ストーブ出動。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ストーブ出動。

この秋は、朝晩の冷え込みが、ここ数年よりも早く訪れているように思います。写真は秋の大峰山から見下ろした玄界灘。寒風を思わせる白波です。

干し柿、紅葉と、季節の景色もどんどん冬に向かっています。そんななか、早々とストーブを出してまいりました。最近の若い方には「石油ストーブ」を知らないという方もおられると聞きますが、純日本家屋の我が家には必須の暖房器具。

石油ストーブのなにが嬉しいかというと、「暖かい」に加えて、火のうえを活用できること。常にヤカンでお湯を沸かすので、いつでもアツアツのお湯がポットいっぱい。紅茶もコーヒーもすぐに淹れることができるのは、ささやかな幸せ。そして台所を預かるものとしては「煮込み系料理」が簡単にできる嬉しさ。鍋に材料を投入して、ストーブの上に置いておけばある程度完成するのですから、強い味方です。煮る時間がかかる豆類の下茹でが放っといてできるのも、ありがたく。

この秋初点火した昨晩は、ストーブの上で焼き芋を作りました。水で濡らしたキッチンペーパーでお芋を包み、そのうえからアルミホイルで包めば、鍋要らず。火が通りやすいよう小さめのお芋を選び、ときどき菜箸で転がしながら、甘い香りがしてきたらできあがり。

昔は焚火で焼き芋でしたが、今どきはストーブで焼き芋。そのうち石油ストーブも無くなって、焼き芋もお鍋でつくるものがあたりまえになるのでしょうね。わざわざつくるのではなく、「火があるついでに作る」のが焼き芋の楽しさだと感じていましたが、そんな焼き芋文化も少しづつ変わっていくのだなぁ、と思いつつ。

読書『「文」とは何か 新しい日本語文法のはなし』(光文社新書)

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読書『「文」とは何か 新しい日本語文法のはなし』(光文社新書)橋本陽介著

先月参加してきた、カメリアステージ図書館の選書ツアーで選んだ本の一冊。三回目の参加となった今回の選書は、過去二回に比べて、ようやく「自分が読みたい本」よりも「図書館に来る人にお勧めしたい本」を選べるようになったのが、自分のなかで少しは進歩したかな、と思えたのでした。

「はじめに」で「国語の授業はなぜつまらないのか」と問題提起する著者が、「文法はエンタメだ」と書きあげた本書。文法に関する考察は機知に富み面白いながらも、読む側としては普段使わない頭を使い、途中でくじけそうになりながら、やっと読み終えた、というのが正直なところです(笑)

それでも読了後には、「日本語文法」という枠を出て、言語について思いをはせる自分がいました。個人的に特に興味深かったのは、次の三つのポイントです。


  • 知の枠組みはすべて西洋由来
  • 文法とは計算システムである/人間言語の特徴は、無限に「文」を生み出せる点にある
  • 言語は思考を決定しないが表現と解釈を縛る

『「文」とは何か 新しい日本語文法のはなし』(光文社新書)より


英会話を習っていると、「日本語にはうまく訳せない英語」「英語ではぴったりくる単語が無い日本語」に出くわします。そのたびに言語の背景にある文化の違いを思います。しかも不思議なもので、習えば習うほどに「翻訳するのが難しい」ものに出会う頻度が増える印象があります。「言語は思考を決定しないが表現と解釈を縛る」のですね。

日本語文法を解説する手順をとりながら、広く「言語」について考えさせる本でした。書中、いろいろな角度から文法を解いてあり、それぞれの角度(視点)を深めるための「読書案内」がついています。「ことば」に興味のある人、言葉を教えることを仕事にしている方に、ぜひ手に取って欲しい一冊です。

今年も干し柿。

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今年も干し柿。

ご近所さんから「干し柿つくる?」と、渋柿をいただきました。干し柿大好きな藤吉家。嬉しく頂戴いたしました。その日の晩にせっせと皮をむいて、麻ひもに吊るします。手間がかかると思いがちな干し柿づくりですが、作業自体はいたってシンプル。カビを防ぐのに、仕上げに熱湯に通したり、焼酎でふいたり、という方法もありますが、空気が乾いていて風通しの良いところに干せるならば、あまり心配はいりません。ダンナと二人で取り組めば、さくさくと仕事が進みます。写真の量を仕上げるのに、30分とかかりませんでした。

それにしても、もうそんな季節なのねと自らのブログを検索してみたら、昨年は11月21日に「ひさびさに干し柿づくり」とアップしていました。今年は約ひと月早いです。この10月はカラリとした晴れのお天気が多く、朝晩冷え込むようにもなってきた今日この頃ですので、タイミング的にはばっちりなのだと思います。干し柿を吊るすときはいつも、お正月においしく食べれたらいいな、と思っているのですが、たいていその前にどんどんお腹のなかに消えてゆきます。それもまた良し。

この週末は、ご近所を歩いていると、あちらこちらの軒先にぶら下がっている柿が目につきました。まさにシーズンスタートなのですね。もしかしたら佐賀にある創業地の柿の木も、豊作なのではないかと期待が膨らみます。渋柿が採れるということは、山栗も食べごろ、アケビはもう少し先かしら…と。そろそろ秋の味覚チェックに行かねば!です。

なるほど、神無月。

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なるほど、神無月。

いつもなら九月の終わりごろから、太鼓のお稽古の音が響いてくるはずでしたが、今年は静かでした。おくんち(秋季大祭)の行列と、子ども相撲が行われていたはずの週末。写真は数年前のおくんちの行列の様子です。

でも、おくんちのお祓い神事は行われていました。お神輿が出て、御旅所二か所で神事。ふだんは地域総出のお祭りですが、今回は氏子総代と呼ばれる係の人たちだけで行われました。持ち回りで神社のお手伝いをしているダンナは、前日から掃除とお神輿の準備に駆り出され、当日も社務所で参拝客への案内係。

今年はお神輿の練り歩きがないので、参拝する人もほとんど無いかと思いきや、神社にお参りにいらっしゃる方があったようです。毎年のことですから、自然と足が向くのかもしれませんね。ダンナの役目はというと、お神輿が御旅所にまわっている最中に、いらした参拝者に「今、神様はここにおりません」と説明すること。

最初その役目を聞いたとき、すぐに理解できず、思わず聞きなおしました。つまり、神社の神様をお神輿に乗せて、御旅所での神事に回るので、その間は神社には神様はおられないのだということ。お神輿が神社に戻ってきて初めて、神様も神社に戻られるということなのですね。

それを聞いて「神無月だ!」と合点。神無月の語源を「出雲大社に神様が集まるから、地元に神様がいなくなる」という大雑把な理解で納得しておりましたが、なるほど10月は秋季大祭・豊穣祭の季節。出雲までお出かけになっていなくても、神様がお神輿に乗ってあちらこちらで神事を行いに出かけているあいだ、神社に「神無」の状態ができるということが、現実感をもって感じられました。

それにしても、波折神社のおくんちを楽しんで9年目にして発見のトリビア。なんとなく接していて、実はわかっていないこと、まだまだたくさんありそうです。

肥前磁器の美:藤吉憲典の器「染錦柿右衛門調小壺」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

肥前磁器の美:藤吉憲典の器「染錦柿右衛門調小壺」

磁器作家・藤吉憲典がつくる肥前磁器の美しさを伝えるシリーズ。「美しさ」には「用途の美」を含みます。使い勝手の良さも含めて「美しい」と言えるもの。そこにこそ、江戸時代から400年続く肥前磁器の価値があると思っています。

「肥前磁器(ひぜんじき)」という呼び方は、まだまだ一般的ではありません。「有田焼」とか「古伊万里」といった方が、わかりやすくイメージできると思います。肥前磁器とは、有田焼、伊万里、鍋島などと呼ばれる、北部九州地方(肥前地域)で作られてきた磁器の総称です。地域的には現在の佐賀県・長崎県あたり。

「柿右衛門」というのは、酒井田柿右衛門の子孫が代々受け継ぐ名前であり、その特徴的な作風(絵付の様式)を表します。「柿右衛門調」とか「柿右衛門様式」と呼ばれています。十四代柿右衛門氏が色絵磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)となっているので、柿右衛門調というと赤絵・色絵をイメージする方も多いと思いますが、実際には柿右衛門様式と呼ばれているものには幅があり、下絵の青色が入る染付や染錦もあります。

藤吉憲典のつくる柿右衛門調は、目の届きにくいところまで丁寧に絵付をする、江戸時代の輸出品・献上品としての有田磁器の良さを受け継ぐことを旨としています。

染錦柿右衛門調小壺 藤吉憲典
染錦柿右衛門調小壺 藤吉憲典
藤吉憲典 染錦柿右衛門調小壺
藤吉憲典 染錦柿右衛門調小壺

丁寧で細やかな絵付が特徴ですが、その美しさを引き立てるのは、余白です。磁器作家の絵付に求められるのは、絵の上手さだけではなく、造形美に適うバランスの良いデザインだと、感じさせられる一品です。

栗!

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栗!

花祭窯の創業地は佐賀県。自然の恵みがいっぱいの里山です。梅雨前には梅、夏にはカボス、秋には柿と栗の楽しみがあります。

梅やカボスは収穫期が比較的長いので、毎年その時期に訪れて収穫することができていましたが、柿と栗はなかなかタイミングが合わず、満足な収穫ができずにいました。収穫できなかった柿や栗は、落果して山の動物たちの胃袋へ入りますので、無駄にはなりません。木の周りには、イノシシ、タヌキ、アナグマなどと思しきたくさんの足あとが残っています。

自然がすごいなぁと思うのは、その土地に合うものを、きちんと育んでくれること。佐賀ではいろいろな木、食いしん坊なので主に果樹を植えましたが、すくすくと育つものと、そうでないものがはっきりしています。苗木を買うときはお店の人に「育てやすいものを」とお願いしていましたが、一般に言われる「育てやすさ」とは別の要因があることを感じます。

花祭窯の創業地に関しては、梅、栗、カボス、柿、キンカン、山椒などは、感心するほど自然にすくすくと育ってくれています。桜の木も大きくなりました。それらに対して、みかん、ブルーベリー、イチジクなどは、うまくいきませんでした。もっとちゃんと環境を整えてあげなければならなかったようです。合うもの合わないものがありますね。

さて今年は、タイミングよく栗の収穫期に訪問することができました。全部ではありませんが、これまでで最もたくさん収穫することができて、大喜び。食欲の秋スタートです^^

ごまかす=胡麻化す。

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ごまかす=胡麻化す。

週末の朝はパンの仕込みからスタート、とはいってもホームベーカリーに材料を投入してスイッチを押すだけですが(笑)ここ数年、基本の材料として投入しているのが、胡麻(ゴマ)。黒ゴマでも白ゴマでも金ゴマでも、すりおろして大量に投入するマイブームが続いています。写真は、黒ゴマをすりおろしているところ。

「ごまかす」という言葉が好きになったのは、数年前から。「誤魔化す」といえば読んで字のごとく、誤りをうやむやにしたり、上辺をとりつくろったり、というニュアンスですから、好い印象のものではありません。が、ある日某料理研究家のひとことで「ごまかす」の解釈が大転換したのでした。

いわく「ごまかすって『誤魔化す』じゃなくて、『胡麻化す』なのよ。どんな料理も、胡麻をすりおろして入れるだけで、コクが出て美味しくなる。だから、胡麻を入れて美味しくしちゃうことを『胡麻化す』って言うのよ!」。というようなことをおっしゃったのです。

まあ、ビックリしましたが、大きく納得。たしかに胡麻を入れるほんの一手間で、コクが出たりまろやかになったり、料理の味が少しランクアップするのは、経験上よくわかります。それ以来、わたしのなかで「ごまかす=胡麻化す」になりました。ほんのちょっとの一手間を加えて、もっと美味しくすること。

おかげで今日も、黒ゴマパンが香ばしく美味しく焼きあがりました^^

素人による禅語コラム。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

素人による禅語コラム。

素人とはわたしのことです(笑)

お友だちが経営する株式会社Natu Riseさん(旧社名おつうじ屋さん)が発行するニュースレターに、コラム「日日是好日」の提供をスタートして、既に17号。おかげさまで1年半以上が経っています。好きなことを書きながらも、読者の方々の意識が「ストレス解消」や「心地よさ」に向かうきっかけとなるテーマ提供ができたらいいな、と思っています。

そのコラムのなかで、少し前から「日常の禅語」と題し、自分の経験談からつながる禅語のご紹介をしています。わたしはもちろん禅僧ではありませんし、仏教を体系的に学んだわけでもありません。学術的には、佛教大学で修了した博物館学芸員資格取得課程の科目のなかで、仏教美術に関わるものを少し学んだくらいでした。

禅的なものの影響を一番受けているのは、茶道のお稽古を通してのこと。南方流の茶道は禅茶であり、「ありふれた日常のことが重要である」と「禅茶一味」を説いています。その「ありふれた日常」に自分が感じる禅のエッセンスを、飾らず率直に書いています。読者のお一人でも、このコラムで肩の荷を少しおろしてもらえたら嬉しいな、と。

本屋さんに行けば、一般向けの禅や禅語に関する本は、とってもたくさん出ています。わたしは素人だからこそ、もっと気楽で身近なものを、理論ではなく日々の体験からご提供できたらいいな、と思っています。

ふじゆりのおかみコラムは、株式会社NatuRiseさんのサイト内でご覧になれます。

興味がありましたら、ぜひご覧になってみてくださいね♪

短距離ドライブ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

短距離ドライブ。

朝から495号線を短距離ドライブがてら、産直販売所へ。片道約10分。ドライブというほどの距離ではなく、買い物に出かけただけ、と言われたらそうなのですが(笑)。青い空の下、右手に古墳群、左手に田んぼ・畑、その向こうに青い海。車も信号も少なくストレスフリーで大好きな道なのです。

道すがら、強い日差しのなか目に留まったのは、赤白カラーの稲刈り機。早稲も早稲、この近辺では最初の収穫となる稲刈りが始まっていました。もうそんな季節なのですね。まっすぐに伸びた稲が刈り取られていく様子もまた、見ていて楽しく。今年はこれまでのところ台風被害もなかったので、順調に育ったのかもしれないな、となんだか嬉しく。

産直では、カボチャ、ナス、オクラ、ピーマンなどの旬野菜に、地元の養鶏場でとれた卵をゲット。今年はトマトが早く終わってしまい、キュウリもそろそろお終いかな、という感じの姿。ともあれ、今採れるものが、今体に必要なものと考え、元気な姿をした野菜を手に取ります。

帰り道を下りつつ、海、海に浮かぶ島、その向こうに小さく見える船。我が家の近所まで戻ってくると、今度はぷかぷかと浮かぶボートが目につく海。風もないので、釣りに出る人も多いのかもしれません。八月最後の週末は快晴です。

なんとも平和な気分になる、週末のスタートとなりました^^

私的「無形文化財」。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

私的「無形文化財」。

毎年8月15日に漁港の広場でお盆の法要があり、盆踊りがあるのですが、今年は法要はあるものの、盆踊りは中止になりました。仕方がないですね。

盆踊りの練習と、盆踊りは、日ごろあまり会うことのない地域の方々とも顔を合わせることのできる機会なので、そういう意味でも毎年楽しみにしています。同じ津屋崎エリアに住んでいても、盆踊りの時にしか顔を合わせない人もあり、貴重な場。

笛や三味線や和太鼓にお歌の生演奏で踊れる盆踊りなんて、今どきそうそうありません。わたしのなかでは「無形文化財登録」したいほどのものです。

一年のうちで、盆踊りの踊りができるのは、練習日と当日の二日間だけ(今のところ)。一市民にとっては、盆踊りを継承する貴重な機会が、今年は無いことになります。津屋崎の盆踊りの踊りは二種類あるのですが、どちらも複雑で、覚えるのに一苦労。いまだ覚えていないわたしは、一年のブランクがあると、さらに忘れてしまいそうです。

来年はまた例年通り復活して欲しいなと、心から思います。