あらためて蕎麦猪口、文様編。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

あらためて蕎麦猪口、文様編。

に続いての三篇目は文様について。

現代作家として、藤吉憲典が蕎麦猪口にどのように文様をつけているか。これは蕎麦猪口以外の和食器にも当てはまるところがありますので、「蕎麦猪口」と書いているところを「器」と読み替えていただいても大丈夫です。

一般に、やきものにおける和食器のデザインは、古典文様の写しが引き継がれていることが多いです。これは藤吉に関しても同じく。今、我が家の展示スペースに並んでいる器の顔ぶれを見ても、八割から九割方は、江戸時代の古典に倣い、発展させたものです。

骨董の世界でも収集者の多い蕎麦猪口の面白さ、人気の秘密のひとつは、バラエティに富んだ文様世界。研究者により数百種、数千種ともいわれる多様な文様が大きな魅力です。

骨董品の実物や破片あるいは写真資料で垣間見ることのできる、蕎麦猪口に描かれた文様の種類は、干支、昆虫、動物、草花、幾何学文、人物、山水、気象、季節の風物など多種多様。世の中のあらゆる事象が文様の素材となるのでは、と思えるほどにデザインの宝庫です。

次回は、その中身を少し見てまいりましょう。

※『蕎麦猪口の文様小話』「ふじゆりの蕎麦ちょこ蒐集」編より 、一部加筆修正。

続・あらためて、蕎麦猪口。

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続・あらためて、蕎麦猪口。

昨日の「あらためて、蕎麦猪口」の続きです。2004年に発行した、蕎麦猪口の魅力をまとめた小冊子「蕎麦猪口の文様小話」から抜粋してご紹介。


はじめに~そばちょこって(後半)

※「はじめに~そばちょこって」前半はこちら

猪口(ちょこ/ちょく)の語源としては、中国語で盃(さかずき)の意味を持つ「鍾」(しょう)の発音からきているというのが有力のようです。「猪口」の漢字を当てはめたのは、器の形が猪(イノシシ)の口に似ているから、とか。

現在では「猪口=おちょこ」で盃などを呼ぶのに使われるのが一般的ですが、古くは今で言う小鉢の役割に近いものが猪口と呼ばれ、かたちも大きさもさまざま。用途も和え物などの料理を盛る、調味料を入れて皿に添えて出す、飲み物を飲むのに用いるなど幅広く、いろいろな形のものを総称して猪口だったのだろうと想像されます。

そんななかで蕎麦のつけ汁用に程好く、また蕎麦湯のの身勝手の良い形、サイズのものが蕎麦猪口と呼ばれるようになったわけですね。そんな背景を知ってみると、現代のわたしたちが「食べる」「飲む」さまざまな場面で便利に蕎麦猪口を使うのも、なるほどあたりまえに思えてきます。

※『蕎麦猪口の文様小話』「ふじゆりの蕎麦ちょこ蒐集」編より


次は文様の話に続きます。

あらためて、蕎麦猪口。

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あらためて、蕎麦猪口。

蕎麦猪口は、作家・藤吉憲典にとっても、わたし自身にとっても、花祭窯を営んでいくうえでの一つの精神的支柱です。いわば、基本のなかの基本。

藤吉憲典の器=肥前磁器の素晴らしさを知っていただく入門編として、ご相談があった時には、蕎麦猪口をお勧めしています。その理由は、もともとはやきもののド素人であったわたし自身が、蕎麦猪口の魅力に引っ張られて学んできたからにほかなりません。

蕎麦猪口を楽しむことは、日本の磁器の歴史や江戸時代の風俗を学ぶことにつながり、食べる器・飲む器と食文化を考えることにつながります。実用的に楽しみながら教養が身につく。そのきっかけとなる器が、蕎麦猪口です。

そんな蕎麦猪口の魅力をまとめた小冊子「蕎麦猪口の文様小話」をまとめたのは、16年前。引き出しを整理していたら出てきたので、少しづつ内容をご紹介することにいたしますね♪


はじめに~そばちょこって

「蕎麦猪口」ってなんでしょう。そもそも小碗、小鉢のような形のものが「猪口」と呼ばれており、「そばちょこ」は「蕎麦」用の「猪口」だから、蕎麦やうどんのつけ汁を入れる器。

わたしたちが「蕎麦猪口」と呼ぶ器が盛んに作られたのは、蕎麦やうどんが庶民の食文化として広まった江戸時代中期~後期。ところがそのころ既に「そばちょこ」という言葉で呼ばれていたかというと定かではないそうです。

※『蕎麦猪口の文様小話』「ふじゆりの蕎麦ちょこ蒐集」編より


つづく。

文章を書く愉しみ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

文章を書く愉しみ。

最近、周りにNote(ノート)で文章を書いている人が増えてきました。仕事上の話を発信している人、ごく個人的な出来事を日記のようにしたためている人、読書記録を付けている人、旅行記や料理レシピなど誰かの役に立ったら嬉しいという気持ちで文字にしている人…。ウィキペディアによると「noteは文章、写真、イラスト、音楽、映像などの作品配信サイト」とありました。

ツールや目的はともあれ「文章を書く」ことを楽しむ人が増えているのだと思うと、なんだか嬉しくなってきます。かくいうわたしにとって、この「ふじゆりスタイル」は「自分自身のための備忘録」的な位置づけです。今確認したら、2013年3月5日が最初になっていましたので、なんともうすぐ7周年!

といっても、最初からすんなり継続できたわけではなく、それまでに何度も「ブログスタートしては3日坊主」を繰り返していました。どんどん書けるようになってきたのは「読んだ人に少しでも役に立つようなことを」という意識をなくして、自分のために書きはじめたから。人の目を過剰に気にしなくなると、文字がするすると出てくる…もともと文章を書くのは好きなんですね。

自分のために書きだしたブログがきっかけで、今ではコラムの提供をするようにもなりましたから、ありがたいことです。そういえば昨年読んだ本のなかに『読みたいことを書けばいい』(ダイヤモンド社)がありました。自分が読みたいことを書くのが一番ですね。

コラム「日日是好日」提供中。

読書『BRUTUS Casa BANKSY バンクシーとは誰か?』

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『BRUTUS Casa BANKSY バンクシーとは誰か?』(March, 2020 マガジンハウス)

ブルータスカーサ最新号の特集はバンクシー。サザビーズオークションでのシュレッダー事件や、サルの議会の絵(正式タイトル:Developed Parliament)、覆面性・神出鬼没性など、面白い人だなぁと思ってはいましたが、ほぼ知りませんでした。

ダンナが買ってきたこの特集号。試しにページをめくっていたら、すっかり引き込まれてしまいました。彼の作品・行動が現す、社会問題へのアプローチ、現代アート市場への批判、そしてアーティストとしての信念。

それにしても日本はいろいろな意味でアート後進国なのだと、あらためて思いました。村上隆さんの『芸術起業論』(幻冬舎)で「現代アート市場の世界標準」で対等足りえるために日本のアーティストに必要なことを考えさせられたのは、もう十数年前のことではありますが、バンクシーは既にその「現代アート市場」という前提を否定する立ち位置でものを言い、行動を起こしている。その行動がまた市場に反映されて作品の高値を呼ぶという矛盾が起こっているのも事実ですが。

昨今の日本で流行りつつある、現代アートへのアプローチがあまりにも小手先に過ぎないと、突きつけられた感じがしました。これは、アーティストも、アーティストを取り巻くアート業界の人々も同じこと。そろそろ、追いかけるだけではなく、独自の価値観で世界市場に対等足りえるアート市場の在り方を実現できたらいいのかもしれませんね。

ともあれ、バンクシー。次に何をするのか、気になります。また、彼に関する本はいくつも出ているようなので、少し遡って読んでみようかな、という気になりました。

それにしても、ほぼ一冊丸ごとバンクシー特集とは。BRUTUS Casa、すごいです。

写しで、質を上げていく。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

写しで、質を上げていく。

「写し」の文化については、過去にもたびたび話をしています。

江戸時代から続く、日本のやきもの(和食器)文化の継承は、「写し」によってなされてきたとも言えます。「コピー」が質を劣化させながらの表層的な真似であるのに対して、「写し」はオリジナルを超える良いものを生み出そうとする行為。

創業から20年以上経つと「古典文様を写してつくったもの」もたくさん。そこからさらに「自分が過去に写したものを、さらにグレードアップさせる」制作へと続いていきます。かたちをつくるときも、文様を描くときも、前作よりもっと良いものを、と。永遠にゴールは無いなぁと、見ていてつくづく感じます。

写真は、藤吉憲典の「染錦丸文そら豆型小皿」。現代的な三つ足のそら豆型小皿に、江戸の人気文様「丸文」を写した、創業初期からの定番です。昨日、久しぶりに窯から上がってきたのを見て、あらためて写しの面白さを思いました。

染錦丸文そら豆型小皿 藤吉憲典

思わぬところから、お題。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

思わぬところから、お題。

創作のヒントはどこに転がっているかわからないものですね。ほんとうに、思わぬところから、絶妙なタイミングでお題が降ってきました。

実際のところ、客観的に面白そうと思えるお題が降ってきても、作家本人・藤吉憲典が「面白そう!やってみたい!」と思わなければ決して「かたち」にならないので、これはまさにタイミングです。

昨年から藤吉憲典が積極的に制作をはじめた「陶板レリーフ」。磁器彫塑による半立体に彩色での表現というのは、誰にでもできるものではなく、技術とセンスが最大限に発揮できる土俵です。これまでに、人魚シリーズやシマウマシリーズの作品ができていますが、ここに「歌舞伎」というお題が降ってきました。

上の写真は、さっそくの第一作目。ひとつ作ると「甘いところ=ここをこうすればもっと良くなる」が見えてくるそうで、ここから先の展開が待ち遠しいところです。どうぞお楽しみに!

黄色でウキウキ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

黄色でウキウキ。

今朝は満月の明るさに目が覚めました。真ん丸で黄色のお月さまを見ると、嬉しくなるから不思議です。そして日中ふと外を見れば、そこには水仙の黄色がキラキラと。

そういえば、やきものの文様について文章をまとめていた時に、日本の伝統色が及ぼす心理的影響について考えた時期があったのを思い出しました。専門的に色の効果を学んだことがなくても、日々のなかで感じ取るものは人それぞれにありましょう。

我が家の近所に群生する黄色パワーのおすそ分け。

水仙

生活のなかで、なにげなく目にする色の力を感じる一日です。

信頼の根っこは「何をしているか」。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

信頼の根っこは「何をしているか」。

この1月から2月にかけて、仕事でもプライベートでも安心・信頼している友人と会い、話す機会を多く持つことができました。皆、しょっちゅう顔を合わせる間柄ではなく、たくさん話をしているかというと必ずしもそうではなく。それでも信頼感が続いているのは、なぜだろう?と、考えてみました。

物理的に離れている間柄でも、フェイスブックなどのSNSのおかげで「その人がしていること」を目にするのが容易になったのも、要因として大きいと思います。彼や彼女が、今どんな仕事や取り組みをしているのか、あるいは何気ない日々の行いでも、その行動を見知ることは、言葉での説明を聞くよりも、その人を知る近道になっているかも、と。

もちろん、普段そんな眼差しでチェックしているわけではありません。SNSに流れてくるニュースをチェックするときは、ほぼ無意識。それでもやっぱり、価値観に共通点を感じる行いを目にしたり、さりげない行動に敬意を感じたりすることで、友人への信頼感が維持されたり、増しているのだと思います。

「何を言ったか」も大切かも知れないけれど、むしろ「何をしたか」。これはそのまま、自分が他者からどう見られるか、というのも同じことですね。ともあれ、そのように尊敬・信頼できる仲間・友人がいるありがたさや幸せを、あらためて感じた年初です。

読書『個をあるがままに生かす 心理学的経営』PHP研究所

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『個をあるがままに生かす 心理学的経営』PHP研究所

『経営者の条件』(岩波新書)に引き続き、大沢さんの著書。1993年発刊の『心理学的経営』が電子書籍として復活したものです。その紙書籍版で、26年ぶりの復刊。これまた新陳代謝の激しいビジネス書分野のなかでは、異例のことではないでしょうか。

本書が創刊された1993年は、わたしが大沢さん率いる人事測定研究所(現・リクルートマネジメントソリューションズ) に入社した翌年のことです。入社前から「大沢イズム」を直接的に学ぶ時間と機会をたびたび得ることができたのは、贅沢なことだったと思います。

「人間をあるがままにとらえる」「個性差(ちがい)を大切にする」ということが、大沢さんのおっしゃることの芯にあります。産業心理学や組織管理論を少しでも学んだ方なら目にしたことのある研究や理論も下敷きにしつつ、学究的な側面だけでなく、実際の経営組織の現場での実務があるからこその説得力を感じます。

心理学の専門家や関心のある方、企業経営やリーダーシップ論に関心のある方、どちらにも興味深く読んでいただける本だと思います。