読書『FACTFULNESS (ファクトフルネス)』(日経BP社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(日経BP社)

ハンス・ロスリング氏とその息子夫妻による本書。日本での出版後、すぐにあちらこちらの書評で取り上げられ、ぜひ読まねば!と思っていたのが、今になりました。

読むのがずいぶん遅くなってしまったなぁと、やや反省していたのですが、初版の発行日を確認したところ2019年1月15日。まだ2年は経っていないのですね。今年1月来のコロナ騒動を経た今読んだのは、わたしにとってベストタイミングだったかもしれません。

イントロダクションに書かれていた「(カー)ナビの情報が間違っていたら、目的地にたどり着けるはずがない」の一文に、この本で伝えたいことの本質を感じました。目指す目的地にたどり着きたいならば、正しい情報を基にしなければなりません。

では、「正しい情報」は、どうしたら手に入るのでしょうね。そして、何をもって「正しい」と言えるのでしょうね。

個人的には前々から、「統計データ」は「ある仮説を裏付けるために算出された数字」であるというイメージを持っています。数字もまた、それだけでは根拠となりえません。よく「『真実』はどこから見るかで変わるけれども、『事実』は変わらない」というような言葉を聞きますが、さて。そのわたし自身の疑問への答えのひとつが「訳者あとがき」にありました。

『FACTFULNESS』の訳者は、関美和氏と上杉周作氏。訳者あとがきで上杉氏が「事実に基づかない「真実」を鵜呑みにしないためには、情報だけでなく、自分自身を批判的に見る力が欠かせません。」と書いていらして、ドキリとしました。いわく「「この情報源を信頼していいのか?」と問う前に、「自分は自分を信頼していいのか?」と問うべきなのです。」と。

今日も報道されるいろいろな数字を前に、思い込みを排除し冷静に判断できる態度を養ってゆかねばと、あらためて考えさせられた一冊でした。

藤吉憲典公式サイトをリニューアルしました。

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藤吉憲典公式サイトをリニューアルしました。

藤吉憲典公式サイト https://fujiyoshikensuke.com/

前回に引き続きウェブ制作を担当してくださったのは、福岡を拠点にご活躍のウェブデザイナー・ハラプロ原田大輔さん。そして今回も、いつも作品を撮ってくださるabc pictures 赤司憲壕さんの写真に、大いにお世話になっております。おかげさまで、格好良いサイトが出来上がりました。

リニューアルのキーワードは「シンプル」でした。見る人にとってシンプルか、運営する側にとってシンプルか。新しいサイトのポイントは、主に次の3つです。


一.これまで二つに分かれていた英語版と日本語版を一体化しました。

これまでは「英語版=海外向け=アートメイン」、「日本語版=国内向け=器メイン」という見せ方になっておりましたが、「藤吉憲典の仕事としてどちらも見ることができるのが面白い」というご意見をいただくことが増えてきました。また「アート」「器」という線引きが難しいものも多く、それなら無理に分ける必要はないのでは!?という結論にたどり着いたのでした。藤吉憲典の仕事を丸ごとご覧いただけるようになりました。

二.お問い合わせ方法のご案内を増やしました。

コンタクトフォーム、電話、各種SNSの機能など、コンタクト方法がさまざまにある昨今。お客さまができるだけ使いやすい方法でご連絡できるように、と思いました。お問い合わせへのナビゲーションを増やしたり、大きめに表示したり、ご利用可能な方法をわかりやすく表示することを心がけました。ここはデザイン上の美しさとのせめぎあいもあり、希望だけお伝えして、あとはデザイナーさんに一任。

三.プラットフォームとしての公式サイト。

最新の情報は、フェイスブック、インスタグラム、ピンタレストでその都度発信してまいります(2020年9月現在)。リアルタイムで流れる情報発信を得意とするSNSに対し、公式サイトでは、基本的な情報をしっかり載せることを意識しました。結果として、コンテンツが好い具合に絞られたと思います。その一方で文字が多くなった部分もありますが、興味のある方がゆっくり読んで下さったら嬉しいな、と思っています。


日本語・英語の文章チェックは何度見直しても細かいところが気になり、思いのほか時間がかかりました。ここは自分の責任。特に英語は、どうしても自分の稚拙なレベルが反映されてしまうので、英会話スクール・ブループラネットのトラヴィスさんにチェック&アドバイスをお願いし、助けていただきました。

ウェブ制作の原田さん、写真の赤司さん、英語のトラヴィスさん、皆さんその道のプロであるのはもちろん、藤吉憲典の仕事をよく見ていてくださり、その世界観を大切にしてくださるのがありがたいです。わたしの言葉足らずの説明でも、毎回スムーズに仕事が運ぶのは、ひとえに皆さんのおかげです。今回もたいへんお世話になりました。ありがとうございました!

福津市歴史資料館企画展「新原・奴山古墳群調査研究の現在」。

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福津市歴史資料館企画展「新原・奴山古墳群調査研究の現在」。

9月16日(水)から展示されている、最新の発掘調査結果を拝見してきました。「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群調査研究成果5館連携展覧会のひとつです。他の4館は、宗像大社神宝館・九州国立博物館・海の道むなかた館・九州歴史資料館。

福津市カメリアステージにある歴史資料館では、数は多くはないものの、鉄器・土器・ガラス玉などの副葬品のほか、古墳の建材となった石材も見ることができます。ガラス玉はいつ見ても嬉しくなりますね。また今回個人的に最も興味深かったのは、非破壊検査によるレーダー探査の成果についての説明。「地中レーダー解析画像」見てもよくわからない(笑)ながら、ワクワクしてしまいます。

この「展示資料を見ただけではよくわからない」点については、立派な解説パンフレットがあります。また、なんと!5館の展示担当者による調査研究成果報告会が、2020年10月11日(日)に開催されます。場所は福津市歴史資料館横にあるカメリアホール。定員200名ということですので、興味のある方は、ぜひ早めにお申し込みを。

詳しくは、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群調査研究成果5館連携展覧会の特設サイト https://www.okinoshima-heritage.jp/ でご確認くださいね。

それにしても、地域の古墳を日常的に身近に感じ、発掘調査の結果をその都度歴史資料館で拝見できる環境のありがたさ。あとは現地の発掘調査のお手伝いに行けたら最高ですね。調査はまだまだ続きそうなので、そのうち機会を作れたらいいな、と思いつつ。

読書『点と線』(新潮文庫)

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読書『点と線』(新潮文庫)松本清張

ついに松本清張に手を伸ばしました。はい。松本清張、読んでいませんでした。ほんとうに「読んでいない本」ばかりですね(笑)

この前に『ゼロの焦点』を読んだので、2冊目の松本清張。これまでまったく読んでいなかったにもかかわらず、なんとなく「ゼロの焦点=崖」「点と線=時刻表」というイメージだけはありました。松本清張作品もまた繰り返し映像化されているので、その世界観はもはや読者・ファンだけのものではないのでしょうね。

『点と線』は、昭和32年2月から翌1月まで雑誌『旅』に連載されたものだそうで、わたしが生まれる10年以上前のものでした。舞台のひとつが福岡博多の香椎(かしい)であり、国鉄(現JR)の香椎駅と西鉄の香椎駅が出てきます。小説を読むときはいつもそうですが、自分の知っている土地(場所)が舞台として出てくると、読みたい気持ちが俄然上がるのですから、不思議なものです。

JR香椎駅は普段わたしが博多に行くときに使う路線上にあります。香椎宮がありますし、管轄の税務署もあるため、しばしば使う駅であり、とてもなじみ深い駅。一方、西鉄香椎駅は眺めるばかりで使ったことが無いものの、本文中最初の方に「この電車は、津屋崎という北海岸の港まで通じていて、西鉄香椎駅は、その途中なのだ。」の一文を発見し、津屋崎が登場したことに感激。

西鉄香椎駅の少し先にある新宮駅からここ津屋崎に至る線路は既に廃線となっていますが、名残を感じる風景は近所にも残っています。「つやざき」の地名が出て来たのは、本文中この一箇所だけですが、それでも嬉しく。

ストーリーは、もちろん面白かったのですが、後半がなんとなく駆け足に感じました。前半の描き方の細かさに比べ、最後の「手紙による種明かし」は、描写を端折られてしまったような感じを受けました。「何を中心に書いているのか」という点では、これで十分なのだと思いますが、ストーリーテラーたる刑事だけでなく、他の登場人物たちの心の機微ものぞきたかったと思ったのは、我が儘でしょうか。

と、ここまで書いてから、そういえば最近の小説は「すべてを書き過ぎている」のかもしれないと思い至りました。わかりやすさを求める風潮に、毒されている自分を発見。はっきりとは描かれず、わからない部分が多いということは、解釈の余白・余韻が読者に残されているということ。それこそが、本書の魅力でもあるかもしれません。

栗!

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栗!

花祭窯の創業地は佐賀県。自然の恵みがいっぱいの里山です。梅雨前には梅、夏にはカボス、秋には柿と栗の楽しみがあります。

梅やカボスは収穫期が比較的長いので、毎年その時期に訪れて収穫することができていましたが、柿と栗はなかなかタイミングが合わず、満足な収穫ができずにいました。収穫できなかった柿や栗は、落果して山の動物たちの胃袋へ入りますので、無駄にはなりません。木の周りには、イノシシ、タヌキ、アナグマなどと思しきたくさんの足あとが残っています。

自然がすごいなぁと思うのは、その土地に合うものを、きちんと育んでくれること。佐賀ではいろいろな木、食いしん坊なので主に果樹を植えましたが、すくすくと育つものと、そうでないものがはっきりしています。苗木を買うときはお店の人に「育てやすいものを」とお願いしていましたが、一般に言われる「育てやすさ」とは別の要因があることを感じます。

花祭窯の創業地に関しては、梅、栗、カボス、柿、キンカン、山椒などは、感心するほど自然にすくすくと育ってくれています。桜の木も大きくなりました。それらに対して、みかん、ブルーベリー、イチジクなどは、うまくいきませんでした。もっとちゃんと環境を整えてあげなければならなかったようです。合うもの合わないものがありますね。

さて今年は、タイミングよく栗の収穫期に訪問することができました。全部ではありませんが、これまでで最もたくさん収穫することができて、大喜び。食欲の秋スタートです^^

読書『舟を編む』(光文社文庫)

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読書『舟を編む』(光文社文庫)三浦しおん

「本屋大賞」を受賞した時に、読みたいなぁと思いながらそのままになり、松田龍平主演で映画化されたときに、これは観たいと思いながら見逃しておりました。忘れかけていたつい先日、偶然図書館で文庫版を発見。

最初から最後まで、なんともやさしい空気が流れていました。もちろん切迫したシーンがあったり、気持ちが昂るシーンもあったりするのですが、全体を安心感が貫いているとでも言いましょうか。結末に対する期待は裏切られないはず!と、著者に対する信頼をもって読むことができました。

それにしても、「辞書編纂の仕事を小説にする」ことを、思いつくのがすごいな、と思いました。そのために、膨大な取材をしたのだろうな、ということも。小説やテレビドラマや映画などで「仕事」をきちんと描くとヒットするという定石を聞いたことがありますが、それにしても辞書編纂とは。でも、かつて誰もが一度は手に取ったことはあるという点では、「辞書」を中心に置くのは、マニアックなようでありながら、実は普遍性の高さも担保しているのかもしれません。

ともあれ、読後がさわやかな一冊でした。見そびれた映画も、DVDで観なければ。三浦しおんさんの著作は、映像化されているものも多いですが、実は本を読んだのはこれが初めてでした。これをスタートに、読み広げていこうと思います。

カメリア図書館選書ツアー2020。

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カメリア図書館選書ツアー2020。

選書ツアー。ふだんお世話になっている図書館に並べたい本を書店で探し、図書館で購入する本の候補リストをつくるツアーです。例年は博多駅そばにある紀伊國屋書店に出向き、膨大な数の本のなかから1時間ほどかけて選んでいきますが、今年はコロナ対策で、カメリア図書館内での催行となりました。

2019年の選書ツアーのレポートはこちら

図書館カウンターで選書ツアーの受付をすませたら、バックヤードへ。館内開催とのご案内でしたので、ネットを使って探したりするのかしらと想像していましたが、そこにはなんと、ミニミニ紀伊國屋書店さんができていました!これはまったくイメージしていませんでしたので、驚くやら嬉しいやら。

細長いバックヤードスペースに、本屋さんのようにジャンル別に本が並んでいたのです。紀伊國屋さんからスタッフの方がお見えで、選書の方法も博多の書店で行うときとまったく同じ方法でした。当然ほかにお客さんはいないのに、首からかける「選書中」のカードまでも完備。思いがけない演出に、思わずにんまりしました。

カメリア図書館内に現れたミニミニ紀伊國屋書店。限られたスペースですから、本の数は博多の書店の何万分の一にも満たない数だったのではないかと思います。ですが、全体の冊数が限られていたからこそ、そのなかからカメリア図書館に置くべき本を選ぼうと、ふだんは立ち寄らないジャンルの本へも注意が向いて、かえって自分自身の視野は広がったように思いました。

実のところ、例年は「わたしが読みたい!」が先に立ち、「それに、皆にもおススメしたい」という「我」の強い選び方でした。でも今年は「この本は子どもたちに読んで欲しい」「これは息子世代におすすめしたい」と、他者への視点を優先的に取り入れることができたように思います。どんな環境で選ぶかによっても、こんなに選び方が変わってくるものなのですね。

それにしても、今年は開催は無理かなと思っていたところ、形を変えて継続してくださったカメリア図書館スタッフの方々の熱意と工夫に、頭が下がりました。今年に限らず、博多まで行くのは難しいけれど、図書館内で出来るのなら参加したい!という方もあると思います。館内の開催で、選者を小中学生に絞った選書ツアーがあってもいいかもしれませんね。

いつもと同じようにできなくても、新しい発想や可能性が広がるなぁと感じた選書ツアーでした。毎年2-3冊でも、自分の選んだ本が地元の図書館に並んでいくというのは、とても嬉しくありがたいことです。今回は、紀伊國屋さんからお土産に「紀伊國屋書店のブックカバー」(いつも紀伊國屋書店で本を買うとつけてくれる紙のやつ)が!「ブックカバーつけてもらう派」なので、とっても嬉しかったです^^

ごまかす=胡麻化す。

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ごまかす=胡麻化す。

週末の朝はパンの仕込みからスタート、とはいってもホームベーカリーに材料を投入してスイッチを押すだけですが(笑)ここ数年、基本の材料として投入しているのが、胡麻(ゴマ)。黒ゴマでも白ゴマでも金ゴマでも、すりおろして大量に投入するマイブームが続いています。写真は、黒ゴマをすりおろしているところ。

「ごまかす」という言葉が好きになったのは、数年前から。「誤魔化す」といえば読んで字のごとく、誤りをうやむやにしたり、上辺をとりつくろったり、というニュアンスですから、好い印象のものではありません。が、ある日某料理研究家のひとことで「ごまかす」の解釈が大転換したのでした。

いわく「ごまかすって『誤魔化す』じゃなくて、『胡麻化す』なのよ。どんな料理も、胡麻をすりおろして入れるだけで、コクが出て美味しくなる。だから、胡麻を入れて美味しくしちゃうことを『胡麻化す』って言うのよ!」。というようなことをおっしゃったのです。

まあ、ビックリしましたが、大きく納得。たしかに胡麻を入れるほんの一手間で、コクが出たりまろやかになったり、料理の味が少しランクアップするのは、経験上よくわかります。それ以来、わたしのなかで「ごまかす=胡麻化す」になりました。ほんのちょっとの一手間を加えて、もっと美味しくすること。

おかげで今日も、黒ゴマパンが香ばしく美味しく焼きあがりました^^

ハンズオン=「触る」を考える。

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ハンズオン=「触る」を考える。

接触のプロ・国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎先生による、学芸員技術研修会「ユニバーサル・ミュージアム」から1週間が経ちました。この1週間、日常のなかで意識的・無意識的に「さわる」の捉え方が変化している自分を感じています。

「ハンズオン」は、美術館・博物館的には「さわる展示」であり、教育普及活動における体験型の学習を指しています。美術館・博物館での展示といえば、基本的には「手を触れないでください」のスタンスがほとんど。そのなかで「触れるもの」を選び出し、触る体験を含む鑑賞教育を進めていこうという動きは、全国的に広がっています。

そもそもわたしが「さわる」ことへの関心を持ったのは、花祭窯のおかみとして仕事するようになった20年以上前からのこと。やきもの素人だったわたしが陶磁器の勉強からスタートするにあたり、骨董品も現代ものも、「実際に手に持ってみる、触ってみる」ことで得られる情報は、質量ともにとても大きなもの。「見ただけではわからない」ことのなんと多いこと。そのため、美術館・博物館だけでなく、手に取って見ることのできるギャラリーや骨董店に足を運んで学んでおりました。

おススメする立場になると、さらに「さわること」の意味の大きさを感じるようになります。「作家ものの和食器」の良さをお伝えするにあたり「実際に手に持った感じがどうか」はとても重要です。だからこそ、その場所を提供してくださるギャラリーさんには、ほんとうに感謝しています。

よく工芸品などにおいて「手づくりの良さ」といわれることがありますが、こと食器をつくる作家においては、単に「手でつくったから温かみがある」などというぼんやりしたものでは意味がありません。手や指にあたったときの感触、持った時の重さ、重心の位置による持ちやすさのバランスなど、制作工程において実際に手で扱っているからこそ気づき、修正できるきめ細やかさがモノに反映されてこその「手づくりの良さ」なのです。

花祭窯のギャラリーにお越しになるお客さまとお話していると、ほんとうによい器を探しておられる方は、必ず自分の手にとって、丁寧にご覧になります。ワレモノを扱っているわけですが、こちらが注意を促す必要もなく、さわるマナー(なぜ触るのか=作法、どう触るのか=技法)が身についておられる方がほとんどです。一方、せっかくご来店なさっても、絶対に触ろうとしない方がいらっしゃるのも事実。そういう方々が花祭窯で器をお買い上げになることは、まずありません。

学芸員技術研修会「ユニバーサル・ミュージアム」のなかで広瀬先生のおっしゃった「拒触症」の言葉に、強烈なものを感じました。「見ればわかる」という思い込みや、視覚偏重が進む世の中への危機感を内包した言葉です。いろいろなものが画面越しに済ませられる時代になってきたからこそ、触ること・体感することの価値はより大きくなるように思います。

わたし自身、「触覚」をもっと磨いていきたいと、あらためて思う今日この頃です。

読書『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)みうらじゅん

台風避難のお伴に、本。わたしが避難グッズとともに持ち込んだのは、台風の緊張を少しでも解きほぐそうと、避難所に隣接する図書館で「みうらじゅん」を借りてきました。読みはじめてすぐに「あ、これ読んだことあった!」と気が付きましたが、何度読んでも面白いものは面白いので、良いのです。

笑い声を押し殺しながら読みましたが、この本は本人による「みうらじゅんの仕事術」であり、ジャンルとしては「実用書」「ビジネス本」に入れてしかるべき内容です。誰にでもできることではないことをやり続けている凄さが、ひしひしと伝わってきます。

個人的に引っかかった、みうらじゅんのキーワードは、次の通り。


  • 一人電通
  • 自分を洗脳する
  • ブームとは「誤解」
  • 本質を突く
  • 母親に向けて仕事をする
  • 言い続けること
  • まだないことを描く
  • 自分なくしの旅
  • 「空」に気づく
  • 子供の趣味と大人の仕事

以上『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)より


でも、実は巻末のみうらじゅんと糸井重里との対談の中に出て来た、糸井さんがみうらじゅんに対して言った言葉というのが一番引っかかりました。いわく「かまぼこ板に『みうらじゅん』って書いて商売しろ」。自分の表札で仕事をするということを説いたこの一言に、さすが糸井さんは「ことば」を職業にする人なのだなぁ、と思いました。