ご飯を食べに行く。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ご飯を食べに行く。

我が家は外食頻度が低いです。出張でもなければ、朝昼晩と一日三食、職場兼自宅で食べるのがあたりまえ。ここ津屋崎から宗像にかけてのエリアは、魚はもちろん、野菜、お肉や卵も新鮮でおいしい地元のものを調達しやすく、「おうちご飯」に最適な恵まれた環境です。

そんな日々のなか、藤吉の器を使ってくださっている料理人さんのところに食事をしに行くのは、この仕事をしている自分たちへのたまのご褒美であり、大きな楽しみです。昨日おじゃましたのは、北九州小倉の木”山(ぎやまん)さん。上の写真は、お食事に大満足した帰り道に撮った小倉城。

お店を独立なさる前に、ご主人の南さんと奥さま、お二人で花祭窯までお越しくださったのでした。お店を持って四年になるということ。やっと訪問できました。

飲食店が密集する夜の繁華街、競争が激しいであろうエリア。一歩店内に入ると外の喧騒が嘘のようでした。カウンター5席に4名個室ひとつのコンパクトな空間。徹底的に無駄がそぎ落とされたなかに、掛けられた花やさりげなく置かれた干支の香合、カウンター越しに見える道具の数々も美しく、とても気持ちのよい空間でした。

お料理を口に運ぶたび、美味しくて嬉しくて、自然と笑みがこみ上げます。うつわ使いも素敵で楽しく、ダンナは食べ終わる傍から器を撫でまわし、背面や裏を確認。無粋とは思いつつ、気持ちは分かるので、放置(笑)。そんな景色に、嫌な顔をするどころか「見る用」に器を出してくださるご主人の気さくな心遣い。

お料理が出るたびに、旬の食材を地元で調達なさっていることがわかりました。昨日は特にタケノコがよかったです。うつわも、現代ものはできるだけ北九州から近い作家さんのものを、と考えておられるようでした。古いものとの組み合わせが絶妙でした。個人的には、ガラスの器使いに惚れ惚れ。

お店を出るころには3時間近くが経っていました。ゆっくり、時間をかけてお食事をする贅沢。堪能しました。ありがとうございました。

北九州小倉の木”山(ぎやまん)さん。完全予約制です。直前では予約を取りにくくなっているようですので、お早目のご予約をお勧めいたします。

声に出してお経を読む。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

声に出してお経を読む。

先行きが見通せない状況で、メンタルをいかに強くしなやかに保つかが問われているなぁ、と感じる今日この頃。発想を転換して新しい習慣をとりいれるタイミングなのかもしれません。仕事においても私生活においても。

わたくしごとではありますが、自分をニュートラルに保つ工夫の「自分一人でいつでもできること」として、「お経を唱える」がじわじわ効いているように思います。実のところ日ごろ仏教徒であるという自覚はほとんどありませんが、信仰に関わらず、読経も写経も座禅も、開かれているもの、良いものは、誰でもどんどん取り入れたらよいと思っています。そういえば、欧米のビジネスエリートの間で流行っているという瞑想などは、その最たるものかもしれませんね。

「声に出しての音読が脳に良い影響を与えるらしい」のは、以前に『脳と音読』という本もご紹介しました。では、声に出して何を読むか。たとえば論語でも、詩でも、絵本のお話でも、好きなものなら何でも良いのだと思います。その選択肢のひとつに、お経もあるよ、と。

わたしがお経の音読が気に入っているのは、読んでいて、さっぱりことばの意味がわからないから。もちろん、お経の言葉(文字)自体には、意味はありますが。そして、音の流れの調子が、心地よいから。もちろん、すらすらと読めるようにならないと、心地よい調子にはならないのですが(笑)。

意味を考えずにただ音として読む。ふだんの会話で使う言葉ではなく、読み慣れない音なので、そこに集中せざるを得ません。結果として、余計なことに頭を働かせることがなくなります。なるほど没頭とはこういうことかと思いつつ。

お経は実は生きている人たちのためのもの。「平らかな心」を保つことこそが「禍」を乗り越えるのに役立つということ。これらを会得するために、般若心経を唱えることが必ず力になるということ。…というのは、ダライ・ラマ14世の講話の受け売りですが。 なにかやってみようと思っている方、試しにお経を読んでみませんか。

ご近所のお茶屋さん。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ご近所のお茶屋さん。

あちらこちらからいただく機会も多いお茶ですが、無くなったら「ちょっと買ってくる」と走れる距離にお茶屋さんがあります。

種類・ランクごとに分かれたお茶缶が並んでいる店内の景色が嬉しいお茶屋さん。「今日はいくらの茶葉をいただこうかな」と軽く悩みつつ、結局は「自家用だから」と、いつもの緑茶の葉っぱをオーダーするのが常ですが。ときどき、ほうじ茶の葉っぱも追加。

お茶屋のお母さんと、なんてことない会話を交わしつつ、「このお茶を100グラムお願いします」と言って、目の前で量っていただくお茶は、なんだかとっても嬉しいのです。

「10、20、30日は1割引きなんですよ!」と教えていただいてから、その日に買いに行こうと思いつつも、いつも「お茶っ葉きらしてた…」と気づくのは0の付く日ではなく(笑)。欲しいときに、欲しい量をいただけるという贅沢の方が勝るから良いのです。

写真は、いつものお茶。今朝は藤吉憲典の桜散し文蕎麦猪口で。食後のお茶の楽しみです。

今月の書道部。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今月の書道部。

思いがけず長い春休みとなった息子の一文字は「暇」(笑)写真はお手本用にダンナ藤吉憲典が書いた「暇」。口に出して言う「ひま~」も、漢字にするとなんとなく印象が変わるのが面白く。

書道部だからといって、季節感のある言葉や四文字熟語など、それっぽい字やことばを書かなければならないということはなく、思いついたことを書けばよいのです。気持ちよく文字を書くのが一番。

一方で、実際に筆を握り、半紙に向かい、書いてみると、「あれ、ちょっと違う」ということもあり、そんな時は、書く文字を変えてみる。自分で「この字(あるいはことば)を書きたい」と思って書きはじめたけれど、取り組んでみたところ実はそんな気分ではなかった、ということは結構あるものです。

そんなわたしの今月の文字は、これ。

そろそろヨモギを摘みに出かけたいところです。

いい道具は美しい。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

いい道具は美しい。

尊敬するご近所の金工アーティスト、千場昌克さんAtelier FERのおろしがね。昨年末に注文していたものが、出来上がりました。真鍮(しんちゅう)の本体に、おろす面には錫を引いてあり、持ち手には木がかぶせてあります。

Atelier FERのおろしがね

こちらは裏側。写真では伝えきれない美しさです。こういう時、写真の腕が無いことが悔やまれます。ぜひ実物を見て欲しいです。美しいだけでなく、使い勝手も素晴らしい。握りのカタチと太さ、おろしがね面のカタチと広さ、持った時の軽さ。

使い勝手とデザインを両立する技術と感性を要する仕事。道具づくりは、実際の生活場面でどのように生かされるかをイメージする想像力と、それを形にする創造力が問われます。こういう仕事をできる人は、アーティストとしての作品の完成度も素晴らしく高い方が多いのですが、 Atelier FER 千場さんはその最たる一人だと思います。

数十年ぶりに手に入れた新しいおろしがね。嬉しくて、しばらく大根おろしが食卓に載り続きそうな藤吉家です。

今年も藍の家でお雛様。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今年も藍の家でお雛様。

毎年楽しみな、藍の家のおひなさま。藍の家は、我が家の近所、津屋崎千軒内にある、登録有形文化財の古民家です。お散歩がてら見に行って参りました。この距離感が、なんともありがたいです。

歴史を感じる立派なお雛様がいくつも。古いものは90年近く前のものとか。ちゃんと残っていることがすごいですね。「もう飾る場所がないから」と寄贈されることも少なくないようです。個人のお宅にあれば、親族以外の多くの人に見てもらう機会は少ないであろうお雛様。こうして公の場に飾られることで、たくさんの人が見ることができるのは、とても嬉しいことですね。あやかってわたしも眼福^^

上は、お座敷正面で出迎えてくれるお雛さま。周りにはたくさんの鞠(まり)が下げられ、華やかな空間になっています。

わたしは、お人形よりも、まず道具に目が行きます。小さくても美しく丁寧に作られた道具の数々。ミニチュアを愛でる楽しさは古今東西変わらないものなのだろうな、とつくづく。

ここに写真で上げていない、素敵なお雛さまがまだまだありました。藍の家の二階には、民俗資料を飾ってあるスペースもあります。お雛様は3月いっぱいは展示してあるようです。津屋崎方面お越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいね♪

春の風物詩。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

春の風物詩。

いかなごのくぎ煮。いつのころからか、兵庫県に住む友人が毎年作って送ってくれます。今年もつい先日、届きました。これが届くと、もうそんな季節ね、と思います。

いかなご漁はこのところ厳しいようで、解禁しても不漁で高値とか。年々価格が高騰している様子が伝わってきます。「今年はこれだけしかつくれなかった!」と言いながら、くぎ煮をつくって送ってくれるお友だちの気持ちに感謝。

うん、美味しい。ご飯もお酒も進みます^^

写真で使っているのは、藤吉憲典の染付花鳥文木甲縁小皿

今年もお雛さま。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今年もお雛さま。

2020年桃の節句は、ゆっくりと家で寛いでいる人も多いかもしれませんね。我が家の中学生も、思いがけず長い春休みがスタートし、早くも暇を持て余し気味。それを横目に、自営業の我が家では淡々と仕事を進めています。

いつもと違うことや不確実な要素が多いときほど、「いつもの」を大切にすることが「マイペース」の維持につながると感じています。というわけで、写真はいつもの花祭窯の金襴手雛香合。檜扇を持たせそびれたが故に販売自粛した雛香合ですが、おかげで毎年、花祭窯の三月の主役として彩りを添えてくれています。

香合ですから、手に収まるサイズで動かしやすいです。雛段や付属のお飾りがありませんので、出すのも仕舞うのも簡単。今年は木目の美しい平台に載っていただきました。気軽に飾れるからこそ、面倒くさがりのわたしでも、毎年引っ張り出すことができます。家で楽しむ季節のアートこそ、「展示しやすさ」が問われるなぁ、などと学芸員目線で思いつつ。

小さくて、飾りやすくて、存在感のある金襴手雛香合。子どものころ家には雛飾りが無く、お友だちを羨ましく思ったりもしていましたが、大人になって最高のお雛様が毎年側に居てくれる嬉しさを味わっています。

続々・あらためて蕎麦猪口、文様編。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続々・あらためて蕎麦猪口、文様編。

文様編、つづきの続きです。

江戸時代中後期、江戸の庶民に広がった蕎麦やうどんとともに、蕎麦猪口も広まっていきます。いわば、庶民文化。文様がたくさん生み出されたと同時に、たくさんの数の蕎麦猪口が生み出されました。

これはつまり、職人たちによる「大量生産」が始まったことを意味しています。肥前磁器の制作工程は細かく分業化されており、「絵付け」ひとつとっても、染付(藍色)の線描き、ダミ(色塗り)、赤絵の線描き、赤絵のダミ(色塗り)と分かれます。さらに線描きのなかでも「器裾の二重線ばかり描き続ける人」「口縁の文様ばかり描き続ける人」「メインの文様を描く人」など…。

それぞれの職人さんは、文様全体ではなく「部分」だけを描き続けるため、次第に文様の意味を考えることなくスピード重視になっていきます。繰り返し、複数の職人さんの手で描き継がれることにより、元の文様が何であったか不明なものが、たくさん生まれました。描き間違えたり、省略してしまったりしたものが、そのまま引き継がれた結果です。

そんな背景もあって、文様の解釈も、時代により、地域により人により実にさまざまです。どの解釈が正しいということではなく、扱う人がそれぞれに自分なりの解釈をして想像を広げていくことも、文様の楽しみの一つであると思います。

だからこそ、現代に蕎麦猪口を作る藤吉憲典のスタンスは、「古典をきっちりその通りに写す」のではなく「最初の一作目の気持ちで、丁寧に写し直す」。縦長の線一本とっても、上から下に向かって描くべきなのか、下から上に向かって描くべきなのかは、それがもともと何を描いたものなのかによって変わってくるのです。

蕎麦猪口という限られた形状に広がる文様世界。日本の四季の美しさ、江戸の人々の生活、異国文化の影響など、扱う人の想像力とともに、世界はどんどん広がっていきます。文様に込められた願い、縁起のいわれなどを知ることで、蕎麦猪口を一層楽しんでいただけるといいな、と思っています。

このブログでも何度もご紹介していますが、やきもの文化は「写し」の文化です。「写し」については、こちらにもご紹介しています。

※『蕎麦猪口の文様小話』「ふじゆりの蕎麦ちょこ蒐集」編より 、一部加筆修正。

続・あらためて蕎麦猪口、文様編。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続・あらためて蕎麦猪口、文様編。

文様編の続きです。

日本の磁器文化は、1600年初頭に朝鮮半島から伝わり、その後中国大陸のやきもの文化・技術に学び、独自の進化を遂げてきました。その歴史、約400年。やきものの文様世界には、中国・朝鮮の文化が影響しているのはもちろん、遠くインドやペルシャ文化の流れを感じさせるもの、仏教文化の影響を感じさせるものもあります。

こうした渡来文化を倣いつつ、日本(肥前地域=現在の佐賀)の季節や自然など陶工たちの生活文化のなかにある身近なテーマが加わったり、蕎麦猪口が運ばれ使われた江戸の風俗が反映されたりして、日本独自の発展を遂げていきました。

日本の四季折々の美しさが描かれた蕎麦猪口は、季節により器を変え、器で季節を感じる和食文化を、手軽に感じることができる道具のひとつ。蕎麦猪口と呼ばれる筒型の器ひとつの形に、「桜」ひとつとっても百種を超える文様がデザインされているとも言われています。

次回はその文様を「引き継ぐ」ことの実際についてお話します。

※『蕎麦猪口の文様小話』「ふじゆりの蕎麦ちょこ蒐集」編より 、一部加筆修正。