おくんちの太鼓の練習が始まりました。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

おくんちの太鼓の練習が始まりました。

毎年10月初旬に行われる、波折神社の秋祭り。今年は10月8日(日)です。

波折神社の秋祭りは、地域を練り歩く行列が見もの。飾り神輿に神事の装束を身に着けた男衆、巫女さんの格好をした女の子、そして子どもたちがたたく太鼓の列。その太鼓の練習が始まりました。

太鼓をたたきながら歩くのはけっこうたいへんです。歩く距離が7~8キロはあるのではないでしょうか、2~3時間かけて練り歩きます。けっこう長いので、数カ所に休憩所が設けられていますが、歩いている間は、子どもたちが順番に入れ替わりながらたたき続けます。

毎年、練習スタートの日にはつっかえたりしながらの太鼓も、一日一時間の練習でみるみる上達していくのを見ていると、子どもってすごいなぁ、と思います。太鼓の音が途切れないように、歩きながら入れ替わるのにもちょっとしたコツがあって、これも練習することによってスムーズにいくようになります。

地域のおじさんたちが子どもたちを指導してくださるのがありがたいです。一時は年々太鼓の参加者が減少していたようですが、ここ1~2年はまた参加者が少しづつ増えてきました。

ずっと続いて行って欲しい、津屋崎の地域行事のひとつです。

 

 

 

中学生職場体験2017スタート。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

中学生職場体験2017スタート。

5年目となる職場体験がはじまりました。今年も地元の中学校から二年生の二人が来てくれています。

毎年恒例の駐車場の草むしりからスタート。続いてお願いしたのは「陳列棚のお手入れ」。普段なかなかできないこと・後回しにしがちなことを、中学生の手をお借りしてやってしまおう!という魂胆です。

上の写真がその棚ですが、6年前に棚を制作して以来、掃除はするもののきちんとした「手入れ」ができずにおりました。今回は、一旦すべてのうつわを移動して、棚板を滑らかにするため「やすり掛け」を中学生に依頼。地味な作業ですが、歌を歌いながら楽しんでやってくれた結果、思いのほか短時間で仕上がりました。ありがたい限りです。

そして今朝は、これまた恒例の「デッサンと成型のための貝殻拾い」で、ダンナと浜辺を散歩。干潮時を見計らって浜に出るのですが、今日は貝殻が少なかったとのこと。それでもめいめいに拾って帰ってきました。

午後は、その貝殻のデッサン。デッサンの仕方のコツは、ダンナが簡単に教えてからスタートしますが、同じ中学2年生でも毎年反応が異なるのが興味深いです。それが個性なのかもしれませんが、「個性」という一言で表現してしまうにはもったいないような、多様性。

明日は干支の資料集めと、デッサンした貝殻を陶土を使って形にしていく作業です。楽しんで取り組んでくれるといいな、と思いつつ。

 

 

 

読書:『リーチ先生』

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

『リーチ先生』原田マハ(集英社)

上の写真は、本の内容とはまったく関係がありませんが(笑)。

原田マハさんの本を読むようになって、このタイトルの本が出てから、気になりつつ、敬遠したい気持ちもありつつ、であったのですが、ついに手に取りました。464ページ。分厚い本でしたが一気に読みました。

なぜ敬遠したい気持ちがあったのかというと、「リーチ先生」つまりバーナード・リーチということは陶芸の話ということであり、陶芸業界の話になると、どうしても批判的な視点が働いてしまうような気がしていたからなのでした。

が、読んでよかったです。なによりお話としてとても面白かったこと。そしてわたしにとっては、「史実を基にしたフィクション」ということを理解したうえで、民芸運動がおこった時代背景や空気感を知る、格好の陶芸近代史料となりました。

この小説のなかに出てきた、わたしにとっての「!」はみっつ。


●好いものは、好いのです。理屈はいりません。(『リーチ先生』原田マハ より)

リーチ先生のセリフとして書かれていたこの言葉は、わたしにとって、花祭窯がはじまってからずっと心のうちにあるものでした。はなから言葉による説明が必要なものは、「好いもの」とは言いにくい。「良い」ではなく「好い」という漢字を使っているのも納得です。価値判断の根っこにあるのは、結局は好き嫌い。それが自然だと思うのです。

有名な人が無名であることの素晴らしさを説く、というのは、なんだか奇妙な気がするのだが。(『リーチ先生』原田マハ より)

「民藝」というものを定義付けた人たちに対して、わたしがずっと抱いていた疑問そのままでした。導入部分の章でさらっと書いてあった一文でした。たった一文でしたが、民藝運動の結果としての「民藝」の位置づけに対してある種の違和感を感じていたのが自分だけではなかったことがわかる表現で、少しほっとしたのでした。

仕事に向かい合うために、何よりも大事なのは、情熱だ(『リーチ先生』原田マハ より)

本物のバーナードリーチがこのように言ったかどうかは知りませんが、こと「やきもの」の仕事に関していえば、ほんとうにそう思います。知識や技術はあとから身に付けていくことができますが、情熱だけは自分のなかから出てくるものですから、後付けするのが難しい。それに、情熱が無くても「仕事」として割り切ってやっていくというスタンスの人にとって、やきものの仕事をわざわざ選ぶ利点はそれほど大きくないように思うのです。


わたしの原田マハさん追っかけはまだ続きそうです(^^)

食事を通して見える世界@郷育カレッジ

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

食事を通して見える世界@郷育カレッジ

花祭窯のある福津市には、市民のための生涯学習の仕組み「郷育カレッジ」があります。

先日、そのひとつである食育講座「食事を通して見える世界」に参加してきました。

講師は九州大学大学院生の竹内太郎さん。自ら自炊や保存食づくりを実践し、九州大学の自炊塾、むなかた自炊塾の運営を手伝っておられます。むなかた自炊塾については、以前にもご紹介をしました。

むなかた自炊塾で食育を考えた。

今回の講座では、大学院では日本の近代史を研究なさっている竹内さん独自の切り口で、「日本の食事文化」と「伝承の重要性」を考える時間となりました。

講座のなかで最も心に残った竹内さんのお話は、「伝承」の考え方。「教えてもらったことを次の世代に伝えていくことが、それを教えてくれた人が生きていたことの証になると思う」というものでした。

両親、祖父母、先生、近所のじいちゃんばあちゃんが教えてくれたことを、子ども、孫、近所の子に伝えていく。血がつながっていてもそうでなくても、教えていただいたことを誰かに伝えていくことで、それを教えてくれた人の存在を次世代に残していくことができる。

そしてそれは文字や言葉による情報だけでなく、味であったり、知恵であったり、景色であったり…。「教えてあげたこと、教えてもらったこと」が引き継がれていくことが、人の生きた証になる。素敵な考え方だな、と思いました。

 

その仕事の先。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

その仕事の先。

花祭窯に中学生がやってくるのはまだ少し先ですが、今日はいつもお世話になっている桐箱屋さん=お隣にある古賀市の増田桐箱店さんが、職場体験中の中学生を連れていらっしゃいました。

本日が体験最終日ということで、「できあがった桐箱が使われている現場」を見るための窯元訪問です。「お伺いしてもいいですか」の打診をいただいて、なるほど!是非にとお越しいただきました。

すべての会社や商品は、その会社・商品だけで成り立っているのではなく、その手前にある仕入元や、その先にある得意先との関係性のなかで成り立っています。そんなあたりまえのことも、実際にその「手前」や「先」が見えないと、ひとつの会社のなかで完結しているような気になってしまうかもしれません。

やきものができあがる→桐箱屋さんに測りに来ていただく→桐箱屋さんが箱をつくって納めてくれる→納品された箱に箱書きをして次第を整える→お客さまのもとへ送る

このような一連の流れのなかにある桐箱屋さんであり、窯元であり。この仕事の先には誰がいるの?を知ること、意識することの大切さをあらためて考える機会にもなりました。

 

 

九月のお干菓子。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

九月のお干菓子。

和菓子このわさんによる季節のお干菓子。すっかり毎月の愉しみになっています。お客さまにお茶をお出しするときに、お茶菓子が季節のエピソードを添えてくれるというのは、あらためて嬉しいことだなぁ、と感じます。

さて今月は柚子を持ってきてくださいました。季節的には少し早いのかな?と思いましたが、そろそろ青い柚子から収穫期に入るようですね。九月に入って朝晩涼しくなってきたところ、季節をちょっぴり先取りするのもまた贅沢です。

上の写真、お皿は浅葱(あさつき)の楕円小皿を使ってみました。藤吉憲典のオリジナル。創業時から作っているロングセラーです。浅葱、つまりネギの花をデザインしたものなのですが、ぱっと見た感じで受ける印象はヒガンバナ。柚子のお菓子を載せたら、朱色・薄いグリーン・黄色が楽しい一皿になりました。

もうひとつ、黄瀬戸の豆皿に載せてみたら、こちらはお月さまのような雰囲気に。

さて今回のお干菓子、なんと命名しようか、思案中。

浅葱楕円小皿はこちらで詳細ご覧いただくことができます(^^)

 

 

お師匠さんの教え。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

お師匠さんの教え。

九月に入り、お茶のお稽古再開です。わたしの入門している茶道南方流では、毎年八月は夏休み。ただでさえなかなか覚えないところに、ひと月のお休みで手順がすっかり忘却の彼方、と言い訳しながら…。

でも、根本的にたいせつなことは残るものですね。夏休みに入る直前に、ふだんはなかなかお稽古を見ていただく機会のない、お師匠さんである和尚さんにご指導いただく好機を得ました。そのときにいただいた言葉が、ずしんと残っていました。

ごまかさないこと」。

お点前のお稽古の後に、いただいた言葉です。いや、ほんとうに恥ずかしかったです。意識のうえではごまかす気持ちなどまったく無いつもりでしたが、「作法がうろ覚え」であることを知られたくない気持ちが無意識に働いたのでしょう。ゆっくり丁寧に、お客さまにもよく見えるようにすべき作法が、手先でさっさと済ませるような形になっていたことを、指摘されたのでした。

恥ずべきは作法の手順を間違えることではなく、そこに心が伴わないこと。

教えていただいたことをしっかり心に留めて、秋からのお稽古です。

 

イメージ以上。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

イメージ以上。

久しぶりにこの言葉を聞きました。朝から窯を上げる作業をしていたダンナ、今回の窯に入っていた最新作の青磁の壺を持って、ごきげんです。

独立してから20年、窯元勤め時代を合わせると四半世紀、磁器制作をしてきている藤吉憲典。新たな技法で取り組んだ新作であっても、窯から出てきたやきものの姿があらかじめイメージ出来ていることは、作り手本人にとってはある意味あたりまえになっています。

それが今回は「イメージ以上に良くあがった!」のですから、相当嬉しい様子。電気とガスでコントロールしている磁器の窯であっても、やっぱり「窯の火」という要素による不確実性は、やきものの面白さなのだなぁ、と思います。

作り手のイメージ以上に良く上がった青磁の壺ふたつです(^^)

 

 

 

 

カボス収穫。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

カボス収穫。

週末は花祭窯の創業地、佐賀・花祭の草刈りに行ってきました。夏の間に茂った草木、特に木をなんとかしないといけないなぁ、と思いながら。蔓(つる)植物が木を伝って上へ上へと延びていくので、蔓を外しながら草刈り枝落とし。蔓の正体のひとつは葛(くず)。紫色の葛の花が美しくて、甘い香りがして、ついつい手が止まってしまいます。

花祭にはいろいろと果樹を植えています。梅雨時の梅、夏のブルーベリー、初秋のカボス、秋の栗と柿、冬の金柑。定期的に収穫ができるといいのですが、採り頃が短いと、そのタイミングで花祭に行けないこともあり、悩ましいところです。

山間部にある花祭は、すでに稲刈りが終了していました。あぜ道には、これから咲こうとしているヒガンバナと思しき緑の茎がすっくと並んでいました。毎年その季節になると実りをもたらし、旬を知らせてくれる果樹や草花。えらいなぁ、とつくづく思います。

これから冬に向かっては、草木の伸びも少しは緩やかになるでしょう。実はこのシーズンこそが、木を伐り整える好機なのだと思います。今年のうちに、庭を少しは整えよう!と、ここで宣言(^^)

 

文様の話、紫陽花。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

季節外れですが、久しぶりに色絵の紫陽花文様を描いてもらったので

文様の話、紫陽花(あじさい)。

紫陽花の文様も、江戸時代の古伊万里にも描かれている古典文様のひとつです。染付つまり藍色だけで描かれている場合が多く、それはそれで、藍色の濃淡による表情の違いがなんとも美しくもあるのですが、個人的に、より好きなのは、色絵で描かれた紫陽花です。

梅雨時は雨の日やはっきりしないお天気が多く、だからこそこの季節に花開く紫陽花の色彩の鮮やかさに心惹かれる人が多いのだな、と感じます。器に描かれる紫陽花もまた、色彩の鮮やかさが嬉しい。それが、わたしが「色絵で描かれた紫陽花」が好きな理由なのだと思います。

錦紫陽花文蕎麦猪口 藤吉憲典

紫陽花の花の楽しさは、小さな花(=ガク)の集合であること。これを丁寧に描いて可愛らしく美しく表現するのは、とても集中力が必要なようで。実際、描くところを見ていても、とても細かい作業の連続で、頭が下がります。

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