郷育カレッジ:ふくつ散歩 福間南編に参加してきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ:ふくつ散歩 福間南編に参加してきました。

「郷育カレッジ」は福津市が誇る市民生涯学習の仕組みです。様々な分野で年間約100講座。福津市民または市内の事業所に勤務している人は、入会金500円と年会費1000円(+講座により材料費)でいくつでも受講できます。ただし、希望者の多い講座は抽選。近年は満員御礼の講座も多数です。

「ふくつ散歩」も人気講座のひとつ。市内の各地区で、地元のボランティアガイドさんが見どころを案内してくれるシリーズです。住んでいても、行ったことのない場所はたくさん。ふだん車で通り過ぎてしまうところにも、さまざまなストーリーを見つけ出すことができます。

最初に福間南での地域の取り組みなど現状のお話をお聞きした後に、散歩に出かけました。歩いた距離は3キロほどでしたでしょうか。道々ガイドさんが教えてくださった多様なエピソードで、これまで何度となく通った場所にも、少し違って見える景色が生まれました。

今回は「文化財めぐり」ということで、個人的には、亀山神社(古墳)、大日堂の大日如来とお不動さん、うがみ(八龍)神社の絵馬あたりが特に興味深かったです。お堂など、ふだんは閉めているところも、地域で管理なさっている方が、ふくつ散歩のために開けてくださって、拝観することができました。

ご協力くださいました皆さま、誠にありがとうございました!

花祭窯の庭師さん。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の庭師さん。

夏が過ぎ、草木が伸び放題の庭を手入れしなきゃね、と思っていたところに台風が来て、風に乗ってきた潮であちらこちらと枯れはじめ。いつもお世話になっている庭師さんに、助けを求めました。数年前に花祭窯の茶庭を整備するときからお世話になった方なので、どこにどんな草木が植えてあるか、すべてご存知。説明要らずの安心感です。

上の写真は、その庭仕事後。「2カ月後ぐらいに、好い感じになる」をテーマにスッキリ美しくなりました。ほんとうは今の時期だと水引草があったり、ヤブランがあったりと、もう少しにぎやかなのですが、潮で枯れはじめたため、思い切ってバッサリ。あとは、寒くなるまでに、どれだけ新しい芽が出てきてくれるか、です。

お仕事ぶりをみていて、「どこを残すか」で決まるのだなぁと、あらためて思いました。迷いなく手際よく枝を落とし、草を払っている、その瞬間瞬間に「どこを残すか」を絶妙に決めているのがわかり、すごいなぁと思いました。

これからが楽しみなサザンカの木の周りも、スッキリ。一日でここまで仕上げてくださった庭師さんに感謝です。

読書『書くことについて』(小学館文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『書くことについて』(小学館文庫)スティーヴン・キング著、田村義進訳

先日読んだ『読みたいことを、書けばいい。』に触発されて、「文字を書く」ことに意識が向いています。

スティーヴン・キングといえば、わたしの頭に浮かんでくるのは「シャイニング」であり「ミザリー」であり。小説を読むより先に映画を観てしまっているので、自動的にジャック・ニコルソンやキャシー・ベイツの顔が浮かんできます。

本書はタイトルからイメージする文章術の本であった以上に、スティーヴン・キングがいかにして「モダン・ホラーの旗手、スティーヴン・キング」になったかという自伝的な要素が強く、その人生がまた読み物として興味深いものでした。

巻末にある「補遺その二」に、「大原則は、もちろん、たくさん読んで、たくさん書くことである。」(『書くことについて』388ページ)とあり、文章術という側面については、このことをスティーヴン・キングから聞くことができたので大満足。

大御所のイメージのあるスティーヴン・キングが、自分と20歳ほどしか違わないことにあらためて気づき、驚愕するというオマケつきの読書でした。

朋有り遠方より来たる

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

朋有り遠方より来たる

また楽しからずや。孔子先生の論語に登場するなかでも、好きな言葉のひとつです。わたしはどちらかというと、友だち付き合いは多くない方ですが、気がつけば20年以上とか30年以上とか「長い付き合いの友人」が一人二人と増えてきました。

秋の一日、四半世紀を超える付き合いの友人が関西方面から来福。数年に一度我が家にやってくる彼女が遊びに来るときは、いつもお土産が大荷物です。その理由は「次に行くときにこれをもって行く」というものを、日ごろから集めているからだと言います。

関西ローカル色の強い雑誌や新聞の切り抜きであったり、どこかに遊びに行ったときに見つけたちょっとしたお土産物だったり。笑えるもの、わたしたち家族の「ツボ」にハマるだろうと思われるものが、日々ちょこちょこと集められているらしく。そして実際、彼女が遊びに来たあとは、これらのお土産を大いに面白がっているわたしたちが居ます。

気配りというほどのものでもなく、自分も面白がりながら、相手の楽しそうな顔をイメージして何かをする、そしてそれが外れていない。相手に気遣わせることなく、自然にこういうことができるのは、彼女のすごさだなぁと思います。

ところで、「福岡に来る」で来福。今更ながら「来福」って字面がとってもいいですね。