独自の世界観。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

独自の世界観。

先週参加した九州ECの勉強会で、講師の株式会社エーデルワイスファーム代表・野崎創氏がしきりにおっしゃっていた「自分自身の世界観」を構築することの大切さ。同様のことを再確認する機会が立て続けにありました。

個人の世界観は属人的なものなので、たとえその世界観が変化したとしても「変わった」のであって、「ブレる、ズレる」という言い方にはならないと思います。でも組織やブランドの世界観となると、関わる人すべてが世界観を共通言語で理解することは必須であり、どれだけ徹底できるかがキモでしょう。構成員それぞれの解釈が少しでも異なってくると「ブレ」たり「ズレ」たりしてしまいます。

最近では、インスタグラムの運用がわかりやすい例だと思います。企業や商品ブランドのインスタグラムでは、誰が担当してもその世界観がブレないように、テーマカラー、言葉遣い、写真構成などについて、細かいルールが決められていることが多いようです。インスタ運用のノウハウ本などでも、まずルールを決める大切さが書かれていますね。

その一方で、実際に運用を手掛ける「中の人」のキャラクターが出やすい一面もあり、「誰がやるか」が大切だという話も聞きます。わたしも「磁器作家藤吉憲典の、中の人」なので、勉強のためにときどきブランドのインスタをチェックしますが、少しのブレも感じさせず作りこまれたインスタは少なくありません。大きな組織で一貫した運用ができているのを拝見すると、すごいなぁとため息が出ます。

ダンナの「作家」という仕事は、世界観が最も重視される職種のひとつだと言えます。ただ少し他と異なるのは、作家自身・作家が創り出すものがそのまま世界観になるので、圧倒的に属人的であるということ。「理想とする世界観があって、そこに当てはめていく」のではないということです。なのでわたしの仕事は、すでにそこにある「世界観」を、必要に応じて文章や画像などに表現していく際に、「どう置き換えるか」だけになります。

事業スタートから約四半世紀を経てわかってきたことは、作家という仕事の場合、日常的に繰り返し発する「作品そのもの」「言葉」「写真」などを通して、世界観は自然と(勝手に)醸成されていくということです。わざわざつくりこむ必要がまったく無いのです。むしろ、恣意的なものは入り込む余地がありません。

それも、さまざまな変化をしながらも、一番大切なものは一貫して変わらずに仕事を続けてきた故だと思います。黙っていても滲み出てくるもの、これこそがきっと「独自の世界観」といえるでしょう。あとは、それを社会につなげる役割を担う者(=わたし)が、いかに限りなく忠実に、置き換えていくことができるか。責任の大きさをあらためて感じた今日この頃です。