我が家の食器棚は、花祭窯資料の宝庫。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

我が家の食器棚は花祭窯資料の宝庫。

上の写真は、美しく整理整頓されているとはお世辞にも言えない我が家の食器棚。使っている器の八割から九割は藤吉憲典の器で、あとは土ものと漆器とガラスと…ということになります。磁器以外のものも、知り合いの作家さんのものであったり、お取引先のギャラリーさんが扱っていらっしゃるものであったりします。こんなふうに、あたりまえに「いい器」を使うことが出来るのは、この仕事が生業であるゆえの贅沢。この点だけは、子どもに好い環境を用意してあげることが出来たかな、と。

ただ、藤吉の器を使っているとはいっても、ばっちり数を揃えているようなものはほとんど無く、ご覧のようにバラバラです。創業時から現在まで、サンプル崩れや半端もの、ちょっとお客さまには出せないな、というようなものが一つ、また一つと増えて、我が家の食器棚の中身を構成しています。

これまでに作ったものがある、ということは、そのまま形や文様の資料がそこにあるということ。そのなかでも自然と「よく使う器」というのは決まってくるもので、棚の手前に並ぶのは使いやすい器ということになります。器の使い勝手が並びに現れるというのは、無意識の結果だからこそなお、説得力を持ちます。

ときどき棚の奥から「そういえばこんなの作ったな~」というものが出てきたり、「あの器があったはず!」と探せば見つかったり。作家に言わせれば「昔作った未熟な仕事を見るのは恥ずかしい」のだそうですが、当時は当時で、できる限りの全力を傾けて作っていますから、未熟ながらも一生懸命さが伝わってきて微笑ましいものです。

ここ数日、ダンナが我が家の食器棚を眺めているのは、11月下旬からスタートする、南青山の百福さんでの個展に向けて、今まさに食器をたくさん作っているから。以前つくったものも、今作ればはっきりと進化を感じるものが出来上がります。それでこそ「セルフ写し」をする価値があるというもの。藤吉の器の愛用者の一人としてのわたしは、「また作って欲しいもの」をさりげなく食器棚の前方に配置して、制作意欲につながるよう環境整備(!?)です。