑑』(エクスナレッジ)近藤二郎 著

著者の近藤二郎氏は、吉村作治先生と同じ早稲田大学エジプト学研究所・所長として調査研究をなさってきた方ですが、本書では学術的な難解さを感じさせることなく、一般向けに専門的な領域を語ってくださっています。「解剖図鑑」とある通り、図解中心の本ですので、読むというよりは「見る」という感じ。写真は全く載っていませんが、単純化されたイラストだからこそわかりやすいです。なんとなく読み始めましたが、面白くて、読了したときには手元に一冊置いておきたいと思ました。

それにしても、古代エジプトの遺物にのこる絵画・図象表現、ヒエログリフの文字表現、建築を含む立体表現の多様さ面白さがたまりません。リベラルアーツは古代ギリシア・ローマに源流を持つと言われていますが、古代エジプト文明もまた、言語的要素・数学的要素・芸術的要素の総動員だと感じました。また「神様」の位置づけが、八百万の神々を拝む日本と似ているというのも、興味深く。自然界のあらゆるものに神が宿るという考え方、人間に不可能な力を持つものを神聖視することなど、なるほどと思わせられました。

エジプトの墳墓から出てくる副葬品のひとつ「カバ」についても、改めて考える機会となりました。アートの世界で最も有名なカバは、ニューヨークメトロポリタン美術館にいる「カバのウィリアム」ですが、これにインスパイアされて作品化する現代アーティストもたくさん。磁器作家・藤吉憲典もまたその一人であり、藤吉の作るカバもまた、世界のあちらこちらでコレクターに愛されています。紀元前の古代から数千年を経て、現代に受け継がれてきたアートの底力を感じます。

寒緋桜(かんひざくら)が届いたら、一気に春っぽくなりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

寒緋桜(かんひざくら)が届いたら、一気に春っぽくなりました。

お友だちが、寒緋桜の大きな枝を1本持ってきてくれました。旧正月の頃に咲きだす、早咲きの桜です。まあ立派!わたしの力量では1本そのままで生けることが難しかったので、いくつかに分けて甕に投げ込んでみました。「いくつかに分け」るのも、ハサミでは文字通り歯が立たずノコギリ出動。花とつぼみがたくさんついていましたので、落とさないように気を付けながらの花仕事でした。

花祭窯 寒緋桜

暦の上では春とはいえ、この日は風が冷たく、寒い寒いと騒ぎながらの外作業。大胆に投げ込んだだけでもなんとかなる(なっていないかもしれませんが^^;)のが、枝ものの力ですね。「さくら」の音の響きと、華やかな桃色で、玄関先が一気に春っぽくなりました。

花祭窯のある津屋崎周辺では、「光の道」で一躍有名になった宮地嶽神社で寒緋桜(その名も「開運桜」!)を見ることができます。

ロンドンのギャラリーから打診される展覧会テーマに、世の中を見る目が広がる。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ロンドンのギャラリーから打診される展覧会テーマに、世の中を見る目が広がる。

つい先日、このブログでも2021年藤吉憲典の展覧会予定をご紹介したところでした。

2021年藤吉憲典の展覧会予定

磁器作家・藤吉憲典のロンドンの契約ギャラリーSladmore Contemporaryと、系列のSladmore Galleryは、「動物の彫刻(animal sculpture)」を専門にするギャラリーです。昨年からのコロナ禍で、ロンドンはたびたびロックダウンとなり、ギャラリーのオープンが限定され、エキシビジョン開催も予定が立ちにくい状態が続きました。

先行きが読めない状況のなか、Sladmore チームから、ひとつのテーマを近代彫刻のマスターピースから現代彫刻の最新作品まで、時代を超えてご覧いただく展覧会へのオファーをいただきました。2021年の一年間を通して企画されています。アンティークからコンテンポラリーまで、動物彫刻を専門に極めてきた老舗だからこそ実現できる内容です。

この流れは、昨年末11-12月開催された展覧会「Dogs, Cats and Other Best Friends」から始まっていました。折しも「人と人の接触を避ける」ことが求められるなかでの、このテーマ。古来から友人・パートナーとして人に寄り添ってきた動物たちに、わたしたちがいかに癒され助けられてきたかを、深く感じる機会となりました。

本年7月には‘Endangered animals A-Z’ Sladmore Gallery(London)が開催されます。Endangered animalsとは「絶滅危惧種」のこと。国連の提唱するSDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)の17の目標のなかには、「14.海洋資源」「15.陸上資源」が入っており、「生態系の保護回復」「生物多様性の損失阻止」などがうたわれています。「共存共生」もまた、コロナ禍でクローズアップされた概念のひとつですね。

「アートは常に社会とともにある」ことがダイレクトに、それでいて自然体で伝わってくるテーマ設定に、芸術先進エリア・ロンドンの老舗ギャラリーの矜持を見ました。オファーを受けたアーティストは皆、その空間に作品参加できることを誇らしく感じているに違いありません。これらの展覧会に向けての、藤吉憲典の新作にも、どうぞご期待ください。作品の最新情報は、インスタグラムやフェイスブックの公式ページでご確認いただくことができます。

藤吉憲典公式FBページ https://www.facebook.com/KensukeFujiyoshi

藤吉憲典公式インスタグラムhttps://www.instagram.com/ceramicartist_kensukefujiyoshi/

お客さまからのご相談をきっかけに生まれるもの。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

お客さまからのご相談をきっかけに生まれるもの。

芸術家(アーティスト)は「自分勝手に好きなものを作る」イメージを持っている方も多いと思います。たしかにそういう面も強いです。でも「全くの無」からイメージが降ってくるわけではありません。たまに、自分は何からも影響を受けていない完全なオリジナルだと言う作り手がありますが、それは傲慢です(笑)

古今東西あらゆる芸術は、意識的無意識的に「何かにインスパイアされて生まれる」もの。そこには「第三者の意見」も含まれます。「他者の要望に応えて作るのは芸術ではない!」という方は、美術史に名を残しているアーティストたちを振り返ってみると良いでしょう。芸術のあらゆる分野で、王様をはじめ宗教家、政治家、資産家といった「人」や組織のオーダーに応え、そこに自らの創造性を発揮するところから、名だたる作品が生まれ残ってきていることがわかります。

さて、磁器作家・藤吉憲典もまたしかり。藤吉にインスピレーションを与える最も大きな存在は、「身の回りの自然」と「古き良きもの」ですが、彼の作品を愛してくれる常連のお客さま(ギャラリーやコレクターなど)からの相談もまたその源、きっかけとなることがあります。そしてそれらは、作り手にとって、とてもワクワクすることであることが多いです。

上の写真は、10年以上のお付き合いのお客さまからのご相談に応えたもの。古典的でありながら新しい、用途ある装飾品「葉巻用の灰皿」です。ご相談が無ければ、おそらく藤吉自ら作ろうとは思わなかった分野ですが、ご相談を受けて「面白そう!」と思えば集中して取り組むのが、アーティスト気質なのだと思います。

葉巻の専門店に足を運び、根掘り葉掘り話を聞いたり、灰皿などのアクセサリー類をに手にって見てみたり、実際に何本か購入してみたり。また葉巻を吸っている友人から資料を借り出したり、「実際に吸っている人」の立場からの意見を聞いてみたり。最初に相談を受けてから、実際にこうして「ひとつめ」が形になるまで、1年近くかかっています。

なお特別注文のご相談につきましては、ギャラリーさんも個人のお客さまも、親しく価値観や理想のイメージを共有できるお客さまに限らせていただいています。詳しくは「特別注文のご相談について」をご覧くださいませ。

近所に神社があるというのは、何気ないことのようで、ありがたいことなのだと気づく。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

近所に神社があるというのは、何気ないことのようで、ありがたいことなのだと気づく。

波折神社

写真は124年ぶりに2月2日節分祭の波折神社。緊急事態宣言発出中につき、いつもは賑わう豆撒きですが、今年は氏子総代の方々による神事のみとなりました。ただ、お参りした人は「福豆」のお土産をいただくという嬉しい心遣いが、終日行われていました。

お昼過ぎにお散歩がてら出かけてみると、参拝者はわたしをふくめて二人。気兼ねなくゆっくりお参りすることができました。帰ろうとすると、お宮さんの役員の方が「豆持って帰ってくださいね!」と声をかけてくださいました。社務所に寄ると、ちゃんと袋詰めされた福豆が用意してあり。

そういえば元旦もそうでした。どこにもいかない正月でしたので、朝一番にお散歩がてら、波折神社に初詣でをしたのでした。「人が多いかな、どうかな」などと頭を悩ませることなく、徒歩で「ちょっと行ってみようか」と思える距離のありがたさ。そして期待通り、参拝できる環境があることの嬉しさ。

ずっと近所に住んでいて転居した友人が「今住んでいるところの近くにも、職場の近くにも神社が無いんですよね。大きい神社も小さい神社も」と。そういえば、幼いころから現在に至るまで10か所ほどで暮らしたことがありますが、思い返してみると、近所に神社があったのは、わずか3か所。さらに生活のなかにここまで神社が浸透しているのは、津屋崎が初めてのことです。

季節の行事のたびに「ちょっと寄ってみる」波折神社。気軽にお参りできる場所。お参りを通して、無意識のうちに気持ちの安らぎを得ています。そんな場所が近くにあるのですから、ありがたいことですね。

続・プレミアム〇〇デー。

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続・プレミアム〇〇デー。

「プレミアム〇〇デー」のススメ、をブログに書いたのは一昨年の誕生日ごろのことでした。〇〇には、その人の名前が入ります。わたしの場合は「プレミアムゆりデー」。「休み下手」「切り替え下手」のワタクシに家族が提案してくれた、月に1回「その日一日は好きなように勝手に過ごす日」。

ブログで「今月からスタートさせる」と書いてから1年半、毎月の月誕生日にパソコンがリマインダーで「今日はプレミアムゆりデー」と教えてくれるのですが、ちゃんとプレミアムデーをとった日は、ほぼ無いような(笑)…これではいけません。休むこと、切り替えることもまた、大切な仕事の一部だと頭ではわかっているつもりでも、ズルズルとしてしまう己の弱さ。

本日は2月2日豆撒きの日です。例年は2月3日の節分が、2日あるのは124年ぶりとのこと。この記念的な節目を生かさない手はありません。本日からプレミアムゆりデーも、リスタートすることに決定。そう、続けたい習慣が頓挫してしまったときは、また何度でもスタートし直せばよいのです。

まずはこのブログを書き終えたら、おいしいパン屋さんに出かけて大人買いしてくる予定です。夜ご飯は、大好きなFRANCE-YAさんのお持ち帰りシリーズの簡単で絶品の煮込み料理にして、そのあとは豆撒き…なんとも小市民的ですが(笑)家事を手抜きするところからスタート。

そういえば、花祭窯のコンセプトキーワードは「Democratic Luxury」。日本語にすると「庶民的な贅沢」といったところです。「手に届く贅沢」であり「日常生活に高揚感や安息の時間・空間をもたらしてくれる身近な贅沢」と解釈しています。まずはこんなところから「プレミアム」を目指すのも、わたしらしいかもしれません。

「休み下手」「切り替え下手」の同志の皆さま、ぜひ「プレミアム〇〇デー」はじめませんか♪

再読書『論語と算盤』渋沢栄一 と、あれこれ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

再読書『論語と算盤』渋沢栄一 と、あれこれ。

「渋沢栄一」の名前があちらこちらで目に付く今日この頃。「新一万円札の顔」と、「2021年NHK大河ドラマの主役」という二大トピックス故ですね。何度か読んだことのある『論語と算盤』ですが、恥ずかしながら、文章の難解なイメージが先に立ち「何が書いてあるか」にまで意識が回らない(=理解に至らない)という経験をしています。初めて手にしたのは、学生時代、経済学部での講義のときであったと思います。

わたしにとっては、そのうち「ちゃんと読める=理解できるようになる」日が来るさと、機会あるごとに引っ張り出している本のひとつ。最近あまりにもよく「渋沢栄一」の名を見たり聞いたりするもので、立春を前に書棚から引っ張り出してきました。

ひとつは『論語と算盤』角川ソフィア文庫版。各章ごとに「この章ではここに注目」と促してくれる、親切版です。あらためて少しづつ読み進めています。

次に岩波文庫版の『論語』。岩波文庫版は、原文・読み下し文・現代語訳に注釈まで入っているので、わたしにとっては「とりあえずこの一冊」です。こちらは『論語と算盤』を読む上での辞書的な役割。側に置き、原文を知りたいときに開きます。

論語は、佐賀県多久市にある孔子を祀った多久聖廟で手に入れた『よみかき論語』の本を使って友人と音読会をしたり、我が家の「日めくり暦」として10年以上使っていたりするので、かなり親しみがあります。

そして、少し前に手に入れた最新刊が『こども論語と算盤』祥伝社から出ている絵本です。友人から「これなら30分で読めるよ」とおススメされたもの。エッセンスを知るのに最適な、易しい言葉で書かれた超訳版です。これは、家人が気が向いたときに手に取りやすいように、居間の目につくところに置いておくことに。

カラスはトンビより強いけれど、カモメより弱い。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

カラスはトンビより強いけれど、カモメより弱い。

なにか哲学的な考察を期待できそうなタイトルですが、文字のままの内容です。上の写真は、ウォーキングコースの津屋崎浜。砂浜にはさまざまな足跡が残っています。目につくのは(わかるのは)、人、犬、鳥の足跡。人の足跡も大小形さまざまならば、犬の足跡も鳥の足跡も多種多様。たくさんの生き物がこの浜辺にお世話になっていることがわかります。

津屋崎に住むようになって知った「意外なこと」のひとつに、「カラスはトンビよりも強い」があります。時折トンビとカラスが空中戦をしているのを見かけるのですが、ほとんどの場合カラスが優勢なのです。トンビ1羽に対し、2羽以上のカラスが包囲して他所に追いやっている図。カラスは団体戦をするのですね。体格的には遜色のない両者でも、多勢に無勢。

ところが対カモメになると、相手がカモメ1羽でも、カラスはそう易々とは近づかないのです。浜辺で、カモメ1羽に対して複数のカラスが遠巻きにして様子をうかがっている図が、よく見られます。カモメが水陸空を境目なく動けるのに対し、カラスは「水」に入っていけませんから、そこにまずハンデがありますね。

さらにじっくり見てみると、概してカモメの体格の良さはカラスに勝っているようです。もちろん個体差はありますが。まるまるとして、どっしりとしていて、胎が座っているように見えます。そういう相手に対しては、カラスも挑んでいかないのですね。両者が争っている図は見たことがありません。

そんなわけで、今のところ冬の津屋崎浜で一番幅を利かせているのは、カモメのようです。カモメは渡りなので一年中ここにいるわけではなく、季節限定の番長とでもいったところでしょうか。カラスとしては、冬はちょっぴり我慢の季節なのかもしれません。人間関係ならぬ鳥間関係(!?)を眺めつつ、思わずニヤニヤしてしまう浜辺のウォーキングです。

大峰山を歩いていたら、ヤブツバキを見つけました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

大峰山を歩いていたら、ヤブツバキを見つけました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

昨秋から始めた山歩き海歩きは、悪天候の日を除いて週3ペースで続いています。毎日歩けたら一番良いのは重々承知しつつ、まあ、好い感じといえるのではないでしょうか。先日は、津屋崎浜でアイルランドの国鳥に出会った話をアップしたので、本日は山編。よく言われることではありますが、ウォーキングの効用は運動不足解消だけではないですね。ふだんから馴染みの生活圏内であっても、歩くたびに景色は変わり、視界が広がり、世界が広がります。

ウォーキングするようになってすぐに気づいたことのひとつが、「山歩きは視線が上に向かい、海歩きは視線が下に向かう」でした。これはわたしだけのことなのかもしれませんが、山を歩いていると「(木々に)囲まれている」状態になるため、より広い空間を求めて視線が上に向かうのです。実はこれは都会に行った時も同じで、都心のビル群のなかを歩いていると、知らず知らずのうちに視線が上方向に向かいます。

さて、ヤブツバキ。

↑これです↑。お!と思い、斜面をよじ登って、花に寄って撮ったら…↓ピンぼけ写真になってしまいましたが↓。

ヤブツバキ

ヤブツバキの、この、花が少し小さめなのが好きです。山里で見つける野生のものは「花が少し小さめ」で、野菊や野バラなどもそうなのですが「小さくて・色が濃くて・群生している」のが、生命力の強さを感じます。

実はウォーキングの途中に「立ち止まって写真を撮る」ことは、とても少ないです。どちらかというと、何かに集中しているときに中断する(=写真を撮る)のは、好きではなく。ウォーキングもしかり、歩いている途中で立ち止まりたくないタイプなのです。そんなわたしが立ち止まって、スマホを取り出して写真を撮るときは、よほど琴線に触れたときなのかもしれません。