再読書『名画の生まれるとき 美術の力II』(光文社新書)宮下規久朗 著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

再読書『名画の生まれるとき 美術の力II』(光文社新書)宮下規久朗 著

再読書。本書に出会ったのは、5月の連休中のことでした。一度目はさらっと通して読みましたが、刺さる部分が多くて、これはあらためて要点箇条書きしておきたい!と思ったのでした。

以下、備忘。


  • 日本の美術教育はこうした実技、つまり「お絵かき教育」に偏重しており、欧米と違って美術鑑賞や美術史を教えることがほとんどない
  • 元来、美術というものは(中略)言語と同じく、ある程度の素養が必要であり(中略)こうした知識は日本の学校教育では得られないが、美術館に足を運び、適切な美術書を読むことによって培うことが出来る。
  • 古今東西を通じて造形文化が存在しない社会や文明は無い。美術は分け隔てなくあらゆる人間に作用するものである。
  • 美術は美術館にあるものばかりではない。かたちあるものすべてが美術になりうる。
  • 個人的な趣味ではなく、ある造形物が社会的・文化的・歴史的な意味や価値を持つとき、それは美術作品となり、そのうちでとくに質が高くて力のあるものが多くの人に見られ、語られることによって、名画や名作になるのである。
  • 美術は文字と同じく知性を動員してみて考えるべきものである。
  • 西洋では古来、美術は文化の中心とみなされてきた。そのため多くの国では、日本とちがって、美術をどう見るかという美術史が義務教育に組み込まれている
  • 小型のものを愛する日本人の美意識
  • 名画は公共のものであり、人類の遺産として本来すべての人に鑑賞されるべきである。しかし、ほんとうに価値の分かる個人に大事に所蔵され、愛される方が名画にとっては幸福ではないのか
  • そこ(博物館や美術館)に行けば、その地の文化や歴史についての概略を手早くつかむことができる
  • ミュージアムの真価は、情報よりも本物のモノに出会わせてくれることにある。
  • 情報を得るにしても、モノと対面することは、書物や映像から得られるのとはちがう臨場感とある種の緊張感を伴うものだ。
  • ミュージアムの文脈とは、その地域の歴史や美術史、民族史や自然観といった、西洋の近代的な価値観に基づいた思想である。
  • ミュージアムを必要としないということは、モノが本来の環境で生きているということ
  • 当初の空間にある方が美術館の明るい空間よりもよく見えるのが当然である。
  • 大事なのは、ミュージアムの文脈だけでモノを見ないで、当初の環境の中でとらえること
  • ロンドンのナショナル・ギャラリー(国立絵画館)は、世界一バランスの良い美術館
  • 感覚を麻痺させる酒は、日常と非日常、人間と神とを媒介する手段であった。
  • 天才が酒によって詩作したということが称えられるのは、きわめて東洋的である。
  • (西洋では)彼らの作品が酒の力によって生まれたと考える者はいないし、それを称賛する言説もないだろう。
  • 日本人の自然観や美意識は、花や紅葉に彩られた恵まれた自然だけでなく、こうした美術の名品の数々によっても培われてきたのである。
  • 彼ら(狩野派)の古典学習は徹底しており、雪舟や南宋水墨画をはじめとする膨大な古画を忠実に写し取っていた。(中略)そして彼らが室町や中国の古典をどん欲に吸収して後世に正確に伝えたことによって、日本の絵画伝統が受け継がれ、その質が長く保たれたのである。
  • 日本的な枯淡の美やわびさびの美意識とは対極にある、見ようによっては悪趣味でキッチュなもの(中略)こうした過剰な美こそが、現代の美意識に合致するようになったのかもしれない。
  • 西洋や中国とちがって、日本の伝統的な山水画の多くは、人間と融和した平和で親密な自然を表現するものであった。
  • 実物と対峙する重要性
  • 通常の展覧会であれば、作品群が撤去された後の展示室は、そこにあった絵画や彫刻の気配や、展示風景の記憶を濃厚に留めている。
  • 作品のある空間に身を置いて作品と対面する体験がどれほど大切か
  • 宗教は美術の母体
  • 広く民衆に働きかけていた壁画芸術や民族芸術の生命力
  • そもそも世界遺産という制度自体が、欧米の価値観に基づく一元的なものにすぎない
  • 美術作品は文脈によって意味が与えられる
  • 芸術も永遠ではない。人類の芸術は三万年ほど前に遡るが、今後また三万年もたてばほとんどの芸術は忘れ去られ、跡形もなく消え去っているにちがいない。優れたものが残るとは限らず、すべて偶然の作用次第である。
  • 出会うべき人間は人生のしかるべきときに会っており、(中略)そして美術館や展覧会で出会う美術作品もそうである。
  • 最後に見たい絵というものがあるとすれば、何がよいだろうか。
  • 美術は宗教と同じく、根本的な救いにはならないものの、ときに絶望にも寄り添うことが出来る存在(中略)ある種の美術にはそんな力があるはずだ。

『名画の生まれるとき 美術の力II』(光文社新書)宮下規久朗 著より


ずいぶん長くなってしまいましたが、わたしにとっては響く示唆の多い一冊でした。上の写真は、本著で「世界一バランスの良い美術館」と評されたロンドンのナショナルギャラリー。

読書『オリンピックの身代金』(講談社文庫)奥田英朗著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『オリンピックの身代金』(講談社文庫)奥田英朗著

お友だちから教えていただいた「奥田英朗 著」に、すっかりハマっています。先日読んだのは、家族小説の短編集でしたが、こちらは文庫上下巻合わせて900ページ近くの長編で刑事ものというか、社会派もの。質量ともに重々しく読みごたえがありました。

オリンピックは、昭和39年(1964年)開催の東京オリンピックのこと。前に読んだ刑事もの『罪の轍』の舞台がその前年、昭和38年でした。著者の数ある著作のなかで、たまたま手に取ったものの時代が重なっていたのだとは思いつつも、この時代に対するある種の執着が著者にあるのだろうな、と思わずにはいられません。

そう思いつつ読みはじめたら、登場する刑事の皆さんが『罪の轍』に登場していた皆さんでした。主人公は刑事の一人なのだろうと思うのですが、『罪の轍』と同様、犯人側と刑事側、どちらが主人公なのかわからないぐらい、どちらもていねいに描かれています。そしてついついわたしは、読みながら犯人側に感情移入。東京オリンピックを底辺で支えた肉体労働者、地方から出稼ぎに出てきて東京の人柱となった人夫たちの淡々とした絶望に、この国・社会への諦めが漂いました。

つい先日の、二度目の東京オリンピック開催でも、一度目とは形を変えたさまざまな不条理があったのは想像に難くなく、それらは一般人のわたしたちの目にもわかりやすく見えていたものも多々ありました。「オリンピック開催」を免罪符にいろいろなことが突き進んでいく様子には、少なからず腹立たしさを感じていましたが、本書を読んで、それは今に始まったことでは無く、結局一度目のオリンピックの時から権力構造的になにも変わっていない(むしろ強化されている)のだろうと思いました。下々のわたしたちが出来ることは、諦めることだけなのでしょうか。小説にして、底辺の怒りを残していくことでささやかな抵抗をする。著者の社会批判を痛烈に感じた一冊(上下巻なので2冊)でした。あとから講談社のサイトをチェックして、本作は「吉川英治文学賞受賞作」だったと知りました。

読み終わって、写真を撮ろうと上下巻を並べたら、上のように風景が繋がりました。そっか、こんな風になってたんだ!と、嬉しくなり。

『オリンピックの身代金』(講談社文庫)奥田英朗著

2023年も再放送:NHK BSプレミアム 美の壺「青と白の粋 染付の器」

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2023年も再放送:NHK BSプレミアム 美の壺「青と白の粋 染付の器」

今年も、美の壺「青と白の粋 染付の器」制作チームから嬉しいご連絡がありました!藤吉憲典がほぼ丸二日間の撮影協力し、2021年7月に初回の放映であったNHK BSプレミアム 美の壺「青と白の粋 染付の器」。本放送から約1年経った昨年も、6月7月とアンコール再放送が立て続けにありましたが、2年経った今年もまた7月と8月に再放送が決まりました。

7月は地上波Eテレ(教育テレビ)と、NHKプラスの配信での放映です。NHKの放映情報解禁が1カ月前となっておりますので、8月分の放映につきましては、また来月ご案内いたしますね。


美の壺 File543 『青と白の粋 染付の器』

2023年7月2日(日)午後11:00-11:29 NHK Eテレ・NHKプラス配信 

2023年7月5日(水)午前5:30-5:59 NHK Eテレ


お時間がありましたら、ぜひご覧くださいませ。

それにしても、NHKさんのコンテンツ使いまわし術はすごいなぁ、と思います。収録にいらっしゃったときは、15分程度の登場シーンに丸二日間かけるってすごいなぁ、番組制作にお金がかかっているなぁと単純に関心していたものですが、価値の高い人気コンテンツになると、こうして何度も繰り返し放映されるのですね。撮影部隊の皆さんに力が入る理由が、あらためてわかるような気がしています。そういえば昨日ご紹介した小学校の図画工作教科書の教材への活用も、この撮影の結果です。

おかげさまで、皆さんに知っていただく機会が増えています。初回放送で見逃した、あるいはBS契約をしていなくて見れなかったという方にも、ご覧いただくことが出来て、嬉しい限りです。

小学校の図画工作教科書コンテンツ「受けつがれてきた文様」に協力いたしました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

小学校の図画工作教科書コンテンツ「受けつがれてきた文様」に協力いたしました。

肥前磁器作家・藤吉憲典が陶芸家として独立して以来の野望!?のひとつに「学校の教科書に載る」があって、どうやらその第一弾が実現するかも、という話を書いたのは約1年前のことでした。ようやく詳細情報解禁です。

ダンナはかねがね「学校の教科書(それも、図工や美術ではなく、社会や世界史)に載るようなキャリアを残す」と言っていました。息子が小学校に上がる頃には「お父さんそのうち教科書に載るから」と、具体的な根拠はまったく無いのに言っていました。

このたび、小学校の図画工作の教科書ではありますが、どうやらその妄想が実現の形を見せました。2021年初回放送であった 『美の壺 File543 「青と白の粋 染付の器」』のなかの映像を二次使用する形で、日本文教出版株式会社が作る2024年度版小学校図画工作教科書に連動した「教科書QRコンテンツ」に入っています。

実際に使われるサンプル映像が届きました。コンテンツは「受けつがれてきた文様」というタイトル。5分ほどのなかで、着物や日本庭園や日本建築などに見られる伝統文様の解説があり、そのなかのひとつとして藤吉憲典の磁器作品がいくつか顔を出しています。青海波の蕎麦猪口、牡丹唐草の蕎麦猪口、牡丹唐草の陶箱など、が前半・中盤・後半で映ります。作家の顔は出ませんが、クレジットには、取材協力として「肥前磁器作家 藤吉憲典」と名前が入りました。

今どきの小学生の図工の時間は、紙媒体である教科書と、それを具体的なヴィジュアルイメージで確認することのできるメディアを駆使した時間になるのですね。コンテンツ制作をしたNHKエデュケーショナルのご担当者さんによれば、「児童の学びが深まるとともに、現場の教員の指導も行いやすくなります」ということでした。

子どもたちへの美術教育にほんの少しでも関わることが出来て、とても嬉しい機会となっています。教科書の、学校現場での利用は2024年度以降となります。

今年もじわじわ梅仕事。

おはようございます。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今年もじわじわ梅仕事。

先月梅の様子を見てきたら、あと1-2週先かな、というところでしたので、6月に入ってから収穫することにしていたのでした。

今年は、わたしが収穫のスケジュールに合わなかったので、ダンナとその友人に梅摘みをお任せしました。いつも梅摘みを楽しんでくれる友人たちに心より感謝です。

桜切る馬鹿、梅切らぬバカ

という言葉がありますが、その「梅切らぬバカ」である我々の梅の木の1本は、もうずいぶんと高く伸びてしまい、いよいよ手が届かなくなってきたようです。見上げればはるか高いところに、いい感じに熟した見事な梅がたくさんついていたようですが、お手上げだったということで、手の届く高さの梅を収穫して来てくれました。木に登って怪我でもされたら困りますので、手の届く範囲で十分です。

手の届く範囲だけでも、次充分たくさんの収穫です。梅干にちょうど良いサイズの梅が、たくさん採れていました。手伝ってくれたお友だちに好きなだけ持って行ってもらい、それでも我が家用に梅干2樽は漬けれそうな量が残りましたので、大満足。

近々天気が晴れたら、仕込みようの瓶やら樽やらを一斉に洗ってお日さまに干し、梅干の仕込みをいたします。今年は梅干のみと決めているので、用意するものもシンプルでらくちん。毎年の梅仕事は、楽しいけれどそれなりに時間も手間もかかるので、手抜きできるところは手抜きします(笑)。そんなわたしの強い味方は、もう10年以上『梅ぢから』一冊です。土用干しを簡略化した「ビン干し」梅干しのつくり方をはじめ、基本的な梅仕事がひと通り載っています。

『梅ぢから』

四年ぶりのごりょんさん出動-津屋崎祇園山笠。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

四年ぶりのごりょんさん出動-津屋崎祇園山笠。

6月最初の日曜日は、山笠の「初寄り」でした。津屋崎に越してきて以来、年中行事となっていたものが、コロナ禍下で延期になってから、丸四年。ようやく「通常通りのスケジュール」での開催が決まりました。

というわけで、今年はごりょんさんも出動。初寄りにはおでんを出すということで、久しぶりに「山笠用の大鍋」を引っ張り出しました。目安は、ひとつの鍋で20杯。大鍋4つ分のおでんを用意しました。

初寄りは、ごりょんさん仕事の顔合わせと打ち合わせの日でもあり。皆近所に住んでいるとはいえ、久しぶりに顔を見るメンバーもあり、気がつけばおしゃべりに興じていました。山笠前日と当日の仕出しの準備と手順を確認。感染症対策は各山に任せられているということで、例年以上に安全・衛生管理に気を配ります。

2023年の津屋崎祇園山笠の行事日程は次の通り。

  • 7月1日(土)台おろし
  • 7月2日(日)棒がらめ
  • 7月9日(日)飾りつけ
  • 7月15日(土)くじとり、裸まいり(御宮入り6時10分から)
  • 7月16日(日)追い山(追い山開始午前9時)

7月に入ると毎週末行事があり、追い山当日に向かって気分は盛り上がります。

読書『我が家の問題』(集英社文庫)奥田英朗著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『我が家の問題』(集英社文庫)奥田英朗著

お友だちのおススメを受けて読んだ奥田英朗氏の小説が面白くて、しばらく追っかけとなりそうです。

今回読んだ『我が家の問題』は、先日読んだ『家族のヒミツ』と並ぶ、家族小説短編集。あとがきによると、本書『我が家の問題』の前にもう一冊『家日和』なる家族ものの短編集があり、本書はその対となる短編集だということで、どちらにも登場する家族があるとのこと。これはもう、次は『家日和』も読まねばなりません。

さて『我が家の問題』。面白かったです。奥田氏の家族ものは、その家族が問題を抱えてはいても、ハッピーエンドとまでは言えなくても、ほっとできる結末が用意されている安心感があるので、読んでいてストレスレスなのです。本書では「サラリーマンの夫」が何人も登場しますが、その夫と妻の関係性が、ある種の時代性を感じるものでもあり、ちょっと懐かしく読みました。

もしかして著者はわたしがサラリーマンをしていた会社にいたことがあるのかもしれない、と思えるような描写がいくつも登場し、なんとなく親近感。あらためて著者の略歴を読み直すと、1959年生まれで雑誌編集者でコピーライターを経ている、ということですから、あるいはこの直感「もしかしたら同じ会社を経験しているかもしれない」は、当たっているかもしれません。もし外れていたとしても、そう共感させる筆力に感心するばかりです。

リアリティがあり、ユーモアがあって、ちょっと涙腺も緩む。上質な娯楽小説です。

映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』観てきました。

2023年の4本目は、2022年から「月1本ペースで映画館で観よう」をスタートして以来、邦画としては1本目。高橋一生さんのファンというわけではなく、岸辺露伴シリーズのファンというわけでもなく、つまり漫画もドラマも観たことはありませんでした。そう、単純に「ルーヴル」に釣られてしまった、というところです。

ルーヴルまでロケに行っているんだから、映画館の大画面で、パリの街並みや、もしかしたらルーヴル内もたくさん見れるかも…という思い込みをもって臨みました。が、そうは問屋が卸しません。冷静に考えれば、映画を作る人は、岸辺露伴のストーリーや魅力をまず伝えたいわけであって、パリやルーヴルは道具立てのひとつですから、そこばかり期待されても困るわけです。もちろん、観たい景色を見ることも出来ましたが、過剰な(しかもお門違いの)期待を抱いたわたしには、少々残念な結果となりました。

映画館内は、昨今の水曜日にしてはまあまあ多かったと思います。高橋一生ファンまたは岸辺露伴ファンなのでしょうね。そんな皆さんにとっては、きっと大満足の映画だったのではないでしょうか。個人的には、久しぶりに白石加代子さんの顔を見れたのが嬉しかったのと、木村文乃さんがとっても可愛くて素敵だったのが、GOODでした。

ちなみに2023年1本目は、午前10時の映画祭から『レナードの朝』。

2本目は、カズオ・イシグロ脚本に釣られて『生きる LIVING』。

3本目はナイキのことを知ろう!の一環で、『Air』。

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花♪

昨今すっかり「光の道」でメジャーになった、福津市の宮地嶽神社。四季折々いつ行っても何かしら見どころがあります。先日ダンナが「菖蒲園はそろそろ八分咲きだよ」というので、行って参りました。青・紫・白・緑。

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

宮地嶽神社で、菖蒲と紫陽花

良いお散歩になりました。商売の神様である宮地嶽神社さんは、自らそれを実践する、とってもアグレッシブな神社。おかげさまで季節の楽しみがたくさんあり、車なら5分、自転車で15分かからず、なんなら歩いても行ける距離にあることは、嬉しく有難いことなのです。

読書『危険な斜面』(文春文庫)松本清張著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『危険な斜面』(文春文庫)松本清張著

いつものカメリアステージ図書館特集コーナーで、「地元(福岡県)の作家特集」的な並びのなかに見つけた一冊。松本清張は2-3年前に手に取って、そういえば読んだことが無かった!と気づき、何冊か読んだのでした。そこからまた時間が空き、たまたま目に飛び込んできたので、借りることに。

第一章を読み終わった、と思ったら、実は物語はそこで終了、いわば短編集でした。長編だと思い込んでいましたので、ちょっとびっくり。第2章のつもりで2編目を読みはじめたら、ずいぶん設定が飛躍していて、これは…と、とりいそぎ「あとがき」を読んだら短編集だったことが判明した次第です。6つの物語が入っています。

で、その短編集、良かったです。なんとなく勝手に松本清張は長編だと決めつけていたので、意外で新鮮でした。そういえば前回読んだのは『点と線』でしたが、終盤に向かうほどに物語が駆け足で雑な感じになり、連載で締め切りに追われていたのかなぁ、などと考えさせられて少々がっかりしたのでした。今回読んだ短編は、いずれも最後まで面白かったです。

1960年代から70年代と思しき時代背景がぎっしり詰まったストーリーの数々は、当時の社会や生活を垣間見ることが出来るという意味でも興味深く、時代の流れを感じました。そういえば、先日読んだ奥田英朗著の『罪の轍』も舞台となっていたのが1960年代でしたが、両者の大きな違いは、時代背景は同じでも、書いている時代が異なること。書いている時代が異なることが、これほどまでに大きな違いを感じさせるのだと、気づかされた読書にもなりました。

それは行間ににじみ出る、著者自身の持つ偏見、特に女性に対する見方です。ただそれは、著者の個人的な性格というよりは、当時の人々が当たり前としていた空気でしょう。そうと頭ではわかっていても、読みながら苛立つことは否めませんでした。よく巻末に「差別的な表現」を使用することの断りが書いてありますが、そういう単語レベルのことではなく、書いている人の思想が「書き方」に現れる怖さがありました。これがもっと時代を遡った古い話になると、別次元の話として気にならないのだと思いますが、自分にとっては割と近い時代の話だと感じ、実際に思い当たる断片的な記憶もあるがために、気に障るのですね。

そう気がつくと、「松本清張もの」はドラマや映画で観る方が、わたし的には気軽に楽しめるのかもしれないと、一人納得するに至った読書でもありました。