「目が良い」。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

「目が良い」。

先日は月に一度の 書道部@花祭窯 の日でした。

いろんな方と一緒に字を書いていると、「初心者です」とおっしゃっいながら、お帰りになるころにはとても良い雰囲気の字を書いて行かれる方がいらっしゃいます。

何年もかけても(毎週お稽古しているわけではありませんが^^;)なかなかきれいな字を書くことができないわたしとしては、1~2時間のうちにめきめき「お手本」に近い字を書けるようになる方を目の当たりにすると、すっかり感心してしまいます。

いったい何が違うのでしょうか。

お手本を書いてくれるダンナによると、その違いの第一は、「目が良い」ということ。

ここでいう「目が良い」は、「この形が美しい(きれいな字の)カタチなんですよ」というお手本を見て、その形の美しさのポイントを把握する力があるかどうか、とでもいうところでしょうか。そういえば、めきめき上手になる方は、デザインや造形の心得がある方に多い。形の捉え方に違いがあるのかもしれません。

次に、美術館での教育普及学芸員として第一人者である齋先生の説をお借りすれば、「運動神経が良い」

目で見た「このような形に文字を書くときれい」を、自分の手碗を伝って紙の上に実現(再現)する力、とでもいったところです。運動神経にもいろいろあって、足が早い、力が強いということだけが運動神経の良さなのでなく、思ったように繊細に手腕指を動かすことができるというのもまた、運動神経なのですね。

そして、なんといっても「集中力がある」

半紙に向かう1~2時間の集中力を感じます。そして、その集中力の背景には、その(筆で字を書くという)動作を楽しんでいる、という状態があります。楽しんでいるといっても、表情は真剣そのもの。真剣に向き合って楽しむことができている状態が、もっとも集中力が発揮される状態なのだと、見ていてつくづく思います。

月一度の書道部。個人的には目下、第二の要素である「運動神経」を鍛えるべく、くりかえし「書く」ことに勤しんでおります(^^)

 

 

 

 

「写し」の文化。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

「写し」の文化。

上の写真は、藤吉憲典のつくった「染錦鮑型向付」。古典がお好きな方なら、すぐにお気づきになると思いますが、北大路魯山人のつくった鮑型向付に、同様のものがあり、その「写し」です。

やきものの文化は「写し」の文化。「写し」とはすなわち、古典と呼ばれる古い名品に倣ったカタチや絵付をして、現代によみがえらせることです。例えば、藤吉憲典がつくる「器」に目を向けてみると、生み出される作品の8割くらいは「写し」または写しを組み合わせたもの、発展させたもの、ということになりましょう。

ただ、これは藤吉に限らないのはもちろん、古伊万里に限ったことでもありません。広く周辺を見渡せば、やきものの世界に限ったものではありません。古き良きものをまねるところから、スタートする。これはあらゆる分野で行われていること。

「写し」の本来的な意味は、『そのまま真似するのではなく、元よりももっと良いものにすること』にあり、そのことがもっとも大切であると考えています。またそのためには、一番最初にその形をつくり文様を描いた人がどのようなつもりでそれを生み出したのかにまで思いをはせることが必要です。以前にもこのテーマについては記事にしていました

文様の話、古典とオリジナル(1)

とはいえ自分の目できちんと見ないと、単純に「あの名品の写しだから良い」ということだけで、評価してしまうという失敗が起こります。またそれが、ほんとうに「写し」といえるものであればよいけれど、往々にして「表装だけを真似ている」なんてことが。

福原義春さんの著書『美-「見えないものをみる」ということ-』


「本歌取り」「見立て」によって日本人は文化を進化させてきた。これは「質を落としながらのコピー」とは根本的に異なる。


と書いてあります。これを読んだときに、「写し」の考え方を正しく表現するための言葉遣いとして、我が意を得たりの心境でした。

『美-「見えないものをみる」ということ-』については、こちらにもわたしにとってこの本は、精神的な拠り所のひとつとなっています。

本ふたつ

続・「英語でアート! in 福岡」

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

続・「英語でアート! in 福岡」

どうも、セミナー・勉強会のあとや読書のあとレポートブログをあげても、しばらくたってからまた書き足したくなることがしばしば発生。すぐには消化できなかったものを、無意識に時間をかけて整理整頓・吸収しているのかもしれません(笑)今回もそのパターン。

ということで、先日参加してきた「英語でアート」

「英語でアート!in 福岡」に参加してきました。

本日は、内容について備忘メモ。


  • アート市場の世界シェアは、2016年の時点で大まかに米国60%、英国20%、中国20%。
  • 米国における「アートを買う習慣」の定着度合は
    ・ふつうの人→10万円くらいまでの作品
    ・裕福なアート好き→50万円くらいまでの作品
    ・コレクターと呼ばれる人たち→100万円単位の作品
  • 米国においてアートは重要かつ当然のエデュケーションツールであり、各大学が(美術館だけでなく)ギャラリーを持っている。
  • 所得格差が大きい国ほど富裕層も多く、アートコレクターも多い。
  • 米国においてもギャラリーの生き残りは厳しく、「超大手」と「新興」に二極化。
  • ニューヨークだけじゃない。コンセプトに合ったギャラリーがある国・地域を見極め、自作品との「共通点」から作品の観方を導くことも必要。
  • 自分の言葉で、自分のこと、自分の作品のこと(コンセプト・プロセス)を語ることができることは、現代アート市場においてアーティストに必須。一般の人たちに対して専門用語無しで(日本語・英語で)わかりやすくお話しできるか?
  • 米国においては、ギャラリストは「MBA(経営学修士)+MFA(美術学修士)」を持っている人が多い。

以上、「英語でアート! in 福岡」宮本由紀さんのお話より、まとめ。


しみじみ、いい時間でした(^^)

 

 

 

我が家の灯り。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

我が家の灯り。

唐突ですが、写真は花祭窯のお手洗いに向かう廊下の灯りです。7年前にここに引っ越してきたときに、電気の傘が足りず…現代風には「照明器具が足りず」というべきなのでしょうけれど、心情的にはまさに「傘が足りない!」というところでして。

家電量販店は車で少し走ればありますし、ネット通販でもすぐに購入することはできたのですが、「せっかくだから、この家の空気に合うものをつくろっか?」ということになったのでした。(正確には、「つくって!」とダンナに要求)。

それで、とりあえずダンナが作ってくれたのが、レトロ感満載で「電球」が似合う白磁の傘。↓下の写真は、現在お手洗いで活躍中のひとつ。

花祭窯

これが手前味噌ながら思いのほか良かったため、もうこのシリーズで格好良くおさまるところはこれでいこうと、ダンナの気が「電気の傘制作」に向くのを気長に待ちながら、出来た都度、傘を入れ替えている次第です。

花祭窯

上の写真は、最近追加された傘(一番上の写真と同じもの)。裾のひらひらが可愛いのだけれど、もう少し深くてもよかったね(電球が下から思い切りはみ出しているので)、ということで、追加制作をのんびりと待つところです。

ちなみにこの「電気の傘」あくまでも自家用であり、商品化はしておりません<(_ _)>

 

福津の古墳。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

福津の古墳。

といえば、宗像大社とともに関連遺産群として世界遺産に登録された「新原奴山古墳」。正式名称は、

「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」。

「5世紀から6世紀にかけて築いた古墳群です。かつての入海に面した台地上に、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基からなる計41基の古墳が良好な状態で残されています。」(福津市公式サイトより)

の言葉どおり、ほんとうに495号線を車で走っていると、ふつうに目に飛び込んでくるこのような景色。先日お天気の良い日に通った時に、あまりにもいい絵だったのでパシャリとしてきました。

世界遺産に登録され、それなりに道が整備されたり、看板標識が増えたりと、手が入っているようです。循環バスも配備され、観光ボランティアガイドさんによると、これまでよりは訪問する方が徐々に増えているようす。

でも、この日は連休中の好天にもかかわらず人影がまばらでした。実のところ、こののんびりした景色をキープして欲しい地元民としては内心ほっとしています(笑)

2013年に同様の記事をアップしておりました(^^;)

津屋崎には古墳群があります。

読書『名画の謎』(文藝春秋)シリーズ。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『名画の謎』(文藝春秋)シリーズ。

花祭窯、大型連休もほぼ平常通りの営業で仕事をしております。そういえば、ここ数年は5月といえばロンドンでの展示が続き、ゴールデンウィークはその準備や出張でテンション高く過ごしていたのでした。

ひさしぶりにゆっくりの「黄金週間」なので、平常運転で仕事をする傍ら、まとめて本を読むことに。ずっと気になりながら読んでいなかった中野京子さんの本を手に取りました。中野京子さんといえば『怖い絵』シリーズが有名ですが、今回わたしが手に取ったのは『名画の謎』シリーズ「ギリシャ神話篇」「旧約・新約聖書篇」「陰謀の歴史篇」の3冊。

面白かったです!まったく予備知識無しで読みだしたのですが、ちょっとシニカルな目線に、独特のユーモアあふれた語り口がツボにはまり、一気に読みました。西洋文化史の専門家でいらっしゃるのですね、さりげなく文章に入っている背景の解説がとても分かりやすかったです。

絵画や美術を読み解く本はいろいろと出ていますが、個人的には、美術の専門家ではない方が書いたものの方が面白いことが多いと感じています。あくまでもこれまでの読書経験からの感想ですが、美術をアカデミックに学んできた方の解説は、その専門性ゆえにでしょうか、見る人の想像力の広がりを許容しないようなところがあるかな、と。

ともあれ、中野京子さんの『名画の謎』面白いです。『怖い絵』シリーズも読まねば(^^)

5月初めの花祭窯の庭。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

5月初めの花祭窯の庭。

このところ、毎日のように見どころがあって楽しいので、ご紹介。こうして季節ごとに楽しみがある庭をデザインして、つくりあげてくださるガーデナーさんの仕事はすごいな、と思います。

花祭窯 紫式部

花祭窯 芍薬

花祭窯 紫蘭

こんな花祭窯の庭をつくってくださったのは、ガーデンアルテさん。
https://www.facebook.com/artemisiagarden/

植物を知り尽くしているので、和風の庭も洋風の庭も、安心してお任せできます(^^)

 

徳り庵でお茶。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

徳り庵でお茶。

このところしばらく徳り庵でお茶を点てることをサボっておりました。が、日に日に色を増す庭の緑や花々に後押しされて、久しぶりにお茶会。

なにしろお茶室が小さいので、一度にお招きできるのは1~2名。裏を返せば、個別にゆっくりとお話ができる機会です。

徳り庵はもともと外廊下で繋がる厠を改装したもの。改装したとはいえ、元の骨組みというか作りはそのまま生かし、2カ所についていた窓も、そのまま残して灯りとりにしています。

今回お招きした方々がまず目に留めてくださったのが、その窓から伸びた緑。

花祭窯徳り庵

昔のままの木製の窓枠の隙間から外の蔓植物が入り込み、聚楽風の土壁に根を這わせていたのでした。もちろん日々の掃除の際に気づいてはいたのですが、景色として面白いかなと、そのままにしておいたところ、皆さん面白がってくださいました。

さて、この蔓。果たしてどこまでそのままにしておいてよいものか、しばらく様子を見たいと思います。

 

 

南坊忌の献茶茶会に参加してきました。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

南坊忌の献茶茶会に参加してきました。

南坊忌は、毎年この季節に南方流で行われる、茶道南方流遠祖・南坊宗啓禅師を祀る献茶式です。献茶式ののち、残茶拝服として濃茶と淡茶をいただきます。

この日は気持ちの良い晴れ。庭に新緑とツツジが映えるなか、献茶のお点前と和尚さまのお経。とても清らかな気分になるひとときでした。

年に一度のこの機会は、わたしにとっては南方流で茶道をならう意味をあらためて自分に語りかける機会でもあります。


南方録とは

千利休が茶道の秘伝を高弟であった南坊宗啓に折々に伝えられ、それを書き留めたものを一巻一巻の末尾に千利休が奥書証明してある全七巻の本でございます。(中略)南坊宗啓は禅僧としては一休禅師の孫弟子にあたり、千利休と同じ堺の出身でもあります。(中略) 茶もいろいろございます。道具の茶、骨董の茶、交際の茶、美食の茶、芸術の茶、様々ありますが、茶の本道は修行による人格の向上、和敬の道こそが本意であります。それでこそ初めて禅寺でやる意味があります。

「南方流茶道のご案内」より)


南方流に出会えてよかったと、つくづく(^^)

 

安朗さんの酒器と茶碗。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

安朗さんの酒器と茶碗。

昨日、備前の徳利の話をブログに書いたところで、「そういえば、その前の京都土産は安朗さんのうつわだった!」と思い出しました。

安朗さん=山本安朗さん。花祭窯創業間もないころからのお友だち(先輩)でもある、土ものの作家さんです。某ギャラリーで初めてお会いしてから、酒の器・茶の器・花の器の素晴らしさと、飾り気のないお人柄に、すっかり魅了されています。

我が家にはことあるごとに集めた安朗さんの器(酒器と茶碗)があるのですが、存在感と使い勝手の楽しさが抜群です。そう、日本語が少しおかしいかもしれませんが、「使い勝手が良い」を飛び越えて「使い勝手が楽しい」のです。

山本安朗さんの酒器

そろそろ、日本酒呑み会を計画せねば。