MASTERPIECE LONDON RETURNSに、藤吉憲典が作品参加しています。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

MASTERPIECE LONDON RETURNSに、藤吉憲典が作品参加しています。

本日6月30日から1週間、ロンドンのSladmoreから「MASTERPIECE LONDON RETURNS」に藤吉憲典が作品参加しています。上の写真は、SLADMORE CONTEMPORARYのインスタグラムにアップされていた、Sladmoreブースの様子

アンティークから現代ものまで、アート、デザイン、ジュエリーの最高峰の作品を提示する世界有数のアートフェア「MASTERPIECE LONDON ART FAIR」。今年のフェアに「RETURNS」とついているのは、コロナ禍によるアートフェア中止期間を経て復活したことを祝う意図があるのだと思います。

6月29日のプレビューを経て、本日6月30日から1週間の会期です。場所はロイヤル・ホスピタル・チェルシー博物館。英国の退役軍人のための施設であり、世界的な花の祭典チェルシー・フラワー・ショウの開催地としても有名です。

MASTERPIECE LONDON公式インスタグラムより、2022会場入り口
MASTERPIECE LONDON公式インスタグラムより、2022会場入り口

“The Royal Hospital Chelsea becomes the meeting point of creatives and collectors during Masterpiece London. What sets it apart is the juxtaposition of art and design from all periods and origins.”

「会期中、ロイヤル・ホスピタル・チェルシーはクリエイターとコレクターの出会いの場となります。あらゆる時代のあらゆる起源を持つアートやデザインが、並列に展示されることが、このアートフェアの特徴です。」

と、ある通り、時代も国境も超えて素晴らしい作品が集う機会です。古いものであれ新しいものであれ、その起源に関わらず、純粋に「この作品が好きだから手に入れる」という、真に美術を愛するコレクターのためのアートフェア。このような場所に、肥前磁器作家・彫刻家として藤吉憲典が作品参加できるのはほんとうに嬉しいこと。願わくば、現地に行きたかったなぁ、と。

今年は年末にロンドンSladmore Galleryで、KENSUKE FUJIYOSHI(藤吉憲典)の個展があります。こうして世の中が少しづつ動き出しているのを確認しては、嬉しくなる今日この頃です。


MASTERPIECE LONDON RETURNS
30 JUNE – 6 JULY 2022
The Royal Hospital Chelsea, LONDON

読書『小林一三 逸翁自叙伝』(日本図書センター)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『小林一三 逸翁自叙伝』(日本図書センター)

ご存じ阪急グループの創始者であり宝塚歌劇の生みの親、小林一三氏の自叙伝です。30年近く前のことになりますが、会社員として大阪に勤務していたころ、阪急宝塚線沿線の石橋(池田市)に住んでおりました。まさに逸翁のお膝元。さらに会社では法人営業職で阪急グループを担当する機会に恵まれ、そのころはしょっちゅうグループ各社の本社におじゃましていました。そのようなわけで、勝手に親近感を持ち続けている小林一三氏。

ところがその当時は「忙しい」を言い訳に、住処からすぐ近くにあった逸翁美術館にはついに足を運ぶことなく。今考えるとなんてもったいないことを!です。仕事で阪急さんを担当していたので、法人のこと、創業者のことを知っておくべきであり、それなりに資料は読んでいたつもりでしたが、本をしっかり読む時間はとれず、これまた今思えば継ぎ接ぎの情報集めでした。若かったとはいえ、恥ずかしい限りです。

ともあれ、そんな継ぎ接ぎの情報から垣間見えた創業者像と、実際にその会社で働く方々の姿を通して感じた阪急さんの社風が、わたしは好きでした。大阪で仕事をしていた当時、すごい経営者・創業者の存在をたくさん知りましたが、なかでもわたしにとっての一番は、日清食品の安藤百福氏と、阪急の小林一三氏だったのです。そんなわけで、ずいぶん経った今になって、ゆっくり時間をかけて逸翁自叙伝を読むことが出来たのは、とても幸せな時間となりました。

さて本書を開けば、なんともまぁ、時代とご本人の気質を感じる風雅な文章です。私小説的な、とても個人的な記録に読みました。正直に言えば、今のご時世でこのような内容を公に文章にしたら、批判されかねないであろう要素も盛りだくさん(笑)。けれどもすべてが「そんな時代だったのだなぁ」というほかはありません。ビジネスの人というよりは、文化芸術の人であることが明らかな小林一三氏の、随所に見え隠れする気骨が魅力的です。

学校を出てから、阪急を作るまでが綴られています。個人的には、そのもっと先までを読みたいと思ったのですが、自叙伝ゆえの難しい部分もあったかもしれないな、と思いつつ。ご本人による「結び」=あとがきの日付が昭和27年で、御年80の寿の年。そう考えると、やはり途中で終わっている感はぬぐえません。これはこれとして、別の方が書いた伝記というか、ノンフィクションを読みたい気持ちが、読後に沸々とこみあげてきました。

ちょっと探してみようと思います。

やっと、山笠!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

やっと、山笠!

夏といえば山笠!の津屋崎祇園山笠も、二年続けての延期でした。

今年は山を動かさず飾るだけではありますが、とにもかくにも催行が決まりました。山(山車)の飾りつけを行い、展示するのみ。直会(なおらい)と呼ばれる各種打ち上げ=宴会も禁止です。というわけで、今年も裏方のごりょんさんの出る幕はありませんが、ともあれお祭り復活の第一歩。

先週末には、小屋掛けが行われました。ダンナも朝7時前から山に竹や笹を取りに行くチームに入り、そわそわ。いよいよ始まったなぁ、という感じがいたします。いつもの場所に背の高い山を入れる小屋が建つと、懐かしい景色になんだか感無量。ちょっとそこまで、と路地に出れば、久しぶりにお会いする方々も多く、あちらこちらでご挨拶。

7月17日の山笠当日に向かって、これから毎週末、長法被姿の方々が近所をウロウロして、津屋崎千軒にも活気が出てくることでしょう。嬉しいです。

個人事業者は身体が資本-年に一度の健康診断。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

個人事業者は身体が資本-年に一度の健康診断。

健康診断に行って参りました!わたしはどちらかというとお医者様のお世話になることが少ない方だと思います。だからこそ、市が実施してくれる年に一度の健康診断は、定期点検の機会。せっかく健康保険税を払っているのですから、このような機会は生かさなければもったいないですね。毎年、基本の検診項目を受け、5年ごとの節目検診ではいくつかの検査をプラスして、という具合。希望すれば各種がん検診も毎年受診可能です。

基本検診だけなら、受付から検診終了後の簡単な健康相談まで、1時間もかからずに終わります。ここ数年、特に感心するのは、集団検診の仕組みと誘導。時間ごとに受け付ける受診者の人数をコントロールしていることと、検査項目ごとの混み具合に応じてスタッフの人員配置を適宜変えているだけのようですが、結果、とてもスムーズで、待ち時間のストレスもほとんどありません。

毎年の結果は、今のところまだ紙で送られてきますが、個人的にはその方が経年で一覧しやすく助かっています。結果の用紙を綴じるための手帳(ファイル)があるので、そこに入れていけば、気になったときに毎年の結果を遡って確認することが容易にできます。といいつつ気になる数値はほぼ無く、身長が「測り方」により毎年微妙に変化するのを面白がっているくらい。早期発見のための検診というよりは、安心材料としての検診です。

価値の見える化は、買ってくれた方への贈りもののひとつ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

価値の見える化は、買ってくれた方への贈りもののひとつ。

つい先日「わかりやすい方法で価値を伝えること」について書きましたが、その続編。

花祭窯の商材は、磁器作家・藤吉憲典が作る磁器作品ですから、もちろん目に見えるモノです。そこに、さらに「価値の見える化」をプラスすることの大切さを、あらためて考えさせられている今日この頃。花祭おかみの仕事として重要度が高いものでありながら、四半世紀を経ていまだに基本的な部分で反省が多いということは、生来わたしにとってあまり得意ではない分野なのかもしれません。

やきもの(陶磁器)の世界では、「価値の見える化」のわかりやすい例のひとつとして、主に茶陶(お茶)で重視されている「箱書き」の文化があります。そもそも陶磁器を保護するために用意された「箱」。外からでも中身がわかるように箱に名前を書いていたものが、次第に中身を証明する位置づけの「箱書き」となり、さらにはそれを「誰が書いたか」によって価値が嵩増しされるようにもなり、果ては持ち主の変遷由来までが書き加えられるようになって、「箱自体が価値を持つ」ところまで発展しています。こうした背景を考えたときにパッと思い浮かぶのは、織田信長。お茶文化を良くも悪しくも権力と名声にリンクさせて発展させた立役者かなぁ、とわたしは思います。

花祭窯でも、やきものの保護容器としての箱はずっと使っており、桐箱やさんは大切なパートナーです。でも「箱書き」に価値を求める文化には共感できず、お客様に桐箱をおつくりする場合も、箱書きはあくまでも中身や作家の名前がわかるように、という実用の範囲。時々作家が遊び心で絵を書き足したりしても、それはあくまでも「おまけ」ですから、もちろんそこに対価をつけるようなことは致しませんでした。

磁器作家・藤吉憲典がアート作品を作るようになり、茶陶における箱書きと同様に必要なものとして、アートには「作品証明書」を発行するという文化があることを知ったのは、ここ5-6年前のこと。ただ、うちの場合、作品のほとんどはロンドンのSLADMORE CONTEMPORARYが扱ってくださるので、すべてお任せ状態でした。食器にもアートにも、「憲」の名(サイン)はついていますので、いわばそれが作家自らの証明書。

とはいうものの、ちゃんと「価値を証明するもの」を用意したほうがいいよね、それはお客さまに喜んでいただけることにつながるよね、ということになり、整理してみました。

  • 作品本体に入る「名」。
  • 桐箱への作家本人の箱書き。
  • 作品証明書。
  • 作家ポートフォリオ最新版(日本語・英語)。
  • 最新のパンフレット、個展案内状など。

こうした「補足資料」によって、作品のオーナーとなってくださったお客さまが、その作品への愛着と誇りをより強固にしてくださったら、嬉しいことです。また、ほかの方に作品を説明する際に役立てていただくことが出来れば、幸いなことです。こういうものをきちんと揃えて、作品をお届けしてまいりたいと思います。

読書『I’ll Drink To That』(集英社)ベティ・ホールブライシュ&レベッカ・ベイリー著/野間けい子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『I’ll Drink To That』(集英社)ベティ・ホールブライシュ&レベッカ・ベイリー著/野間けい子訳

日本語タイトルは『人生を変えるクローゼットの作り方』。今どきの流行り要素がばっちりと組み込まれたタイトルに、なるほどヒットさせようと思うとこうなるのね…と驚きつつ。I’ll Drink To Thatを訳すと「乾杯」とか「一杯やろうか」というような感じです。確かにこれでは本の内容は伝わりにくいですね。そこで原著のサブタイトルが『A LIFE IN STYLE, WITH A TWIST』。「波乱万丈の人生」とでもいったものですが、「with a twist」で「波乱万丈」や「ひとひねり(ひと工夫)」的な意味になりますので、LIFEを生活ととるならば「ひと工夫ある生活」でもいいですね。

実際に読んでみると「波乱万丈の人生」であり「ひと工夫ある生活」でもありました。ニューヨークの高級デパートで、富裕な顧客へのファッションアドバイスを40年以上続けている、ベティ・ホールブライシュの自叙伝です。90歳になってもパーソナル・ショッパーとしての仕事を続ける彼女は、映画にもなっているそうです。わたしはそんなことはまったく知らず、いつものカメリアステージ図書館で見つけ、緑色のカバーとご本人の魅力的な表情に惹かれて手に取ったのでした。

結論からいえば、この本を読んで、邦題となっている『人生を変えるクローゼットの作り方』を実現できるのは、ファッションに資金を十分に投入できる方、という限定付きのお話になります。実も蓋もない言い方になってしまいますが。実際本書のなかでも、彼女のサービスの恩恵を受けることが出来るのは「富裕層」であることが大前提になっていることは、文中に何度もストレートに出てきます。そういう意味でも、邦題からイメージされるようなノウハウ供与の本では、まったくありません。さらに邦題サブタイトルが「あなたが素敵に見えないのは、その服のせい」となっているのですが、刺激的な文言ではあるものの、これまた本書の内容とはリンクしていません。

本を読み終わっての感想は、まずこの邦題タイトルと、内容とのズレの大きさ。著書『人生がときめく片づけの魔法』で大成功を収めている「こんまり」こと近藤麻理恵さん的なタイトルは、売るためのマーケティング戦略ゆえでしょう。なんだかなぁと思いつつも、この本を読んで良かったと思えたのは、ベティ・ホールブライシュご本人の生き様が興味深かったからに他なりません。ご本人がとってもチャーミングで素敵な方であろうことが、ビシビシと伝わってきました。なにより90代にして販売の第一線で仕事を続けているというのは、とても魅力的です。『ニューヨーク・バーグドルフ 魔法のデパート」(2013年)で、動く彼女を拝見することが出来るようですので、ちょっと見てみたいと思います。

『I’ll Drink To That 人生を変えるクローゼットの作り方』(集英社)

映画『エリザベス 女王陛下の微笑み』を観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『エリザベス 女王陛下の微笑み』を観てきました。

2022年の決意のひとつ「月に1本は映画を観る!」。5月はうっかり映画館に行き損ねてしまいました。その分6月中に2本観ようと思いながらも、すでに後半。まずは絶対に見ておきたい、エリザベス女王の映画に行って参りました。上の写真は3年前に観た展覧会「英国ロイヤルスタイル」のもの。

英国ではこの6月に、女王在位70年を祝うプラチナ・ジュビリーの一連の行事が行われていました。この映画もそのお祝いに合わせての公開でしょう。1930年代から2020年代までのアーカイブ映像を、様々な視点でつなぎ直したドキュメンタリー。これだけの映像や音声が残っていることがすごいなぁと、まずはそこから感嘆。

現代史を生きてきた女王の姿に圧倒されました。編集意図があるのは重々承知のうえでも、「記録映像」そのものの持つ力、被写体となっているエリザベス女王の存在感。とにかくすごい人だなぁ、と。語彙が貧弱ですが、ほかに適当な言葉が見つかりません。歴代首相が女王と定例で意見交換をする習慣がずっと続いていて、それが単なるご挨拶の時間ではないことが、映像やインタビューから伝わってきました。チャーチル首相からはじまっているのですから、政治家にとっても、女王はまさしく国のかじ取りの生き字引的存在。単なるシンボルではない王冠の重さを垣間見ました。

また「開かれた王室」の在り方を、あらためて見せつけられました。あくまでも映像のイメージではありますが、国民との関係性も、政治とのかかわり方も、日本の皇室とは全く異なるように感じました。ひとことで言うと、近い。市民へのインタビューで「お母さんのような存在」というのが、文字通りの印象で伝わってきました。だからこそ、王室に対して愛情いっぱいに親しみを込める一方、間違っていることをしていると感じると、遠慮なく怒る。

エリザベス女王のアーカイブでは、プラチナ・ジュビリーに合わせてBBCが特集した「写真で見る」記事も、見ごたえがあります。日本語になっているので、ご興味のある方はぜひご覧になってみてくださいね。

BBC News JAPAN【写真で見る】 在位70年、96歳のエリザベス英女王 写真で96年を振り返る

わかりやすい方法で価値を伝えることの大切さ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

わかりやすい方法で価値を伝えることの大切さ。

先日の世界へボカン徳田さんとの面談は、越境EC以前に、物を作り販売する製造業者として、できていなかったことを再確認する機会ともなりました。

そのなかに「『買いたい気持ち』づくり」「買ってくれた方に対する贈りもの/価値強化としてのデジタルコンテンツ、ホワイトペーパー」「自社にとっての『当たり前』は、その業界や海外顧客にとって『当たり前』ではない」というお話がありました。

あらためて、お客さま(と、お客さまになるかもしれない方々)に対する自分の説明不足と不親切を痛感。まずはすぐにできることとして「価値を伝えるわかりやすい方法」のひとつを資料にまとめることにいたしました。これまでも、作家のポートフォリオは何枚も作ってまいりましたが、あくまでもギャラリー向けあるいは専門家向けであったと、今更ながらに気づきました。その反省を踏まえて。

kensukefujiyoshi_B5

kensukefujiyoshi_B5_2

一般の、まだ磁器作家・藤吉憲典をご存じない方に向けて、わかりやすいように客観的な指標として参照できる「固有名詞」を多用した紹介資料です。素材はたくさんあるのに、そこを意図したものをこれまで全く作ってきていませんでした。

正直に言えば、これまで、特にまったくの無名であったときほど、できるだけそのような「固有名詞の力」に頼りたくないという気持ちがありました。わかってくださる方だけにわかっていただけたらいい、というスタンス。でもその考え方は、ある意味では思い上がりとも捉えられるかもしれません。ものづくりにありがちな「良いものを作りさえすれば…」というやつですね。

キャリアを積んできた今だからこそ、そういう虚勢を取り払い、純粋に「専門家ではない方々にも、より理解していただきやすい基準」として、固有名詞の力をお借りすることが出来るようなったとも言えます。そういう意味では、タイミング的にも(ちょっと遅い、という自覚もあるものの)今だからこそ作ることのできたプレゼン資料です。

読書『はじめての越境EC・海外Webマーケティング』(WAVE出版)徳田祐希著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『はじめての越境EC・海外Webマーケティング』(WAVE出版)徳田祐希著

先日お世話になった、中小機構さんのEC活用支援アドバイス。

担当してくださったアドバイザー・世界ヘボカン株式会社 代表 徳田祐希さんの著書があると聞いて、遅ればせながらゲットし拝読しました。面談前に読んでおくべきだった…と思っていたのですが、面談後に読んだのは、今回わたしにとっては正解でした。理由のひとつは、わかったつもりにならず、まっさらな状態で面談に臨めたから。そして、面談のなかでは理解が不十分だったところを、文字で確認し直し復習できたから。

以下、備忘。


  • 強い覚悟。
  • ニッチャー:独自市場・オンリーワン・価格は高く設定・独自の価値を切り出す。
  • ローカライズ:赤。余白が大きくシンプルなデザイン。
  • ドメイン:サブドメイン+手動翻訳で多言語展開。en.〇〇〇.com
  • コンテンツSEO。
  • トップページ:あらゆる検索意図をカバーできるような、ナビゲーションに近いページを目指す。
  • 商品カテゴリページ:具体的にどんな商品が並んでいるのかイメージが湧くタイトルで、カテゴリ分け。
  • 商品詳細ページ:お客様が商品を探すときに基準となる情報を漏れなく記載。トップページや商品一覧で狙っているワードは、無理のない範囲で商品詳細ページでもそのまま使う。
  • ブログ記事:トップページや商品一覧・商品詳細でカバーできなかったキーワードは、ブログ記事をつくることでカバー。
  • 「検索ユーザーが知りたいことは何か?」
  • メルマガ・ブログ・SNS運用:マニアックな質問に対してマニアックな回答を返す。
  • 人気コンテンツ=顧客が知りたい情報。
  • 投稿に一貫性を持たせる(少なくとも9つ)。
  • MATCHA
  • メールマーケティング。
  • オフライン流通。
  • オリジナルハッシュタグ。
  • Webサイト上に写真を多く掲載:使ってみた様子は?/どんな人が購入?/どのように梱包配送?
  • 実店舗の住所や写真を掲載:実店舗・取引先
  • カテゴリーページに説明コンテンツを挿入:カテゴリー上部に、特徴・選び方・おすすめアイテムを端的に説明するショートコンテンツ(100words程度)。
  • 商品価格に配送料を組み込む。
  • 送料・関税・配送日時などが海外顧客に最適化されているか細かく確認。
  • 限られたリソースを今どこに投資(投入)すべきか?
  • 資料請求:自社の価値を伝えるよう設計。
  • トップページでは企業モットーではなく「どんな課題を解決できるのか」を事例とともに訴求。
  • PR動画(5~10分):どのような会社なのか/代表はどのような人なのか/日本での販売状況は/商品の特徴や強みは/どうしてこの商品を作ったのか。
  • アウトバウンドの営業資料:顧客は誰か/顧客にどのような価値を提供できるのか。を、言語化できるようにする。
  • 役に立つホワイトペーパー。
  • 専門性の高さ:自社にとっての「当たり前」は、その業界や海外顧客にとって「当たり前」ではない。
  • 階段設計:問合せの一歩手前に資料請求のステップ。
  • 認知・情報収集→興味関心・課題形成→比較検討→商談・購買

『はじめての越境EC・海外Webマーケティング』より


「マーケティング」がタイトル前面に押し出されていますが、最後に「法律・制度」の章があり、越境EC事業の実際をたくさん扱っておられるボカンさんならではの知見と心遣いを感じました。と同時に、主に本の前半で語られるウェブマーケティングノウハウについては、越境に限らず国内ECにも同じことが言える部分が多く、広くECに取り組む事業者に役立つものだと思いました。

巷にあふれる動画のノウハウレクチャーはわかりやすい半面、個人的にはスピード感についていけないところも正直あります(汗)。なので、手元でたくさん書き込んだり付箋をつけたりしながら辞書的に使える本は、とても助かり。ボカンさんもYouTubeですごい数の動画を上げておられ、ノウハウを惜しげもなく公開なさっていますので、困ったときは関連動画と本を組み合わせつつ自分に理解を促す、という形をとることが出来ます。

面談していただいて、本も読んで、あとは実行。頑張ります!

はじめての越境EC・Webマーケティング(WAVE出版)徳田祐希著

読書『恐るべき子供たち』(角川文庫)ジャン・コクトー 著/東郷青児 訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『恐るべき子供たち』(角川文庫)ジャン・コクトー 著/東郷青児 訳

久しぶりに引っ張り出してきた『恐るべき子供たち』。あらためて表紙を見て驚愕しました。なんと翻訳が、東郷青児。洋画家の東郷青児です。思わず出版年を確認したところ、昭和28年初版となっておりました。20代の頃7年間フランスに滞在し、絵画、デザインなどを幅広く学んだといいます。コクトーが生まれたのが1889年、東郷青児が生まれたのは1897年となっていますから、まさに同時代を生きていたのですね。この文庫本はずっと家にありましたが、今回読んで初めて気がつきました。これだから読書は面白い。

さて『恐るべき子供たち』。読んでいる間の、切なく苦しい痛みは、何十年か前(!?)に読んだ時と変わりませんでした。細かい描写はまったく覚えていなかったものの、ぜんぶ隠してしまいたくなるような恥ずかしさと、キリキリするような痛さはそのまんま。ここまで極端ではないにしても、自分の子ども時代を思い返したときに、彼らの言う「(放心によって)出かけた」とか「宝物」とかのイメージは共感できるものが多く、それでも20代になる頃には、そのようなものとも折り合いをつけてきたと思います。本書を書いたのがコクトー40歳の時ですから、いかに生き辛かった人生かと思いました。薬物中毒になりながらの人生。でも巻末にある年譜によれば没年齢は74歳ですから、早逝というほどではないのが、意外といえば意外でした。

先日読んだ中原中也といい、コクトーといい、「生まれながらの詩人」の人生には、思春期がずっと続くような痛みを伴うのだろうと想像しつつの読書でした。中也の人生が1907年から1937年。コクトーが生きている間の半分に、中原中也も存在していたということになります。ここでも時代が重なっていた不思議を感じました。